お別れ

TTMゆいの中野むつみです。

先週末、
父方の叔母が亡くなった。

92歳。

とにかく明るくて
前向きな叔母だった。

父には7人の妹がいた。
樺太の豊原で

黒住教の神社の
神主をしていた祖父、

跡取りの息子は
一人産まれたけれど、

あとはみんな女の子。

どんな気持ちだったのかな?
といつも思っていたけれど、

叔母の通夜の席で
従姉妹が写真を見せてくれた。

樺太の時の写真だ。
一人目に産まれた女の子は

肺炎で亡くなり、
そのあと産まれた叔母たちと

父、祖父の写真だ。
何故祖母はいつも

映っていないのだろうと
思ったが、

きっと次から次に
お腹に子どもがいて

それどころでは
なかったのだろう。

でも、写真に映る祖父は
幸せそうだ。

父も叔母たちも
安心した顔をしている。

このあと、
終戦になり、

父の家族は
樺太から引き揚げてきた。

亡くなった叔母、
『けいこばちゃん』は、

中々の文学女子で
川柳、短歌を嗜み、

また、
戦争体験の語り部をすべく、

Twitterで
引き揚げを語っていた。

最も、
スマホの操作は

従姉妹がしていたらしい。
けいこばちゃんが語り、

従姉妹が打つ。
そのTwitterも

従姉妹が私に送ってくれた。
そこには私の知らないことが

いっぱい書かれていた。
父の運の強さも語られていたが、

父は引き揚げのことも
戦争中のことも

辛いこと
怖いことは

何一つ家族に
言わない人だったから、

父の知らなかった側面を
見た思いもした。

けいこばちゃんも
戦後たくさんの苦労をした。

夫には早くに先立たれ、
女手一つで

二人の娘を育てた。
今で言う看護助手をしていた。

けいこばちゃんは
美人姉妹の中でも

飛び抜けた美人で
若い頃の写真は

女優さんのようだったが、
もちろん自分でも

よくそれを知っていて、
いつも化粧はバビっとしていた。

それは今回の入院まで続き、
化粧をしないと

ゴミ出しもしなかった。
『だってむっちゃん、

汚いばあさんの顔は
見せなくないでしょ!』

と、
笑って言っていたけれど、

絶対自分のことを
汚いおばさんだったとは

思っていなかったと
思う。

叔母の遺影は
叔母が決めていたそうだ。

従姉妹に
『私が何歳で死んでも

この写真を使うように』
と言っていた写真は、

68歳の時のもの。
お寺さんも思わず、

『ずいぶんお若い時の
お写真のようですね』

と、
漏らしていた。

どんなに辛い時も
ユーモアを忘れず、

化粧をし
美容院に行き

おしゃれを楽しんだ叔母、
最後はおくり人によって

美しく化粧をして貰い、
花に囲まれ、

自分が読んだ川柳一枚と共に
あちらの国に旅立った。

今頃
父母兄姉妹と

楽しく団欒していると思う。
ありがとうね!

寂しいけれど
叔母の愛を感じて

送り出せたお別れだった。

TTMゆいの中野むつみでした。