樹々を見ながら歩くってすごーい!

TTMゆいの中野むつみです。

小樽のインタビューが中止になり、
あーらどうしようかしら。

時間ができたわ。の私。
何せ家事が大っ嫌い。

掃除をすれば良いものを、
そうだわ!

昨日買いすぎた海産物加工品を
お裾分けしよう!

と、思いつき、
近くといえば近くの

職場と家のお片付けのプロ
廣澤克美さんちに

届けることにした。
それも歩きで。

私の家は
札幌は南区の川沿。

彼女は真駒内のハズレ。
うーん30分も歩けば着くかしら。

で、出かけた。
今日はすっぴんで

着物ではなく
二部式という簡易着物。

履物は草履だが
これが中々の優れもので

歩けるんですよ。
靴に例えたらスニーカーかしら。

で、
克美ちゃんに電話をし、

30分くらいで着くわよー

と言ったけれど、
あら、結構遠いわ。

あら、結構坂道ね。
で、思ったよりは

スピードが上がらない。
でも、藻南公園を通るから景色は良い。

そういえば
この公園横の道を歩くのは

何十年ぶりかしら。
昔昔大昔、

私に沢山の着物を
形見として残してくれた叔母夫婦が

この藻南公園の向こう側に住んでいた。
山みたいに広い敷地だったから、

『大きいいママの家の向こうは
藻南公園?』って聞いたら、

そうだよ!
って答えてくれたっけ。

でも、なんだか怖くて
山の上まで行ったことはなかったなあ。

今は
叔母も叔父もいなくて寂しいけれど、

今日着ている二部式も叔母の形見だから
きっと山上から見てくれているね!

なんて思いながら歩いていたら、
結構汗ばみ、

身体中の血液が
周り出した気がした。

結局
克美ちゃんちまでは40分かかったが、

玄関を開けると、
ニャンちゃんが、

あら、またあなたなの?
みたいな顔で振り返りつつ

どっかに消えた。
こちらのにゃんちゃんを見ていると、

猫の
我が道を行く!的特徴がよくわかる。


そういえば
本日中止になった西谷さんは

猫シェルターの代表だった。

私は自分ちの猫以外得意ではないけれど、
猫好きの友人は多い。

子猫は可愛いのだけれど
大きくなったら少々怖いのだ。

克美ちゃんは
お裾分けの押し売りを嫌がりもせず、

まあわかんないけれど、
にこやかに受けっとってくれ、

『車で送りますよー』と
言ってくれたけれど、

散歩を続けたいので
歩くことにした。

帰りは下り坂なので
楽だった。

藻南公園は整備が進み
札幌軟石を配した公園もできていた。

なによりも、
公園整備地域が大きくなって

こりゃあすごく綺麗!
なんで今まで歩きにこなかったのかしら?

夫の隣に座ることに慣れて
自分で外を歩くことを忘れていたみたい。

おかげさまで
来週は白紙のスケジュール。

歩きますわよ!

なんだか急に
元気が湧いてきた散歩だった。

TTMゆいの中野むつみでした。

ただの酒好き?

TTMゆいの中野むつみです。

遅ればせながら、
インタビュー用のアクリル板を買ったのに、

あれ〜
小樽のインタビューは中止。

ショック〜
だけど、仕方なし。

そうだよねー
そうだよねー

で、
私が所属するNPOが管理する、

旧寿原邸の開放も
今月中は中止となった。

そうだよねー

でも、
せっかく買ったので

そのアクリル板を食卓に置いてみた。
素敵!

作ってくれたのは
友人の柿沼さんの会社【リケ】さん。

足の三角が本当に木なので、
インテリアを邪魔しないのだ。

とはいえ、
ご飯を食べる時にこれがあったら、

きっと夫が何かを言いそうなので、
やっぱりこれはインタビュー用にしまっておこう。

札幌市内の事前インタビューも
本番も今のところは普通に行っているから、

近いうちに出番もありましょうよ。
と、市内の所用を足して、

三越の食品売り場を通って地下鉄へ!
と思ったら、

あら!
奥尻島のお店が出てるわ!

ちょうどお昼のお弁当を
買おうと思っていたの。

あら!
海鮮フライに奥尻のワカメ?

奥尻ってワカメも取れるの?
というか、アスパラも売ってるわ!

よし!買おう!

威勢の良いお兄さんが
元気に売っていた。

名札には、
『島民』と赤字で書かれている。

で、
あれもこれもと買いながら

隣を見たら、
新潟から海産物を売りに来ている。

うーん
北海道で海産物加工品を売るのは

ちょっと大変だろうな。
でも、

新潟には友人が二人いる。
それに小樽のNPOの代表石井さんのお爺さんは、

佐渡島に流人を連れて行く船の船頭さんだったと
聞いたばかりだ。

これは買わねば!
と思った途端、

自分の意図とは思えない力が働き、
うっそー!

というくらい買っちゃった。

家に帰り
テーブルに積み上げてびっくり。

こりゃあ仕入れだわ。
誰かに売らなきゃあ。

まずは小分けして冷凍か。

あー去年もそうだった。
なんだかねえ、

見ていられなくなるのだ。
それでも買ったものを

捨てたことは一度もない。
冷凍して食べ切るかお裾分け。

圧倒的に
お裾分けが多かったなあ。

美味しいうちに周りに分けて
頂きましょう!

は、
義母の教えだ。

とはいえ、
まずは日本酒を買ってこよう。

だってねえ
お酒の肴ばかりだもの。

奥尻のお店で買ったフライには
赤ワイン。

ワカメはサラダで頂こうかしら。
厚みがあって美味しいんですって。

今年取れたワカメだと
お兄さんが言っていた。

新潟のたらこは大きいわね。
ちょこっとだけ競争心がわく。

いえいえ
北海道が一番だと思っていると、

遅れをとるわよ。
まずは味見をして!

同じ日本海同士、
切磋琢磨で頑張ろう!

TTMゆいの中野むつみでした。

歌はエンジェル!

TTMゆいの中野むつみです。

なんだかなー
なんだかなんだよねー

の気分の今日は、
久しぶりの歌のレッスンで

元気になったぞー♪
だった。

気がつくと
3ヶ月近くレッスンを休んでいた。

元々習い物が苦手、
でも、

歌だけは
私の守り神らしいので

続けていたが、
このコロナと先生が東京の方なので、

あーだの
こーだのしているうちに

時間がたち、
気がついたら、

あ!先生が東京に帰っちゃう!
やっぱ歌おう!

と、ギリで申し込み
駆け込みでレッスンに行った。

案の定、
声の出し方も忘れていて

一から発声の練習だ。

むつみさん、
頑張って出そうとしないで!

まただ。
どうも頑張りすぎるのが

私の悪い癖。
歌も人生もよく似てる。

なんて思いながらも、
めぐみ先生の的確な指導で

なんとか
声を出せるようになったが、

むつみさん、
歌は体の筋肉で歌うもの。

ちょうどお着物だから良いわ。
踵をつけて爪先を広げて爪先立ち!

そーそれで声を出すの。
まずはその姿勢を10秒続けて!

いやはや
立てるわけもなく

よろよろしたけれど、
最後はなんとか立てたけれど。

これで歌うのか!

あああああー
と歌ったら、

ひー
よろよろだ。

むつみさん、
時々ちゃんと声が出るから、

むつみさんは筋肉、ありますよ。
ただ使っていないだけ。

次の練習まで、
この姿勢で爪先立ちとスクワット、

やってきてください。
絶対できますから。

はーい

しかし、
45分間の歌のレッスンは

辛かった。
声を出しながら立っているのが

大変なのだ。
だって、私、筋肉ないから。。。

と、
ずっと言ってきたけれど、

めぐみ先生の仰った、
『ちゃんと筋肉ありますから。』が、

ズキンと胸に刺さる。
無意識の時に出る声は、

ちゃんと筋肉を
使っているというのだから、

私は自分で
筋肉なしを選んでいるにすぎないのか。

なるほどねえー

私の名刺には、
キャベツに乗って歌を歌うエンジェルが

描かれている。
これは占いではないのだけれど、

ある人に言われたのだ。

『むつみさんのエンジェルは
歌とキャベツですね!』

たしかに、
歌を習い始めると

先生が指摘される事が

その時の私の状態に
ピッタンコ!

綺麗な声をさそうとするとか、
前に声を出さずに引っ込めちゃうとか、

あんりゃあ
今の私の状態が歌に出るんだわねー

久しぶりのレッスンで
気がついた。

私、本当はできるんだね。
できないふりをしてるだけ。

だけど、
66年間、それで生きてきちゃったから、

癖になっちゃって。
すぐに後ろに引いちゃうんだわ。

え?どこが引いてんの?
だけど、

引いてるんですよー

さてと、
中々遠くには行けないから、

家で爪先立ちをしながら
眠ってる筋力を目覚めさせようかな。

やっぱり歌は私のエンジェルだ。

TTMゆいの中野むつみでした。

他力に生かされて

TTMゆいの中野むつみです。

昨日は良い日だった!
何がって、

iPadで収録したインタビュー本番の
パソコンへの取り込みがうまく行ったのだ!

これも皆
人様のおかげだ。

ブログに
福井での収録失敗と

江別でiPadに収録した本番を
パソコンに取り込めない!

と、
泣き言を書いたら、

若い友人の
アイムのちえちゃんが

むつみさん!
こーやったらできそうですよ!

と、
調べてくれて、

うーん
私には難しい。。。

と思い、
iPadを持ってマッシュネットの工藤さんを訪ね、

お願いします!

で、
あーだのこーだの

あったけれど
無事取り込むことができたのだ。

なんでも
iPadとパソコンの互換性があり、

アプリが必要で
そのアプリの取り込みも

私じゃあ無理。
状態だったから、

結局
ぜーんぶ他力をお借りした。

で、
これからは

私のiPadで収録して
工藤さんのとこに持っていったら、

うまくいく!はず。
と、なった。

これで
インタビューを受ける方に

負担を負わせることはなくなる。
あー良かった。

ただし、
撮影が超上手い旭川扇松園の

高橋支配人が居られる時は
絶対高橋支配人にお願いしたい。

あ、勝手に思いついたが、
もし旭川扇松園で法要とかする時は

思い出に
高橋支配人にビデオを撮ってもらったら

良いと思う。
本当にお上手だから。

あ、またお節介病が
始まったか。

まあこれは元気が出た証拠だな。

とは言え、
世の中はなんともかんともなので

自分で自分のご機嫌を
取らなきゃあなあ。

で、
不織布の

可愛いマスクを入れる
マスク入れを購入し、

今流行りのシールも買って
マスク入れにペタペタし、

むつみさん仕様の
マスク入れが出来上がった。

なんかね
アガルーことを考えていかないと。

まずは
いろんなことが止まっているうちに、

越前竹田のまちづくりの
企画を考えだした。

これは面白いよー
さてと、

お金はどこから持ってこようか。
と、

考えだしたら止まらない。
あーしてこーして

で、
人間の頭って不思議。

一つのことを考えだしたら、
急に全然違うことも思いつく。

そうだ!
自前のアクリル板を買おう!

どうせなら
リケさんの良いのにしよう。

そーしたら
インタビュー本番で使えるし、

格好も良い。

ウヒョウヒョ
来週の本番からやってみよう!

ちなみに来週の本番は
マッシュネットの工藤さんがついてきて、

私のiPad操作を確認し、
心配だからビデオでも撮ってくれるらしい。

なんだかなあ
ホントいつも周りの力で生きてる私。

必ず恩返しを
致しますぞー

人に生かされていることを
実感する今日この頃である。

TTMゆいの中野むつみでした。

あーあーああー

TTMゆいの中野むつみです。

超久しぶりに、
超後悔!

我が人生に悔いなし!を貫き、
ちょっとやそっとのことでは、

あーあーあー
と悔いることのない私だが、

今回ばかりは、
時計よ!戻して!だった。

だって、
福井まで行って撮ったインタビュー本番、

音声が撮れてなかったのだ!
奥村先生、ごめんなさい!

あーどうしよう。
と、お電話をしたら、

『わかりました。良いですよ。
どうすれば良いですか?』

と、優しいお言葉。
もう涙が出る。

で、
奥村先生が札幌に来られる日程で

もう一度
インタビューをさせて頂くことにしたら、

コロナで先生の来札が中止。
あーあー

そうしたら、
なんと言うことでしょうか!

次に本番をした株式会社北翔の
清水社長のビデオが撮れていない!

うっそー!
で、こちらは保険で入れていた私のiPadに

少々荒い画像と音声だけは
入っていた。

ほー!でも、
これが上手くパソコンに取り込めず。

あー
なんでこんなに。。。

と、
グチュグチュ考えていたら、

あ!と、
気がついた。

福井の越前竹田で収録した
奥村先生のインタビューのお話は

奥村先生のお父様のお話だった。
とても芯の強いお父様で

努力を惜しまず
信念を貫き

そして
慈愛に満ちた方だったと

先生のお話から伝わってきたが、
それから時間がたった再収録で

あの感動をもう一度は
厳しいのではと

思った。
話すにも熱量が必要だが

それはその時の場の雰囲気と
話手のリズムも多いに関係する。

ということは、
奥村先生の再インタビューは、

話を少し変えよ!
ということではないだろうか。

奥村先生が暮らす越前竹田は、
先生が結婚されて住まわれた場所。

先生はこの竹田をこよなく愛し、
まちづくりに奮闘中だ。

奥村先生が
竹田を愛しているのは

それは亡き夫君を深く愛していたからに
違いない。

場所って不思議で
良い思い出があるところは好きになるが、

そうではないところを
好きになることはない。

ならば、
次のインタビューは

ご主人のことを
先生に語って頂こう。

奥村先生は
80歳を過ぎても現役で

限りなく
エネルギッシュな人生を

歩まれてこられたが、
ご主人はきっとそんな先生を

深く愛されておられたのだろう。

歴史ある静かな山間の越前竹田。
お二人はどんな時間をそこで

過ごされたのだろうか。
もしかしたら、

音声が撮れていなかったのは
ご主人が、

『父親ではなく俺のことを話せよ』
と思ったからだろうか。

そうだ!そうに違いない!
俄然元気が出てきた。

先生、
すみませんもう一度お付き合いください。

そしてあの時先生のお父様のお話を
生で聞かれた皆さん。

あの話は録音されていませんでした。
どうぞ記憶に留めてください!

が、しかし、
清水社長のお話は絶対流したい。

あーどなたかiPadの動画を
パソコンに落として頂けませんか?

ここが私の一番の課題のようだ。。。

TTMゆいの中野むつみでした。

無から有は生まれない?

TTMゆいの中野むつみです。

連休最終日は小樽!
でも、観光ではなく、

あえて言えば
迎える側だ。

私は約10年前
思いつくように小樽に

まちづくりのNPOを立ち上げた。
仲間たちも殆どが知らない人。

で、
おかげさまで

10年間一歩一歩前進し、
去年、代表を小樽の仲間に渡すことが

できた。
代表を降りても

NPO会員として活動は続けているから、
今日はその活動日。

旧寿原邸の公開の受付で
小樽にご出勤なのだ。

朝早く起きて
おにぎりを作り

着物に着替えて
夫に送って貰う。

だから、
前日はあまり眠れない。

寝坊できないからだが、
それだけでなくて、

色々考えらさるのだ。
この『らさる』というのは方言らしいが、

頭が勝手に動き出す。
昨夜は、この10年間の振り返りが

頭の中で始まった。
小樽の人は喜ぶと思ったのに、

私のまちづくりの提案は
『無理』と言われ続けた日々。

おかしいなあ
絶対上手くいく。

おかしいなあ
と、思いながら、

会う人会う人に
『こんなことやりたい』と言い続けた。

これ、大事なんだよね。
口に出していう。

『できるかどうかもわからないのに
言うなんてホラ吹きになるよ』

と言う方がおられるが、
言わないと困難が続くと諦める。

でも、言っちゃうと
やるっきゃない。

そして、
口から出た言葉は

そのうち
大事な人を連れてくる。

これも
小樽のNPOで実証済みだ。

私は人伝手に
今の代表石井さんと知り合った。

そして
あーだのこーだの

色々あったけれど
ひとつづつ課題を片付けて

今日に至る。みたいな感じだ。

そうそう、
小樽のまちづくりを

投げ出さずに進めた理由。
私自身がなぜ小樽に惹かれたかを

しっかり見つめることが
できたからだ。

言い出しっぺの熱源を
言葉化することが大事なのだ。

私はある日思いついた!
と、言ったけれど、

あれは思いついたのではなく
私の記憶の底にあった思いが

表面に出ただけなのだ。
私は、感で動くが、

感が冴えるには
その元が必ず必要だ。

私は昔看護婦だったので
この例えだが、

滅多にない病名を言い当てる医師は
当たり前によく勉強してその病名を知っている。

そして、
感を研ぎ澄ませているから、

患者さんを見たとき、
その病名が出てくるのだ。

無のところから有は生まれない。

私は、
自分の記憶の中に

小樽のせつないまでの
空気感を思い出した。

これが小樽の宝なのだ。
だから人は集まるのだ。

そして
その宝は

小樽の歴史の中から
生まれた。

これも
まちづくりの共通点。

あ、もういく時間だ。
着物に着替えて出陣だ。

小樽の振り返りは
中途半端だけど

続きはまた今度。
だって、

小樽の経験を生かして
別のまちづくりに挑戦しようと

思っているから。
まずは口にすること!

人生は面白くて
やめられない。

TTMゆい中野むつみでした。

夫婦の距離感

TTMゆいの中野むつみです。

結婚ってどうしてするのかな?
なんて、結婚歴43年にして考える。

それはインタビューを始めて、
色々な愛や結婚のありようが

あることを知ったから。
で、そうすると、

俄然結婚に興味が湧くから、
自然に結婚情報が入ってくるわけだ。

あれは10年くらい前だろうか。

妻は東北の大学教授、
夫は沖縄の大学教授、という方を知った。

子どもは3人。
妻が一人で育てていて、

年に数回
家族の時間を持つという。

へえええ
すんごいなああ。

と、
その時は思うだけだったが、

今は
そういうご夫婦、

結構いることを知った。

夫婦だから一緒にいる。
家族だから一緒にいる。

そういうことでも
ないらしい。

我が家の場合
理想の夫婦は夫の両親だった。

何せ
仲が良かった。

義父が70歳で仕事を辞めた後は、
夫婦はいつも一緒だった。

義母のいるところに
義父がついていく感じだろうか。

義母は
駒子の紙人形の先生だったから、

自宅に生徒さんが多く来ていたが、
義父は空気のようにそこにいた。

いつも笑顔で柔らかい人だった。
もちろん、夫婦で声を荒げることもなく、

義父は若い時は社宅では有名な
マイホームパパだったという。

良いなあ
こういう感じ。

と思っていたが、
実際はこうはいかない。

まず、
私が穏やかではないらしい。

そして、
お互い自分の時間が大事。

だからといって
休暇中に別行動をする発想はない。

それでも若い頃は
夫は子どもを連れて仲間とキャンプ、

私は家でゆっくり。
もあったけれど、

今は
子どもと言うクッションもないので、

なんとなく
一緒にいる。

と書いて、
あ、違うな!

と、
気が付いた。

夫が私に
合わせてくれているのだ。

この連休、
1日は小樽の旧寿原邸イベントがあった。

雛人形の展示だ。
夫は、この雛人形の送迎をしてくれた。

それも
ほぼ一人で寿原邸の三階まで

運んでくれた。
帰りも同じ。

2日は温泉好きの私に付き合ってくれて、
南区の宿に泊まった。

3日はお墓参り。

そして今日は、

一緒に
私の母をホームに訪ねる。

有難いなあ。

きっと夫婦には
その夫婦にあった距離感が

あるのだろうな。
うちの場合、

もしかしたら
今の距離感が一番良いのかも知れない。

私は自由に動き回り
お泊まり出張の時もある。

それ以外は
夕食は一緒。

でも、
昼ごはんまで毎日一緒だと

私の負担感が増す。
お互いの仕事には口を出さず、

見守って応援。
この4月から、

この感じになった。
私が夫の会社からほぼ引いたので。

結婚をなぜするのか
続けるのか

よくわからないけれど、
きっと幸せだから続けているんだなあ。

さてと、
母の日に娘から貰った

可愛い不織布マスクのお裾分けを持って
母のホームを訪ねよう。

母が産んでくれたから
今日のこの幸せがあるのだから。

TTMゆいの中野むつみでした。

福井にて

TTMゆいの中野むつみです。

昔から歴史が苦手だったのに、
近頃日本史に興味がわく。

ただし、
ガッツリ勉強!ではなく、

なんと言うのかしら。
例えば先週行った福井。

日本海側の県で永平寺がある。
くらいしか知識がなく訪れたが、

案内されたのが
朝倉遺跡。

昔見た大河ドラマで
美しいお市の方が

兄織田信長に夫の裏切りを教え、
夫は討ち死、自分は姫三人を連れて

織田信長の元に帰る。
みたいな内容だったが

その夫が朝倉さん。
くらいは知っていたが、

そこの遺跡の館長さんが
紙芝居ばりに案内資料を駆使し、

その遺跡を説明してくださった。
450年前の戦国時代の遺跡だから、

一乗谷合戦で焼けた石垣が
残っていたりするけど、

その遺跡のほとんどは、
朝倉家家臣と民たちの暮らした跡地だった。

復原された建物もあるが、
民の住居後の井戸と厠は発掘されたまま。

そして、
そこで暮らした家来民は一万人とも言われ、

戦国時代なのに
平和で豊かな生活をされていたことが

うかがえた。
金がとれて、

民たちは農業ではなく
商業で生計を立てていたそうだ。

京都から北陸に抜ける関所があり、
京都から入ってきた文化が育まれ、

一乗谷は小京都と呼ばれていたと
聞いた。

なんと!
戦国時代なのに平和な町があったのか!

織田信長はこの町を焼き払ったが、
織田軍が到着する前、

朝倉の親方様は
その危機を察して

民たちを全て逃したそうだ。
民たちの家の中には、

いざ決戦の時に備えて
武具があったが、

多くの民は逃げ延びて
全国に散ったという。

館長さんの熱い語りに耳を傾けながら、
私の胸も熱くなった。

戦国時代に
民が幸せになる町を目指した朝倉の殿様が、

生き延びることは難しかった。
仕方がないことだけど、

何故に
織田信長があんなに美化されて

大河ドラマになるんじゃい!
おかしい!

で、ふと思った。
戦後、日本が焼け野原から立ち上がり、

高度経済成長を遂げるには
朝倉さんの優しさより、

織田信長の非常さが
必要だったのではないかしら。

そして朝倉遺跡の後
私は東尋坊に連れて行って頂いた。

高所恐怖症の私は
間違っても岩の上には上がれない。

で、
次に連れて行ってくださったのは

東尋坊から見える
【斧入らずの森】小さな島だ。

赤い長い橋を渡って島に上がると
長い石畳の階段が続き、

その奥に
朝倉義勝を祀る神社があった。

こちらも織田信長に焼かれたが
江戸時代に入りすぐ再建されたとあった。

斧を入れることはならぬ。
とされた森。

大きな椿の木が御神木であった。

なんでこんな神社まで
焼き払ったのか。

民の幸せを願い
民に慕われた朝倉の親方が、

織田信長は
恐ろしくてたまらなかったのかしら。

なんて思いながら、
これからは朝倉さんの時代になるなあ。

とも感じた。

TTMゆいの中野むつみでした。

福井に向かい!    

TTMゆいの中野むつみです。

今日は
インタビューで福井県に行く。

朝、早く起きて
綺麗な朝日を拝む。

我が家では、
今の時期は大きなホテルの上から

朝日が出てくる。
   
それから、
神様仏様のお茶を入れ替え、

ついでに
自分のお茶も入れる。

そして、

いつものごとく
神様にパンパン柏手。

先に逝った愛する家族の写真の前では、
柏手とお燐をちーん!

実家は神道だけど、
中野は仏教だから神仏混合だ。

そのあとは、
夫の靴を取り替える。

昨日履いた靴は、
乾いた布でささっと拭いて靴箱へ。

夫の革靴は3足あって
毎日クルクル替えるから、

結構保つ。
新聞を取ってテーブルに置き、

夫と自分のコーヒーを淹れて、
青森黒大蒜を半分こして

夫の分はお皿に入れて
自分の分はお口にぽん。

この黒大蒜は熟成されて
臭いはほとんどない。

感染症の防御にもなると聞いて
珍しく2ヶ月も食べている。

なんといっても
健康と美容に関する自己努力は

続かないからなあ。私。
夫にも食べさせるから

続いているのかも知れない。
これで朝のルーチン作業が終わり、

出かける準備に取り掛かる。
2泊3日の福井は着物で行く。

昨日は
お土産も買ってきた。

何人の方と
お会いするか分からないので、

小さいお土産をいっぱい買った。
ロイズのクマのチョコとビスケット。

池田製菓の小さな豆菓子。
そして、

セントモニカののど飴と
アロマ入り手指消毒液。

こちらののど飴は
もうすぐウポポイで販売されるが

キハダという樹木の実を使い
小樽の100年位上続く飴屋さんが製造している。

白樺樹液も入っていて、
元気も出る。

で、
大きなキャスター付きスーツケースは

パンパンになったが、
夫が空港行きバスまで送ってくれたので

助かった!
前回空港行きのバスに乗ったのは

いつだったろうか。
本当に久しぶりだ。

アパホテルから出ている空港行きは
北都バスだが、

今は1日3本のみだ。
私が心配しても仕方がないけど、

北都バス、大丈夫かしら?と
気にかかる。

バスのお客さんは
半分くらいかしら。

窓の外は青空で
満開の桜も見えた。

早いなあ。

福井では
越前竹田にある築260年の

民家を訪れる予定だ。
今は山月荘という旅館になっていて

インタビューをさせて頂くのは
その再生をされた奥村繁子さんである。

民家と言っても
旅館になるくらいの大きさだから、

豪邸だ。

さて、

バスは高速道路に入った。
バスの高い席から見る景色も久しぶり。

早く気兼ねなく
日本中を回れたら良いのに。

と思っているうちに
空港に着いた。

では行ってきます!

TTMゆいの中野むつみでした。

旧暦のひな祭りに

TTMゆい中野むつみです。

今日は旧暦のお雛様。
というのを3月初めに知って、

我が家の紙雛を
『旧暦のお雛様まで飾ろう!』

と、
決めた。

我が家の紙雛は
義母が作ったもので

貰ってからかれこれ
35、6年経つと思う。

娘たちが巣立ってからは
飾ったり飾らなかったりだったが、

今年はとっても飾りたくなって、
結構早めに出した。

のだが、
3月3日が過ぎても

どうしても
しまう気がせず、

まあ娘はみんな嫁いだし。。
なんて思いながら、

どうしようかなあ。
と迷っていたら、

友人のFacebookで
旧暦のお雛様を知ったのだ。

よし!
その日まで飾っておこう!

そう決めたら
とても心が軽くなった。

まだまだ時間があるわ。
こんな気持ちも初めてだった。

お雛様の横には花を飾った。
小さなお雛様なのに

その存在感はちょっとしたもので
いつも家の真ん中に

存在している感じだった。
で、

今日いちにちでお雛様は
兜に替わる。

我が家には娘しかいないから、
兜はなかった。

義母が作ってくれた鯉のぼりと
子どもの紙人形が飾られるだけだった。

が、
昨年、

縁あって
山田祐嗣氏制作の

小さな兜を買った。

お雛様が鎮座している間は
なんだか兜を出しにくかったが、

昨晩、
兜と鯉のぼりの紙人形を玄関に飾った。

よくわかんないけど
なんだかほっとした。

義母は亡くなって
15年経つ。

義母は急死だったから、
全くの心構えもなく、

ある夜、
亡くなったと連絡が入った。

夫はもちろんのこと
私も全てを受け入れられず、

私の従兄弟の運転で
真夜中、釧路まで行った。

義母はすでに冷たくなっていた。

私は義母が大好きだった。
姑というより

仲良しのおばさんに
近かったかも知れない。

私にはない大らかさがあった。
私のドジを責めることは一度もなく、

辛い時には
相談にも乗ってもらっていた。

だから、
葬儀の間中、いっぱい泣いた。

うちの娘たちもたくさん泣いた。
夫はもちろん泣いた。

その後一人残った義父は
元気に一人で釧路で過ごしていたが、

それから4年後、
義母の元に旅立った。

義父も入院して数日で逝ったので、
私は義父母の看病をしていない。

よく
ポックリがいい。と言うけれど、

私はポックリは嫌だ。
誰にもさよならを言わずに、

ありがとうも言わずに、
楽しかった!とも伝えずに、

あっちに逝くのは嫌だ。
だって、

残されたものが悲しすぎるから。
諦めきれないから。

今年、
義母の紙雛を居間の真ん中に

今日まで飾ったら、
少し気持ちが落ち着いた気がした。

明日から子供の日まで
今度は義母の作った鯉のぼり人形を

居間の真ん中に
飾ろうと思う。

TTMゆいの中野むつみでした。