現在、過去、そして未来へ

TTMゆいの中野むつみです。

気が弱いのか、
薦めてくれた友人の押が強いのか、

お能の謡を
習い始めた。

梅若流の角当先生が
お師匠さんらしいが、

らしいというのも変だけれど、
仕組みもいまいちわからず。で、

いつも習うのは、
札幌の穴倉さんからだ。

お能の謡は、
口移しで覚えるらしい。

先生の謡を真似て覚える。

お能は、
日本の音楽のクラシック。

大昔だから、
楽譜などなく、

皆、
先生の謡を聞いて覚え、

今まで伝わってきているそうだ。
なるほどねー

で、
扇子も買って

形から入り、
鶴亀という謡を習っている。

今は、
本があり、

それを謳うわけだが、
まず、読めない。ひらがなが。

だって、
室町時代の歌だもの。

あーもうちょっと
古文とか漢文とか

真面目に勉強しとけばよかった。
だが、

優しい先生の、

『何度聞いても良いのよ。
忘れても良いの。』

の言葉に後押しされて、
通っているのだが、

それにしても、
何で私は謡という、

全く興味もなかったものを
習う気になったのだろうか。

自分で決めて習っているのに
理由がわからず。。。

多分、
嫌いじゃあ無いのだ。

着物と同じ気がする。
着物はある日突然、

着よう!と思った。
ちょうど一年前かな、

社員の結婚式で久しぶりに
着物を着たら、

とても着たい!と思った。
元々叔母の形見で着物はあったが、

着物を着たいと思ったら、
取り壊す実家から、

また着物がたくさん現れた。
殆どが祖母の着物だった。

祖母が亡くなって30年。
納戸化した祖母の部屋のタンスは、

ずっと開けることもなくいたが、
祖母の着物も帯も傷んでいなかった。

まるで
いつか私が着る日がくることを、

知っていたかのように。
祖母の草履もそのままあった。

30年以上、
靴箱の中に仕舞われたままだった。

そして、
着付けを習い、

着物を着る日が増えた頃、
友人がお能を誘ってくれた。

全く習う気がしなかったのに
なんとなく習いに行き、

声を出している。
その感じは、

着物と似ている。
多分、DNAだ。

江戸時代は、
寺子屋でも謡を教えていたそうだ。

今で言う音楽の時間か。
あの難しい謡を

子どもが謳っていたとは。

今日は午後から
事前インタビューがあるので、

叔母の形見の着物に
祖母の帯を締め、

祖母の草履を履いた。
着物は50年も前のものと思うが、

今着てもなんの違和感もない。
帯は一体どのくらい前のものなのだろうか。

形見の着物を着て
謡を習う。

去年の今頃は
想像もしていなかった。

そう言えば、
事前インタビューや

インタビューに
毎日出歩くことも

想像もしていなかったっけ。

人生は果てしなく
面白い。

来年の今頃は
どんな新しい世界を

私は生きているのだろうか。
きっと楽しいに違いない。

それだけは確信する私だ。

TTMゆいの中野むつみでした。