マチづくりは!

TTMゆいの中野むつみです。

私が小樽のまちづくりに
ちょっとだけ、

関わらせて貰って
9年目になる。

私は、
感で生きているとこがあり、

勘ではなく、
第六感の感。で、

9年前のある時、
小樽の古い建物の二階から

外を見て、
『これは宝の山だ!』

と、
閃き、

小樽の古い建物の所有者と
その建物を利活用したい人を

結びつけるNPOをつくった。
仲間たちは、

知らない人がほとんど。
で、

ある人の紹介で
めちゃくちゃ小樽を愛している方と、

知り合い、
その人のことは

全く何も知らなかったけれど、
全く疑うこともなく、

その方と組んで
活動を展開した。

建物のマッチング事例は
十数件だが、

少なからず
小樽の方たちには、

知っていただける団体に
なった。

そして、
今年から、

小樽の旧寿原邸と言う
歴史的建造物の一般公開と

イベントを
小樽市から委託を受けて

催すことになった。
この建物は、

寿原さんが小樽市に
寄贈したのだ。

とても長い間、
誰も使っていなかったが、

仲間たちが
市民と共に掃除をし、

6月から土日祝日に
一般公開を行い、

で、

8月15日の
最初の来場者で、

なんと!
1000人になった。

コロナがあり、
色々気遣いをしながらの公開、

それでも、
来てくださった方たちは

旧寿原邸の佇まいの
素晴らしさに感動を

してくださり、
また、

小樽の方々にとって、
寿原邸は、

特別な存在であると共に
小樽の皆さんの暮らしの中に

溶け込んでいるのだと
言うこともわかった。

そして、

来場者が1000人を超えたら、
もっとたくさんの方に

来て欲しい!
と、欲が出て、

昨日は、
Facebookで、

丁度小樽を
散策していたIさんを見つけて、

『旧寿原邸に来てください!
私も受付にいます!』

と、お願いをしたら、
ご夫婦でいらしてくださった。

嬉しい!

もちろん、
寿原邸の素晴らしさを

感じて頂けた。
でが、おかげで、

昨日の来場者は
66人になった。

ありがとうございますー
Iさん。

私は、
このNPOをつくってから、

それぞれのまちの歴史は
そのまちの、

重要な要素なのだと
わかった。

人間もまちも、
その歴史の中で

作られているもので、
その歴史は、

風土だけでなく、
マチに流れる【気】までも、

作り上げるのだと
小樽で感じている。

そう思うと、
私自身は、

札幌のことを
あまりに知らなさすぎだし、

好きです!札幌!
だけれど、
私は、どこのマチでも、

マチづくりは
上手くいくと思っている。

宝のないマチなど、
ないのだ。

ただ、
気がついていないだけ。

コロナ以降、
海外ではなく、

身近なところの
宝探しが面白くなってきた。

わがまちは、
小樽にも引けを取らないぞー

と言う気概が、
まずは一番大事なような気がする。

TTMゆいの中野むつみでした。

人のものでも( ^∀^)

TTMゆいの中野むつみです。

朝、
洗濯した夫のシャツを見たら、

あら〜
襟の汚れが落ちてない。

あー仕方がないか。
このシャツ、

買ってから
18年近く経つのだ。

ノースなんちゃらの
ブランド品。

白くて、
夫のお気に入りだけど、

これは捨てねばねー
と、

夫に確認したら、
うーん。。。

だったけれど、
捨てちゃうよーと、

捨てた。
実は、

このシャツ、
思い出が、

強くあるシャツなのだ。
我が家の次女は、

三人姉妹の中で
長野だが、

ただ一人国立大学に入り、

おーー
金がかからぬ!

と、
思っていたら、

学生結婚し、
そして、出産。

そして、
4年で卒業して、

長野の教員試験にも合格。
素晴らしい!が、

当たり前に、
我が夫婦は、

娘のため、
孫のためにと、

ものすごーい回数、
長野に行った。

特に夫は、
初孫の男の子から

絶大に愛されており、
ジジさえいれば、

何もいらない!
状態だったから、

時間が見つかれば、
長野に行っていた。

このシャツは、
孫がまだ、1歳に

なった頃
買ったのだ。

このシャツを着て
娘と孫と私たちと

洒落たカフェに入り、
孫は娘のナポリタンを

もらって食べていたが、
ジジのところに行きたくて、

ソファーの上を
伝い歩きし、

じじの肩に手をかけて、
そのナポリタンのついた口を

このノースなんちゃらのシャツで
拭いた。

あー!
と、ジジも私も娘も

声を上げたけれど、
3人とも、

嬉しくて
笑っていた。

その日は、
娘や孫と別れる日。

学生結婚が心配な私たち、
不安な娘夫婦だったが、

それも懐かしい思い出だ。
そろそろ、

過去の幸せは
手放さなくちゃあね。

とっても
捨て難かったけれど、

幸せも、
どんどん進化しているし!

踏ん切りをつけなくちゃあ!
そんな気分だった。

昼前、
銀行の帰りに

川沿のイオンに行くと
町村農場のシュークリームが

割引ディだった。
よし!

社員たちに買って行こう!

生きていられることへの
感謝の気持ちは、

形で表そう!
シャツを捨てたら、

なんだか
スイッチが入ってきた。

捨てたのは
夫のシャツなのに

変だなあ。
Facebookに載せるから!

と、
店員さんに言ったら、

わざわざ、
シュークリームを

可愛く置いてくれた。
有難いぞー


で、
なんだかわからないけれど

心に勢いがついて、

クラウドファンディングで買った、
商品券を取りに行った。

こちらも
細やかな支援だけれど、

花まるんお店員さんに
ありがとうございます。と、

言われて、
なんだか涙が出そうになった。

お互い
頑張ろうね!

って、
言えばよかったのに。

声に出したら
本当に泣きそうだったから。

北海道の企業が
元気であってこそ、

私たちの生活は
成り立つのだから。

なんとなく
コロナも急性期から

慢性的な感じに変わり、
私の生活もボワーンと

なっちゃった気がする。
さてと、

気合が抜けたのを
建て直さねばね。

ホント、
夫のシャツを捨ててよかった!

これも
他力本願の一つである。

TTMゆいの中野むつみでした。

TTMゆいの中野むつみです。

私が小樽のまちづくりに
ちょっとだけ、

関わらせて貰って
9年目になる。

私は、
感で生きているとこがあり、

勘ではなく、
第六感の感。で、

9年前のある時、
小樽の古い建物の二階から

外を見て、
『これは宝の山だ!』

と、
閃き、

小樽の古い建物の所有者と
その建物を利活用したい人を

結びつけるNPOをつくった。
仲間たちは、

知らない人がほとんど。
で、

ある人の紹介で
めちゃくちゃ小樽を愛している方と、

知り合い、
その人のことは

全く何も知らなかったけれど、
全く疑うこともなく、

その方と組んで
活動を展開した。

建物のマッチング事例は
十数件だが、

少なからず
小樽の方たちには、

知っていただける団体に
なった。

そして、
今年から、

小樽の旧寿原邸と言う
歴史的建造物の一般公開と

イベントを
小樽市から委託を受けて

催すことになった。
この建物は、

寿原さんが小樽市に
寄贈したのだ。

とても長い間、
誰も使っていなかったが、

仲間たちが
市民と共に掃除をし、

6月から土日祝日に
一般公開を行い、

で、

8月15日の
最初の来場者で、

なんと!
1000人になった。

コロナがあり、
色々気遣いをしながらの公開、

それでも、
来てくださった方たちは

旧寿原邸の佇まいの
素晴らしさに感動を

してくださり、
また、

小樽の方々にとって、
寿原邸は、

特別な存在であると共に
小樽の皆さんの暮らしの中に

溶け込んでいるのだと
言うこともわかった。

そして、

来場者が1000人を超えたら、
もっとたくさんの方に

来て欲しい!
と、欲が出て、

昨日は、
Facebookで、

丁度小樽を
散策していたIさんを見つけて、

『旧寿原邸に来てください!
私も受付にいます!』

と、お願いをしたら、
ご夫婦でいらしてくださった。

嬉しい!

もちろん、
寿原邸の素晴らしさを

感じて頂けた。
おかげで、

昨日の来場者は
66人になった。

ありがとうございますー
Iさん。

私は、
このNPOをつくってから、

それぞれのまちの歴史は
そのまちの、

重要な要素なのだと
わかった。

人間もまちも、
その歴史の中で

作られているもので、
その歴史は、

風土だけでなく、
マチに流れる【気】までも、

作り上げるのだと
小樽で感じている。

私は、どこのマチでも、

マチづくりは
上手くいくと思っている。

宝のないマチなど、
ないのだ。

ただ、
気がついていないだけ。

コロナ以降、
海外ではなく、

国内の身近なところの
宝探しが面白くなってきた。

わがまちは、
小樽にも引けを取らないぞー

と言う気概が、
まずは一番大事なような気がする。

TTMゆいの中野むつみでした。

阿寒湖にて

TTMゆいの中野むつみです。

16年ぶりに、
先日、阿寒湖温泉に泊まった。

コロナで、
本州の娘たち家族も

来れず、
私たちも行けず。

なので、
いつもなら夏休みに使うお金を

全部使って、
高級旅館に行ってみよう!

と、
道民割りが出た時

思いついたのだ。
お願いしたのは、

遊プランの板東さん。

『飛行機も宿も取れましたよ!』
その知らせにニンマリ。

ホント、
普通なら、

絶対泊まらない値段の宿。
夫に言うと、

びっくり目玉だったけれど、
そー言うことに、

グチュグチュ言わないのが、
夫の良いところだ。

13日の朝、
5時半前に家を出た。

空港に車を停めて、
いざANAへ!

早すぎて
チェックインまで待つ。

飛行機は、
めちゃくちゃ小さいプロペラ機。

だったけれど、
窓からの景色は最高で、

これも悪くないと
思った。

釧路の飛行場からは
レンタカーで移動だ。

夫婦二人で
道東のドライブなんて、

新婚旅行以来だ。
と、

久しぶりに
ワクワクする。

天気は晴天!
釧路とは思えない暑さだった。

まずは、
義父母が眠るお寺にお参りした。

納骨堂から、
海が見えた。

札幌から持ってきたお菓子も
供えた。

線香が消えるまで
二人で義父母に向かって

お喋りをした。

それからは、
夫が経営する会社の

社員たちの現場に
行った。

急に仕事が入り、
お盆休みなのに

働いてくれていた。

ありがとう!
差し入れだよー

私は冷たいお茶を
渡した。

夫は、
財布からお金を出して、

3人で何か食え。

と言った。
もちろん3人とも、

お茶より
お小遣いを喜んだ。

そーだよねー

社員たちは
笑顔で手を振って

見送ってくれた。
有難い。

さて、
それから、

一路阿寒湖へ。

予約していた旅館は、
思っていた高級旅館と

少し違っていた。
素晴らしいお部屋とお風呂。

特に、
部屋からの景色は

抜群だった。
でも、

想像となにかが
違う。

お風呂に入り
部屋でゆっくりしているうちに、

その意味がわかってきた。
まず高級旅館にありがちな、

緊張感がない。

呼ばない限り
従業員は来ないし、

他のお客さんの
気配すら感じない。

食事は、
お食事処の個室で頂くが、

御給仕をしてくださる皆さんは、
普通に一生懸命だけれど、

澄ましていない。
うまく表現ができないが、

あずましいのだ。

共働き歴43年。
3人の子どもは巣立ち、

孫も8人いる。
夫も一生懸命働いてくれて、

私は好きなことを
仕事にしようと

楽しく生きている。
でも、

時間に追われる生活であり、
やっぱり疲れているのだ。

そんな私たち二人にとって、
この宿は最高の時間を

くれた。
阿寒湖のほとりを散歩していた時、

夫は、
観光協会のアンケート調査に

答えていた。
マリモに関することだったが、

今回の阿寒湖で感じたのは、
阿寒湖の最大の魅力は、

この湖畔の景色と
良質の温泉。

と、【気】。

マリモは、
それら自然の恵の

象徴なのだと思う。

阿寒湖は、
静かな観光地として

これから、
人々に、

愛され続けるに
違いない。

ある意味、
コロナだから経験できた、

最高の時間だった。

TTMゆいの中野むつみでした。

父の命日に

TTMゆいの中野むつみです。

8月14日は、
父の命日だ。

年を重ねるとともに、
誕生日よりも

命日が増える気がする。
特に8月は、

10日が従兄弟の命日、
14日が父の命日で、
19日が義母の命日。

お盆付近に集中。

父は、
一年半くらい寝込んで

あちらに行った。
気管切開をしていて

話せなかったけれど、
どうも看護婦さんとは

口パクで話をしていたらしく、
結構人気者でいたらしい。

初めは、
肺炎で入院していたけれど、

ある日、
病院で、

脳動脈が破裂し
中村脳外科に転院した。

とても辛そうだったけれど、
私たちが思っているより、

ずっと理解力はあって、
話せないだけのようだった。

父が倒れた頃は、
バブルが弾けた直後で、

公共事業一本の
父が創業し、

夫が社長になっていた会社は、
売り上げが30%まで落ちて、

先行きの見通しもなく
苦難の時だった。

父が倒れる前の年は、
会社は大きく赤字。

父は、
頑張らなくても良いぞ。

と、
話してくれたが、

夫もそうはいかない。
で、

次の年は、
たった150万だったけれど

黒字になった。
父の耳元で、

わかるか、
わからないか、

わからないけれど、

『お父さん、
150万だけど黒字になったよ!』

と言ったら、
気管切開で出ない声を振り絞り、

顔を真っ赤にして
父は泣いた。

余程、
嬉しかったのだろう。

それから一年ほどして
父は亡くなったが、

いつ書いたのか、
多分まだ肺炎だった時と思うが、

遺言を残していた。
自分の葬儀に関することだ。

家族葬にすること。
新聞の死亡欄にも載せないこと。

葬儀から1週間経ったら、
道新にお知らせの広告を

載せること。
などが書かれていて、

新聞に載せる文章も
作ってあった。

父が作った会社は
夫が経営しているし、

本当は
普通の葬儀にしたかったが、

遺言なので仕方がないと、
親類と社員だけ見送った。

それでも
結構な数にはなったが、

友人が多い父だったから、
普通の葬儀をあげればよかったと

今でも心残りである。

それから月日が流れ、
夫と私は、

経営者の勉強会に参加し、
一生懸命仕事をした。

おかげで、
累積赤字は、

全て無駄にすることなく
消化し、

父が残した内部留保を

もっとプラスにすべく
夫は奮闘中だ。

父が会社を作ってくれたおかげで、
私は経営者の端くれになれ、

普通ならば
できないような経験をさせて貰い、

多くの素晴らしい人たちと
知り合うこともできた。

今年の命日は、
釧路で迎えた。

義父母のお盆参りである。

家の父の写真の前には、
母の実家、

岡山から
送られてきたマスカットも

供えた。
先に逝った愛する人たちを

ここまで懐かしく
寂しく思うお盆も

初めてである。

TTMゆいの中野むつみでした。

夏!浴衣&夏帯で!

TTMゆいの中野むつみです。

今年の夏は暑かった!
と、過去形は変。

まだ暑いから。
のおかげで、

浴衣は、
着放題だ。

何せ、
寒くて浴衣を着られない夏も

結構ある北海道だが、
今年は、

超寒い日もあったけれど、
暑い日も多くて、

浴衣が大活躍だった。
実は私が着物を着出したのは、

今年から。
それも、

着物教室に通い出したのも、
コロナ付近からだ。

皆さんに、
よくぞ、

短期間で
着られるようになったね!

と、
言われるけれど、

多分、
日本人はみな、

着物を着るDNAを持っているから、
練習をして、

着る機会を増やせば、
自然に体が付いてくる気がする。

ただし、
よし!着よう!

と、
思うには、

きっかけと
火付け役がいる。

私の場合、
きっかけは、

叔母や祖母の
形見の着物だった。

叔母の着物は
10年も前に形見で貰ったけれど、

忙しいし、
無理!で、

着ていなかったが、
実家の、

取り壊しとともに出てきた
祖母の着物は、

私の背中を強く押した。
そして火付け役は、

去年の3月に知り合った、
KIMONO HANAの臼杵さん。

素敵な女性で、
センスもバッチリ。

着物の練習には、
叔母の形見がたっぷりあったが、

小物がなくて、
臼杵さんのお世話に

なっているうちに、
着物やら浴衣やらを

買うようになった。
特に浴衣は、

二枚も買った。
で、

帯も。
着物のことを知らない私は、

6月から9月まで、
単衣が着れると思っていたら、

え!違うんだー
とは言え、

夏着物をすぐ買う勇気はなく、
浴衣と帯を買ったのだ。

雪花絞りの浴衣と
ペンギンさんの帯は、


臼杵さんのインスタで
一目惚れした。

可愛い!
という年じゃあないけれど、

着物なら大丈夫。
ここが着物の不思議さだ。

で、
6月から

単衣から始まって、
浴衣、絽、紗の着物を

着たのだけれど、
暑かった。

今は、
浴衣の下に襦袢を着て、

夏帯を
お太鼓にして締めることもあるが、

一番下に着ている肌襦袢と
裾除けが暑い。

夏冬兼用だから。
麻もあるらしいが

ゴワゴワするらしく、
うーんちょっとだった。

で、
ある日

思いついたのだ。
そうだ、夏用の長襦袢の生地、

爽竹で、
肌襦袢と長襦袢を

作ってもらおう!
臼杵さんに頼むと、

ええ!!!
と、びっくりされたが、

絶対良いはず!
と、無理に作って貰った。

一反で、
肌襦袢二枚と

裾除けが一枚できた。
お値段は

普通の肌襦袢裾除けの
ちょうど2倍くらいかな。

でも、
全くもって正解!

結構頻回に
着物や浴衣を着るから、

普通の下着を
付けるときもあるけれど、

涼しさが違うので、
来年用に

もう一組
作って貰ったくらいだ。

さて、
この暑さも

あと何日くらいだろうか。
祖母の形見も合わせて、

3枚の浴衣、
たっぷり着たいと

思っている。

TTMゆいの中野むつみでした。

やっと変化?

TTMゆいの中野むつみです。

これは、
TTMゆいのブログだけど、

Facebookにコピーして
載せている。

私がFacebookを知ったのは、
10年近く前だ。

経営者のお仲間内では、
これからはFacebookの時代!

と言われていて、
勉強会も開かれていた。が、

うーん、
なにそれ?

状態の私。
でも、興味はあった。

だって、
その当時、

世界では、
Facebookで革命が、

起こっていたのだ。
どうして、

そんなもので
人が集まることがあるの?

そんじゃあ、
やってみるか?

で、
勉強会に参加した。

中小企業家同友会の
例会だ。

やると決めた割には、
わかってから始めたい!

気分満載で、
あーだのこーだの

質問した。
挙げ句の果てに、

これって、
何のために人と交流するの?

と、聞いた。
もし私が主催者だったら、

じゃあ、
やめたら?!と、

言いそうな質問だったけれど、
お仲間の沙織さんは、

『そうですね。
文通ですね。』と、

教えてくれた。
そうかー文通かー

文通もやったことがないけれど、
やってみるか。

と、始めた。
私の投稿は、

会社のブログが
ほとんどだ。

文章のみだったから、
いいねも少なかったけれど、

何せ10年も続けているから、
検索すると上位に来る。

そのうち、
どうして友達になったのか、

よく分からないけれど、
友達!の人も増えてきた。

中には、
あれ?というような男性もおられて、

やば!失敗!
もあったけれど、

圧倒的に
知り合えて良かった!人ばかりだ。

まず、
自分の知らない世界を知れる。

最初は
コメントも憚られたが、

今は
お会いしたことない方の投稿にも、

コメントをする。
本当に文通だ。

今年になってからは、
Facebookにもブログにも

写真を
入れるようにした。

写真は
得意じゃあないけれど、

まあ良いでしょう!
みたいな感じだ。

で、
今日、

10年使っていたプロフィール写真を
変えた。

10年前は、
プロの女優写真だった。

化粧も特別、
写真も特別、

だから
美人だったけれど、

実物と違うじゃん!
だった。

でもね、
綺麗だから

変えたくなかったんだけれど、
流石にね。

になったので、
着物生活になったことを

きっかけに、
着物季節バージョンに

してみた。
まずは、

小樽の旧寿原邸前にて
浴衣姿だ。

あら、
襟元を直せば良かった!

と、
思ったけれど、

人はそれほど
気にはしていない。

それに、
来月になったら、

今度は単衣の季節。
叔母の形見の着物で

写真を撮ろう。
今の私バージョンだ。

今日は
札幌も暑い。

涼しげな浴衣で
所要を足しに街に出る。

もちろん浴衣だ。
プロフィール写真を変えただけで、

なんだか
ものすごーく新鮮な気持ち。

いざ!である。

TTMゆいの中野むつみでした。

今日の日は

TTMゆいの中野むつみです。

札幌は暑い!
昨日からだけど、

暑い!ので、
本日は、

ノースリーブの
綿ワンピースを着た。

このワンピース、
実は18年前に買ったものだ。

何せ、
これを着るほど暑い日が

ない年もある札幌だから。
で、

買った理由は、
18年前の夏、

次女が、
長野でお産をすることになり、

めちゃくちゃ暑い!
と、聞いて買ったのだ。

で、
初めての夏の長野は

半端なく暑かったけれど、
湿気がゼロ。

だから、
洗濯物が一瞬で乾く。

は、
大袈裟だけど、

本当によく乾くから、
このワンピースと

もう一つの
ノースリーブを

交互に着て
暑さを楽しんだ。

その時生まれた一番孫が
今年18歳になる。

娘が選んだ出産は、
有名な助産所でのお産だった。

とても良い助産婦さんで、
もちろん、

大きな病院がバックにいて、
何かあったら、

引き受けてくれるから安心だった。
が、

先に破水はしたものの、
部屋を歩いたり

階段を登ったり、
運動でお産を促し、

無事
男の子を出産した。

1週間は助産所で、
至れり尽くせり、

おっぱいのマッサージも受け、
最高の産後だったが、

長野のアパートに帰ってからは、
私が手伝いに行った。

久しぶりの赤ちゃんは、
どうやってあやすのか

忘れていたが、
そのうち思い出し、

新生児を抱く喜びも
味わった。

一番孫というのは、
特別なのもらしく、

ジジババだけでなく、
うちの長女にとっても、

三女にとっても、
特別な甥っ子らしい。

次女は学生結婚だったから
色々大変だったけれど、

私の両親も
夫の両親もこの出産を

とても喜んでくれた。
義父母にとっては、

初ひ孫。
釧路にいる義父母に

顔を見せることは
次女も中々できなかったけれど、

あれは、
一番孫が2歳の夏だった。

一緒に阿寒の温泉に行った。
写真はその時のもの。

なにより義父母が
喜んでくれたことが

嬉しかった。
そして、

この翌年の夏、
義母が急逝した。

一緒に阿寒に行けて
本当に良かった。

毎年、
夏になると

本州の娘たち家族が大集合し、
我が家は大騒ぎになるので、

釧路のお寺参りは
お盆にはできなかったが、

今年は帰省がないので、
夫と二人、

明日明後日と
釧路に帰る予定だ。

義父母が亡くなって
初めての、

お盆参り。
なんと私たちは

親不孝な夫婦かしら。
あんなに可愛がって貰ったのに。

だが、
また阿寒の温泉に泊まってこようと

思っている。

この服を着ると思い出す、
暑いけれど、

幸せ満杯だったあの時の
こと。

その一番孫の誕生日が
今日。

出産立会で
最初に顔を見たのは

むばあばだよ!
元気に育ってくれてありがとう!

18歳の誕生日
おめでとう!

世の中に
新しい命の誕生ほど

嬉しく幸せなことは
ない。

良い人生をね!
むばあばからのメッセージである。

TTMゆいの中野むつみでした。

TTMゆいの中野むつみです。

これは、
TTMゆいのブログだけど、

Facebookにコピーして
載せている。

私がFacebookを知ったのは、
10年近く前だ。

経営者のお仲間内では、
これからはFacebookの時代!

と言われていて、
勉強会も開かれていた。が、

うーん、
なにそれ?

状態の私。
でも、興味はあった。

だって、
その当時、

世界では、
Facebookで革命が、

起こっていたのだ。
どうして、

そんなもので
人が集まることがあるの?

そんじゃあ、
やってみるか?

で、
勉強会に参加した。

中小企業家同友会の
例会だ。

やると決めた割には、
わかってから始めたい!

気分満載で、
あーだのこーだの

質問した。
挙げ句の果てに、

これって、
何のために人と交流するの?

と、聞いた。
もし私が主催者だったら、

じゃあ、
やめたら?!と、

言いそうな質問だったけれど、
お仲間の沙織さんは、

『そうですね。
文通ですね。』と、

教えてくれた。
そうかー文通かー

文通もやったことがないけれど、
やってみるか。

と、始めた。
私の投稿は、

会社のブログが
ほとんどだ。

文章のみだったから、
いいねも少なかったけれど、

何せ10年も続けているから、
検索すると上位に来る。

そのうち、
どうして友達になったのか、

よく分からないけれど、
友達!の人も増えてきた。

中には、
あれ?というような男性もおられて、

やば!失敗!
もあったけれど、

圧倒的に
知り合えて良かった!人ばかりだ。

まず、
自分の知らない世界を知れる。

最初は
コメントも憚られたが、

今は
お会いしたことない方の投稿にも、

コメントをする。
本当に文通だ。

今年になってからは、
Facebookにもブログにも

写真を
入れるようにした。

写真は
得意じゃあないけれど、

まあ良いでしょう!
みたいな感じだ。

で、
今日、

10年使っていたプロフィール写真を
変えた。

10年前は、
プロの女優写真だった。

化粧も特別、
写真も特別、

だから
美人だったけれど、

実物と違うじゃん!
だった。

でもね、
綺麗だから

変えたくなかったんだけれど、
流石にね。

になったので、
着物生活になったことを

きっかけに、
着物季節バージョンに

してみた。
まずは、

小樽の旧寿原邸前にて
浴衣姿だ。

あら、
襟元を直せば良かった!

と、
思ったけれど、

人はそれほど
気にはしていない。

それに、
来月になったら、

今度は単衣の季節。
叔母の形見の着物で

写真を撮ろう。
今の私バージョンだ。

今日は
札幌も暑い。

涼しげな浴衣で
所要を足しに街に出る。

もちろん浴衣だ。
プロフィール写真を変えただけで、

なんだか
ものすごーく新鮮な気持ち。

いざ!である。

TTMゆいの中野むつみでした。

涙して

TTMゆいの中野むつみです。

もうすぐお盆、
そして、

初めて盆提灯を
飾ったからなのか、

父からの贈り物が
あちらの国から届いた。

と言っても、
送って下さったのは、

大先輩の奥村繁子さま。

奥村先生は、
福井の社労士で

女性経営者なのだが、

今回、
句集を出されたとのことで

送って下さったのだ。

実は、
私と奥村先生との繋がりは

そんなに深くはない。
と、思う。

ごく稀にお会いすれば
ご挨拶をする程度だったが、

あれは、
札幌の女性経営者の勉強会に、

奥村先生がいらした時だった。
いつものように頭を下げて

ご挨拶をしたら、
先生が握手をして、

私の手を包んでくださったのだ。
極々普通の握手だったのに、

その手の柔らかさ
温かさに、

私は急に涙ぐんだが、
全く泣く場面ではないので、

グッと涙を飲み込んだが、
その先生の手は、

まるで私の悲しみや憂いを
包み込んでくれたように

感じた。
なんで先生は、

私の心を読み取れるのかしら。
その時から、

私にとって奥村先生は、
特別の人になった。

奥村先生の経歴も知らず、
Facebookで、

今の先生の近況を知るだけなのに、
私もいつか、

奥村先生のような手を
もてる人になろうと思った。

そんな奥村先生からの句集だが、
私は、俳句は分からず、

テレビ番組で
俳句を見るくらいだから、

よくわかんないけど、
俳句ならスラスラ読めそう!

みたいな軽いノリで
ページをめくり、

本当に、
サクサクパラパラと


ページをめくっていたのに、
数ページ読んだら、

なんだか分からないけれど、
涙が止まらなくなった。

そう、
あの時、奥村先生に

握手をして頂き、
手を包んで貰ったのと

同じ涙だ。
今私に、

思い当たる悲しみも
憂いもないけれど、

心の奥底に沈む悲しみが
そっと出てきて、

涙になって
消えたのかもしれないと

思った。
そして、

この句集は、
天国の父からの贈り物だと

思ったのだ。
句集の中に、

【断捨離は思い出までも捨てるよう】

というのがあった。
私は、

捨てられずに
引き出しにしまった、

父の指輪らしきものを
思い出した。

処分できずに
とってはあるけれど、

重すぎて、
使いようがないものなのに、

処分ができなかったものだ。
それを父が使っているのを

見たこともないのに、
どうしても処分ができなかった。

でも、
この句を読んだら、

とっておいても
良いのだ。

と、
思った。

先に逝った人たちを思い、
寂しく悲しむことが

あっても良いのだ。
だって、

会えないのだもの。
悲しくて当たり前なのだ。


でも、
悲しみにひたりはしない。

もうすぐお盆。
そして14日は、

父の命日。
涙を流すことも、

先に逝ってしまった
愛する人たちへの

供養だと思った。

奥山先生、
ありがとうございました。

TTMゆいの中野むつみでした。