一生懸命に生きると

TTMゆいの中野むつみです。

今日は旭川に来ている。

和風旅館
扇松園女将高橋仁美さんの

3回目のインタビューと
社員直撃インタビューの二本立てだ。

とはいえ
一泊2日のお泊まりなので、

本日の社員さんインタビュー終了後は
久しぶりにゆっくりしている。

用意されていた部屋は
豪華版。


大浴場の点検修理のため、
本当は宿泊が厳しいのだが

無理を言って泊めていただいたら、
豪華な部屋になっていた。

やった〜

旭川も雪が無くなって
ハルチカシだけど、

大雪山は真っ白だから
吹き下ろす風は冷たい。

これが旭川なんだよなー
と思いながら、

庭園を歩いてみた。


雪が溶けて、

社員総出で掃除をしたらしい。
滝はこれからが本番みたいだった。

こちらの庭園は、
昨年4月に亡くなった女将のお父様、

先代が
ご自分で作られたものだ。


業者には任せず、
本当にご自分で作ったという。

先代は
元々は国鉄マンだが、

当時街中にあった扇松園の前身、
扇屋を継ぐべく、

場所を高砂台に移して
扇松園を建てたが、

その時に
ユンボを動かして

この庭園を作ったという。
すごいとしか言いようがない。

石も大きいし
池も滝もある。

先代は旭川生まれ、
国鉄マン一家で育ち、

スキーは
アルペンもジャンプも凄腕で

国体にも出場していたそうだ。
ご自分も国鉄に入り、


仁美女将のお母様と知り合って結婚。
一人娘だったので婿養子になられ、

42歳で国鉄を退職して、
扇松園を建て、

庭園は自分で作ったというのだから、
なんともスーパーマンみたいな

人だ。
そうそう、

カメラの腕もプロなみ、で、
天皇陛下が旭川を訪れた時には、

カメラマンとして
最前列で写すことを許されたというのだから,

いやはやである。
女将曰く、

その分、頑固だった。
そうだ。

後を継ぐために帰ってきた女将と
ずいぶん揉めたらしい。

そんなスーパーマンで
頑固な先代は

女将に
扇松園のバトンを渡した後は、

とても穏やかに
静かな時間を過ごすようになったと言う。

女将はその先代を
『父は上手に枯れていった』

と、
表現をした。

あれほど
ぶつかり合っていたのに

女将に任せるようになり、
それを受け入れて、

家族で食卓を囲むことに
幸せを感じていたようだと

女将は言った。

昨年の4月20日
先代が亡くなった時

女将は
扇松園のロビーに祭壇を作り

先代のお葬式をあげた。
先代が自ら作った庭が

見える場所だ。
参列された方々は

庭から入り
御参りをされたと言う。

扇松園の女将ブログに

『変な言い方だけど
扇松園で父の葬式をするのが夢だった。』

と書いているが、
先代も嬉しかったと思う。

真剣に真っ直ぐに
一生懸命に生きていると

魂が磨かれて
最後は仏様になると言うけれど、

扇松園の先代は
そんな方だったのではないかと

思っている。

TTMゆいの中野むつみでした。