母に思う。

TTMゆいの中野むつみです。

今年の1月に
98歳を迎えた母は

今、真駒内というところの
有料老人ホームにいる。

母が91歳くらいになった時、
私の姉が、

『お母さん、なんかおかしいよ』
と、言い出した。

母が認知症ぽいと言うのだ。
私は昔看護婦だったから、

基本的な認知症の症状は知っている。
にも関わらず、

姉の言葉を中々認められず、

『大丈夫だよ、
あれくらいのボケは普通だよ』

と言っていたが、
ある日、実家に行くと煙が立ち込め、

慌てて台所に行くと
お鍋がまるこげになっていたが

母は気がつかず、
『どうしたの?』と言った。

流石に、
これでは一人暮らしは無理だ。

と、私も認めざるを得ず、
そこから母の好みそうな

有料老人ホームを探した。
人にはそれぞれタイプがあり、

母は庶民派のホームが
好みではないようだった。

よし、父が残したお金は
全部母のために使おう!

姉とそう決めて、
今のホームに決めた。

いわゆる
高級有料老人ホームだ。

ただ、91歳だったので、
料金は半額近くになった。

母が嫌がらずにいるうちに!
と、バタバタと入居させ、

姉も私たち夫婦も
毎週通って話をして

母が新しい住処に
馴染んでくれるようにと工夫をしたが、

心の隅では
自分が母を看られないコトを

申し訳ないと言うか
後ろめたいと言うか

そんな思いを抱えていた。
それが少しずつなくなってきたのは、

やっぱり、
母が幸せそうにしてくれているのと

心を砕いてくれる
ホームの職員さんたちのお陰だが、

一番は私の心が
変わってきたのだと思うのだ。

母のところに行くのが
義務感からではなくなったのだ。

最初は、
私が看られなくて

申し訳なくて毎週行った。
それがコロナで会えなくなったり、

母がコロナになったり、
そんなことの中で、

会える時に会おう。
母が喜ぶこと、やってみよう。

と、素直に
思えるようになった。

母は、
4人の孫たちを

それは可愛がってくれた。

そして、10人のひ孫たちも

よく面倒を見てくれた。

だから、

孫たちからも
ひ孫たちからも

今もいっぱい愛されている。
一緒には暮らせないけれど、

母はきっとわかってくれていると
普通に思えるようになった。

そーしたら、
面会に行くことが

義務感ではなくなった。
行けない週は仕方がない。

でも、せめて
母の大好きなコーヒーは

インスタントではなくて、
一回ずつ落とすコーヒーを

飲ませて貰おう。
と、お願いしたら、

介護士さんたちが
気持ちよくOKしてくれた。

去年、
母に会えなかった私の次女と一番孫は、

来月末に来てくれるそうだ。
LINEで繋がった

母方の従姉妹従兄弟たちも
母にLINEで声がけをしてくれる。

そうは言っても
親を自宅で介護している話を聞くと

胸が少し曇るけれど、
母はきっとわかってくれると思う。

昨日母に会いに行ったら、
『クリープとお砂糖が切れそうです』

と聞いたから、
今日は買って届けようと思う。

TTMゆいの中野むつみでした。