食べることって?

TTMゆいの中野むつみです。

あれは、
去年の秋だったかしら。

美味しいご飯という映画を
見に行きました。

ドキュメンタリーなのかな、
俳優さんは出てきません。

私、いつもはこの手の
自主映画上映には、

行かない方なのですが、
大好きな女性がシェアしていたので、

ふと、
本当にふと、

行ってみようと思ったのです。

上映場所も
素敵な小さなところでしたが、

私は、
その映画を見ていて

なぜか涙が出てきました。
セリフが良いとか、

そーいうんじゃあ
ないんです。

そして、
気がつきました。

私、
生きる気持ちがなかったんだなあ。

と。

何言ってんのよ!
誰よりも前向きで行動的じゃあない!

と、
友人たちは言うでしょうが、

私の心の中の
もう一人の自分が、

生きることを拒否していたと
その時わかったのです。

だから、
私は食べることに

全く興味がなく、
最低限のモノを食べ、

お酒とコーヒーで
生きているようなものでした。

あ、45歳までは、
それにタバコでしたね。

まあ、
そー気がついたからと言って、

急に食欲は生まれませんが、
まずは、お米をちゃんと好きだと

思うようになりました。

そして、
今月の20日から体調を崩し、

寝込んだのですが、
振り返ると面白いことに

気がつきました。
風邪菌を貰ったであろう頃から、

しょっぱい味の
温かいつゆものが

欲しくなったのです。
体は劇冷えで、

緊急に鍼にも
行きました。

めちゃ冷えです。
で、

熱が出始めると、
もっと塩が欲しくなりました。

食欲はありませんが、
常備している激辛鮭と

お粥がご飯です。
そして、出汁をとったお汁。

こちらもしょっぱめ。
ちなみに、

我が家の夫は
激辛好み。

仕方がないので、
塩だけは良いものを使ってます。

なので、
佐藤水産の激辛鮭が

常備されているわけです。
で、

湯たんぽを二個、
抱えて寝たり座ったりの

生活です。
そして、

不思議に
あんなに好きだったコーヒーが

飲めなくなり、
代わりに、

緑茶にぬるま湯を入れて、
マグポットでごくごく

飲むようになりました。
我が人生で初めてのコトです。

で、
昨日から野菜スープを

頂いています。
夫はカレー。

途中まで
作り方は一緒なので。

なんとなく
体が欲しているものが

わかるように
なってきたんですね。

人間も動物だから、
食事は薬でもあり、

その時に必要なものが、
本当は感じられるのだと

思います。

あの映画を見た日、
私は、

自分の心の奥になぜかあった、
生きる事を拒否する気持ちが、

今は無くなったのだと
実感できます。

今、体が欲しがっているものと、
自分が食べたいものが一致する。

どんな時も
生きようとする生命に

私もやっと
なれたようです。

病気に感謝

TTMゆいの中野むつみでした。

金は天下の回り物?

TTMゆいの中野むつみです。

人生は面白いなあ。
と、

近頃とみに
思います。

まだ若い頃、
私は自分の将来像が全くなかった。

あ、いえ、
教師になりたいとかは、

ありましたよ。
でも、それほど強い願望でも無く、

ただ、
経済力を持たなければ

幸福にはなれない。
と、思っていました。

逆にいうと、
女性の幸せは、

経済力によって実現できると。
もちろん、

経済力のみではありませんが、
最低条件だったわけです。

だから、
失恋で放心状態になり、

勉強を放棄し、
気がつけば、

教育大学なんて無理!
になり、

看護婦になったわけですが、
別に看護婦という職業が、

好きだったわけでは
ないのですよ。

ただ、
看護婦だと

経済的に自立できそう。
資格は強い。

程度の動機です。
だいいち、

看護婦さんって何するの?
みたいな感じで、

その意味もわからない。
でも、

受けたい学校も決まらず、
悩んでいた時、

偶然、
病院に行き、

その病院は
看護婦さん同士が、

仲が良かったんですね。
それを見て、

こんな職場だったら
良いかも!

で、看護婦になったのです。
結果的には、

看護に燃える看護婦に
なりました。

でも、
色々あってやめて、

父の会社に手伝いとして
入社して、

気がつくと
すでに20年以上たっていました。

全く違う人生を
歩んでいました。

そして、
想像もしていなかった日々の中で、

ひっちゃかめっちゃかでしたが、
気がつくと、

私の労働観が
変わっていました。

いえ、
女性の経済力の意味が

変わっていたのです。

私、思うんですよ。
経済力、自分で労働して、

お金を稼ぐのは、
楽しい。

でも、
お金を稼ぐことを

自立の最低条件に
することはおかしいと。

私の理想は、
労働の楽しさ、やりがいを、

みーんなが
感じることができること。

だって、
世界は誰かの仕事でできている!

じゃあないですか。
BOSSの宣伝文句ですが。

だから、
労働するって楽しいはず。

でも、
労働ができない人でも、

働けないことを
辛いと思わなくても良い世界。

働いていないことを
引け目に思わなくて良い世界。

うまく言えないけれど、
それが人間として尊重し合う一歩、

のような気がしているのです。

実際は、
女性でも高齢者でも、

障がい者でも、
経済力がないと

肩身が狭い。
感じが拭えないと

思うのですよ。
それがない世界がいいなあ。

と。
きっと、

本当に人間として平等対等なら、
私、稼ぐ人、あなた、使う人。

で、
何にも問題がないもの。

あら、
なんで今日はこんなこと、

書こうと思ったのかしら。

金は天下の回り物!

なんとなく
そう思った今日でした。

TTMゆいの中野むつみでした。

我が家の猫話

TTMゆいの中野むつみです。

皆さんは、
動物、好きですか?

私は、
昔は全くダメでした。

猫は恐ろしいし、
犬は怖い。

でも、
夫とその家族、特に義母は、

大の猫好き、動物好きでした。
だから、

夫の実家に遊びに行くと
猫から逃げ回っていました。

一体、
この動物のどこが可愛いの?

そんな感じです。
ところが、

授かった娘たちが、
3人とも

全員、
動物が大好き。

ねえ、
猫飼いたい。ダメ!

を繰り返していたのですが、
あれは、

末娘が、
年長さんくらいの時だったかしら。

いつもは夕食を食べても、
中々部屋に行かない娘たちが、

夕食を食べるや否、そそくさと
次女の部屋に3人で入ったのです。

あれ、何か変だなあ。
母親の感ですね。

ノックをせずに
次女の部屋のドアを

えい!と開けました。
すると、

3人の娘たちは、
それぞれに

漫画を読んでいましたが、
私の目の片隅に、

黒いものが
動いたように見えたのです。

次女のベッドの布団の影で。

『何かいる?』
私は低い声で聞きました。

すると三女が、

『いないよ!いないよ!
二匹なんていないよ!』

と大きな声で
言いました。

M!余計なこと言わないで!
と、姉二人が騒ぎます。

ちょっとあなたたち!
何を隠してるの!

私は、
次女のベッドの布団を

急いでめくりました。
ら、

キャアア!!!!!

2匹の子猫が
逃げ回ります。

どこで拾ってきたの!
早く捨ててらっしゃい!

と言おうと思ったのですが、
その手のひらに乗りそうな子猫を

追い出すことは
できませんでした。

衰弱しているようにも、
見えました。

聞くと、
次女の学校の鶏小屋の中に、

捨てられていたそうです。
次女は当番で鶏小屋に入り、

見つけて
連れて帰ったそうです。

そして、
3人で知恵を絞り、

牛乳をお皿に入れて、
ママに内緒で飼おう。と、

決めたそうです。
何を言ってんの!

飼いませんよ!!
パパに言うから!

が、いけませんでした。
主人は、母親似の大の猫好きです。

『そんな勝手に拾ってきたら
ダメだろう』

と、言いながら、
猫たちを膝に入れ、

次の日には、
猫のトイレと餌入れを

買ってきました。
『ちょっとー何買ってんのよ』

と、
私は怒りましたが、

子猫は類まれな可愛さがあり、

次の日動物病院に連れて行き、
生後2ヶ月と、言われました。

で、
結局、マンションなのに

猫を飼うことになり、
でも私は全く触ることも出来ず、

子猫から逃げる日々。
だって、

すんごい
すばしっこくて、

私の悲鳴は
止まりませんでした。

でも気がつくと、
3人の娘たちは家を出て独立し、

家には、
猫2匹と主人と私。

そして、
その猫たちも長生きしましたが、

逝きました。
でも、

その猫たちは
今も家にいて、

時折、
ニャアと鳴くように思います。

多分、
私の人生で最初で最後の

愛猫たちです。

TTMゆいの中野むつみでした。

心惑わされ〜

TTMゆいの中野むつみです。

いやはや
人間って、とっさの時って、

本音で動いちゃうんですね。
いえ、私の話ですが。

実は、
金曜日の夜中というか、

明け方、
時は丑三つ時。。。

私は、
強烈な腹痛と寒気で

目が覚めました。
近頃、ここまでの腹痛も

寒気も経験したことが
ありません。

で、
めっちゃこわい。

あ、こわいは
北海道弁でしんどい。

のことです。

私は、
とにかくトイレ、

に行きましたが、
全身が絞られるような、

なんというのかしら、
下痢がひどい時って、

全身が絞られるような
全ての力がお腹に集まるような

そんな痛みが
あるじゃあないですか?

え?知らない?
まあ、すんごく辛くて、

布団に戻りましたが、
寝られたもんじゃあない。

その痛みは
朝まで続き、

あれ?
熱が出ている?

と測ったら、
37、7度でした。

それがですね、
大した熱じゃあないのに、

倦怠感は
普通じゃあないのですよ。

そして、
から咳も出始めました。

私は過去に、
肺炎も腎盂炎も

もちろんインフルも
経験していますが、

あれ?もしかして、
肺炎に近い倦怠感?

と、思ったわけです。

皆さま、
もうお分かりですよね。

テレビで毎日言っている、
コロナウイルスの

初期症状、
37、5度以上の発熱、から咳、

今までに
経験したことがない倦怠感、

腹痛を訴える人もいる。
にピッタンコ!

そう言えば、
雪まつり期間、

雪まつりには、
行かなかったけれど、

所用で街には
何回も行ったわ。

地下鉄でも
チカホでも、

中国語をたくさん聞いたわ。
と思ったら、

まずい!
まずは会社にラインして

拭けるだけ消毒を
して貰おう!

と、
ラインし、

娘たちにも連絡を
しました。

で、
9時になったら、

札幌市の
コロナウイルス相談コーナーに

連絡をしました。
電話口に出られた女性は

看護師さんなのか
保健師さんなのか

私の話を
全部聞いてくださって言いました。

『まずは、
病院でインフル、風邪などか診て貰い、

必要があれば
こちらで検査です。

コロナは肺炎になります。
そして、街や地下鉄などで

移るのは稀です』
はい、わかりました。

と、
私は病院に行きました。

結果は、
インフルっぽいけど、

熱が出てから
受診まで早すぎるから、

治らなかったら
また来てください。

今、インフルB流行ってますから。

で、
ありました。

あれ?
私の早合点?心配のしすぎ?

そう言えば、
病院でカーテンを挟んで

お隣にいた
インフルの青年らしき方は、

MRIは高いんですか?
と、薬を持ってきた薬剤師に

聞いていたっけ。
どうしてだろうと思ったけれど、

インフルと言われても、
まだ不安だったのね、コロナ。

だって、
テレビで連日、肺のCTやらなんやら

見せてるもんね。

日頃、私は理性の人間よー
なんて言ってるけれど、

心はあっという間に
噂に占領されちゃうんだわね。

それにしても
地下鉄くらいでは移らないって、

言ってくれたら良いのに。
と、

ついつい
他人のせいにする私でした。反省。

TTMゆいの中野むつみでした。

TTMゆいの中野むつみです。

皆さんは、
おうちに生花を飾りますか?

以前私は、
花を生ける力がないから、

生けられない!
と思い込んでいました。

でも、
ふと、

自分が綺麗だなあと
思えば良いのか!

と思い、
それから家に花を生け始めました。

まあ、
生けるってほどじゃあ

ないですね。
なにせ、

華道も
フラワーアレジメントも

習ったことがないから
わからない。

でも、
部屋に花があるって

すんごく心が
華やぐことに気がつきました。

夫は三男で
私は次女なので、

我が家には
仏壇はありません。

それでも、
亡くなった愛する肉親の写真を飾り、

毎日、
お茶を供えます。

始めは、
その写真の前に

花を手向けました。
そして気がつくと、

部屋のあちこちに
花の居場所が増えました。

でも、
困るのが、

花屋さんで
素敵な花を見つけると、

すぐに欲しくなること。
その度に、

いや待て、
まだ花は元気じゃあないか。

と、
心にストップをかけるのですが、

負けちゃって
買っちゃうことも度々です。

先日も生協のお花屋さんで、
【お買い得商品】と書かれた切り花を

見つけました。
家には、ガーベラと

薔薇、と、
なんて言ったかな、

チュラ?あ、違うかな。
すんごく華奢で可憐な花なのですが、

かざってあります。
店員さんに、

『これ、持たないかしら』
と聞いたら、

そうですね。
茎が細いから。

でも、
花は咲くと思いますよ。

と言われました。
それは、百合でした。

好きなんですよね。
百合の花。

でもお高い。
それが半額以下です。

買おうかな。
と迷いながら選んでいたら、

中に、
桜の枝が入っている束が

ありました。
桜と百合で400円!

これは買うしかない。
で、

白百合の束も買って、
合わせて800円!

やった!
それはかなりのボリュームでした。

さて、
どの花瓶に生けようか。

まあ生けると言っても、
花瓶に入れるだけですが。

そうだ!

実家から持ってきた
備前焼の花瓶を出そう!

と思いました。
昨年末、実家を取り壊す時、

私でも使えそうな花瓶を
貰ってきたのです。

父は備前焼が好きでした。

生け花の心得がないと
なかなか使いこなせない花瓶でした。

でも、
花のボリュームが大きいので

どうにか
備前焼も納得してくれそうです。

で、
生けました。

桜を目立たせたくて、
前に持ってきました。

とにかく、
百合のボリュームがすごくて、

それでも、
桜より百合が目立ちます。

最初は、
いつもの写真の前に置いたのですが、

うーん
もっと目立たせたい!

と思い、
居間の私の小さな本棚の上に

置きました。
ここなら、愛する人たちも、

見ることができるし。
ね!見えるでしょ!

不思議ですね。

花を生けると先に逝った肉親と
会話が弾む気がします。

TTMゆいの中野でした。
因みに
4日後の花です。

涙腺異常?

TTMゆいの中野むつみです。

皆さんは、泣きやすいですか?
私は、泣きやすい。

ただし、
人のことで泣きやすいのです。

もしかしたら、
自分のことでは泣きにくいかも

知れません。
もちろん、

肉親が亡くなった時は、
泣きますよ。

でも、
それ以外では、

あまり泣かない。
もし泣くとしても、

人前では
泣かないかも知れないですね。

ところが、
自分が感動した話を

誰かにしようとすると
泣けて話せなくなる。

でも、
それでは感動は伝わらないから、

そこんとこは
はしょったりする。

鍼灸の稲富先生なんかは、
その体質といいますか、

共鳴して泣きやすい時の
体の状態があると仰いますが、

まあ
私は泣いちゃう。

例えばですねえ。
私は小樽に、

NPO法人小樽民家再生プロジェクト
という会を作って代表をしています。

それで、
色々な古い建物を

利活用されておられる方の
お話もお聞きするんですが、

小樽に
【もったいない博物館】という、

石蔵を使って、
様々な古い小樽に関するものを

展示してあるところが
あるんです。

今は非公開なので、
特別に入れて頂き、

そこに展示されている様々なものの、
言われといいますか、

聞いたわけですが、
そこには、

色々な布もあるんです。
館長さんが捨ててあったものを

勿体ない!
と、

拾ってきたそうです。
その一つが、

パッチワークになった
掛け布団の布でした。

それは昔、
働きづめで病気になった、

年老いたお女郎さんに
かけてあげる布団を

若いお女郎さんたちが、
自分の長襦袢の端切れを持ち寄って、

つなぎ合わせて
作ったそうです。

誰も
引き取り手もなく

病気で死に行くお女郎さんさんに、
せめてもの気持ちを

自分の長襦袢の切れ端に
込めたのですね。

だから、
その掛け布団の布は

とても鮮やかな布が
繋ぎ合わさって居ました。

私は、
年老いたお女郎さんが

どれほど嬉しかったろう
と思い、

そして、
長襦袢をつなぎ合わせたひと針に、

どれほどの
若いお女郎さんの気持ちが

込められているかと思うと、
泣けちゃって話せない。

本当はこの話を
小樽のセミナーで、

話そうと思っていたのですが、
結局どこでも話せませんでした。

話す人が泣いちゃったら
終わりですから。

だから、
大切な感動場面での挨拶は

絶対出来ません。
そーいう時は、

涙線が固い人に
お願いしているのですが、

本日、
私が所属している会社の

送別会で挨拶をすることに
なりました。

あー嫌だなあ。
送別会は一番嫌い。

だって、
寂しいでしょ。

だから、
送別会の前には

なぜか病気になって
出られないことが多いのですが、

今日、
元気だということは

泣かずに希望を持って
話せるということでしょうか。

置かれていく方は寂しいけれど、
飛び立つ方は未来ですもんね。

泣かずに話せるように
頑張ろうと思います。

TTMゆいの中野でした。

歌って呼吸?!

TTMゆいの中野むつみです。

ゆいのマスコットガールは
キャベツに乗った歌う天使。

この【歌う】が、
重要で、むつみさんの

幸せのタネだそうです。
が、

そのお話を聞く前に
すでに私は、

歌を習い始めていました。
今から歌手になるつもりは

全くありませんが、
急に思い立ち、

教室に通い始めたのです。
それも、

マンツーマンで。
先生は、めぐみ先生と言って、

30代中頃、
可愛くて明るく

言葉は、
けして

オブラートに包まないのに、
角が立たない不思議な女性です。

で、
習い始めて一年ちょい。

ずーっと
言われていてできないのが、

『声は喉からは出ません。
頭の中に響いて、

そこから出てくるのです』
はて?

どー言うこと?
ちなみに、

口を閉じていても
歌が歌えるそうです。

なんて言ったかしら
腹話術を時差で話す人、

いるじゃあないですか。
あんな感じで、

歌も歌うんですって!
ひやああ!

で、
できない。

おかしいなあ。
もっと力を抜いて

楽に歌って!
と言われても歌えない。

その理由が、
先日のレッスンで

わかりました。
話すとき、

みんな
ふつうに息をしながら

話しているのと
歌も同じだと

始めて気がついたのです。
めぐみ先生は、

あら、
いつも言っていた気がしますけど、

むつみさんには
伝わっていなかったのですね!

と言いました。
そうです。

私も先生から
何度もお聞きしていましたが、

私の中では、
歌うときは息をしない。

と言う思い込みがあるから、
先生の話が

入ってこなかったのですね。
それにしても、

めぐみ先生!
息しながら歌えるんですか!

びっくりして
確認しました。

どおりで、

『むつみさんは話をするときは
いい発声なのに

どうして歌い出すと
硬くなるのかしら』

と、
よく言われていたはずだわ。

いつからか
わかりませんが、

歌、運動に関することは
理屈で考え、

そのように意識して
体を動かす。

と認識するように
なっていたようです。

だから、
リズムも、

無意識ならできるのに
意識をすると、

半拍ずれるのです。

人間は誰でも
意識せずに呼吸をして、

話したり
食べたり

しています。
そりゃあたまに、

むせたりするけれど、
特別なことがない限り

できるようになっている。
歌もおんなじ。

だと、
64歳にして

知りました。
意識のしすぎ、

だったんですね。

それにしても、
歌が呼吸の続きだったなんて!

私は
理屈で声を出すものだと

思っていました。
もしかしたら、

私が理屈だと思っていることで、
本当は、

ふつうに感覚で良いのよ!
みたいなもの、

もっとあるのかな。

さて、
次のレッスンから、

無意識で呼吸をしながら
歌えるかしら。

呼吸を意識しない。
意外に難しい。。。

TTMゆいの中野でした。

2月は

TTMゆいの中野むつみです。

どんなことも
良い効果を発揮する。

え?
ですが、

例えば、
ワタクシ、

内科的一病息災で
薬を欠かせません。

が、
発作が起きなくなると

これが
忘れるんですよねー

いえいえ、
元看護婦ですから、

薬を忘れない方法!
はわかっていて、

ついでに、
二度飲みしない方法も

わかる。
で、

1週間用の
薬入れに、

1回分ずつ、
玉の薬を入れてあるんです。

で、
習慣化するように

朝の流れに中に、
組み込んであるのですが、

非日常時、
忘れちゃうんだなあ。

一番は、
お正月でした。

家族構成も変わるし、
第一、

朝の流れが
全く違う。

すると、
あれ?飲んだっけなあ。

あ、
忘れた。

あ、
昨日も飲んでない。

と、
なるんですね。

ところが、
しばらくすると

寒気がやってきて、
階段なんかを寒い中、

荷物を持って
ガシガシ登ると、

あれ?
これって?

みたいな軽い発作が
起きてくる。

で、
慌てるわけです。

薬を飲もう!

だいたいが、
普段痛くもかゆくもないから、

薬を忘れる。
ある意味、

健康なのだ!
とは、嘘。

で、
今度は注意深く、

薬を飲むわけですね。
発作が誘発されたのは、

ネガティヴですが、
そこから薬を忘れなくなったのは、

ポジティブ!
ね!

何事も
二面性があるわけです。

と言うことを、
本日、内科の先生に言ったら、

『何を言ってんですか。
本来の予約から10日も経ってる。

薬が残っていたと言うことは
10日も忘れたと言うことですね。

薬は、
一日しか効果がないのですよ。

ちゃんと
飲んでください!』

はーい

と、
笑ってごまかす。

いい先生なんだけれど、
言葉がオブラートに

くるまさっていない。
いえ、

私は、
その方が良いと

思っています。
はいはいと

笑ってばかりいる先生は
信用ならない。

が、
しかし、

分かってます。
分かってますよー

と、
病院をそそくさと

離れました。
次回は、

予約日にちゃんと行こう。

あ、そうじゃなくて、
薬をちゃんと飲まなくちゃあ。

昔、
看護婦時代は

予約に来なかった患者さんに
電話をしていました。

殆どの方は、
忘れていた!

でしたが、
中には、私のように、

確信犯もいました。

看護婦さん、
大丈夫だって!

なんともないから。
仕事、忙しくてさあ。

症状がないのが
何よりの健康さあ。

『何を言ってるんですか。
そーやって、再発をするんですよー

薬、切れているはず。
すぐに来てください』

と、
私は怒っていたなあ。

今日の先生と
一緒です。

いやはや
立場が変わると。

そんな私に
軽い発作は神様からの

お告げです。
皆さま、

今年は暖冬ですが、
全ての病気が最大に活動し、

亡くなる方が
ダントツに多いのも

2月です。
どーぞ、ご自愛を!

TTMゆいの中野でした。

うどんに思う?

TTMゆいの中野むつみです。

皆さん、
露助汁って、ご存知ですか?

今日、
孫に頼まれて、

うどんを茹でながら
思い出しました。

うちでは、
孫用は乾麺のうどんを

パキンと
二つに折って茹でるんです。

あ、
岡山から送って貰ったうどんで、

細くてコシがあるから
できるのですが。

で、
その露助汁ですが、

まあなんですね、
差別用語で怒られちゃうかも。

ですが、
昔のことだから

許してね。
これは、

樺太に居た父が持って帰ったのか、
祖母なのか、

確かじゃあないのですが、
今で言うクリームシチュウに

うどんが入ってる感じです。
もっとも、

牛乳はわずかで、
片栗粉でとろみをつけていて、

人参、玉ねぎ、じゃがいも
が入っていました。

多分、
肉はなかったような。

父が言うには、
ロシアのスープだから、

露助汁です。
で、

うどんは短く折って
入れていました。

私は、
特別好きではありませんでしたが、

母は料理が上手だったので
薄い牛乳でも

片栗粉入りでも、
結構味は良かったように

思います。
結婚してから真似して、

クリームシチュウに
うどんを入れてみましたが、

夫にも
娘たちにも不評で

作らなくなりました。

父にとって樺太は
懐かしい思い出の地。

二十歳まで、
暮らした地なので、

哀愁もあったと思います。
あれはなんと言うんだったかな、

ビザなしなんとかで
お墓まいりに樺太に帰ったことが

あったと思います。
どれほど懐かしかったか、

でも、
帰ってきた父は

あまり多くは
語らなかったような気もします。

父は、
今思うとすごい人だな、

と、
思うのは、

抑留もされていたし、
樺太から引き上げる時は

命がけだったろうし、
でも、

一度も、
ロシアのことを

悪く言ったことは
ありません。

そして、
軍隊の話も

抑留中の話も
ロシアに敵意を持つような

ことは
言いませんでした。

そして、
何時くらいからでしょうか、

日露協会にも入って、
友好のお手伝いもしていました。

家に、
ロシアの方々が

いらしたことも
ありました。

父は
前向きな人だったんですね。

恨みつらみで生きるより、
前向きに進んだ方が

人生、
良いに決まってるから。

樺太の豊原というところに
先祖のお墓があるはずです。

お骨は持ってこれないから、
御霊様を持ってきて、

ご先祖様として
神社に預けてありますが、

機会があったら、
一度樺太、

行ってみても
良いかな、

なんて思いました。

それにしても、
父はどうして

ボルシチじゃあなくて
露助汁が良かったのかしら。

それとも、
露助汁は樺太の料理なのかな。

孫にうどんを食べさせながら、
遠い地を考えました。

TTMゆいの中野でした。

草履に思う

TTMゆいの中野むつみです。

変化を受け入れよう!
とは言いますが、

ただ今、
悩んでいるのが、

草履の変化。
え?草履?変化したの?

と、思う方。
変化したんですよー

私は、
数十年ぶりに着物に目覚め、

と言っても、
全て形見やらなんやらで

その中に、
草履もあったのです。

昔自分が履いた赤い雪草履は、
赤だけど、

まだ履く!
と言って履いてますし、

娘が結婚する時に揃えた
正装用の草履は、

大変重宝しております。
形見としては、

祖母の新しい草履も
出てまいりまして、

それがおしゃれ、
ただし、

パナマ草履なので
夏用です。

早く
夏が来ないかなああ。

なんですが、
まあ近いうち新しい草履も

きっと必要になるだろうな、
と思って見てみると、

なんと
今の草履はゴツいのです。

全然華奢さがない。
いつからこんなになったのかしら。

北海道だけ?
と思っていたら、

テレビでやっていた
京都の草履の老舗に

並んでいる草履も
ゴツかった。

げげげ

と、
いつも着物の

相談に乗ってもらってる
HANAさんの臼杵さんに相談したら、

今は全部、
このタイプ。

だそうです。
一言で言うと、

そこが厚いのですね。
そして、

特殊な材料で
歩いても疲れないように

なってるそうです。
ふむふむ

で、
鼻緒の当たるとこも

痛くならない。
改善された変化のよう。

でもなあ、
私の持ってる古い草履は

絶対的に
華奢で美しい。

なんですね。
ピンヒールと

今風
太いヒールの

差でしょうかね。
まあハイヒールは

履いていくとこもないし、
探せば、

ピンヒールだけど
ローヒールもあって、

華奢な美しさと
機能性を兼ね備えたものも

出てきているから、
選択の余地もあるんですが、

草履はねえ。
でも、たしかに

鼻緒の部分は痛くなるし
長く歩けないし。

そーか
昔はアスファルトや

コンクリートの道は
少なくて、

土の上を歩いたから
あの薄い草履でも

痛くもならず
足も疲れなかったのか。

そーか
時代が変わったのだから、

変化も受け入れるしか
ないか。

と思いつつ、
正装用の淡い金色の草履を見れば、

薄い底は
はんなりとカーブを描き、

つま先は
ちょこっと上を向き、

鼻緒は
キリリとして

いつでも
どうぞ。

と待っている風だ。
そりゃあ

小ぶりに
できているから、

足袋を履いた足が
少し出るけど

それもまた
素敵。

今の草履は
歩きやすくて

足がちゃんと乗るから
疲れない。

そうだけど、

なんだかなあ。
着物を着る女性のロマンが。。。

臼杵さんは
仰った。

履いていると
気にならなくなりますよ。

そうよね。
そうだわよね。

変化には
慣れるのが一番だから。

それにしても
昔の草履は美しい。

眺めても飽きない美しさ。
なんですね、

たまに着る着物だもの。
ちょっと疲れても、

華奢な草履が壊れるまでは
履こうかな。

きっと私にとって
昔の草履は、

憧れの女性の姿なのですね。

TTMゆいの中野でした。