家族。。。

TTMゆいの中野むつみです。

私の母は75年前
岡山から北海道にお嫁に来た。

一応恋愛結婚だったが、
樺太に住む父とは文通だった。

結婚後その手紙を
父の親友がほぼ代筆していたと

母は知り、
詐欺だ!と言っていたっけ。

その当時は
岡山から札幌に来るのは

汽車を何回も乗り継ぎ
どこかで泊まらないと

来れなかったと聞いた。
私が小学生の頃も

よく岡山に遊びに行っていたけれど、
車中泊一泊、東京に一泊、

で、
また長い時間汽車に揺られた。

当たり前に
札幌と岡山の連絡は

手紙か電報。
もちろん、電報は急な知らせで、

良いことはなかったから、
電報です!と郵便屋さん?が来ると

家中が飛び上がった。
だから、

電話が家に引かれて、
大阪の叔母と母が初めて話した日、

母は電話口で
オイオイ泣いていたっけ。

それから時代は移り、
私の次女が本州の人と結婚が決まった時、

もう携帯電話が
出てきていたけれど、

それでも母は、
『何も本州の人と結婚して

あっちに行くことはないのに。
親元にいるのが

一番幸せなのに』と
言っていたっけ。

元々誰の結婚も
反対しない人だったから、

一番可愛がっていた私の長女が
愛知で結婚する時も

気持ちよくお祝いをしてくれたけれど、
多分、本心は『バカだなあ』と

思っていたと思う。
そして本当に、

親元から離れて
仕事や子育てをする娘たちは

大変そうだ。
私も寂しいし子供たちが心配だが、

昨日、気がついた。
あ!

私、家族LINEで救われているんだ!

ガラケイでメールを打ち、
子育てで右往左往している娘を支えた時代から、

気がつくとLINEができて
中野家グループが始まると

毎日誰かかれかが
打ってくるが

それはまるで会話で
そこに娘がいるようだ。

それでも実際に会うと
楽しくて、

そして
別れ際は寂しいけれど、

それでも
LINEがあるのとないのとでは

大違いだ。
日常的に会話ができるって

すごいなあ。
おまけに、

実際に会った時は言いにくいことも
すんなり言えたり、

感情的に
ならなかったりするから。

誰が発明したかは知らないけれど、
LINE感謝だ。

とは言え、
結婚して、

自分の家族と離れて暮らすのは
寂しいコトなのだろうと

思う。
親元のすぐそばで子育てをし、

会社まで
親のものを引き継がせてもらい、

幸せぬくぬくで生きてきた私には
その寂しさがわからないけれど、

今でも忘れられない光景がある。
それは昔岡山の母の実家に行った帰り、

岡山駅のホームに
母の姉妹がずらっと並び、

デッキに佇む母も
その叔母たちも

汽車が走り出す前から
ずっと泣きっぱなしで、

汽車が出ても
叔母たちはちぎれるように手を振り、

母はいつまでも泣き続けて
デッキから離れず、

『むつみ、お母さんを呼んでおいで』
と父に言われて、

私が母を迎えに行くのが
常だった。

そんなものなんだなあ
家族って。

さあ
家族LINEに何かきてないかなあ。

TTMゆいの中野むつみでした。