母を見送り

TTMゆいの中野むつみです。

先日、母が急逝した。
8月末に誤嚥性肺炎で
一時生死をさまよった母は、
奇跡の生還をした。

お世話になっている
光ハイツヴェラスの方々に、
『奇跡の人!』と呼ばれた。

母は98歳だった。
岡山から札幌の父のところに
嫁いできた。

いっぱいいっぱい
色んなことがあり
母の心は複雑だったと思うけれど、

その生還後、
心の澱を私にさっぱりと
吐き出した。

そして、
『私、まだやり残したことがあるの』
と、言った。小さな声で。

母は日々元気になり、
水分も栄養補強剤も
ごくごく飲んでいた。

その様子に安心して
私は石垣島に飛び立った。

光ハイツの師長さんから
連絡があったのは
与那国島に行っている時だった。

『お母様が昨日から何も飲もうとせず
体が弱ってきているので、
点滴をしました。』

ちょっとびっくりしたけれど、
私が1週間も顔を出さないから
臍を曲げたかな?

と、私は思い、
翌日石垣島から帰ると
私は千歳空港から
母のところに直行した。

点滴をして寝ていると思っていた母は、
酸素マスクだけをしていた。

あれ?
昔看護婦だった私は
母の顔色などから
状況を察することができた。

看護師さんがきて
『お医者様に診ていただき、
今晩を越せるか、、と言うことです』
と仰った。

高齢になると
一時良くなっていたようでも、
老衰が陰で進行していると
お医者様は言っていた。

母の顔は穏やかだった。
心の中に何も澱はなく、
『やり残したことも
終わったよ、』と、
言っているようだった。

母はそれから4時間後
家族に見守られながら
静かに逝った。

母は父と一緒に会社を起業し、
今その会社は私の夫が社長だ。

葬儀には母が愛する人たちと
社員たちが参列してくれた。

悲しいけれど、
私は不思議な安堵感があった。
母は幸せだけを持って星になった。

そんな安堵感だった。

母は、私たち家族の仕事や学業に
一番影響がない時を
選んで逝ってくれた気がする。

いつも家族のことを一番に考え、
自分のことは後回しの母だった。

ありがとう、
お母さん。
今頃お父さんんと新婚生活を
始めているね。

楽しんで〜

私たちも
幸せに元気に生きるよ〜

TTMゆいの中野むつみでした。