何が一番大切?

TTMゆいの中野むつみです。

自分の中の価値観が
ひっくり返るほどの

衝撃を受けた今日の事前インタビュー。

正確に言うと
価値観は変わらないけれど、

自分の中の身勝手さに
気がついた!と言うことかな。

インタビューのお相手は
小樽の人気パン屋さんの

ヨルトノ店主の
皆川さんだ。

NPO法人小樽民家再生プロジェクト
を通して小樽に移住し、

3年前にお店を開いた。
奥様と二人で一生懸命働いて

あっという間に
人気店になったのだが。

美容師からの転職で
オトンで読んだパン屋の店主に惚れ込み、

師匠と弟子の関係で
パンづくりを学んだと言うが

そのこだわり方は半端ない。
美味しくて安全なパン作りは当たり前、

有機栽培の小麦を籾付きで購入し、
外国で作って貰った石臼で挽き、

自分で小麦を製粉しているけれど、
本格派すぎて口に合わないお客様が多いからと、

製粉した小麦粉も使い、
20種類以上のパンを作っている。

作り手は皆川さん一人だ。
根っからの職人で

『人に教えて
思った通りの味にならず苛立つより、

自分で納得いくパンを作り続けたい。
ダメなんでしょうけど』

と笑っていたが、
今は本州からのネット注文も多い。

『お二人で大丈夫ですか』
と聞くと、

『開店当初より
色々なことが整理されて

効率も良くなりました。
多分、もっと改善ができると思います』

と言う答えが返ってきた。

すんげえ〜

学び方も半端なく
美味しくて安全で

お客様が喜んでくれるなら
と、まあよく情報を集め、

挑戦を繰り返している。

『ところで、
何時に起きて何時に寝るんですか』

皆川さんのお話に
圧倒されながら聞いたら、

『朝1時半に起きて、
夕方4時に寝ます』

ええええ!

『普通のパン屋さんは
3時か4時ごろから仕事なんですが、

それだと開店して
お客様が混み出すと

パンを焼きながら
妻と共に接客をすることになり、

そうすると
接客もパン作りも中途半端になるから、

開店前に全てのパンを
焼き上げるのです。

そのためには
1時半に起きないと』

皆川さんは明るく笑った。

私は人を入れるつもりもなく、
こんなに働いて大丈夫か?

と心配になり聞いた。
『まだ伸びる余裕はありますか』

彼はこれまたニッコリしながら、
『大丈夫です。

まだ改善の余地はかなりあるので、
まだまだ行けると思います。

でも、
自分の作りたいものが

自分のキャパを超え、
夫婦の生活が失われるようなことになったら、

辞めて、
違う仕事を見つけます』

なにお!?

こんなにストイックに
パン屋という仕事に取り組んでいても、

愛する人との生活が脅かされるなら、
仕事を変えると言うのか!

なんだか
突風に飛ばされたような衝撃だった。

皆川さんは35歳。
未来は必ず変わる。

ついていけない人が
時代遅れと言われる時代が
すぐそこまで来ている。

まずは、
変わらなければいけないのは
私だなあ。

反省で終わった事前インタビューだった。

TTMゆいの中野むつみでした。

久しぶりの旭川で

TTMゆいの中野むつみです。

1ヶ月ぶりで
旭川に来た。

昨夜は憧れの焼き鳥屋
ぎんねこでお腹いっぱい食べた後、

定宿扇松園に帰って
頼んであったおにぎりと漬物と

刈穂を頂き
お風呂に入ってまったりする計画だ。

焼き鳥をいっぱい食べた後に
おにぎり?と

扇松園の女将に聞かれたけれど、
私の場合、

家に帰ってからの一杯は
欠かせない。

ちなみに
ぎんねこでは

鳩燗と呼ばれる熱燗を
結構飲んだ。

その前には
『ここの生ビールは格別!』

と、一緒した友人が言うので
生ビール小も飲んだ。

ぎんねこの焼き鳥は
玉ねぎが挟んであって

鶏肉はふんわり
玉ねぎはカリッとして甘い。

最初は塩味にしたが
びっくりするほどの美味しさだった。

次はねぎまをタレで食べた。
こちらは長ネギを使っているが

甘過ぎないタレと相まって
なんとも言えない美味しさだ。

熱燗とも
ビールとも合う。


で、
焼き鳥の合間に

漬物を頂く。
【オババの古漬け】は

白菜のお漬物で
創業時からの変わらぬ味。

ぎんねこの漬物は全部手作りで
マジ美味しい。

つくねは生姜が効いていて
めっちゃ美味しかったが

私たちが頼んだもので
売れきれごめんとなり

お代わりは出来なかった。
あー残念。

まだマンボー中だから
夜8時でラストオーダー。

友人たちとお喋りしながらの
楽しい時間はすぐに終わった。

長ネギ、ピーマン、
シシトウにマッシュルームと

野菜の串焼きも美味しかった!

落ち着いたら
絶対またくる!

と、
余韻を残して扇松園に着くと、

部屋には頼んであったおにぎりと
漬物、刈穂があった。

大浴場でしっかり温まって
ホッとして刈穂を頂く。

〆のおにぎりと漬物は
日本酒と本当に良く合う。

日本人に生まれて良かったなあ。

今朝は、
流石に顔が浮腫んでいた。

焼き鳥ではなく
漬物の食べ過ぎと思われるが

頭はスッキリだった。
朝風呂に入り着物に着替えて

扇松園のお稲荷さんにお参りした。
泊まった朝は必ずお参りする。

小鳥たちが囀る中
鈴を鳴らして

お賽銭を入れ
扉に書いてある祝詞をあげる。

何度読んでも覚えられず
時々躓くけれど

父や神主だった祖父が
昔唱えていたので、

節だけは合っているはずだ。

旭川の今年の雪は
例年より少なく

生活道路もアスファルトが
出ていたが、

今朝は少し冷えて
ふんわりとした雪が

ちょっとだけ積もっていた。

昨日の買い物公園も
三六街も人通りが少なくて

1ヶ月前より寂しくなっていた。

札幌より地方都市の方が
コロナの痛手は大きいのかも知れない。

神様
どうか早く疫病が治まり

世界中から戦争や貧困がなくなり
地球上のみんなが

幸せになりますように。

ひんやりとして
透き通った空気の中で

お狐さんが頷いてくれた気がした。

TTMゆいの中野むつみでした。

卒業式

TTMゆいの中野むつみです。

私って本当に親バカだ!
と思う。

今日は3月15日
札幌の多く中学校で卒業式が行われた。

で、
うちの三女は担任として

初めて卒業生を送り出した。

我が家の三女は、
大学を卒業後、

『一度一般社会で働いてから
教師になった方が良いと大学の先生が言ってた!』

と言って、
砂川にあるローレルという会社に就職をした。

今はSHIROという社名に
なっていると思う。

そして一年半ほど働き、
半年受験勉強をしながら臨時採用教師となり、

翌年教員採用試験に合格した。
持ち前の行動力と明るさで

教師まっしぐら!だったが、
結婚出産育休2回。

5年前くらいからやっと落ち着いて
教師ができるようになった。

と言っても、
共教師(夫婦で教師のことをこう言うらしい)。

我が家から
そう離れたところには住んではいないが、

私は仕事で留守が多く
婿殿のご両親に助けられて

やっとのことで仕事をする感じ。
大好きなハンドボールの担当教師だけは、

這っても頑張る!
みたいな感じだったけれど、

受験生の担任を持つことは
やっぱり勇気が要ったのか、

昨年の春
初めて3年生の担任を持つことになった。

私に似ているのか、
そもそも中学校教師に私生活はないのか、

部活だ
なんだかんだ〜仕事が残ってる!

と言って土日を休んだことが
ないほどだった。

なんでそれほどまでして
3年生の担任を持つのかなあ

と実は私は思っていたのだが、
本日の卒業式に向けて

生徒たちにメッセージを書いている姿を見て、
こりゃあ、やめられないだろうな。

と思った。
おまけに修学旅行はついこの間、

東北の震災復興を学ぶために
福島仙台を訪れ、

感動的な時間を生徒たちと過ごしたと
帰ってきてから報告までしに来てくれた。

最後は仙台空港でハラミちゃんと会い、
生徒たちは演奏を聞かせて貰ったそうだ。

今日の卒業式は
担任として

精一杯の晴れ姿で見送りたいと、
私の訪問着を着て袴姿になった。

朝の6時前から
札幌きもの学院の遠藤院長に

着付けに来て貰った。
昨日から子連れで泊まり、

我が家も一大行事だ。
遠藤先生の着付けは美しく早い。


出来栄えに
ついつい微笑む私。

できることなら
私も卒業式に出席して

担任として頑張る我が娘を
見たいところだが、

それはあまりに
親バカだとはわかるので、

話と写真だけで我慢することにした。

婿さんは
7時過ぎに子どもたちを迎えに来て、

『瑞穂、可愛い。綺麗だ』と
素直な表現。

夫は、
『俺にはそんなことは言えんな』

と、
昭和の男の顔だ。

我が家は子どもの卒業式も
ゆっくりしていられなかった気がするが

そのせいだろうか、
社会人として成長している娘の姿に

今頃になって泣けてくる。

なごり雪が降る札幌。
卒業生の皆さん、
おめでとうございました!

TTMゆいの中野むつみでした。

あれも良き事かななり。

TTMゆいの中野むつみです。

20220308 希望の日?
Facebookが8年前の今日の写真をアップした。

そこには可愛い孫たちの姿があった。

あれ?
なんでこんな3月に、

本州から孫たちが
集まって来たんだろう。

不思議に思いながら
コメントを読んだら、

私が体調を崩し、
心配した長女や次女が本州からやってきた。

と、あった。

そうかあ、内科的一病息災の時だ。

病名は、
【後壁高位心筋梗塞】だったが、

実は病名がわかったのは
退院して1週間後だった。

最初は強い狭心症発作と診断され、
入院3日目で退院したその日の夜の写真だ。

もう8年も経つのだなあ。
この心筋梗塞は血管が痙攣して起こるもので、

今はすっかり良くなり、
あれはなんだったのか?と言う感じだ。

まあなんですね、
私の性格が引き起こした病だと思う。

突っ走り型だし、
決めたらやる!とことん!だし、

自分にも厳しかったから
結局人にも厳しい目になったし。

それが今は随分変わった。

ブログが飛び飛びでも
大丈夫!だし、

インタビュー本番の自分の髪が
あっち向いていても大丈夫!だし、

何が大丈夫なのか
よくわからないけれど、

なんとなく
自分を大切にすることに

罪悪感がなくなった。
へんなの〜だが。

きっと神様が
ありゃあこのまま行くと

ブツンと死んじゃうから
少し痛い目に合わせて

ブレーキをかけさせよう!
と、思ったに違いない。

ちなみに、
心筋梗塞は死にそうなくらい痛い。

この後ずいぶん長いこと、
私はこの痛みの恐怖症だった。

死の恐怖より、
痛みへの恐怖をもつほど

痛かった。
私は何よりも痛みに弱いのを

神様は知っていたのだろう。

そして近頃は
ゆっくりしすぎて

動かなくなりそうだ。
このコロナなるものが

私に家にいなさい!
と、言ってるのかもしれない。

でも、それも、
そろそろ終わりらしい。

今度は神様が
動きない!と言い出したようだ。

あちこちから、
これがありますけれど〜

の声がかかり出した。

旭川でしょ。
福井でしょ。
札幌のピアノコンサートでしょ。

あ、明日は
家ねっと打ち合わせと

丸井さん!
小樽の友人たちが

アイヌ紋様グラスやら
米粉クッキーやらを

丸井さんで展示販売をする。
応援に行かなきゃあね!

多くの人たちに助けられて
内科的一病息災も切り抜け、

私の人生は益々魅力的に
展開している。

あの時の痛み苦しさと
娘たちや孫たちの笑顔が

今の私を作ってくれた。
あ!大事な人を忘れていた。

私を好き放題にしてくれる夫だ。
さてと、

これからも周りの皆さんに
エネルギーを頂きながら、

むつみさんの一本道を
歩こうと思う。

TTMゆい中野むつみでした。

天女に会って

TTMゆい中野むつみです。

お能は哲学だなあ
と思う。

私がお能の謡を習い始めて、
まだ一年半。

それも行きがかり上習った!
みたいな感じなので

かなりの不良弟子だが、
この頃やっと

能の奥深さを感じるように
なってきた。

私のお師匠さまは
角当行男先生と

息子さん角当直隆先生だ。
お二人とも神奈川からいらしてくださる。

2月末には、
初謡があり、私も恥ずかしながら、

【土蜘蛛】の頼光役を謡ったが、
そのできはさておき、

先輩の女性が謡った【羽衣】の歌詞に
いたく心が惹かれた。

天女が羽衣を忘れ
それを拾った漁夫が天女に

返しますよ〜と言ったら、
天女は、

羽衣を返してくれたら
お返しに舞を踊ります。

と言うのだが、
漁夫は、

羽衣を返したら
きっと舞を踊らずに天に

帰ってしまうだろう。
と言うのだ。

それに対して天女は、

『いや疑いは人間にあり。
天に偽りはなきものを』

と、返す。

天には疑うと言う心はない。
天には偽りがないから。

人間には偽りがあるから、
人を疑うのだ。

なんと深い言葉だろうと
思った。

そして昨日、
私はその天女みたいな人に会った。

その方は、
池戸恵子さんと言う方で、

3月から
札幌の美園というところで、

児童発達支援・放課後等デイサービス
【おとつむぎ】を開設された。

池戸さんは幼い頃からピアノを習い、
その先生を恩師と慕って

ヤマハのピアノの先生になったけれど、
思うところがあって

ベトナムの雑貨販売や
近頃は、

プロ野球のオリジナルグッズを
製造販売する会社の経営者になったのだが、

去年から、
音楽療育の【おとつむぎ】を作ろう!

と決意し、
今回開設の運びとなったのだ。

なんとまあ
どうして?


3時間ほど聞かせてもらった。

私のインタビューは
この事前のインタビューが一番大切で

肝となる部分を
どこまで引き出せるかにかかっている。

私は真剣に
池戸さんがピアノが好きなこと、

恩師の先生の音楽療育の素晴らしさを
知っていること。

などを聞いたのだが、
今ひとつ肝にぶつからない気がして、

粘った。ら、
最後にわかったのが、

池戸さんの
天女の心だった。

若い頃から池戸さんの周りには
障がいを持った子どもを持つ友人が

多く集まり、
何かしたい、助けたいと言う気持ちが

ずっと潜在意識に中で
育っていたようだ。

その気持ちは
どんどん大きくなり、

『私、日本で
この音楽療育を使った施設経営を成功させて、

次はベトナムにも作りたいの。

ベトナムには日本より障がい児が
多いのです。

そして、医療も福祉も介護も
遅れているの。

ベトナムで商売をさせて貰ったお返しに。』
と語ってくれた。

池戸さんは人を疑うことが
できないそうだ。

天女には偽りがないから。
ただただ真っ直ぐに信じる道を歩んで、

人の手助けをしたい。
その一心で歩き出したおとつむぎ。

きっと子どもたちや
お母さんたちの羽衣になってくれるに

違いないと思った。

TTMゆい中野むつみでした。

6669デビュー❣️

TTMゆいの中野むつみです。

本日、
6669デビューをいたしました!

文章 66歳 中野むつみ
漫画 69歳 工藤洋子

私のインタビューゆいトークを
私が感じたままに書いたものを

工藤洋子さんが漫画にする。

やってみようよ!
と二人で意気投合してから

出来上がるまでに
10ヶ月がかかった。

洋子さんは
昔漫画家志望だったことを、

私は洋子さんのインタビューをして知った。
なら、

私のインタビューを
漫画にして!

ただし、
内容は、私がインタビューをして

感じたこと
思ったことを文章にし、

それに洋子さんの漫画で
表現する感じだ。

1回目は、
インタビュー1回目の

ビューティーサロンウヤマの
宇山照江さん。

2回目以降は
インタビューの順番ではなく、

チョイスしながらやっていく予定。
もちろん、

全部インタビューを
受けて下さったみなさんに

確認しながらで有る。

人生が長いのか
短いのかは知らないけれど

やりたいことを
やってみる!

洋子さんの絵は
優しくて明るい。

何度描いても
私より洋子さんの方が

可愛く描かさる。
まさに、北海道弁だ。

66歳が文を書き
69歳が漫画を書いたら

当たり前に
時がゆっくり流れるような

漫画になった。

疲れない程度に文を読み、
漫画でほっとしたい皆様、

是非、お読みください。

TTMゆいの中野むつみでした。