生きること

TTMゆいの中野むつみです。

今日は、7ヶ月ぶりの
歌のレッスンだった。

一昨年の夏、
ナツキ・ヴォーカルスクールの

ナツキさんと知り合い、
『個人レッスンもありますよ!』と言われ、

急に閃いて、
歌を習い始めた。

初回のレッスンはナツキさん。
で、

私の声を聞いて、
『中野さんはめぐみ先生が良いですね!』

と、
担当の先生を決めてくれたのだが、

それが誠に
ドンピシャリ。

私の歌への指摘は、
私の内面への指摘そのもので、

私は歌のレッスンを受けながら、
カウセリングを受けている様感じだった。

でも、
コロナで練習はストップし、

今回、
やっと再開だった。

私は、
花を買ってスクールに行った。

実は、
今年の3月にナツキさんが亡くなられたのだ。

ナツキ・ヴォーカルスクールは、
ナツキさんのお母様が社長、

お父様は会長。
ナツキさんも私よりはずっとお若い。

その知らせに
最初は信じられなかったけれど、

病気を隠しての生活だったと
お聞きした。

私と歌を結びつけてくれたナツキさんは、
とても大事な方で、

お参りにも行けずに
心残りだったので、

白百合やカラーなどと
小さなピンクの花を買って、

スクールにお届けした。

歌の練習はバッチリ。
というか、

コロナの間に
殻を一つ破ることができたらしい。

マスクで息の加減も感じられるし、
『今までで一番声が出ていましたよ!』

と、
めぐみ先生に褒められ、

気分良く帰ろうとしたところに、
ナツキさんのお母様、社長が、

ご挨拶に来てくださった。
一瞬、ナツキさん?と思うほど、

お母様は
ナツキさんとそっくりだった。

お話をしていると
お互い涙が出てくるけれど、

お母様のお顔を見ながら、
ナツキさんはお母様とご一緒におられるのだ。

と、思った。
それをお伝えすると、

またお母様は涙ぐまれた。

『お花、飾ってくださいね』
やっと笑顔を作ってお母様と別れたが、

なんとも悲しかった。
そして、

帰りがけに、
ホームにいる母を訪ねた。

岡山の母の姪っ子、
私の従姉妹の絵手紙と小さなお守り団扇を

届けるためだ。
母がまだ北海道に嫁ぐ前に

母の実家で生まれた姪っ子だ。
『久美子は、私のこと忘れたろうね』

と、
絵を見ながら母が言った。

『忘れるわけがないじゃない。
だから、葉書をくれたんだよ』

長い文は読めない。と言いつつ、
母はずっと葉書の文章を目で追っていた。

朝、晴れていた空は、
黒い雲で覆われてきた。

『お母さん、また来週来るよ』
母は、また来てね。と、手を握ってきた。

離れているけれど、
こうやって会える事に感謝しようと思った。

TTMゆいの中野むつみでした。