初心に帰って

TTMゆいの中野むつみです。

気がつくと、
5月も半ば。

ゴールデンウィークから今まで
私は何をしていたのだろう。

と、
目が覚めたように気がついたのは、

昨日の夕方、
小樽の水天宮からの石段を降りたところで、

大転びをした時だった。

小樽にある
NPO法人小樽民家再生プロジェクトが

小樽市から委託を受けて
旧寿原邸の管理運営をしているイベントに

参加した直後だった。
聞香と言う香り高いイベントで

私はふわふわと歩いていた。
旧寿原邸は神社水天宮のすぐ下にあり、

帰る時は
映画寅さんにも登場した水天宮参道の

階段を降りる。
水天宮は海が見える山上にあり、

桜の季節は最高だ。

昨日は、
水天宮にはお参りをせず

ごめんなさいね!と
心で言ったけれど

神様が引き止めたのか
階段を降り少し歩いたところで、

何故転んだ!的に体が宙に浮き、
ストンと尻餅をついた。

着物を着ていたせいか
転び方も大正昭和の感じ。

近くにいた女性たちが
びっくりして寄ってきてくれた。

小樽の人は親切だ。
右足を少し痛めたけれど

あとはかすり傷一つないのが
奇跡のような転び方だった。

いやはや
全く。

どうゆうこと?
とぶつぶつ言いながら札幌に帰ったが。

まあなんですね。
足を使わずに、

タクシーばかりに乗ってるから
こう言うことになるんだけれど、

ふと思ったのだ。
もしかしてこれは

水天宮の神様と
寿原家のご先祖様たちが

『おい!お前!
あんなに格好いいことばかり言って

小樽のまちづくりに関わってきたのに、
今になって寿原邸を見捨てるのか!』と

怒ったのではないだろうか。

旧寿原邸は現在は
小樽市の所有になっているが、

築100年以上の和洋風建築で
それはそれは素晴らしいものだが、

建物が素晴らしいから
残したいだけでなく、

そこに小樽の歴史が見え、
そこで生きてきた人たちが見えるから

惹かれるのだ。
そして、

その歴史は
今の小樽を作り上げている。

どこのマチにも歴史があり
良くも悪くも

その歴史を引き継いで今がある。
それを教えてくれたのが

小樽だった。
でも、昨年の大雪で

古い建物たちの傷み方は酷く、
旧寿原邸も

早く手を
打たなければならない状態になっていた。

ただ、必要な金額が膨大で
私はもう無理だろうなと

心の奥で思っていたのだが。

そんな私に神様は
メッセージをくれたのか。

5月6日に夫と訪れた函館では
急に五稜郭に行きたくなり

それも箱館奉行所を観に入ったのだ。
数えきれないほど訪れている函館だが、

復元された奉行所を観たのは
初めてだった。


日本中の
力の結集のような建物だった。

一体何十億かかったのだろうか。
復元されて10年以上経つが、

案内人の方々は
誇らしげに話をしてくれた。

すごい情熱だった。
そして、帰りに寄った札幌の定山渓は

コロナで厳しい状態の中
鯉のぼりを掲げてがんばっていた。

多分、
2週間ブログを書く気にならなかったのは、

自分の中で逃げがあったからだ。

五稜郭は
市が頑張ったからできたのだ、

定山渓は企業だから頑張れる。
そんな私の心を見透かすように

水天宮神様が
もう一度頑張れ!と、

私を宙に浮かしたに違いない。
まずは諦めないこと、

初心に帰るとするかなあ。

TTMゆい中野むつみでした。

花と榊に思う

TTMゆい中野むつみです。

私は月2回、
アンスルートのあみちゃんに

お花を自宅に届けて貰う。
どこか向上心が欠落している私は、

なんでも自己流が好きで
お花も習わずに自己流。

だから、
美しさは少々見劣りするが、

それでも
家の中に花がある生活は楽しい。

で、
新しい花がやってくると

まだ元気な花と織り混ぜながら
活け直す。

すると、
2週間前の花の老い具合が分かり、

あー人間みたいだ。
若い華やかな花の中に

老いた花があると
やっぱり浮いた感じになるなあ。

などと
自分を2週間前の花に

置き換えたりするが、
それが活け方を変えたら、

あら!良いじゃん!
こっちの方が素敵!

なんて思うのだ。

有り様とTPOなのかも
知れない。

そして、
神棚の榊の水を換えながら

また思った。
あら、常緑樹って

こうやって
葉っぱが出てくるのね!

庭のない我が家では
常緑樹をしっかり見つめることはなく

芽から葉っぱが出てくる様子を
見たことがなかったのだ。

落葉樹は
潔く全部葉っぱが落ちて、

翌春
一斉に若葉が出る。

私はこの潔さが好きで、
本州の常緑樹を見るたびに

暑苦しさを感じていたのだが、
榊の芽の周りには

青々とした先輩の葉っぱがあり、
その中から若葉が出て来る様子も

なんとも言えず
温かい気がした。

人間の世界も
常緑樹なのだなあ。

と、
思う。

先日、
小樽の【ヨルトノ】と言う

パン屋さんを営む皆川さんを
インタビューした。

まだ30代半ばだ。
美容師からパン職人に

人生を方向転換して
独立をした。

ストイックな程の職人だけど
妻を愛する気持ちは強く、

二人の生活が
パン作りで壊れることがあるなら

仕事を変える。
と言う。

あら!びっくり!
だったけれど、

本番で聞いたパン作りの本気さに
この人は2頭追うことができるだろうな

と、思った。
小麦粉など素材への拘りは

もちろん半端ないけれど、
パンを発酵させる時も

寒いからお湯を使うとか
暑いから氷を入れるとかせず、

小樽の気候に合わせて
発酵時間を変えたりするのだそうだ。

だから
ヨルトノのパンには

いつも小樽の
その時の空気が含まれている。

何というこだわりだろうか。

小樽は歴史の街で
その中で生きてきた人たちは

特有の空気感があり
他者を寄り付けない感じがしたが、

ヨルトノの皆川さんは
移住者で

小樽で暮らしてまだ3年だ。
でも、

皆川さんの生き方は小樽に溶け込み、
それでいて、

小樽の歴史には
今までなかった感覚も息づいている。

人間の世界は
やっぱり常緑樹。

若い花も落ちかけの花も
若い葉っぱも重厚な葉も

みんな一つで成り立っている。

さあて私も、
もう一踏ん張りしようかな。

TTMゆいの中野むつみでした。

なんで旭川?

TTMゆいの中野むつみです。

久しぶりにブログを書くなあ
と、思って前回のを見たら、

あら!また旭川!
おかしいなあ。。。

よほど旭川に縁があるらしい。

昨日は、旭川扇松園をお借りして
事前インタビューを行った。

お相手は
日傘職人飯沼一二美さん

店名は【スーヴニール】
フランス語で思い出という意味。

主に着物を使って日傘を作っている。
勿体ないの気持ちを

日傘作りで表現しているそうだが、
いやあ、芸術品だ。

写真は
大正時代の留袖を使った日傘。


絵合わせがめっちゃ難しいそうで、

『最後に傘を広げるまで
出来上がりがわかりません。

だから、
広げた時の興奮がたまらない!』

のだそうだ。

一種の勝負みたいだなあと
お話をお聞きして思ったけれど、

実は飯沼さんのもう一つの顔は
競馬の騎手の勝負服を作る人。

競馬の本番で騎手が着るから
勝負服!

には違いないが
飯沼さんはその騎手たちに惹かれて

この服を作り始めたそうだ。
本当に勝負に賭ける人たちで

縁起も担ぐから
飯沼さんも騎手達には

いつも笑顔を見せていると言う。
『だって、私の服を着てくれているのに、

私がブスッとしてたら
勝てない気がするでしょ?』

確かにそうかも!
そんな飯沼さんがなぜ、

着物を使った日傘作りを
するようになったかは

インタビュー本番を聞いて頂くとして、
飯沼さんが作る日傘は

本当に素敵だ。
私は自分が

女学生だった時に着ていた着物と
コートを使って日傘を2本作って貰った。

私は傘が嫌いで
濡れても持たない!のに、

日傘は好きで必ずさす。
着物に日傘って合うのよねえ。

飯沼さんのお話だと
日傘発祥の地はフランスなのだとか。

だからいつかフランスで
展示会をするのが夢。

フランス在住の
有名な画家が描いた金魚の絵の日傘は、


お値段を聞いたらひっくり返るので
内緒。

自分の思い出の着物で
日傘を作ったことがきっかけで

インタビューをさせて貰ったけれど
意外なお話ばかりで

昼食も入れた4時間は
あっという間に過ぎ去り

飯沼さんは
競馬が開催されている門別に

車を走らせて行った。
すごいエネルギーの人だ。

で、私はその後、
扇松園でzoom打ち合わせをして

夕方から、
旭川に来ると必ず寄る

グラースに行った。
北海道の

アカエゾマツからつくる
精油アロマが有名な所だが

その他天然アロマオイルを
その時の体調に合わせて調合して

全身のセラピーをしてくれる。
いやはや気持ちよかった!

2時間たっぷり施術して貰ったら
体が十分の一の軽さになったみたいだった。

知らないうちに
疲れが溜まっていたのねえ〜

良い話を聞いて
良いセラピーを受け

美味しい料理とお酒を
定宿で頂く。


やっぱ
旭川は良いなあ

TTMゆいの中野むつみでした。

旭川の街のような人!

TTMゆい中野むつみです。

先日、旭川の
武田商店株式会社武田壮平社長の

インタビューをしてきた。
壮平社長は只今43歳で

四代目だ。
なんと言うのかな〜

武田社長とは言わずに
壮平さんと言いたくなる人。

まあ一言で言えば
格好良いのだが、

それは見かけだけじゃあなくて
考え方、生き方、真面目さ、

全てが格好いい。
でも、格好はつけていない。

武田商店は
壮平さんのひいおばあちゃんが

22歳の時創業した会社だ。
大正8に若い女性が起業するって!

と、驚きだが、
すでに亡くなっておられて、

その時のひいおばあちゃんの気持ちを
聞けないのが残念だ。

最初は製箱業から始めたそうで
当時は夏場は暇な業種だったから、

では!と、
冬場に氷を保存して夏場に売る!

と、氷雪事業を開始し、
それが今に引き継がれている。

すんごいねええ。
詳しいことは本番を聞いてもらうとして、

そのひいばあちゃんの商売人の血は
明らかに壮平さんに引き継がれていると

お話をお聞きしながら
確信した。

今、壮平さんは、
氷雪事業の暇な冬場を利用し、

焼き芋と焼き芋から作る干し芋を
製造販売して、

売れてます!状態だ。
なんかセンスが良いのよねえ。

干し芋のパッケージが
惹かれる感じ。

いつも思うのだけれど、
センスが良い人は

事業をしてもセンスが良いし
食べるものを作っても美味しい。

あれはどうゆうことなのかしら。

因みに
本番は壮平さんのご自宅で

撮影をした。

『え?ご自宅にお邪魔して良いの?』

だってねえ。
奥様に申し訳ないでしょ?

なので
本番当日は

奥様の麻衣さんは
朝からお掃除で

私を定宿扇松園に
迎えに来てくださったのは

壮平さんだった。
申し訳ありません。と

頭を下げつつ
ちょっと嬉しい。

だってねえ、
格好いい若手社長とドライブなのですよ〜

これは男女問わず
年齢に関係なく

ステキな異性と一緒にいるのは
楽しいのだ。

ふふふ
なんて気持ちは出さずに

車中でインタビューの話をしながら
ご自宅に着き、

玄関に入って驚いた!
なんとスタイリッシュなおうち!

インタビュー始める前に
ご自宅を全て見せて頂いた。

これは全部
壮平さんがデザインし

建築士さんに図面に仕上げて
貰ったそうだ。

あひゃああ!
このおうち、格好良いだけではなくて、

合理的であり
そして、

愛する奥様と猫ちゃんたちのことを
しっかり考えて作られている。


なんかすごすぎる。
ここまで全てが格好良いと

近寄りがたさを感じるところだが、
壮平さんにはそれがない。

不思議。

壮平さんは、
昨年の11月にもう一つ会社を作った。

旭川と言う地場にある会社を
強くするための会社だそうだ。

旭川には
格好良くてシャイな青年経営者が

沢山いる。
壮平さんもそのお一人だけど、

まるで旭川そのものだ。
誠実でシャイで格好いい。

これから旭川という街は
伸びるだろうな。

旭川でインタビューを続けていて
そう思う今日この頃である。

TTMゆい中野むつみでした。

思いつきのように見えるけれど

TTMゆいの中野むつみです。

私は感で動く。
ある意味、思いつき人間だが、

私の中では
思いつきではなく、

どうも無意識の中で何かが繋がった時、
思いついた!状態になるようだ。

その一つが
2011年に思いつき、

2012年に立ち上げた
NPO法人小樽民家再生プロジェクトだ。

小樽の古い民家を見かけはそのままで
中を快適にして暮らしたらどんなにステキ!

と言う思いが湧き上がり、
小樽に知り合いが一人もいなかったのに、

多くの方々がご縁を繋いでくださり、
NPOが実現した。

小樽の古い建物の所有者と
使いたい方をマッチングさせる事業だ。

この時、地元の柱になってくれたIさんは、
小樽愛に燃えている人なんて言葉では表せないほど、

小樽を愛して愛し抜いていて、
去年からIさんがNPOの代表を務めてくれている。

Iさんは、
『うちのNPOでマッチングして

移住してきてくれた人たちを
インタビューしてホームページに載せようや』

と提案をしてくれて、
まずは私がインタビュアーになり、

収録が始まった。
昨日は4人目、

金継師村岡亜佐美さんの
インタビューだった。

ついでにと言っては申し訳ないが、
『ゆいトークの方もお願いします!』と

お願いして、
ふたっつのインタビュー録画をしてきた。

場所は
もちろん村岡さんが借りている小樽の古民家だ。


もうすぐ100歳となるその建物は
所有者の方の了解のもと、

今、村岡さんのご主人で大工さんの
Wさんが大リノベーション中。

ただし、
見かけはそのままで、

中身を暖かく頑丈に変えている。
それはまさに中身のリノベーションで、

内装もできる限り
元の形を生かしているし、

使う材も古材を使い
新しさが出ないように工夫をしている。

村岡さんとWさんは、

小樽に村岡さんが移住して
暫くして出会い結婚した。

お二人のお話をお聞きすると
どうも二人の中を取り持ったのは

この古民家のようだ。
Wさんは、Iさんに負けず劣らずの

小樽愛に燃え、
そして小樽にある古い建物が大好き。

大工さんになったのも
小樽の建物を自分の手で直したい。

残したい。
の思いからではないかと、

思うほどだ。

結婚したおかげ?で、
村岡さんが愛している三角屋根の古民家は

この後
ずっとずっと

村岡さんの工房として
生き続けていくことができるだろう。

NPOを作って、
あー良かったなあ。

昨日は本当にそう思った。
NPOを作ろう!と言った時、

Iさんも、
一緒に集まってくれた人たちも

誰一人として、

『そんな思いつきでNPOを作るなんて』とは、
言わなかった。

うん!やってみよう!
と集まってくれた。

多分、
そうやって始まる思いつきは、

思いつきじゃあないのだ。

一緒に歩いてくれた仲間たち
移住してきてくださった皆様

本当に本当に
ありがとうございました。

TTMゆいの中野むつみでした。

何が一番大切?

TTMゆいの中野むつみです。

自分の中の価値観が
ひっくり返るほどの

衝撃を受けた今日の事前インタビュー。

正確に言うと
価値観は変わらないけれど、

自分の中の身勝手さに
気がついた!と言うことかな。

インタビューのお相手は
小樽の人気パン屋さんの

ヨルトノ店主の
皆川さんだ。

NPO法人小樽民家再生プロジェクト
を通して小樽に移住し、

3年前にお店を開いた。
奥様と二人で一生懸命働いて

あっという間に
人気店になったのだが。

美容師からの転職で
オトンで読んだパン屋の店主に惚れ込み、

師匠と弟子の関係で
パンづくりを学んだと言うが

そのこだわり方は半端ない。
美味しくて安全なパン作りは当たり前、

有機栽培の小麦を籾付きで購入し、
外国で作って貰った石臼で挽き、

自分で小麦を製粉しているけれど、
本格派すぎて口に合わないお客様が多いからと、

製粉した小麦粉も使い、
20種類以上のパンを作っている。

作り手は皆川さん一人だ。
根っからの職人で

『人に教えて
思った通りの味にならず苛立つより、

自分で納得いくパンを作り続けたい。
ダメなんでしょうけど』

と笑っていたが、
今は本州からのネット注文も多い。

『お二人で大丈夫ですか』
と聞くと、

『開店当初より
色々なことが整理されて

効率も良くなりました。
多分、もっと改善ができると思います』

と言う答えが返ってきた。

すんげえ〜

学び方も半端なく
美味しくて安全で

お客様が喜んでくれるなら
と、まあよく情報を集め、

挑戦を繰り返している。

『ところで、
何時に起きて何時に寝るんですか』

皆川さんのお話に
圧倒されながら聞いたら、

『朝1時半に起きて、
夕方4時に寝ます』

ええええ!

『普通のパン屋さんは
3時か4時ごろから仕事なんですが、

それだと開店して
お客様が混み出すと

パンを焼きながら
妻と共に接客をすることになり、

そうすると
接客もパン作りも中途半端になるから、

開店前に全てのパンを
焼き上げるのです。

そのためには
1時半に起きないと』

皆川さんは明るく笑った。

私は人を入れるつもりもなく、
こんなに働いて大丈夫か?

と心配になり聞いた。
『まだ伸びる余裕はありますか』

彼はこれまたニッコリしながら、
『大丈夫です。

まだ改善の余地はかなりあるので、
まだまだ行けると思います。

でも、
自分の作りたいものが

自分のキャパを超え、
夫婦の生活が失われるようなことになったら、

辞めて、
違う仕事を見つけます』

なにお!?

こんなにストイックに
パン屋という仕事に取り組んでいても、

愛する人との生活が脅かされるなら、
仕事を変えると言うのか!

なんだか
突風に飛ばされたような衝撃だった。

皆川さんは35歳。
未来は必ず変わる。

ついていけない人が
時代遅れと言われる時代が
すぐそこまで来ている。

まずは、
変わらなければいけないのは
私だなあ。

反省で終わった事前インタビューだった。

TTMゆいの中野むつみでした。

久しぶりの旭川で

TTMゆいの中野むつみです。

1ヶ月ぶりで
旭川に来た。

昨夜は憧れの焼き鳥屋
ぎんねこでお腹いっぱい食べた後、

定宿扇松園に帰って
頼んであったおにぎりと漬物と

刈穂を頂き
お風呂に入ってまったりする計画だ。

焼き鳥をいっぱい食べた後に
おにぎり?と

扇松園の女将に聞かれたけれど、
私の場合、

家に帰ってからの一杯は
欠かせない。

ちなみに
ぎんねこでは

鳩燗と呼ばれる熱燗を
結構飲んだ。

その前には
『ここの生ビールは格別!』

と、一緒した友人が言うので
生ビール小も飲んだ。

ぎんねこの焼き鳥は
玉ねぎが挟んであって

鶏肉はふんわり
玉ねぎはカリッとして甘い。

最初は塩味にしたが
びっくりするほどの美味しさだった。

次はねぎまをタレで食べた。
こちらは長ネギを使っているが

甘過ぎないタレと相まって
なんとも言えない美味しさだ。

熱燗とも
ビールとも合う。


で、
焼き鳥の合間に

漬物を頂く。
【オババの古漬け】は

白菜のお漬物で
創業時からの変わらぬ味。

ぎんねこの漬物は全部手作りで
マジ美味しい。

つくねは生姜が効いていて
めっちゃ美味しかったが

私たちが頼んだもので
売れきれごめんとなり

お代わりは出来なかった。
あー残念。

まだマンボー中だから
夜8時でラストオーダー。

友人たちとお喋りしながらの
楽しい時間はすぐに終わった。

長ネギ、ピーマン、
シシトウにマッシュルームと

野菜の串焼きも美味しかった!

落ち着いたら
絶対またくる!

と、
余韻を残して扇松園に着くと、

部屋には頼んであったおにぎりと
漬物、刈穂があった。

大浴場でしっかり温まって
ホッとして刈穂を頂く。

〆のおにぎりと漬物は
日本酒と本当に良く合う。

日本人に生まれて良かったなあ。

今朝は、
流石に顔が浮腫んでいた。

焼き鳥ではなく
漬物の食べ過ぎと思われるが

頭はスッキリだった。
朝風呂に入り着物に着替えて

扇松園のお稲荷さんにお参りした。
泊まった朝は必ずお参りする。

小鳥たちが囀る中
鈴を鳴らして

お賽銭を入れ
扉に書いてある祝詞をあげる。

何度読んでも覚えられず
時々躓くけれど

父や神主だった祖父が
昔唱えていたので、

節だけは合っているはずだ。

旭川の今年の雪は
例年より少なく

生活道路もアスファルトが
出ていたが、

今朝は少し冷えて
ふんわりとした雪が

ちょっとだけ積もっていた。

昨日の買い物公園も
三六街も人通りが少なくて

1ヶ月前より寂しくなっていた。

札幌より地方都市の方が
コロナの痛手は大きいのかも知れない。

神様
どうか早く疫病が治まり

世界中から戦争や貧困がなくなり
地球上のみんなが

幸せになりますように。

ひんやりとして
透き通った空気の中で

お狐さんが頷いてくれた気がした。

TTMゆいの中野むつみでした。

卒業式

TTMゆいの中野むつみです。

私って本当に親バカだ!
と思う。

今日は3月15日
札幌の多く中学校で卒業式が行われた。

で、
うちの三女は担任として

初めて卒業生を送り出した。

我が家の三女は、
大学を卒業後、

『一度一般社会で働いてから
教師になった方が良いと大学の先生が言ってた!』

と言って、
砂川にあるローレルという会社に就職をした。

今はSHIROという社名に
なっていると思う。

そして一年半ほど働き、
半年受験勉強をしながら臨時採用教師となり、

翌年教員採用試験に合格した。
持ち前の行動力と明るさで

教師まっしぐら!だったが、
結婚出産育休2回。

5年前くらいからやっと落ち着いて
教師ができるようになった。

と言っても、
共教師(夫婦で教師のことをこう言うらしい)。

我が家から
そう離れたところには住んではいないが、

私は仕事で留守が多く
婿殿のご両親に助けられて

やっとのことで仕事をする感じ。
大好きなハンドボールの担当教師だけは、

這っても頑張る!
みたいな感じだったけれど、

受験生の担任を持つことは
やっぱり勇気が要ったのか、

昨年の春
初めて3年生の担任を持つことになった。

私に似ているのか、
そもそも中学校教師に私生活はないのか、

部活だ
なんだかんだ〜仕事が残ってる!

と言って土日を休んだことが
ないほどだった。

なんでそれほどまでして
3年生の担任を持つのかなあ

と実は私は思っていたのだが、
本日の卒業式に向けて

生徒たちにメッセージを書いている姿を見て、
こりゃあ、やめられないだろうな。

と思った。
おまけに修学旅行はついこの間、

東北の震災復興を学ぶために
福島仙台を訪れ、

感動的な時間を生徒たちと過ごしたと
帰ってきてから報告までしに来てくれた。

最後は仙台空港でハラミちゃんと会い、
生徒たちは演奏を聞かせて貰ったそうだ。

今日の卒業式は
担任として

精一杯の晴れ姿で見送りたいと、
私の訪問着を着て袴姿になった。

朝の6時前から
札幌きもの学院の遠藤院長に

着付けに来て貰った。
昨日から子連れで泊まり、

我が家も一大行事だ。
遠藤先生の着付けは美しく早い。


出来栄えに
ついつい微笑む私。

できることなら
私も卒業式に出席して

担任として頑張る我が娘を
見たいところだが、

それはあまりに
親バカだとはわかるので、

話と写真だけで我慢することにした。

婿さんは
7時過ぎに子どもたちを迎えに来て、

『瑞穂、可愛い。綺麗だ』と
素直な表現。

夫は、
『俺にはそんなことは言えんな』

と、
昭和の男の顔だ。

我が家は子どもの卒業式も
ゆっくりしていられなかった気がするが

そのせいだろうか、
社会人として成長している娘の姿に

今頃になって泣けてくる。

なごり雪が降る札幌。
卒業生の皆さん、
おめでとうございました!

TTMゆいの中野むつみでした。

あれも良き事かななり。

TTMゆいの中野むつみです。

20220308 希望の日?
Facebookが8年前の今日の写真をアップした。

そこには可愛い孫たちの姿があった。

あれ?
なんでこんな3月に、

本州から孫たちが
集まって来たんだろう。

不思議に思いながら
コメントを読んだら、

私が体調を崩し、
心配した長女や次女が本州からやってきた。

と、あった。

そうかあ、内科的一病息災の時だ。

病名は、
【後壁高位心筋梗塞】だったが、

実は病名がわかったのは
退院して1週間後だった。

最初は強い狭心症発作と診断され、
入院3日目で退院したその日の夜の写真だ。

もう8年も経つのだなあ。
この心筋梗塞は血管が痙攣して起こるもので、

今はすっかり良くなり、
あれはなんだったのか?と言う感じだ。

まあなんですね、
私の性格が引き起こした病だと思う。

突っ走り型だし、
決めたらやる!とことん!だし、

自分にも厳しかったから
結局人にも厳しい目になったし。

それが今は随分変わった。

ブログが飛び飛びでも
大丈夫!だし、

インタビュー本番の自分の髪が
あっち向いていても大丈夫!だし、

何が大丈夫なのか
よくわからないけれど、

なんとなく
自分を大切にすることに

罪悪感がなくなった。
へんなの〜だが。

きっと神様が
ありゃあこのまま行くと

ブツンと死んじゃうから
少し痛い目に合わせて

ブレーキをかけさせよう!
と、思ったに違いない。

ちなみに、
心筋梗塞は死にそうなくらい痛い。

この後ずいぶん長いこと、
私はこの痛みの恐怖症だった。

死の恐怖より、
痛みへの恐怖をもつほど

痛かった。
私は何よりも痛みに弱いのを

神様は知っていたのだろう。

そして近頃は
ゆっくりしすぎて

動かなくなりそうだ。
このコロナなるものが

私に家にいなさい!
と、言ってるのかもしれない。

でも、それも、
そろそろ終わりらしい。

今度は神様が
動きない!と言い出したようだ。

あちこちから、
これがありますけれど〜

の声がかかり出した。

旭川でしょ。
福井でしょ。
札幌のピアノコンサートでしょ。

あ、明日は
家ねっと打ち合わせと

丸井さん!
小樽の友人たちが

アイヌ紋様グラスやら
米粉クッキーやらを

丸井さんで展示販売をする。
応援に行かなきゃあね!

多くの人たちに助けられて
内科的一病息災も切り抜け、

私の人生は益々魅力的に
展開している。

あの時の痛み苦しさと
娘たちや孫たちの笑顔が

今の私を作ってくれた。
あ!大事な人を忘れていた。

私を好き放題にしてくれる夫だ。
さてと、

これからも周りの皆さんに
エネルギーを頂きながら、

むつみさんの一本道を
歩こうと思う。

TTMゆい中野むつみでした。

天女に会って

TTMゆい中野むつみです。

お能は哲学だなあ
と思う。

私がお能の謡を習い始めて、
まだ一年半。

それも行きがかり上習った!
みたいな感じなので

かなりの不良弟子だが、
この頃やっと

能の奥深さを感じるように
なってきた。

私のお師匠さまは
角当行男先生と

息子さん角当直隆先生だ。
お二人とも神奈川からいらしてくださる。

2月末には、
初謡があり、私も恥ずかしながら、

【土蜘蛛】の頼光役を謡ったが、
そのできはさておき、

先輩の女性が謡った【羽衣】の歌詞に
いたく心が惹かれた。

天女が羽衣を忘れ
それを拾った漁夫が天女に

返しますよ〜と言ったら、
天女は、

羽衣を返してくれたら
お返しに舞を踊ります。

と言うのだが、
漁夫は、

羽衣を返したら
きっと舞を踊らずに天に

帰ってしまうだろう。
と言うのだ。

それに対して天女は、

『いや疑いは人間にあり。
天に偽りはなきものを』

と、返す。

天には疑うと言う心はない。
天には偽りがないから。

人間には偽りがあるから、
人を疑うのだ。

なんと深い言葉だろうと
思った。

そして昨日、
私はその天女みたいな人に会った。

その方は、
池戸恵子さんと言う方で、

3月から
札幌の美園というところで、

児童発達支援・放課後等デイサービス
【おとつむぎ】を開設された。

池戸さんは幼い頃からピアノを習い、
その先生を恩師と慕って

ヤマハのピアノの先生になったけれど、
思うところがあって

ベトナムの雑貨販売や
近頃は、

プロ野球のオリジナルグッズを
製造販売する会社の経営者になったのだが、

去年から、
音楽療育の【おとつむぎ】を作ろう!

と決意し、
今回開設の運びとなったのだ。

なんとまあ
どうして?


3時間ほど聞かせてもらった。

私のインタビューは
この事前のインタビューが一番大切で

肝となる部分を
どこまで引き出せるかにかかっている。

私は真剣に
池戸さんがピアノが好きなこと、

恩師の先生の音楽療育の素晴らしさを
知っていること。

などを聞いたのだが、
今ひとつ肝にぶつからない気がして、

粘った。ら、
最後にわかったのが、

池戸さんの
天女の心だった。

若い頃から池戸さんの周りには
障がいを持った子どもを持つ友人が

多く集まり、
何かしたい、助けたいと言う気持ちが

ずっと潜在意識に中で
育っていたようだ。

その気持ちは
どんどん大きくなり、

『私、日本で
この音楽療育を使った施設経営を成功させて、

次はベトナムにも作りたいの。

ベトナムには日本より障がい児が
多いのです。

そして、医療も福祉も介護も
遅れているの。

ベトナムで商売をさせて貰ったお返しに。』
と語ってくれた。

池戸さんは人を疑うことが
できないそうだ。

天女には偽りがないから。
ただただ真っ直ぐに信じる道を歩んで、

人の手助けをしたい。
その一心で歩き出したおとつむぎ。

きっと子どもたちや
お母さんたちの羽衣になってくれるに

違いないと思った。

TTMゆい中野むつみでした。