SNSもご縁の一つ!

人間は感動やら
自己の変化やらが
怒涛のようにやってくると
文章が書けなくなるらしい。

今年になってからの私が
そんな感じだ。

え?感動したら書けるでしょ?
そりゃあね、
感動だけなら書けるけれど、
そこに自己変化が加わると
筆は進まなくなるようだ。

でも、
そろそろ小出しにしないと
私に感動を与えてくださったみなさまに
申し訳がない。

なので、
振り返りつつ

ちょい出しを
始めようかな。。
なんて思っている。

その一回目が
全盲カメラマンの大平さん。

私はfacebookの友だちは
案外すぐにOKを出す派だったけれど、
ある時、
やばい!人と友達になってしまい、
それ以来、
知らない人とは
友だちにならないのだが、

この全盲カメラマンの大平さんだけは、
何か惹かれて友だち申請に答えた。

そしたら、
札幌で講演会をするので!
と言うお誘いが来た。

その時点で、
大平さんって誰だっけ?
の私。

でも、即効で、
行くことに決めた。

全て感である。

結果、
その講演会の空間は
明るくて
清涼感に溢れ、
私にとっては異次元だったが、
私はその時の気持ちを
すぐに言葉には
できなかった。

正確には
今も言葉にできない。

ただ最後に大平さんが言った、
『オーロラを見に行って、
シャッターを押した時、
撮れた!と思ったんです。
でも、自分が撮った空には
オーロラは写っていなかった。
角度が45度くらい違っていて。』
と言う言葉が、
心に残った。

大平さんは、
太陽の温かさ、風の触り、
樹々の声を元に
シャッターを切る。

大平さんは、
オーロラのエネルギーの元を
感じたのだと思う。

見える人は
光の美しさに釘付けになるけれど、
大平さんはエネルギーの元に
気がついたのだと思った。

私はなぜ即効で
この講演会に
行こうと思ったのだろう。

きっとこれから
その話の深さに
気づいていくような気がする。

大平さんは
全国を回られるそうです。

機会があれば
是非聴きに行って下さい。

真っ直ぐすぎるエネルギーに
心がドキドキしますよ!

一人酒?

TTMゆい中野むつみです

今日のミッション全て終了!
夫は会社の歓送迎会、
これは一人酒でしょう!

と、ホテルのバルへ。

まずは白ワインで。

美味しさも量も
最高!

さすがですね。
パークホテル。

そして、
私は一人酒が好きなのだと
実感。

ロビーにあった【本日の会合】
には、
娘が働く中学校の歓送迎会が
載っていた。

まさか母親が
同じホテルのレストランで
一人酒をしてるとは、
想像もしていないだろうな〜
と、思うと、
なぜか頬が緩む。

家族と住む家があり、
慕ってくれる娘家族がいて、
たくさんの仲間がいればこその
贅沢な時間。

仕事終わりに
ホテルのバルで
一人酒

癖になりそうだ。

エスコートランナーもインタビュアー

TTMゆいの中野むつみです。

今日は私のもう一つの仕事、
家ねっとのエスコートランナー役から、

夫婦と家について
お話をしようと思う。

私は今から12年前、
9名の仲間たちと、

【家ねっと】を作った。
家はうちと読む。

本当に安心な家づくりを目指して、
あえて、建築会社以外の人が、

エスコートランナーとして
施主側に付く有り方を作った。

初めてのことだから
あーだのこーだの

試行錯誤を繰り返しながら、
施主側と建築会社との

意思疎通を図ることを
最大の目的にして

エスコートランナーは
仕事をするが

そこでも私は
一種のインタビューを

経験することになる。
例えば、

今回5月のセミナーで発表する
山谷 恵美子さん宅の

リフォームの例では、
恵美子さんと亡くなったご主人との

若かりし頃からの愛を
垣間見せて頂いた。

恵美子さんは
70代に入ったばかり。

最愛のご主人を
数年前に見送った。

二人の子供が小さかった頃、
ご主人と恵美子さんは

一生懸命働いて
家を建てた。

恵美子さんは家への関心が強くて、
自分で設計図を書いて

それを元に
家を建てて貰ったそうだ。

もちろん、
プロが作るのだから

間取りはそのままだが
頑丈な家だった。

ただ、
恵美子さんが洋服を買う時は

必ずコーディネートを
されるくらいお洒落なご主人には、

その家は少し
物足りなかったようだ。

それでお二人は
もっともっと一生懸命に働き、

ついに
カナダから材を取り寄せた

超お洒落な家にリフォームを
されたが、

そのリフォームは
お洒落だったけれど、

現実の生活には合っておらず、
ご主人も恵美子さんも

悔いを残したそうだ。
ご主人がお元気なうちは、

『もう少し歳を取ったら
マンションに二人で移ろう』

と話をしていたけれど、
その後ご主人は大病をされ

長い闘病生活の末、
亡くなった。

恵美子さんは
そのリフォームの悔いから

家ねっとを立ち上げるときに
仲間に入っていた。

ご主人が亡くなってから
恵美子さんは、

『マンションには移らない。
夫と暮らしたこの家で

最後まで暮らしたい』
と、思い、

昨年、
家ねっとに

そのリフォームを依頼してくれた。
エスコートランナー役は私だ。

建築会社は
榎本建設。

アドヴァイザーは
榎本麻子さんだ。

恵美子さん、榎本麻子さん、
そして私の3人で、

山谷 恵美子宅で
聞き取りを行った。

そして、
大体の希望を聞いたあと、

榎本麻子さんが言った。

『できるだけ、
残せるところは残しましょう』

そして
工事は始まったが

二回目の山谷邸訪問時、
私はそこに若かりし頃の

恵美子さんとご主人の姿が
見えたような気がした。

恵美子さんは若い頃から
スタイルが良くて

フレアースカートが
よく似合っていた。

その上にコートを羽織り
ハイヒールを履き、

これまたお洒落な
トレンチコートを着たご主人の横に

恵美子さんは立っていた。
愛と尊敬と安心感の眼差しで。

私は、
榎本麻子さんの言った、

できるだけ残しましょう!
の意味は深いと思った。


二人で築き上げた家庭と
その象徴の家。

ご主人がいなくても
ご主人を感じて住まえる家。

リフォームが終わり、
家ねっとのみんなで内覧に行った日、

山谷 恵美子さんは
幸せそうだった。

ご主人も
残念がっていた前回のリフォームの

負の部分はなくなり、
幸せに変わっていた。

『未来が明るくなった』と、
恵美子さんは笑っていた。

このリフォームの模様を
セミナーでお話しする。

もちろん、
具体的なリフォーム写真、

金額などもお教えする。
家は家族の有り様を

歴史を見てきた大事な宝。
家族で作ってきた愛を

この家に残したいと
お思いの方、

是非セミナーにおいでください。
あまり類を見ないセミナーですが

心が温かくなって
今の家に住み続けることも

考えられるようになるかも
知れません。

お申し込みは
http://www.uchi-net.org/contact/
まで

家ねっとエスコートランナー役、
そして
TTMゆいの中野むつみでした。

お別れ

TTMゆいの中野むつみです。

先週末、
父方の叔母が亡くなった。

92歳。

とにかく明るくて
前向きな叔母だった。

父には7人の妹がいた。
樺太の豊原で

黒住教の神社の
神主をしていた祖父、

跡取りの息子は
一人産まれたけれど、

あとはみんな女の子。

どんな気持ちだったのかな?
といつも思っていたけれど、

叔母の通夜の席で
従姉妹が写真を見せてくれた。

樺太の時の写真だ。
一人目に産まれた女の子は

肺炎で亡くなり、
そのあと産まれた叔母たちと

父、祖父の写真だ。
何故祖母はいつも

映っていないのだろうと
思ったが、

きっと次から次に
お腹に子どもがいて

それどころでは
なかったのだろう。

でも、写真に映る祖父は
幸せそうだ。

父も叔母たちも
安心した顔をしている。

このあと、
終戦になり、

父の家族は
樺太から引き揚げてきた。

亡くなった叔母、
『けいこばちゃん』は、

中々の文学女子で
川柳、短歌を嗜み、

また、
戦争体験の語り部をすべく、

Twitterで
引き揚げを語っていた。

最も、
スマホの操作は

従姉妹がしていたらしい。
けいこばちゃんが語り、

従姉妹が打つ。
そのTwitterも

従姉妹が私に送ってくれた。
そこには私の知らないことが

いっぱい書かれていた。
父の運の強さも語られていたが、

父は引き揚げのことも
戦争中のことも

辛いこと
怖いことは

何一つ家族に
言わない人だったから、

父の知らなかった側面を
見た思いもした。

けいこばちゃんも
戦後たくさんの苦労をした。

夫には早くに先立たれ、
女手一つで

二人の娘を育てた。
今で言う看護助手をしていた。

けいこばちゃんは
美人姉妹の中でも

飛び抜けた美人で
若い頃の写真は

女優さんのようだったが、
もちろん自分でも

よくそれを知っていて、
いつも化粧はバビっとしていた。

それは今回の入院まで続き、
化粧をしないと

ゴミ出しもしなかった。
『だってむっちゃん、

汚いばあさんの顔は
見せなくないでしょ!』

と、
笑って言っていたけれど、

絶対自分のことを
汚いおばさんだったとは

思っていなかったと
思う。

叔母の遺影は
叔母が決めていたそうだ。

従姉妹に
『私が何歳で死んでも

この写真を使うように』
と言っていた写真は、

68歳の時のもの。
お寺さんも思わず、

『ずいぶんお若い時の
お写真のようですね』

と、
漏らしていた。

どんなに辛い時も
ユーモアを忘れず、

化粧をし
美容院に行き

おしゃれを楽しんだ叔母、
最後はおくり人によって

美しく化粧をして貰い、
花に囲まれ、

自分が読んだ川柳一枚と共に
あちらの国に旅立った。

今頃
父母兄姉妹と

楽しく団欒していると思う。
ありがとうね!

寂しいけれど
叔母の愛を感じて

送り出せたお別れだった。

TTMゆいの中野むつみでした。

40年後の自分!

TTMゆいの中野むつみです。

先日、
『20歳の時の夢が現実に!』

というCMみたいな話を
友人から聞いた。

彼女の名前は井田さん、
オホーツクのサロマで

逞しく
美しく生きる女性だ。

井田さんは20歳の時
『年金手帳』を始めて貰い、

年金を受け取る60歳の自分を
想像したそうだ。

『私はね、太ったおばあちゃんで
たくさんの子どもや孫たちに囲まれて生きる

肝っ玉かあさんが浮かんだの』
井田さんはそう言って笑ったが、

あら!それ想像通りじゃない!
太ってはいないし、

おばあちゃんではないけれど、
3人の子供たちと多くの孫に囲まれて

忙しく
肝っ玉いっぱいで生きているじゃん!

私がそういうと、
彼女は『ホントだ!』と言って、

ケラケラ笑った。

よく自分の未来は
自分で作っているって言うけれど、

本当にそうかも知れない。
今、井田さんは、

40年後自分が
この世から旅立つ時のことを

夢見るのだそうだ。
たくさんの本に囲まれて

ロッキングチェアに座って
旅立つ。

なんかロマンチック!
幸せな笑顔も浮かぶなあ

で、
そのために

これからの40年間をどう生きようか
模索中だそうだ。

素晴らしいなあ!
私の尊敬する稲盛和夫さんは、

『夢がカラーで見えるようになると
実現する』

と仰っていたっけ。
確かに井田さんが二十歳で見た、

60歳の井田さんの姿は
カラーだったと思われ、

ロッキングチェアの姿もカラーだから
これは実現しそうだ。

で、
私はどうお?

と考えた。
私の場合、

旅立つ時の姿は
確定!している。

病院なのか
自宅なのか
老人ホームなのか

はわからないが、
ベッドの周りに

多くの家族友人たちが集まっていて、
『あれ?まだK君来ていないの?』

とか言って
最後の挨拶をみんなとしたいと

待っているのだ。
私は【人】が大好き。

学生時代も多くの友人たちと
何かをしていた。

【人と何かを作り出すのが好き】

そうすると
周りにいっぱい人がいて

楽しい!
手を繋いでいく様が

好きなのかも知れない。
結局その手を繋ぐ様を

インタビューという仕事に
してしまった。

今もう一つ
手と手を繋ぐことで

仕事をしようと模索中。
よほど人が好きなようだ。

さてさて
私の旅立ちのとき

子どもたちや孫たち家族の他に
たくさんの友人たちが来てくれるように

ただいま
若い友人たちを拡大中!

だってさあ
そうしないと自然減が

あるじゃあないですか!
あ、誤解のないように!

年上の友人たちも拡大中!

68歳になって
新しい人間関係を作るって

本当に面白い!
明日はなんと!

22歳の美女と女子会です♪

さあて
40年後愛ある家族や友人たちと

楽しい時間を作れるように
今を楽しく積極的に

生きようと思っている。

TTMゆいの中野むつみでした。

新しい出会いから

TTMゆいの中野むつみです。

自分が人見知りなのは
知っていたけれど、

それって
結構損な性格なのだなあ

と、自覚し始めた昨今。
え?むつみさんが人見知り?

とてもそうは見えませんよ!
と、よく言われるが、

『役』がつくと
役者になれるので、

色々な方々と繋がれるし
話もできる。

が、それでも
負担感は拭えなかった。

それがインタビューを始めて、
一定数を超えると

行き詰まり感を覚え、
あと一歩前へ!

となった時、
自分の中にあった、

『あの人には声をかけにくいなあ』
という消極的姿勢と

向き合わなければならなくなった。
うーん、、、

まあなんですね
自分に自信がないのですよ。

私なんかが声をかけても
きっと無理、、的な心の声が

聞こえ、
いやいやダメでもいいじゃん!

と、思い切って声がけしたら
意外にすんなりインタビューを

引き受けてくださって
そこからまたご縁が広がる。

なんだかそんな感じに
今なってきて、

68歳にして
また殻がむけてきた感じなのだが、

その殻が剥けた一つが
先日行った佐藤敦子先生の

【こころしぐさ講座】

そもそもは
2月に行ったランチセミナーが

始まりだ。
私の中には何故か

『美しくなることへの抵抗感』が
あった。

それがインタビューで、
美容業界の方々のお話を聞くうち、

『女性が美しくあろうとすることは
何も問題はない』と思うようになり、

この元気いっぱい
美しくなるエネルギーの塊的お3人の

セミナーに出かけることに
したのだ。

その時私は
佐藤先生が渡してくださった、

【日本料理の頂き方を通して学ぶ
こころしぐさ講座】

の案内にとても惹かれて
すぐに申し込んだ。

そして当日の4月2日、

この【日本料理の頂きかた】を通して
若い素敵な女性たちを

知ることができた。
『今のこの時』を知るには

若い方々と
友達になるのが1番だ。

だって
生の空気感を知れるでしょ?

それも色々な方々と
お話ができるのが嬉しい。

この日お会いした女性たちは
みなさん着付け師だった。

着物を愛してやまない方々で、
それを仕事にされていた。

主婦をしながら
着付け師をされる方も居られれば、

他の仕事をしながら
着付け師を副業とされている方も

おられた。
そこには、

今の時代の女性の働き方も
見え隠れして面白かった。

もちろん
着物への愛が

若い世代に引き継がれているのも
嬉しかったけれど、

新しい着物の着方への
挑戦も話されて

自分の着物感も
少し厚みが増した気がした。

私はこれだ!と思うと
とことんやってみるタチだ。

坂東眞理子さんの
『思い込みにとらわれない生き方』

に強く共感したので
自分の中にある思い込みを

ただいま一生懸命に払拭中。
そうすると本当に新しい出会いが

やってくる。
こころしぐさでお会いした皆様

これからもよろしくねえ〜

TTMゆいの中野むつみでした。

気持ち新たに!

TTMゆいの中野むつみです。

iPadを新しくした。
が、色々わからなくて

当面2台のiPadを持って
動くことになった。

やれやれ
だけれど、

私の相棒で応援団の
マッシュネット工藤清治さんに

泣き付いたら、
なんたらを増やしてくれて

そーしたら
新しいiPadで書いたものを

古いiPadに
コピーできることを知り、

よし!ならば
新しいiPadでブログを書こう!

と、ただいま挑戦中。
まあそんなに

大袈裟なことじゃあないでしょ!
と思う方は、

大文字小文字ひらがな変換
全角半角がすんなりわかる方。

私の場合
よくわからないけれど、

なんかできるようになって、
なので機械が変わると

微妙に表示が変わり、
結構挑戦心がいるのだ。

で、ブログを書こうとしたら、
パスワードがわからない。

機械が変わると
パスワードがいるようになるの?!

それは困った!
で、また工藤さんに聞く。

基本的に人頼み。
流石にこれはまずいなあ

とやっと気がついて
教えて貰ったパスワードを

手帳にも写した。
よし!これで書けるぞ!

何を書こうかな
と、

古いiPadで
facebookを見たら、

あ、そうなのです。
facebook、LINE、メッセンジャーが

新しいiPadでは
まだ使えないのだ。

あら、ごめん、
で、古いiPadで

facebookを見たら
6年前の投稿が出てきた。

私が整形的一病息災で
入院した時のものだ。

ホント
よく大病したなあ

でもお陰様で
今では病院との縁も切れ

元気いっぱいに
日本中を飛び回れるようになった。

そして
着物を日常的に着られるようにも

なった。
というか、

洋服より着物が楽だ。
今日のような休日は

二部式と呼ばれる
ノー帯。

楽〜

そして
今月のちょっと正装の日は、

春らしい装いにする。

洋服だったら
明るいスーツくらいの感じかな。

今日から学校は新年度
なんとなく新しい気持ちになる。

入学や就職で
新人があふれる季節

いいな
素敵な季節だ。

今朝起きた時
窓の外は曇りだったけれど

そのうち雲の向こうに
朝日が出てきた。

そうだよね
お日様が消えることはないのだ。

曇りでも
嵐でも

必ず
雲の向こうには

お日様がいる。
そうだよね。

夜だって
地球の向こう側は昼だものなあ

明けない夜はない。
別に大きな悩みが

あるわけではないけれど、
朝の曇りはちょっとだけ

気持ちが晴れないのかな。
なんて思っていたら

青空が広がってきた!
古いiPadでパチリと撮った。

新しいiPadは
変換スピードが少しだけ

早くなった気がする。
さーてと

しばらくは
2台のiPadを持ち歩き、

腕に筋肉をつけるかな。
何事もポジティブに!

は、
むつみさんの取り柄だなあ

TTMゆいの中野むつみでした。

昔より野菜を食べてないなんてある?

TTMゆいの中野むつみです。

もしかして、
それって思い込み?

みたいなことって
あるかも知れない。

と、気がついたら今日だった。

本日は午後から
有限会社水戸青果さんの

取締役水戸まゆみさんと
息子さんで代表取締役の

水戸康人さんの
インタビュー本番だった。

水戸青果さんは
43年続く八百屋さんだ。

もっとも今は
野菜や果物の卸業が多いが

札幌駅にできた北海道マルシェに
定期的に出店している。

ご縁は面白いもので、
今年の1月、

まだ水戸さん親子とは
知り合っていない時

私はこのマルシェを訪れ、
水戸青果コーナーにあった野菜チェック機で、

自分の野菜足りてますか?
チェックをした。

結果は足りていません!

うーん、そうかもなあ、

少食だし
飲むの好きだし、、

と思っていただけだったが、
今回のインタビューで

まゆみさんが話したコトに
えらく考えさせられた。

水戸青果さんは
昔は市場の中で営業をしていた。

義父母とご主人と共に
まゆみさんも店の中に出ていたし、

伝票などもされていたそうだが、
その時の感じから、

『昔の方が野菜や果物を
みなさん食べていた気がする』

と、
仰ったのだ。

私は昔看護婦だったから、
『みなさん野菜を摂りましょう!』

と患者さんに言っていたし、
自分は野菜サラダを

毎日ボールにいっぱいたべていた。
肉は食べなくてもサラダは食べた。

でも、よく考えたら、
両親祖父母の時代は

肉や魚よりも
野菜の煮付けが食卓に

多く乗っていた気がする。
まゆみさんはインタビュー後、

『今は色々な野菜が増えて、
なんとなく食べてる気がしたり、

ヨーグルトを食べましょう!
あれもこれも食べましょう!

と、なっていて
食べなきゃあならないものが

増えたんではないですか』
とも仰った。

そうかも知れない。
そして挙句、

薬を飲みましょう!
サプリメント摂りましょう!

となった気がする。
人間に歯があるのは、

食べ物を食べるためだから、
本来は

食べることで栄養が賄えるはず。
ん?なんかおかしくないか?

と言うのが
今の心境。

私の食事量は
かなり少ないので

私を基準にはできないが、
普通に

タンパク質や野菜を食べていたら
元気に生きられるはず。

なのに
野菜が足りていなくて

サプリメント。。。
おかしいなあ

何が問題だ?
と頭の中はぐるぐる状態だが、

まずは皆さま

自分の野菜足りていますか?
チェックを6月になったら

サツエキマルシェ
水戸青果でやってみて〜

あ、足りない🟰サプリ
はなしで、

売り子の水戸まゆみさんに
何を食べたら良い?

と聞いてみて!
そうなのですよ〜

まゆみさんは
市場時代の経験を活かして

マルシェで
声出し売り子をするのだ。

これぞ本当のマルシェ

自分の健康はまず食から!
よし!野菜をいっぱい食べて

6月は野菜足りてます!
になると決めた!

TTMゆいの中野むつみでした。

旭川と言うまち

TTMゆいの中野むつみです。

突然ですが、
地域で生きるって

どうゆうことなんでしょうね?
ホント、突然ですが。

先週、私はインタビュー本番で
旭川に行った。

インタビューを初めて3年、
旭川にご縁を頂いて通っている。

定宿は扇松園。

こちらのお宿は正真正銘の

地元企業だ。
地元の旅館業としては

残念ながら一軒だけに
なってしまった。

今の女将の祖父母の代に始まり、
父母の代で高砂台に移転し、

名前を扇屋から
扇松園に変えたが、

扇屋時代から、
旭川に出張してくるお役人さんや

様々な方々が広く全国から
定宿として泊まっておられたそうだ。

扇屋の心のこもった接客は
本当に素晴らしく、

ここらあたりは
ゆいトークの初めの方で

3回に渡り、
インタビューでお話をして貰ったが、

きっとその精神が
今も生きているのだと思う。

こちらの宿には
そば扇と言うそば居酒屋?があって、

私はいつもそこで夕食をとっているが、
先週は定位置の席が埋まっており、

初めてリフォームをしたばかりの
奥の席に入った。

以前は畳で
テーブルが6卓くらい

置いてあっただろうか。
そこが椅子席になっていたが、

なんと一番奥が板敷で
不思議な感じの席だった。


『変わった席だね』
と、スタッフに聞いたら、

『小さい子連れの方が
ここで子どもを遊ばせたり、

子ども用椅子を置いて
食事を食べさせたり

できるように考えました』
と言う答えが返ってきた。

なるほどねえ

席数が減るが
お客様の使い勝手を優先したようだ。

食事が終わり
ロビーに行くと

五月人形が飾ってあった。
立派だ。

このロビーからは
二つの滝が見える。

先代が
どうしても作りたいと

自力で作り上げた庭園と
滝だ。

本当に自力、
自分で機械を動かして

土地を掘り庭石を置いたそうだ。

確かに建物は古くなっているが
よくわからない落ち着きがある宿だ。

空気が違うのだろうか。
そんなことを感じながら

ゆっくり休んだ翌日、
2階の廊下で

興味深い看板を見つけた。
【三浦綾子記念文化財団理事会】

三浦綾子は
旭川が生んだ作家で

今でも根強いファンがいる。
三浦綾子記念館もあるが

この財団が運営しているのだろうか。
時間が近づくと

旭川の知的集団とも言えるような方々が
集まってこられた。

みなさん、
転勤族ではなく

長く旭川で暮らし
生きてこられた方々だ。

私はその方々に
何気なく会釈しながら、

不思議な感覚におそわれた。

旭川で
三浦綾子さんはまだ生きている。

人口30万人の中堅都市旭川
文化とデザインのまち

そこで生まれ育った人や
企業しかわからない感覚が流れていた。

旭川そのもので
物語を作れそうな気がした。

TTMゆいの中野むつみでした。

ご縁ってすごい!

TTMゆいの中野むつみです。

人のご縁は
繋がっているのだなあ

と感じる昨今だが、
今日事前インタビューでお会いした

広山智津さんとのご縁は
本当にびっくりした。

智津さんと
初めてお会いしたのは、

69回目のゆいトークに
出演くださった鈴木美千代さんの

ランチセミナーで
偶然席がお隣同士だったこと。

私は智津さんが
有名な方だとは露知らず、

インタビューを申し込んだのだが、
智津さんはすぐに受けてくださり、

Facebookで友達になった。
すると、

共通の友人が多いことに
二人してびっくりしていたのだが、

本日、
事前インタビューでご自宅に伺い、

もっとびっくりすることになった。
それは智津さんが

野口染舗さんのお嬢様だと
知ったからだ。

野口さんは
札幌の老舗染物店だが、

以前こちらのお店に伺った時に
素晴らしい刺繍を見せて貰った。

それは創業者の奥様、
野口幸子さんの日本刺繍だった。

その時、私は
幸子さんのインタビューを

させて欲しいと思ったが、
幸子さんはご高齢で

ご家族から
『ちょっと難しいと思う』と

言われていたのだ。
なので、

智津さんが
幸子さんのお嬢さんだとわかり、

すぐに『お母様はお元気ですか』
とお聞きした。

智津さんは
『母は昨年亡くなりました』と仰って

私に一冊の
写真集を見せて下さった。

幸子さんの
写真家のお孫さんが作られた

刺繍作品が載った写真集だった。

あの時
幸子さんのインタビューをしたいと思い、

今日、
その娘さんのインタビューを

偶然することになる偶然なんて
あるだろうか。

智津さんのお話は
お父様とお母様幸子さんが

京都から北海道に
渡ってくるところから
始まった。

その時、
お母様幸子さんのお腹の中には、

智津さんがいらしたそうだ。

『津軽海峡を渡ってきて
知恵のある子に育つように』

との思いを込めて
名付けられたそうだ。

智津さんのお父様は
京都の方で、

京都で染色を学び
水の良い札幌の地で
家業を花咲かせ

その織物にお母様が
和刺繍をされるようになり、

それは素晴らしい価値を
生んだとお聞きした。

実物は野口染舗さんでしか
見られないが、

それは手にするのが
憚られるほどの芸術作品だった。

そうですか
幸子さんがお母様でしたか。

不思議な感動が
私の胸に湧き上がった。

智津さんは
本当に心がまっすぐな方で

『心のシャッターが全くなくて
360度まるあきで、

恐れることなく
行動されるんですね!』

と私が言うと、
『そうですか?』と笑っておられたが、

先入観を持たないので
人が難しいと思うことにも

挑戦ができるのだなあ。
と感じた。

え!何が?
とお思いでしょ?

それは
本番をご覧ください。

その時は
幸子さんの刺繍も

お見せいただけるそうです。
楽しみ〜

TTMゆいの中野むつみでした。