福井にて

TTMゆいの中野むつみです。

昔から歴史が苦手だったのに、
近頃日本史に興味がわく。

ただし、
ガッツリ勉強!ではなく、

なんと言うのかしら。
例えば先週行った福井。

日本海側の県で永平寺がある。
くらいしか知識がなく訪れたが、

案内されたのが
朝倉遺跡。

昔見た大河ドラマで
美しいお市の方が

兄織田信長に夫の裏切りを教え、
夫は討ち死、自分は姫三人を連れて

織田信長の元に帰る。
みたいな内容だったが

その夫が朝倉さん。
くらいは知っていたが、

そこの遺跡の館長さんが
紙芝居ばりに案内資料を駆使し、

その遺跡を説明してくださった。
450年前の戦国時代の遺跡だから、

一乗谷合戦で焼けた石垣が
残っていたりするけど、

その遺跡のほとんどは、
朝倉家家臣と民たちの暮らした跡地だった。

復原された建物もあるが、
民の住居後の井戸と厠は発掘されたまま。

そして、
そこで暮らした家来民は一万人とも言われ、

戦国時代なのに
平和で豊かな生活をされていたことが

うかがえた。
金がとれて、

民たちは農業ではなく
商業で生計を立てていたそうだ。

京都から北陸に抜ける関所があり、
京都から入ってきた文化が育まれ、

一乗谷は小京都と呼ばれていたと
聞いた。

なんと!
戦国時代なのに平和な町があったのか!

織田信長はこの町を焼き払ったが、
織田軍が到着する前、

朝倉の親方様は
その危機を察して

民たちを全て逃したそうだ。
民たちの家の中には、

いざ決戦の時に備えて
武具があったが、

多くの民は逃げ延びて
全国に散ったという。

館長さんの熱い語りに耳を傾けながら、
私の胸も熱くなった。

戦国時代に
民が幸せになる町を目指した朝倉の殿様が、

生き延びることは難しかった。
仕方がないことだけど、

何故に
織田信長があんなに美化されて

大河ドラマになるんじゃい!
おかしい!

で、ふと思った。
戦後、日本が焼け野原から立ち上がり、

高度経済成長を遂げるには
朝倉さんの優しさより、

織田信長の非常さが
必要だったのではないかしら。

そして朝倉遺跡の後
私は東尋坊に連れて行って頂いた。

高所恐怖症の私は
間違っても岩の上には上がれない。

で、
次に連れて行ってくださったのは

東尋坊から見える
【斧入らずの森】小さな島だ。

赤い長い橋を渡って島に上がると
長い石畳の階段が続き、

その奥に
朝倉義勝を祀る神社があった。

こちらも織田信長に焼かれたが
江戸時代に入りすぐ再建されたとあった。

斧を入れることはならぬ。
とされた森。

大きな椿の木が御神木であった。

なんでこんな神社まで
焼き払ったのか。

民の幸せを願い
民に慕われた朝倉の親方が、

織田信長は
恐ろしくてたまらなかったのかしら。

なんて思いながら、
これからは朝倉さんの時代になるなあ。

とも感じた。

TTMゆいの中野むつみでした。