思った通りになっている?!

TTMゆいの中野むつみです。

今日は、
あ!という気付きの多い日でした。

家ねっとのお仲間、
アイムの山谷恵美子さんと

ランチをし、
私の話を聞いて頂いていました。

実家のこと、
父のこと、など。

その時突然、
あの病気は、

私が
なりたくてなったのだ!

と、
気がついたのです。

それは山谷さんに、
『中野さんは、

上手に人の助けを
借りられる人だね。』

と、
言われてでした。

そーなんですよね。
私は、SOS!が

とっても上手なのです。
看護婦時代も、

めっちゃ忙しくて、
走り回っている時など、

誰それ構わずお手伝いを
頼んでいました。

まあたまには、
頼む相手を間違えて、

総婦長に、

『検体を検査に
持って行ってください!』

と頼み、
『あなたの仕事でしょ!』

と、
大目玉を食らったことも

ありましたが。
そっち行くなら!的な感じで

頼んだのです。
でも、それも、

総婦長は渋々
持って行ってくれたと

思います。
なんですね、

抱え込まずに
乗り切っちゃうのです。

ところが、
私が看護婦を、

止めるきっかけになった時は、
本当に全てを抱え込みました。

だから、
朝5時前に起きて、

6時のバスに乗り、
2時間かけて病院に着き、

毎日早くて9時、
遅い時は深夜まで残業を

しました。
理由は、

若い看護婦さんばかりで、
私がしないと

患者さんに
しわ寄せがいくから。

でした。
娘たちが、

七五三と呼ばれた年齢でした。
それから一年ちょっとで、

体はズタズタ、
それでも頑張った結果ついた病名が、

【うつ状態】でした。
この【状態】という言葉が、

中々のミソ。
うつと症状は、

瓜二つだけれど、
うつとも違う。

医師が首を
かしげる感じです。

要は、
疲労困憊で体が悲鳴をあげ、

症状が鬱になった。
みたいな感じでしょうか。

結局、
体力は半日しか持たず、

看護婦を辞め、
雇用保険を貰いながら、

家で療養しましたが、
その時に私がした事は、

娘たちとの関係づくりでした。
長女は、

私の母が
母親みたいになってしまい、

実家に泊まりっぱなしでした。
次女は、大病を患い、

やっと一命を取り留めました。
三女は、私から離れませんでした。

私が看護婦に燃えだし、
頑張って働くまでは良かったけれど、

家庭と子どもたちが
崩壊寸前だったのですね。

きっと潜在意識で、
病気にでもならないと

この状態を打破できない!
と思ったのでしょう。

私は仕事を辞め、
夫がいる父の会社に入り、

そして、
今に至る。で、

結構色々有りますが、
幸せな時間を貰っています。

病気も
自分が選んだのだなあ。と、

思いました。
その後私は、

二つの大病をしましたが、
きっとそれも、

自分で選んだのだと
実感しています。

好きで楽しくやっているのに、
病気になる時は、

やっぱり理由が
あるんですね。

TTMゆいの中野むつみでした。