二十歳過ぎたら自分のせい?

TTMゆいの中野むつみです。

人間って、
抜けていても、

どうにか生きていけるもんだわ。
と、思うこの頃。

私は、
北ガスビルが新しくなって、

『北ガスって、北海道ガスって言うんだ!』
と、知った。

ずううっと、
北ガスだと思っていた。

北電は北海道電力だと知ってるのに、
おかしいなあ。

で、
自分は大切なものは無くさない。

と、
思っていたけれど、

先日から、
着物教室の教科書を探しているのに

見つからず、
仕方なしに、

教科書なしでお教室に行ったら、
先生がびっくりされた。

そうだよなあ。。。。
で、

もう一度部屋を探したら、
出てきた。

おかしいなあ。
同じところをずっと探していたのに、

どうして今はあるんだろう。

今日、
札幌駅前行きのバスに乗り、

前に座ったお二人の関係はなんだろう。
なんて考えていて、

ふと顔をあげたら、
上町一丁目だった。

真駒内駅行きに乗っていたのだ。
おかしい!絶対おかしい。

だって、
札幌駅前行きって、

書いてあったのよ!
変だなあ。

うちの娘たちは、
小学校時代、

教科書をよくなくした。
その都度、

私の父が、
娘の同級生の教科書をコピーし、

製本をしてくれた。
夫は、

『俺は教科書をなくしたことは
ないぞ!』と、

言っていたけれど、
私もないわよ!

って、
偉そうに返していたけれど、

私が大事なものをなくさなかったのは、
それは、多分、

母親が管理をしてくれていたからだと
思う。

中学校や高校では、
流石に自分で管理をしていたけれど、

よくなくさずに
いたものだと思う。

でも、
結婚しても、

大事なものは
母親に預けていた。

貯金通帳も印鑑も。
とにかく、

なくしてはいけないものは、
母に預ける。

これは母がアルツハイマーになるまで、
続いていた。

で、

うちの娘たちも、
おばあちゃんに頼っていたわけで、

3人の娘たちは
無事一人前になったけれど、

大学時代の一人暮らしでは
かなり苦労をしていたけれど、

お陰で、
娘たちは自立できた。

私はと言うと、
この抜け具合でも、

まあ大きな問題も起こさず
生きている。

これは皆、
私の周りの方々のおかげだ。

よく、
親が手を出しすぎるから

子どもが育たない。
過保護だから子どもが成長しない。

と言うけれど、
あれは、せいぜい幼稚園までのこと。

と、思う。
私は母親に任せた方が楽だったから、

できない!と言って、
母に任せていたのだ。

自分で管理をしたら、
印鑑はなくすし、

鍵なんていくつ作ったか
わからない。

だから、
お母さん、預けるわー

だった。
成人した人間が、

親が過保護だったから
できなかった。なんて、

恥ずかしくて言えないわ。
あーーーーーーー

私、
いい歳して何言ってんだろう。

とにかく、

着物の着付けの教科書が見つかったので、
袋帯の復習はなんとかできそうである。

TTMゆいの中野むつみでした。

プロに頼ることは良いことだ!

TTMゆいの中野むつみです。

私の取り柄は、
人柄の良い優秀な人たちに囲まれていること。

これに気がついたのは、
高校生の時。

あ、私、何もできないのに、
生徒会長ができている!

私の周りには、
これでもか!と言うほど

優秀な人たちが集まり、
何もできない私を支えてくれる。

それはズー〜ーーっと続き、
今もそう。

で、
例えば、

体を壊すと、
腕の良い医者や鍼灸師がいつも現れる。

看護婦をやりすぎて、
どうやりすぎたのかはそのうち話すとして、

体はボロボロ。
それを救ってくれたのは、

一人のお医者様と
友人の鍼灸師だったが、

その鍼灸師は、
ある時廃業してしまい、

まだ中途半端な体力だった私は
途方に暮れていた。

ら、
また現れたのだ。

稲富鍼灸師が。
前の鍼灸師とは違って、

経絡治療と言う鍼灸。
でも、陰陽五行は一緒。

治療院の壁にかかっている表を
いつもみているけれど意味不明。

でも、
良いのだ。

私が理解しなくても
稲富先生は治してくれる。

ただし、
日常生活の改善も先生の言う通りに、

しなくてはならないが。
そして、

体だけではなく、
仕事でも同じだ。

私のできないことを
みんながカバーしてくれる。

これからの時代、
メールができるのは当たり前。

SNSも必要だ。
速い話が、

パソコンやスマホ系ができないと、
未来に向かって仕事はできない。

でも、私、
できないんですー。

本当にわからない。
だから、

会社では社員が仕方がないなー
と、手伝ってくれる。

が、
メールくらいはみられるし打てる。

できないのは、
パソコンの管理。

会社でも、
一番難しいサーバー管理は

プロにお任せだ。
自分が毎日必要なことだけ覚える。

iPadも同じだ。
ブログは書くけれど、

そこによそ様のホームページアドレスを
載せることができない。

せっかく
宣伝したいのにー

と、思っていると、
できる友が、

『ここですよねー』と、
Facebook投稿のコメントに

載せてくれる。
有難いよー

大きいこと
小さいこと

数え上げればキリがない。
で、

母の確定申告を
私がしようと思ったけれど、

土地と家の売買があっての確定申告。
税務署に行ったら思いの外難しそうだった。

一応、必要な書類は
集めたつもりだけど、

プロにお願いすることにした。
そのために、プロが存在するのだから。

DIYの様に
楽しくてするのは良いけれど、

リフォームだって、
大切なところはプロに任せないと

恐ろしいことになる。
私みたいに、

不器用でものづくりが好きではない人は
珍しいかも知れないが、

適材適所という言葉が
あるではないか!

と、
今日も、

私の周りにいる
優秀で人間性抜群の友人たちに

頼りっぱなしである。

TTMゆいの中野むつみでした。

9月になって

TTMゆいの中野むつみです。

札幌は完全に秋だが、
明日からはまた夏が戻って来るらしい。

私は、着物を着るようになって、
季節を感じるようになった気がする。

実際の温度とは別に、
6月と9月は単衣、

7月と8月は、
夏着物。

で、
その他は袷。

私は、
着物に夏着物があることを知らず、

6月最終日、
明日から夏着物!

と聞いてびっくりした。
それも、

絽や紗の他に
夏の織り方の着物があると言う。

へええ!
季節をそんなに意識したことが

なかったので、
なんだか面白い。

浴衣は、
夏のもの。

ふむふむ。
結構頻回に着物を着るので、

2ヶ月だったけれど、
浴衣も夏着物も出番が多かった。

で、
今日からは単衣。

こちらは、
叔母の形見が3枚。

ちりめんの小紋と、
紬と木綿の絣だ。

まずは、
季節に合わせて

Facebookの写真を
変えた。

なので、
本日はちりめんを着た。

まさか自分がこんなに着物を
着る生活をするとは思ってもいなかった。

でも、
子どもの時から着物は好きだった。

父のすぐ下の妹夫婦は
子どもがいなくて、

私を実の子のように
可愛がってくれた。

叔父は着物が好きで、
叔母は着物ばかりを着ていたが、

体が弱かった叔母に
着物は合っていたような気がする。

帯は体の支えになるのだと
自分が着るようになってわかった。

あんなに可愛がってくれたのに、
忙しさにかまけて会いにも行けず、

心残りがいっぱいだったけれど、
形見の着物を着るようになって、

ホッとしている。
形見の着物の中に、

叔父の綿の羽織が
一枚だけあった。

思うに叔母は、
病気になって入院する時、

自分が死んだら私に残そうと思って、
着物を整理していたのではないだろうか。

タンスにあった着物は
小紋が多くて、

普段に着なさい。
と、言っているようだった。

時代に合わないようなものは
始末したのかも知れない。

叔父の着物を探したけれど、
あったのはその羽織一枚だった。

6月、
その羽織をクリーニングに出した。

仕立て直すと
莫大にお金がかかると言われ、

そのまま着ることにした。
寒い夜に羽織ると温かかった。

今はまだ暑いけれど、
もうすぐ本当の秋が来る。

着物は、
季節の先駆けは良いそうだから、

9月の末になったら、
袷を着て、

叔父の羽織を
羽織ろうと思っている。

これで、
叔母が残してくれた着物全てに、

手を通すことができる。
夏の絽や紗の着物は

祖母の形見、
パナマの草履も履いた。

青い革の草履は
秋になっても履けそうだ。

着物のおかげで
季節を意識し、

着物のおかげで
私を愛してくれた叔父叔母祖母の

想いを大切にすることが
できた気がする。

私は、
両親だけでなく、

沢山の肉親の愛の中で育てられたのだと
改めて思う9月である。

TTMゆいの中野むつみでした。