旧暦のひな祭りに

TTMゆい中野むつみです。

今日は旧暦のお雛様。
というのを3月初めに知って、

我が家の紙雛を
『旧暦のお雛様まで飾ろう!』

と、
決めた。

我が家の紙雛は
義母が作ったもので

貰ってからかれこれ
35、6年経つと思う。

娘たちが巣立ってからは
飾ったり飾らなかったりだったが、

今年はとっても飾りたくなって、
結構早めに出した。

のだが、
3月3日が過ぎても

どうしても
しまう気がせず、

まあ娘はみんな嫁いだし。。
なんて思いながら、

どうしようかなあ。
と迷っていたら、

友人のFacebookで
旧暦のお雛様を知ったのだ。

よし!
その日まで飾っておこう!

そう決めたら
とても心が軽くなった。

まだまだ時間があるわ。
こんな気持ちも初めてだった。

お雛様の横には花を飾った。
小さなお雛様なのに

その存在感はちょっとしたもので
いつも家の真ん中に

存在している感じだった。
で、

今日いちにちでお雛様は
兜に替わる。

我が家には娘しかいないから、
兜はなかった。

義母が作ってくれた鯉のぼりと
子どもの紙人形が飾られるだけだった。

が、
昨年、

縁あって
山田祐嗣氏制作の

小さな兜を買った。

お雛様が鎮座している間は
なんだか兜を出しにくかったが、

昨晩、
兜と鯉のぼりの紙人形を玄関に飾った。

よくわかんないけど
なんだかほっとした。

義母は亡くなって
15年経つ。

義母は急死だったから、
全くの心構えもなく、

ある夜、
亡くなったと連絡が入った。

夫はもちろんのこと
私も全てを受け入れられず、

私の従兄弟の運転で
真夜中、釧路まで行った。

義母はすでに冷たくなっていた。

私は義母が大好きだった。
姑というより

仲良しのおばさんに
近かったかも知れない。

私にはない大らかさがあった。
私のドジを責めることは一度もなく、

辛い時には
相談にも乗ってもらっていた。

だから、
葬儀の間中、いっぱい泣いた。

うちの娘たちもたくさん泣いた。
夫はもちろん泣いた。

その後一人残った義父は
元気に一人で釧路で過ごしていたが、

それから4年後、
義母の元に旅立った。

義父も入院して数日で逝ったので、
私は義父母の看病をしていない。

よく
ポックリがいい。と言うけれど、

私はポックリは嫌だ。
誰にもさよならを言わずに、

ありがとうも言わずに、
楽しかった!とも伝えずに、

あっちに逝くのは嫌だ。
だって、

残されたものが悲しすぎるから。
諦めきれないから。

今年、
義母の紙雛を居間の真ん中に

今日まで飾ったら、
少し気持ちが落ち着いた気がした。

明日から子供の日まで
今度は義母の作った鯉のぼり人形を

居間の真ん中に
飾ろうと思う。

TTMゆいの中野むつみでした。