師走に入り思うこと①

TTMゆいの中野むつみです。

今年は、
人生初!が多かった。

いえ、コロナのことでは
ございません。

私のこと。

まず、
着物を着られるようになって、

日常的に着物生活になったこと。
毎日、

叔母や祖母の形見の着物を着ていると、
心も体も柔らかくなっていく気がする。

まあそうだよねー
昔の着物は、

正真正銘
人の手で紡がれて織られたものだから、

優しいのだ。
そして、

その着物姿で
インタビューをたくさんさせて貰った。

65歳にして、
インタビュアデビュー。

人様のお話を聞かせて頂くのだから、
その度に私の心が磨かれていく気がする。

秋からは、
能の謡も習い始めた。

こちらも心の世界。
どうも今年は、

心がテーマだったようだ。

もしかしたら、
コロナで、

浮き足立った世界から
内面の静かな世界へ

気持ちが切り替わったのかも

知れない。
札幌は街中が沈んでいると

感じるのは私だけか。

クリスマスが近いのに
ジングルベルも鳴らず、

ボーナスでお買い物に出るのも
気が引けて、

こそこそ出かける感じだ。
自分も街中を歩いているのに、

『どーしてこんなに人がいるの?』
と思うのだから、

きっと
出かけている自分自身をも、

どこかで責めているんだろうな。
なんて考える。

で、
次の人生初は、

クリスマスリースを
買ったこと。

え?そんなこと?
ですが、

私にとっては
初なのだ。

基本的に
家を飾るセンスはなく

埃を被るものは
置きたくない。

ツリーは
子どもたちが喜ぶから

大きなツリーを買っていたけれど、
夫婦二人では

中々置く気になれなかった。
まあいいか、どーせ二人だし。

的な気分だったのだが、
新潟に住む高校のクラスメートの情報で、

完全生物、
手作りリースがあることを知り、

迷わず買うことにした。

さて、
届いたらどこに飾ろうかな。

と、部屋を物色。
マンションの玄関ドアでは、

木の香りを楽しめないし。
で、

居間の
神仏混合柏手パンパンチーン!

のところに
飾ることにした。

我が家には
神棚はあるが

仏壇はなく、
でも、神道の実家の御霊さまは

実家を取り壊す際、
我が家に転居して頂いたので、

いっぱいおられ、
義父母の写真や

叔母達の写真の前に
お燐を置いて、

毎朝、
柏手パンパンお燐をチーン!

が、
習慣なのだが、

私の亡くなった友人の中には
クリスチャンの方もいるので

このリースを飾ったら
その友人たちも

やってきてくれる気がした。

全て生だから
りんごも生。

香りは強くないけれど
静かに体の中に吸い込まれているようで

心が落ち着いてくる。
そっかー

クリスマスは
キリスト誕生の祝いだった。

静かに
平和で安心して暮らせる世界を

願う日だった。
リースを見ていて気が付いた。

よし!
たまには落ち着いた年末も良かろう!

リースを作ってくださった
横浜の矢島様、

ありがとうございます!

師走は感謝の月のようである。

TTMゆいの中野むつみでした。

旭川に行って。

TTMゆいの中野むつみです。

本日は、
旭川市にある、

日新運輸株式会社代表取締役社長
森俊一さんのインタビューだった。

地域に根ざした運輸会社だ。
53歳の森さんは、

明るくて優しく
粘り強い方だった。

面白いのは、
中学生の友人たちは、

当時のツッパリ。
でも、ご自分は

ごく普通の真面目な中学生。
多分、

森さんの人をジャッジせず、
ありのままを受け入れる人柄が、

ツッパリ中学生にとって、
気持ちが良かったのでは?

と、思ったが、
その森さんの性格は、

菅原文太ばりのトラック野郎の会社が、
綺麗な感じの良い、

仕事ができるトラックマン会社に
変わっていくのに、

大いに役立った様に
思われたが、

詳細はアップされたら
ご覧ください。として、

今日は、私が感じた
今の旭川の街の様子を

お話したいと思う。
札幌もコロナ感染者数が

全国ニュースを賑わしているが、
旭川も負けず劣らず、

その名を全国に響かせていて、
想像はしていたけれど、

旭川はそれ以上の
静けさだった。

さんろく街と呼ばれる繁華街では、
三桁の店舗が廃業や撤退をしたそうで、

その話をしてくれた
タクシーの運転手さんも、

大変そうだったが、
『個人タクシーだから、

千円でも売り上げになればと、
夜中まで車は走らせています』

と、言っておられた。
が、

夕方5時でも、
駅前は人もまばら。

買い物公園の
イルミネーションだけが

青白く感じられた。
泊まった扇松園さんには、

あさひっぷ?を利用しての、
旭川市民の宿泊者が

何組かいらした。
旭川市独自の補助金で、

非常にお安く宿泊が
できるようだ。

それでも、
お客様は少ないから、

夕食場所のお食事所を含めても、
私が旭川で会った人は、

本当に数名。
JRも縦横斜め、

誰もお客が座っていないから、
こりゃあ札幌よりも

密にならない。

旭川は33万人都市だから、
小さな街ではないけれど、

それでも、
コロナの打撃は

札幌とは、比べ物にならないと
思った。

インタビューを受けてくださった森さんは、
北海道中小企業家同友会道北旭川支部の

支部長さんも務められている。
この会には、

様々な職種の中小企業が集まって、
良い経営とは!と学ばれているが、

都市も企業も一緒で、
大企業には小石程度の打撃でも、

小企業にとっては、
潰されるほどの岩が落ちてきた感じに

なるのだなあ。
と思った。

それでも森さんは、
コロナのせいにせず、

真摯に課題に取り組んで
次の一手を打たなくては。

と仰っていた。
本当にそうだ。

コロナで全国全道の行き来が減り、
連携がしにくくなっているけれど、

今こそ、いろんな手段を使い、
都市間、地域間の連携が

必要なのでは?
なんて、

真面目に考えた旭川だった。

TTMゆいの中野むつみでした。

要は、反省。。。

TTMゆいの中野むつみです。

整形的一病息災から、
3年半がたった。

原因は骨粗鬆症で
『こんな数字、見たことないよ』

と、医師に言われ、
結局、

高価な注射を
することになった。

が、
基本は食事だから、

本日も看護師さんから
指導を受けたが、

今日の看護師さんは、
中々の人だった。

『病院に来て数字を見ると
頑張ろうと思うんですが、

続かないの。
うちには飲みかけのスキムミルクも

目の前にあるんですが』
と、私がショボーンと言うと、

看護師さんが言った。

『毎日取ろうとすると、
続かないんですよー

ほら、週に1、2回取るだけで、
点数は上がってくるでしょ?』

確かにそうかも知れない。
今までも、

牛乳、ヨーグルト、
小魚、大豆、etc。

毎日頑張るが
一定まで来ると

飽きるのだ。
第一、食に興味が薄い。

その看護師さんの一言で
俄然やる気になった。

よし!
週に1、2回なら

挑戦できそうだ。
今日の結果も、

私的には、上がった!
だったが、

先生的には、
変わってないですね。

だったから、
少しずつがんばろー

で、
昼ごはんは、

えぞっこラーメンの
塩ラーメンと

杏仁豆腐にした。

この杏仁豆腐は
手作りだ。

杏仁も体に良い。
私の場合、

まず食べることが
大事だから。

明日は、
旭川でインタビュー本番があり、

今夜は、
旭川の扇松園さんに泊まるので、

カルシュウムを意識して
一品料理を頼むとしよう。

今時、
移動には気を使う。

マスクは三重にした。
え?だが、

先日、
マスクは不織布じゃあないと

効果がないと知り、
でも、それじゃあ皮膚が荒れるし、

どーもおしゃれじゃないし。
で、

三重になったのだが、
寒いので今のところ、

苦しくはない。
あんなに嫌いだったマスクも

今は3枚もつけられる様に
なるんだから、

習慣て
すごいなー

と思いながら、
JRに乗った。

ら、
札幌は雪がなかったのに、

あっという間に
真冬に世界になった。

この写真は美唄だけど、
完全に冬だ。

旭川はどんなことに
なっているのだろうか。

北海道は広いと
つくづく思う。

札幌駅周辺には
結構人がいた様に思う。

コロナは思いの外
長く居座っている。

仕事をせずにいるわけには
行かないから、

まずはよく食べ
よく寝て

しっかり免疫力を
つけるしかないか。

そうそう
昔看護婦の知識を言うと、

副交感神経が優位な方が
風邪をひかない。

リラックスした状態だ。
ただし、

交感神経を
長く張り詰めさせて、

ホッとして
副交感神経優位になると、

てき面風邪をひく。
なんて理屈は知っていても、

これができないのよねー

とは言え、
もう少し食事に興味を持とう!

と、
同じ反省を繰り返す私だ。

TTMゆいの中野むつみでした。

会えない時間は?

TTMゆいの中野むつみです。

コロナって
不思議だなあ。と、

思う。
私は、コロナ禍が始まり、

そもそも人間とは?
を問われている気がするが、

今の若者たちは、
コロナを機に、

なぜ生きるのか
どう生きるのかを

真剣に考える様になり、
職業選択についても、

以前より深く考える人が増えたと、
本日、人材採用のスペシャリスト、

リージョンズの高岡社長の
zoomセミナーで聞いた。

この仕事は、
将来に置いても存在するのか?

みたいな不安を持ちながら、
職業を選ぶ時代になった様だ。

本当に、
色んなことの矛盾が噴き出て、

本来の人間の姿、生き方が、
炙り出されている様に、

私も思う。
ので、

例えば、

本州に住む娘家族と
会えなくなる意味は何か?

とか、

国外に、
自由に行き来できなくなる意味は

なんだろう?
なんて考えたりする。

うちの母親は、
戦後すぐに岡山から嫁いできた。

父は頑張って
一年に一回は、

母親を連れて
岡山に帰る様にしていたが、

岡山を去る時、
岡山駅のホームには、

母の姉妹がずらりと並び、
全員大泣き。

母親は、
汽車のデッキに立って、

汽車が出発しても
これまた大泣き。

いつも父は私に、
『お母さんを呼んでおいで』

と言って、
私に呼びに行かせた。

電話もない時代、
今度いつ会えるかわからない。

なんとなく
小さかった私にも

その母の気持ちは想像できたが、
本当に理解できたのは、

今かも知れない。

愛知や長野に住む娘たちには、
年2回は会っていたし、

娘たちが学生時代でも、
何かあればお互い行き来をした。

携帯電話で
メールもできるようになり、

それでも、
『どこでもドア!が欲しい』

なんて言っていたけれど、
今は、いつ会えるかわからない。

特に長野に住む次女は、
仕事柄、北海道の人に会うのは

厳しいらしい。
いくらLINEをしても、

チャットをしても、
会えないと思うと、

満足感が出てこない。

ホームにいる母親には、
また会えなくなった。

アルツハイマーで、
記憶はすぐなくなるけれど、

会えない寂しさの蓄積はできるのだと、
前回の5ヶ月間の面会禁止でわかったので、

今回は、週一回は、
メッセージ付きのお菓子を届けている。

で、
もう一つ思うのが、

親が子に会えない方が、
子が親に会えないより寂しいのだ。

ということ。
もちろん、

子どもが成人してからのことだが。

まあそれでも、
生きてさえいれば

いつか会える。
その時を待って

一所懸命に生きる。
ってことなのだろうか。

そうか!
もしかして、

一所懸命なのかも!

なんて自らを励ましつつ、
会える人たちとの時間を大切に

生きなきゃあ
なんて思っている。

TTMゆいの中野むつみでした。

恥ずかしくもお能の世界に足を踏み入れて

TTMゆいの中野むつみです。

インタビューの面白さは、
お話をしてくださる方の

人間性を感じるところに
ある気がする。

有名な方も
そうでない方も

さまざまな人生を歩まれて
今のその方がおられる。

なので、
どなたのインタビューが終わっても

私の心は
温かくなり、

頭の中は
スッキリするのだが、

先週の金曜日に
インタビューの本番をさせて頂いた、

能楽師角当行雄先生のお話は
そのお人柄というのか、

人間性の素晴らしさが
そのまま感じられ、

インタビュアーの私が
一番幸せなひと時を貰ったような気がする。

私はお能については
中学生レベルの知識だが、

そんな私を呆れることもなく、
真摯に対応をしてくださった。

私だけではなく、
全ての人をそのまま受け入れるというか、

批判したり
評価したりは、

けしてしない方なのだ。

ありがたいことを
ありがたいと

そのまま受け入れる姿に
そばにいるだけで

私の心は
柔らかくなった。

インタビュー本番の場所は
札幌の料亭川甚さんを

貸して頂いた。
美味しいお昼ご飯を食べた和室で

インタビューを開始した。
お弟子さんたちがギャラリーだ。

あえて
床の間を外し、

庭が見える背景にした。
角当先生の優しさを表現したかった。

お話の内容は
インタビューを見て頂くとして、

お能の精神性というか
心の表現は、

謡う人、
舞う人そのものに現れるのだと

先生から感じることが
できた。

インタビューが終わると
先生のお稽古が始まった。

私も、
65歳の手習で

先生の前に座った。
次の日もお稽古日なので、

嫌なことはさっさと済ませよう!
と、

はい!中野です!
と先生の前に座ったのに、

謡い終わったら、

『中野さん、
明日はこことあそこに気をつけて、

最後まで歌いましょう』
と、先生が仰る。

え?明日もお稽古をするの?!
とも言えず、

ニコッと笑って頷いた。
でも、

その夜はお稽古が出来ず、
翌朝、

一夜漬けならぬ浅漬けで、
もう一度先生に聞いて頂く。

ホント、
謡とは程遠い唸り声なのに

先生は馬鹿にもせず
真剣にご指導くださり、

いやはや
なんという道に入り込んでしまったのか。

引くに引けず。
だって、

あまりに先生が
真剣に真摯に教えてくださるから。

そして、
お稽古の後は

川甚にて
角当先生のお誕生会を

催した。
カウンター席を貸切にしての

誕生会。
感染対策もしっかり行われ、

カウンターの前には
アクリル板があるため

お料理は
仲居さんが一人一人に

運んでくださる。
新人の私とKさんは

先生の横に座らせて頂いた。
が、

周りの人に
強い緊張感を与えないのが

先生の凄さだ。
何事も極めた方は、

仏のような人間性をもたれるのだと、
聞いたことがある。

まさしく
そういうことなのだと実感した。

お能のお稽古は
人間磨きのようである。

TTMゆいの中野むつみでした。

朝日を見ながら

TTMゆいの中野むつみです。

人生って
本当に面白い。

私は、昔看護婦をしており、
14年くらい働いた。

自分で言うのもなんですが、
いわゆるできる看護婦で、

できるお医者様方からは可愛がられ、
そうでない方たちからは疎まれていた。

まあ
生意気だったのだ。

病は気からなんて嘘っぱち!
病は、

外部環境と生活習慣から生まれ、
気持ちは関係ない!

魂なんて存在しない!
と、思っていたが、

その割には、

患者さんが亡くなって
霊安室に一人で行くのが怖かった。

それが、
看護婦を辞め

畑違いの仕事につき、
お付き合いする方々も変わり、

世界がどんどん広がっていくにつれ、

病は気から
は、当たっていると

気がついた。
それは、気のせい  とは違う。

思い悩むと
気の回りが悪くなり

病を産む。
自分自身でも体験をした。

私の場合、
内科的一病息災の時も

整形的一病息災の時も、
救いの手が現れて

今も元気でいられるだけだ。

【気】の存在以外に
私が今は信じることができるのは、

心は繋がっている。
と言うことだ。

よく以心伝心とか
言うじゃないですか?

あれですよ。
そして、

誰かのことを心配していると
そのことが相手に伝わって

生きる力が
その人に生まれる。

も、
色々あって

信じるようになった。

我が家の居間の
私の机に座ると

アパホテルの
沢山の窓が見える。

今、多くの方が
簡易入院されているホテルだ。

その窓を見て見ないふりをするか、
早くお元気に!

と思うかは、
大きな違いなのだと

近頃思う。
そして、

そう思った時から、
『お掃除の皆さんも大変だろうな』

とか、
『ベッドメイキングはどうしているのかな』

とか、
色々な心配というか

思いが
出てくるようになった。

知らない人たちに向かっての
思いだけど、

そーいうのが
大事なんだろうな。

と、思うようになった。

そしたら急に
亡くなった義母が作った紙人形を

飾りたくなった。
義母は器用で優しい人で

駒子の紙人形の先生だった。

沢山の人形を作ってくれたけれど、
飾っていたのは

いつも同じもの、
うちの3人の娘たちの人形。

3人の特徴をよく表していて
大好きなのだが、

今回
久しぶりに飾ったのは

アイヌの男女を表したものだ。
貰ったときは何も感じなかったのに、

今見てみると
なんと深い表現だろうか。

写真に撮ったが
角度で寂しさが出たり

喜びや愛情の深さが
見えたりする。

まるで
ユーカラ織のような衣装も

青なのに
冬の季節に違和感がない。

私もやっと、
義母の心を少しは理解できる年齢に

なれたようだ。

誰かを心配して
心を寄せると

それは必ず
その人の力になっていく。

だから
お節介は続けようと

思った朝だった。

TTMゆいの中野むつみでした。

繋がって

TTMゆいの中野むつみです。

私は今、
3つの名刺を持っている。

以前は4つだったけれど、
10月に、

NPO法人小樽民家再生プロジェクトの
代表を降りた。

今までの人生の中で一番の
やり切った感を経験できた。

支えてくれた仲間と
応援をしてくれた夫のおかげだ。

一生懸命に頑張るって
すごいことだと思った。

株式会社補償セミナリーの
取締役は殆ど相談役で

本当に相談役。
なんのこっちゃだけれど、

まあSOSが発信されると
出動!みたいな役どころだが、

今年の2月までは
フルで働いていて、

この会社のブログは11年間
毎日更新をしていた。

更新をしなかったのは
親のように世話になった叔母の葬儀後

1週間と、
内科的一病息災の時の

2日間くらいで、
心が嵐の時も

会社が急展開の時も
毎日書いていたが、

今年の3月から
非常勤になり

それと共に
このブログは書くのをやめた。

で、
その代わりって言ってはなんだけれど、

TTMゆいのブログを書き始めたのだが、
いつの頃からか、

毎日書くのをやめた。
正確に言うと、

書きたい!と思わないと
書けなくなったのだ。

会社のブログを毎日書いていたときは、
心の嵐を隠して書くわけで、

嘘は書いてはいないけれど、
結構かなり無理があったと思う。

今はそれができなくなった。
と言うことだろうか。

それは、
悲しいことがあったときに書けないと、

言うことでもないらしい。
溢れるばかりの感動が

胸の中を襲った時も
書けなくなる。

変だなあー
と思う。

昨日、
一枚の【開運言霊アート】が

新潟から送られてきた。
これは私が所属している、

中小企業家同友会と言う会の
女性部の全国大会が新潟でzoomによって

開催され、
その時買った【ゆきつばきセット】に

入っていたものだ。

【みんなつながって生きている】
たったそれだけの言葉だけれど、

今の私には
大きな言葉だ。

今ほど、
人とのつながりを感じることはなく、

それはたとえ、
顔を合わせなくても、

大事な人とは
繋がっていると日々思う。

そして、
その繋がりは必然。

私のブログは
具体的表現が売りなのに

具体的に書けないのが
まどろこっしいけど、

心と心は繋がっていると
思う日々である。

このセットには、
新潟の美味しいものが

いっぱい入っていた。
特に、

佐渡島の日本酒
【真野鶴】は

どうしても飲みたかったお酒だ。
早速昨日味見した。

なので、
結構減っている。

辛口なのに
旨味がしっかりあって、

美味しい!
今日は残りを刺身で頂く。

あー幸せ!

佐渡お米も
今日炊く。


面白いのは
昆布巻きが入っていたこと。

北海道の昆布を一番消費しているのは
越前越後越中と聞いた。

こちらも
今晩頂く。

一度も行ったことがない新潟の
中小企業の女性経営者たちの会社が

作ったり、
販売しているものだ。

会ったことがないのに
繋がっている気がする。

不安な時代だからこそ
心に嘘をつかず、

心を研ぎ澄ませて
生きたいと思っている。

TTMゆいの中野むつみでした。

11月晦日満月に

TTMゆいの中野むつみです。

11月30日満月の今日は
久しぶりにおうちで仕事。

何せ昨日の夢は
大事な仕事の時間に寝坊をする話。

で、
焦ったかといえば

変なのだけれど、
きっと大丈夫!

と思うのだ。
本当におかしな夢だった。

で、
朝から電話で

あーだのこーだの
私らしいスピードある電話をし、

まあどうにかなりそうだわ。
夢ってこのことかしら?

などと思いながら、
着物を着た。

家にいるのに帯を結ぶのは
初めてかもしれない。

家が事務所なので、
本当は帯をした方が気持ちが締まるが、

ついつい楽を選んで
二部式を着ていたのだ。

で、
普通に帯を締めて銀行に行き、

帰ってきてから
ふと思って帯を半幅帯の

貝結びに替えてみた。
あ、この方が楽だわ。

帯の写真を撮ろうとして
失敗。

お太鼓に比べて
本当に楽。

この博多帯の赤い帯も
叔母の形見。

随分使ったと見えて
擦り切れているけれど、

それもまたよし!

机に座り、
何からしようかな、

と考える。

まだ経理とブログくらいしか
事務仕事はないけれど、

まずはお茶を用意。
一久の胡桃最中は

胡桃が砕かれていて
ものすごく美味しい。

甘過ぎず
歯にも優しい。

で、
お茶は、

この度中国で出版を果たした
廣澤克美さんから頂いた中国茶だ。

少し薄めに入れてみた。

さあ
お茶の用意もできたし

何からやろう!
で、

このブログを書くことにした。
余程、事務仕事が好きではないらしい。

実は、
先週末から

表現の仕様のない感動に出会い、
心が柔らかくなって、

優しい透き通った水色の涙が
溢れそうなのだが、

それを表現する力はなく
うーん。。。

そのうち
書ける力ができたら

書いてみようと
思っているので、

今日は
本当に日記的なブログに

することにした。

昨日は、
11月30日が期限の

クラウドなんたらの
商品券を消化すべく

夫と街に出たが、
一応マスクは二重にした。

最初に買ったマスクの紐を外し
中に入れて使っている。

これははみ出るけど、
まあ良しとしよう。

例年なら、
クリスマスソングが鳴り響く街は、

音もなく、
イルミネーションは

4時半から8時までらしい。
電球の数は、

同じなのかも知れないけれど、
なんだかいつもより暗い気がする。

街中の気が
沈んでる感じだ。

こんな時に流す曲は
どんな曲が良いのかしら。

うるさ過ぎず
沈まず

未来を感じる曲。
そんな曲がないかな〜

これじゃあ
寂しい人は余計に寂しくなっちゃうよー

と、
夫に言いつつ

早めに家に帰った。

今日は満月だけど
曇りで見えず。

さあ事務仕事に取り掛かろう!

明日から師走である。

TTMゆいの中野むつみでした。

これから。。

TTMゆいの中野むつみです。

昨日は砂川で
インタビュー本番。

少々寒いけれど
ちょうど良い着物用のマフラーもなく、

まあいいか。
と出かけたら

思いの外寒い。
こりゃあダメだな。

何か良いものはないか
と、

駅地下の遊中川を物色してたら、
良いのが見つかった。

被れば良いマフラーで
落ちてこないし、

粋にも、
暖かさ重視にも

使える。
色は赤にした。

着物って、
真っ赤でも違和感がないから

不思議だ。
砂川は札幌から特急で46分。

あっという間に着く。
今回インタビューをさせて頂くのは、

望月亜希子さん。

『なんて紹介をしたら良いですか?』
とお聞きしたら、

ちょっと考えて、
『セラピストでお願いします』

と、
望月さんが仰った。

色々な顔を
お持ちの望月さんなのだ。

が、
元々はキャリアウーマン。

それも筋金入りの
キャリアウーマンだったけれど、

突然、
方向転換をした。

その辺りをお聞きする。
インタビューをさせて頂く時、

どこでするかは
受ける方に決めて頂くことが多いが、

今回は
望月さんのご自宅を使うことになった。

写真がそのご自宅の
一室だ。

砂川の畑の真ん中に建つ
中古の一軒家だ。

半年前に訪れた時は
普通の部屋だったが

ご自分でリフォームされて
こんなに素敵なお部屋になっていた。

壁は塗壁だ。
ホームセンターで塗料を買ってきて

自分で塗ったそうだ。
DIYができる女性は素敵。

望月さんは
金沢の美大卒だから

センスは抜群。
色彩だけでなく

商品の企画力も高く、
砂川工場を持つ化粧品会社で

力を発揮していた。
が、

アクセスバーズを知って
お仕事の道を変える事を決断し、

おまけに
子どもの幸せも追求したくて

教育支援員もされているけど
その辺りのお話は

インタビューを見て頂くとして、
私は彼女を見ていると

これからの女性は
こんなふうに生きていく人が

多くなるんだなあ
と思う。

肩に力を入れず
でもちゃんと自分と向き合いながら

自分の道を歩いていく。
インタビューが終了し、

優しい望月さんに
砂川駅まで送って貰い、

それから私は
旭川にやってきた。

今日は、
午前中事前インタビューを

お一方させて頂き
午後からは扇松園の女将さんの

インタビュー本番なのだ。

夏の終わりから
旭川でインタビューをさせて貰い、

扇松園さんの取締役高橋和弘さん、
代表取締役支配人高橋宏典さん、

と、続き、
今日は女将さん。

高橋仁美女将は
旭川の有名人。

心に曇りのない素敵な方だ。
ご主人も息子さんも

心に曇りのない素敵な方々だったから、
扇松園は良い気が流れているのだと

感じる。
朝起きたら、

旭川はしっかり雪が降っていた。

旭川のこの冷たい空気は
好きだ。

北海道は冬本番のようである。

TTMゆいの中野むつみでした。

季節外れですが

TTMゆいの中野むつみです。

雪が降っては溶けて
降っては溶けて。

冬の始まりは
こんな風だったなあ。

と、
変な表現だけど昔を思い出す。

いつの頃からか、
ある日ドサっと降って根雪に

なるようになった。
子どもの頃は

溶けないでほしいと
いつも思っていたっけ。

そんな初冬に
日傘が届いた。

手作りの日傘だ。
旭川に住む飯沼さんは、

着物で日傘を作ってくれる。

私が着物に目覚めたのは
去年の秋だった。

久しぶりに着物を着て
結婚式に出席し、

周りの方々に褒められて
なんだか着たくなった。

そしたら、
着る機会がやってきた。

小樽にあるNPO法人小樽民家再生プロジェクトの
旧寿原邸でのイベントの

お手伝いだった。

大正元年に建てられた旧家に
着物はピッタリあって

次は自分で着られるように
なりたい。

と思ったら、
その時はすぐ来た。

今年のゴールデンウィークから
その寿原邸で毎週イベントを行うことに

なったのだ。
が、しかし、

そー簡単には
着物は自分で着られない。

でも習おう!
と、

札幌きもの学院の
着付け教室に申し込んだ。

ら、
コロナでイベント開催が

6月からに延期になった。
よし!今のうちに覚えるぞー

と、
2ヶ月で、

とにかく
着られるようになった。

お陰で
自分がお手伝いに寿原邸に行くときは

いつも着物で行ったのだが、
願えば叶うのか、

昨年末に実家の取り壊しを行った際、
30年以上実家の祖母の部屋で眠っていた、

祖母の着物が出てきて、
その中に夏物の着物もあった。

私の着物の殆どは
叔母の形見の着物だけれど、

夏物がなかったのだ。
祖母の形見のおかげで

袷、単衣、浴衣、夏物が
全て揃った。

お陰で私は、
6月から10月頭までの間

季節にあった着物を着ることが
できたのだが、

ある日、
そー言えば我が家の箪笥にも

少し着物があるぞー
と、思い出した。

それは私が中学生くらいの時に
着た着物だ。

ウールの着物だった。
雨コートもあった。

流石に着れない。
うーんどうしよう。

捨てるしか無いか?
うーん。。。

と思っていたら、
思い出の着物で

日傘を作ってくださる飯沼さんを
知った。

日傘は有るけれど
何本あっても良いじゃん。

その日の気分や
お相手で選べるのは幸せ。

と思い、
注文をした。

すでに夏は終わっていたが
来年必ず夏は来るから。

そして、
先週末、

日傘になった思い出の着物が
帰って来た。

我が家に帰る前、
旭川の神社でお祓いまでして頂いて。

大切に包まれて帰ってきた着物の日傘。
本当に嬉しかった。


この着物は
母が作ってくれた着物だ。

母は今
アルツハイマーになって

ホームで暮らしている。
コロナでまた会えなくたった。

着物を着ると、
私を愛してくれた母、祖母、叔母たちに

守られている気がする。

日傘は夏まで
静かに出番を待っている。

TTMゆいの中野むつみでした。