鏡開きは心開き?

TTMゆいの中野むつみです。

昨日の雪とは
うって変わっての晴れ!予感の朝。

今日は鏡開き!
なので玄関のお造り鏡餅も仕舞い、

居間に飾ったプラスチック鏡餅を
食べることにした。

プラ鏡餅の中に
個別のお餅が入っているヤツだ。

これが出来てから
無駄にお餅を捨てずに済んでいる。

昨日は久しぶりに
歌のお稽古に行った。

成り行き的に習い始めた歌が、
私のエンジェルは『歌』と聞いてから、

とても意味あることだと
気がつき、

チンタラ通っているが、
色々あって今回は半年ぶりくらいに、

ナツキスクールで
めぐみ先生に会った。

先生はプロのオペラ歌手だ。
先月、その大舞台を観て、

改めてすごい人に習っているのだと
実感したが、

そのせいか、
昨日のお稽古の先生の声が

一段と柔らかく透き通って
響き渡る様に聞こえた。

で、
私の歌だが、

歌というより、
発声練習をお願いした。

お能の謡も
西洋音楽の発声練習も

基本は同じで、
喉で歌わずに体でうたう。

が、
難しい。

『むつみさん〜
顎の力を抜いて〜』

『そこは背筋が必要なので、
帯の後ろあたりが広がるの』

『声一割息九割で
やってみて〜』

と、
私にあった発声練習を

めぐみ先生は色々試す。

私は、
喉で声を出そうと思えば

出せちゃう喉だそうで、
体がそれを知っていて、

ついつい
喉に力が入る様だ。

それでも
45分間みっちり発声をしたら、

なんだか少しはできるように
なってきた。

嬉しい!
で、

最後に先生と新年の記念写真。

こんな可愛い先生から、

hitaruの会場いっぱいに
響く声がどうして出るんだろうか。

『体で響かせて歌うと
大きな声が出てる感じはしないんですよ。

声が出ているかは
舞台から会場を見て確認する感じです』

ふーん
声を見るのか。

不思議な世界だなあ。
そこまでは行かないだろうけれど、

体に響かせて歌ったら
楽しいだろうなあ。

と、思っていたら、
めぐみ先生がポツリと言った。

『むつみさん〜
なんだか変わりましたね。

ニュートラルになった感じがします』

え?ホントウ?
なんだか嬉しいな〜

歌は誠に不思議なもので、
自分そのものが出てしまうようだ。

自分では自分の変化が見えないから、
良いにつけ、なんにつけ、

今の自分を見るのに
歌はやっぱり最高だ。

今月中にもう一回習おう!
と、決めた。

こう言う融通が効く習い方も
私にあっている。

さあて、
今日のお餅はどうやって食べようか。

夫は自分で焼いて食べたいらしい。
そういえば、

結婚して45年近く
夫は自分でお餅を焼いたことがないのに

気がついた。

いくつになっても
新しい発見はあるようだ。

TTMゆいの中野むつみでした。

氏神様でどんど焼き

TTMゆいの中野むつみです。

昨日は、
我が家の氏神様

藻岩神社のどんど焼きだった。
朝10時前、

我が家と夫の会社の
去年のお札やしめ飾りを

藻岩神社に持っていった。
すでに多くの人たちが

訪れており、
第二駐車場もできていた。

我が家が
藻岩神社のどんど焼きに

しめ飾りなどを
持っていくようになったのは、

ほんの数年前だ。
それまでは、

時期外れに
北海道神宮に持っていったり、

と、
あまりどんど焼きに興味がなかった。

のだが、
ある日、急に神主の血?が

目覚めたと言うか、
氏神様って大切じゃん!

と、思い、
藻岩神社によく詣でるようになった。

そしたら、
どんど焼きは

氏子さんたちが
総出でやっていることがわかり、

ありがたい気がして
行くようになった。

私の父方の祖父は
樺太で神主だった。

祖母も神社の娘で、
祖父と結婚し、

祖父が樺太の神社に
養子に行った感じのようだ。

祖父母が生まれたのは
能登にある神社らしいが、

全く興味が湧かなかった私は
神社の名前を覚えていない。

祖父は戦後引き揚げてくると、
働く神社はなく、

時々アルバイトで
神主さんになっていた。

父は、
神主の学校?に行ったは行ったけれど、

戦後、
北海道に引き揚げ、

北海道庁に勤めた。

それでも、
祖父が元気な時は

毎朝祝詞をあげていたし、
我が家には仏壇がなく、

柏手パンパンで
お菓子をおろして食べていた。

父は60歳近くになって
急に神主の装束を買った。

『お父さん〜神主じゃなくても
装束って買えるの?』

と聞いたら、
父は、

『自分も神主なんだよ。
だけど、位は低いから

この装束しか買えないんだ。
あのまま神主になっていたら、

もっと上の装束が着られたが』
と、残念そうに言っていた。

戦後生まれの私は
無宗教が良いと

大きくなった気がするが、
中学校高校は

クリスチャンの学校で、
普通に十字をきっていたし、

修学旅行で奈良京都に行くと
古いお寺に心が洗われる感じがして、

自然と手が合わさった。

もちろん、
神社は好きだった。

実家のような感じというのだろうか、
柏手パンパンが

自分に馴染んでいたのだろうか。

無宗教といえば
そうかもしれないけれど、

どこにでも
神様を感じられるといえば

感じられるのかも
知れない。

藻岩神社は、
階段まで参拝者が並んでいたが、

夫婦で無事初詣をし、
おみくじを引いた。

おおお!結果は良いようだわ!
でも、精進しなきゃあね!

歩いて自宅から数分のところに
氏神様がいる幸せ。

若い時は感じなかった幸せか。
我が家の神棚は

マンション用超ミニ!

だけど、

気持ちが有れば良いよね〜

祖父母と父の御霊様が
笑ってくれた気がした。

TTMゆいの中野むつみでした。

食は経験!

TTMゆいの中野むつみです。

北海道を
愛してやまない私にとって、

旅は良い学びの場。

特に
本州の良いお宿や居酒屋で食すのは、

この上ない刺激になる。
今年の年末年始家族旅は

長野県南木曽『冨貴の森』
と言うお宿から始まった。

中部空港から
恐怖の高速道路をぬけ、

ナビが案内したのは
木曽路続く山の中。

え?ここを行くの?
と言うグネグネ道。

上り坂では
棚田を見下ろし

真っ赤な夕日を眺めたが、
下り坂では

檜などの大木に
グネグネ道が更に恐ろしげ!

大丈夫?
と、

何度も運転中の夫に話しかけ、
その他は無言の真剣運転。

そして、
『こんんなところに宿屋があるの?』

と言った先に
なんとも洒落たお宿が出現した。


あらまあ
なんとステキ!

総勢16人団体さんだから
食事はもちろんお部屋貸切。

で、
次から次へと出される食事に

歓声!だったが、
何が良いって

食事が多すぎないのだ。
ステキに盛られたお料理が


食欲を増す。
おまけに食前酒が

地元の日本酒だった。
これは珍しい!

お陰様で飲兵衛が多いので
余すことなく頂く。

量が多くないとは言え、
お疲れモードの私と次女は

信州牛は食べられず、
一番孫に手伝って貰った。

が、
多分、定山渓の有名宿の夕食の

半分から多くても3分の2の
量だと思う。

これって大事だ。
残すほど品数を増やす時代は

もうおわったと思うのは
私だけだろうか。

朝食も同じ個室で頂き、
可愛いお雑煮も食べた。

幸せだった!

そして、
旅の最後は、

東京新宿にあるお洒落居酒屋で
の晩餐になった。

ここは一番孫が
バイトをしている店『きちり』だ。

銀座の『きちり』には行ったことがあるが、
こちらの店は初めてだった。

銀座店は本当に美味しかったけれど、
こちらはいかに!

で、行ってみたら
とにかくお洒落。

うるさい小学生男子3人を連れているが
大丈夫か?

と、
心配になったが、

少し離れた席を取ってくれていたので、
子どもたちものびのびできた。

で、
料理は美味しい!

若者むけのお店だから、
量もしっかりあるが、

コースではないので
お腹と相談して食べた。

圧巻は、
デザートだった!


劇的なチョコレートケーキは
動画にしちゃったので写真なし!

わんぱく小学生たちも
感動しながら完食した。

『美味しかったね〜』
『東京はやっぱりすごいわ』

と、
感嘆符が飛び交った。

私は14日にも新宿に来るので、
ここで一人でゆっくり飲もう!と決めた。

で、昨日、
ネットで検索していたら、

あれ、何て言うのかしら、
お客さんが星をつけるやつ。

あれが星三つなのだ。
え?札幌であの出来だったら、

星4.5以上だと思う。
どうゆうことだ?

で、
気がついた。

東京には
美味しいお店がいっぱいあるのだ。

お客様の口が
奢っていると言うことか。

北海道の新鮮!大きい!は
凄いけれど、

やっぱりなあ
東京の美味しい店を経験しなきゃあ!

と、
ただの道民だけど

思った次第。

TTMゆいの中野むつみでした。

孫に教わる?

TTMゆいの中野むつみです。

人生はわからない。

まさか自分が
スポーツ観戦に燃えるとは?!

私は生まれながらの
スポーツ音痴。

自分もしないけれど、
観戦も嫌い。

で、
67年間過ごしてきたのに、

去年の夏
札幌で行われた、

全国中学生バスケット大会に
4番孫が出場し、

お付き合いで観に行ったら、
すっかりハマった。

孫だけでなく、
長野伊那中のチームが点を入れると

燃え上がる。
これって面白い!

で、
このお正月は

東京で行われた
ウインター杯なるものを

観に行った。
全国の中学生たちが

競い合う。
もちろん、4番孫も出場だ!

『コロナなので
声を出さずに拍手で応援だって』

と、4番孫の母親、
私の次女に言われたけれど、

他のチームの応援だって、
めっちゃくちゃ声が出ており、

そうだよね!
声が出ちゃうよね!

で、
応援が始まると、

私の足は、
両膝が上がったり、

横にずれたり、
両踵が浮いたり、

選手たちの動きに合わせて
私の足も動く。

何せ
着物だから

両足がセットになって動くのだ。

スポーツ観戦に
着物は不似合いだけど

とにかく目立つので
4番孫にも発見されやすいのだ。

仕事がある夫、三女の婿さんと
学校がある2番孫と3番孫は

応援に来られなかったけれど、

それ以外の中野家族は応援席に座った。
総勢11人だ。

一回戦は
岐阜から父方の祖母も駆け付けたらから、

12人の応援団だ。

行け〜!行け〜!
ユナ〜がんばれ〜


走れ〜
いけるぞ〜

どんまい!
どんまい!

応援席から
掛け声が上がる。

スポーツ少女だった長女と
今もハンドボールの指導者の三女は

応援も本格的だ。
でも、見かけが地味なせいか、

注意もされず、
応援の声は響き渡った。

そして、
一回戦勝利!

やった!
よくやった!

まさか勝てるとは思わなかったね!
と、

長野から
応援に来ている同じチームの

お母さんたちとも
半泣きで喜びあった。

翌日の2回戦は
どうだ?

応援の声にも
更に力が入る。

トーナメント戦だから
昨日のチームより強い。

負けるな〜

そして
勝った!

2回戦まで勝てるとは思っておらず、
私たちは翌日の朝の飛行機で帰る。

明日の応援をお願いします!
と、残るお母さんたちにお願いし、

心残りだけど、
仕方なし。

それでも、
愛知に住む長女と夫婦と6番孫は

新幹線の時間を変更して
応援をしてくれることになった。

長女の婿さんは
カメラが趣味だから

応援中もいっぱい写真を
撮ってくれていた。

一生懸命に
プレーをする少女たちの姿は美しい。

勝っている時
点差が開いていても

勝ってるチームは
もっと点数を取ることに必死になり、

負けているチームも
諦めることなくボールを取り合い

走り込む。
これがスポーツの

面白さなのだと
初めてわかった。

その夜、
嫌いだった新宿の夜が美しいと思った。

そして、
朝日が美しかった。

残念ながら
3回戦は負けたけれど

選手たちは
やり切った感がいっぱいだったそうだ。

ありがとう!
67歳にしてむばあばは

スポーツの凄さを知れたよ〜
良い年の幕開けだった。

TTMゆいの中野むつみでした。

家族

TTMゆいの中野むつみです。

今日で松の内も終わり。

こんなに長い正月休みは、
初めてだった。

昨年の秋頃、
『今年も大晦日は家族勢揃い!』

の、声が上がり、
そーしたら、

長野の中2四番孫が、
1月4日から東京で行われる、

バスケットの全国大会に
出場が決まり、

ならば!
応援に行こう!となって、

結果、
大晦日から1月6日までの

長〜い家族旅行が
計画されることになった。

もちろん
仕事やら学校やら

色々あるから、
1週間のうち全員集合は

2日だけだ。
それでも、総勢16人の移動は

ちょっとしたツアーなみ。
なので、

旅行の計画が始まると
遊プラン板東千洋社長に

全面協力をお願いし、
ごめん!人数が変わった!

ごめん!
飛行機の時間を変えて!

ごめん!
の繰り返しをして、

やっと
今年の家族旅行は実現した。

大人数で動くときは
小回りの効く小さな旅行会社が

一番頼もしい。
それにしても。。。。

と、心配だったのは、
コロナだ。

旅行が始まる前も
ヒヤヒヤもの。

始まってからも、
無事バスケットの試合があるのか?

みたいな心配もあり、
でも、お陰様で

7日間、
みんな元気で

予定通り旅行は進んだ。
大晦日の宿は


長野の木曽路付近だったから、
元旦は足を伸ばして馬籠宿を歩いた。


一度は行ってみたかった場所だ。
大昔の建物は上手に手を入れて

今も活用されていた。
その付近には、

これって築何年?
と思われる、

庄屋さんちみたいな建物も健在で、
歴史の長さを感じた。

中山道を歩いているんだなあ〜
と古い石畳を歩けば、

時代がタイムスリップする。
ここの道って、

もしかして、
大石内蔵助も力と一緒に歩いた?

と、
思ったり、

よくもまあ、
こんな坂道を草鞋だけで

歩いたな。
私だったら途中で山賊に

襲われているわ。
なんて想像が膨らみ、

歴史のある町の散策は
面白かった。

馬籠から娘の家の伊那を目指し、
寄り道して諏訪神社を初詣しようと思ったら、

長蛇の列だったので、
あっさりやめた。

南長野は雪が少なかったけれど、
冷たい風が山から吹きおろし、

襟巻きは外せない。
次女に言ったら、

『え?そうお?』と言っていたらか、
もう長野の生活に慣れたんだね。

それもそうかも。
気がついたら、

札幌で育った時間より
長野で生きてる時間の方が

長いものね。
親はいつまで経っても

娘は娘、
自分の家族だからなあ。

でも、
大晦日の一瞬、

宿屋の私たち夫婦の部屋に
娘たち3人と

私たち夫婦だけの時間があった。

『あ、この5人が
元々の家族なんだけれど、

なんだか足りない気がする。』
と、言ったら、

娘たちも頷いた。
知らないうちに、

家族という括りが
大きくなってるのだなあ。

婿さんたちも家族、
孫たちも家族。

今年のテーマは
家族だな。

そんな気がした元旦だった。

TTMゆいの中野むつみでした。