一番ありがたいことかも知れない。

TTMゆいの中野むつみです。

昨日は、
ホームにいる母との面会日。

ホームの職員の方が、

『28日に面会予約を頂いていましたが
緊急事態宣言で27日から

また面会ができなくなります。
26日の3時でしたら

まだ空きがります。』
と、連絡を下さって、

急遽面会に行くことになったのだ。
私の母は一人暮らしだったけれど、

アルツハイマーになり、
我が家から車で10分くらいの

介護付き有料老人ホームに
5年前から入居している。

この一年半、
会えなくなったり、

会えても
ビニール越しだったり

色々だけど、
会ったことは忘れても

会った時の喜びは蓄積されていると
感じたので、

会えない時も、
メッセージカードを付けて

毎週お菓子を届けたりしていた。
が、

それがまた始まるのだなあ。
昨日は天気が良かったので

母のホームまで
真駒内公園を抜けて

歩いて行くことにした。
この公園は、


札幌オリンピックの時に
作られている。

手入れも大変だと思うが
公園内に歩くコースというのか、


まあ走っても良いですが、
みたいな感じで、

5キロコース
3キロコースがあって、

昔、子どもが小学校のマラソン大会で
5キロを走るというから、

練習で私も5キロコースに挑戦し、
寝込んだことがある。

あの時から
美しさが変わらない公園だ。

いや
樹々は成長し大きくなっているから

もっと素敵な公園に
なっている。

ホームに着くと
母はレクレーションを抜けて、

面会コーナーに来てくれた。
毎回、『六花亭には行けるの?』

と、聞いてくる。
ホームの近くにある六花亭の喫茶室を

覚えているのだが、
コロナで行けないことは

忘れてしまう。
早く連れて行きたいなあ。

15分の面会時間は
すぐに終わった。

母は何度も
『ここに居て本当によかった』

と、言っていた。
ホームの職員の皆さんも

とても優しくて
明るい。

5年前に入居した時は
同じ建物内にある1LDKの

大きめの部屋だったが
認知症が進み、

介護付きに移ったのだが、
人見知りの激しい母で

慣れるのに時間がかかり、
随分心配していたが、

この頃は
すっかり自分の居場所に

なったようだ。
母の住所は、

今も実家のあった場所になっている。
そこに父が創業した会社があるので

住所を置いておくことが
できた。

なんだか
ホームを住所にするのが

私が嫌だったのだが、
それは私の心の問題で

母はきっと
今のホームに住所を移しても

全く問題ないのだな、
と、昨日初めて思った。

母はホームの介護士さんに手を引かれ、
ちょっとだけ私に手を振ってくれて、

介護棟に戻っていった。

またしばらくは会えないけれど、
『どのお菓子も美味しいよ』と、

言ってくれたから、
また運ぼう。

ホームの職員の皆さんに
感謝である。

TTMゆいの中野むつみでした。

旭川で思うこと

TTMゆいの中野むつみです。

去年の8月30日から、
私の旭川通いが始まった。

と言っても、
最初はそのつもりはなかったのだ。

一昨年の11月に
1回目のインタビューを開始し、

さーて、
これからどうやってゆいトークを広げよう!

と、思っていたら、
コロナが!

おいおいどうする?
このまま引っ込むのか?と、

悩んでいたら、
無料にしたら良いよ!

と、
助言してくださる方がいて、

それもそうだわ。
誰も中野むつみを知らないのだから。

とはいえ、
無料と言ったって、

何処の馬の骨かわからない私に
誰が話をしてくれるのだ?

と、考えたが、
いやいや、

私がお話を
お聞きしたいと思っている方に

素直にお願いしてみよう!
まずは、

旭川の女性経営者の大先輩、
鈴木栄子さんに、

ズーズーしくも

インタビューをお願いしたら
快く引き受けてくださったのだ。

本番は
旭川の老舗旅館扇松園で

行うことになった。
で、

私は扇松園の女将さんに再会し、
ここから旭川通いが始まるのだが、

そこんところは
近日漫画付き本でご紹介予定。

なのだが、
このコロナは、

その旭川通いも
中断させる勢いだ。

本当は、
8月21日から

旭川美瑛に福井の大先輩たちと
行く予定だった。

福井の女性経営者の大先輩
奥村さんは、

大の三浦綾子ファン。
なので、

氷点橋を渡って
三浦綾子記念館行き、

三浦綾子を満喫して頂いたあとは、


三浦綾子の小説にも登場する扇松園に宿泊し、

多いに呑んで
語ろうと思っていたのだが、

あー残念。

ちょっと話は変わるが、
私は三浦綾子さんの小説は実は苦手だ。

思うに、
三浦綾子ファンは

皆さん
超ネアカというか、

本当の意味で
楽観的に前向きに生きることが

できる人なのではないかと
思う。

私はそこまで
ネアカではないらしく、

ずっしりときちゃうような気がする。

まあそれはさておき、
旭川は素敵な街だ。

大雪山系を始め、
北海道の山々に囲まれて

空気も水も
最高に美味しい。

夏は暑いけれど
カラッとした暑さだし、

冬は寒いけれど
風がないから

キーン!という寒さで、
気持ちがスキッとする。

雪は溶けずに積もるので
固まった雪はキューブ状になる。

車をちょっと走らせたら、
美瑛や富良野だ。

そういえば、
上富良野から見た十勝岳も

好きだなあ。
昔、仕事で

上富良野の養豚場に行ったことがあるが、
こんな美しいところで育った豚さんは

健康で美味しくなるだろうなあ。
なんて思った。

私は
北海道は大雪山系をはじめとする山々で

命を繋いでいる気がする。
美味しい水と空気を作り出している山々。

大切にしたいと
旭川に来るたびに思う。

TTMゆいの中野むつみでした。

思い出も楽し

TTMゆいの中野むつみです。

ここ数年、
断捨離決行中!だったが、

何故か心が
少し変わってきた。

きっかけは、
新しい本棚を買ったことだ。

着物を着るようになってから、
我が家には、

『むばあばの着物の部屋』ができた。
形見の着物にプラスして、

買っちゃった!が増えた。
安心して買えるリサイクル着物の

和ものや傳を知ってからは、
益々着物類が増えた。

ら、
タンスも増えた。

結果、
着物部屋ができたのだが、

その部屋には、
娘たちが使っていた本棚があり、

娘たちの写真、孫たちの本、
私の本、良くわかんないものが

混在してあった。
私は何故か、

どうしてもその部屋を
自分の部屋にはする気になれず、

私の机は居間にあった。

それが素敵な本棚を見つけて、
古い本棚を捨てる!と決めたら、

急に
自分の机を着物部屋に

移す気になったのだ。
本棚は受注生産のため、

届くのは2ヶ月後だが
なんだかウキウキして

机だけは
先に着物部屋に移動した。

そしたら、
なんだかとっても落ち着いて、

私はどうして、
今まで居間で仕事を

しようと思ったのだろうか。
と、思うほど、

自分の部屋の自分の机が
落ち着いた。

そうなると、
2ヶ月後に来る本棚のために

今の本棚を整理したくなった。
私の本はごく少量しかない。

去年のコロナ断捨離で
かなりの数を売ったり捨てたり

したからだ。
私は、

自分の写真は何年か前に
ほとんど捨てていた。

夫が、
『こんなに捨てていいのか』

と言うほど、
思いっきり捨てた。

子供たちの写真も
こんなにあっても見直さないから、

と、捨てようとしたら、
夫が『選ぶ!』

と言いつつ、
そのほとんどを残していた。

が、
この本棚を見返していたら、

子供たちの卒業アルバムや
友達とのスナップ写真、

孫の写真なんかも
出てきた。

娘たちの家に送って
娘たちで処分をさせようと思い、

誰の卒業写真だ?と、
藻岩小学校のアルバムを開けたら、

小学校6年生の長女の顔が
突然現れた。

あら、
こんなに可愛かったのね!

結局残ってる卒業アルバムを
全部見て、

まあ残しておくか。
大した量ではないから。

スナップ写真だけ
娘に送ろうと手にしたら

それは家族旅行の写真だった。
次女は高校受験の夏で、

あなたは受験勉強よ!
と言って、

長女と三女を連れて
富良野を周り、

釧路の夫の実家に
行った時のものだった。

あー可愛い!
私も夫も若い!

あら、
私も可愛いじゃん!

自画自賛で嬉しくなって、
そしたら、

写真はみんな取っておこう。
と、急に思った。

次女と友だちのスナップ写真は
次に次女が帰ってきた時に

整理をさせよう。
捨てるだけが良いわけじゃあないから。

不思議だなあ。
本棚を買っただけなのに

私の心が
くるりんと変わった気がした。

TTMゆいの中野むつみでした。

古き良きもの

TTMゆいの中野むつみです。

人の出逢いは不思議。
小樽に何も興味がなかった私が、

10年前の9月
突然閃くように小樽にNPOを

つくった。
仲間は知らない人ばかりで

あーだのこーだのあったけれど、
国土交通大臣賞審査委員長賞を頂けるまでに

そのまちづくりのNPOは成長し、
今は、

この人無くして小樽は語れない!
と言う方が代表となり、

2年続けて、
旧寿原邸の管理を任され、

土日祝日に一般開放の他
色んなイベントを行っていた。

が、
コロナで今年2回目の休館になった。

仕方なし。
旧寿原邸と言うくらいだから、

昔は寿原さんの家だったわけだが、
家と言っても豪邸で、

でも、
なんと言うのか

どこか西洋の匂いもする家。
いわゆる古い由緒ある豪邸は

本州にもたくさんあり、
豪邸を競うなら、

うーん、
だけど、小樽の豪邸は

洒落ているのだ。
雪に耐えるのだから

柱や梁は立派だけれど、
どこか都会的だ。

そんな旧寿原邸は
ファンも多くて

去年はコロナの中でも
2000人近い方に来て頂いた。

今年は、
開いては閉じ、の繰り返しで、

中々来館者は伸びず
ただ今856人。と言うところで、

一時閉館となった。
あー残念。

なので、
旧寿原邸で水まきをした写真と

内部の写真、


そして!なんと!

上からの写真をお見せしましょう♪
いいでしょ!

でも、
小樽の良さは

色々あって、
普通の街並みが魅力なのだが、

実は小樽好きが愛してやまない家々が
三角屋根の家。

マニアックな方達が
よくこの家の写真を撮っている。

うーん
小樽のこの場所にあるから

また良いのですよね〜
で、

このうちの2軒を
NPOでマッチングしたが、

そのうちの一軒が
金継ぎ工房になっているのだ。

金継ぎって
知ってはいたけれど、

実際に見るのは初めてで、
割れた焼き物たちが

金継ぎをすると
価値が上がって生き返る。

そんな感じだ。
その金継ぎ工房をされているのが

村岡さん。
本州で金継ぎの修行をされ、

小樽に移住して
小樽札幌に金継ぎを広めている。

小樽で結婚されて
お子様もできて幸せいっぱいの

ステキな女性なのだが、
その村岡さんが今度金継ぎの展示会を

札幌で開かれる。
場所は札幌資料館だ。

なんと金継ぎにぴったりの
場所だろうか。

密にならないように
感染防止に万全を期して開くそうだ。

コロナで心まで縮みそうだが、
日本の伝統工芸で

割れた焼き物たちが
生き返る様を見たら、

元気が湧いてくる気がする。

古き良き建物も
器も

人が使ってこそ
息を吹き返すのだと

小樽は教えてくれている。

TTMゆいの中野むつみでした。

小樽にて

TTMゆいの中野むつみです。

今日は小樽DAY。
午前中は、

NPO法人小樽民家再生プロジェクトの
小樽移住者インタビュー!

午後は、
FMおたるのパーソナリティ

たぐともさんコト
太田智子さんのゆいトークインタビュー。

こんなことも珍しい仕事で
小樽三昧だ。

移住者インタビューは
前回ゆいトークに出ていただいた、

猫シェルターアリエルの
西谷さん。

楽しく移住のことやら
アリエルのことを

15分ほど話していただいたが
なんてったって

ニャンちゃんのお家を
お借りしての収録だから、

にゃんちゃんたちが
画面に入ってくる。

これも楽しい。
で、

収録後は
NPOのお仲間山谷智恵子さんと

西谷さんと私の3人で
小樽堺町でランチをしよう!

と、なった。
日頃はあまり堺町散策はしないのだけど、

コロナで堺町の皆さんは
超大変!だから

少しでもお金を落としたい!
と、言っても少額ですが。。。

で、
アリエルを出たら、

西谷さんはすぐに近所の方に
声をかけられていた。

毎日、
猫シェルターの掃除を

ボランティアでしてくれるご近所さんと言う。
すごいなあ。

『猫が好きで掃除をしていたら
懐いてくれるんですよ。

もらわれていくと寂しいけれど、
すぐ次の猫が増えるから』

と、
その女性は言った。

自分では猫を飼えないので、
猫シェルターのにゃんちゃんたちを

触れるのが楽しいのだとか。
ちなみに、

猫シェルターアリエルは、
普通の古い家で、

猫たちは
小さい小さい子猫以外、

気の合う猫たちで
部屋をシェアーしており、

まあ一軒家が全部にゃんちゃんち。
と言う贅沢さ。

なので、
掃除はえらいこっちゃ!なのだ。

猫のトイレもいくつもあって
清潔だが維持が大変。

それを手伝ってくれるのだから
本当に助かる。

まあ私のシェルターじゃあないけれど、
思わず頭を下げたら、

そのご近所の女性が私の帯を見て、
『まあ!猫!作ったの!』と、

歓声を上げてくれた。
本当に猫がお好きなようだ。

その女性と別れて
3人はまるで観光客のように堺町を歩いた。


なんだか
よくわかんないけれど

楽しかった。
ただお客さんはいるのだけれど、

お店が潤うほどの数はおらず、
仕方ないね〜と言いつつ、

堺町の外れのお蕎麦屋さんに入った。
うん!とろろ蕎麦美味しい!

そして、
【峯山冨美没後10年企画展】を

訪れた。
峯山さんは小樽運河保存運動のリーダーだった。

今の小樽の繁栄があるのは
峯山さんがいたからだと私は思う。

字が目立つパネルに
小樽の人たちの真面目な思いが

伝わってきた。
午後からは松ケ枝町と言う、

海がいっぱい見える場所での
インタビュー。

たぐともさんのお話も
小樽三昧。

やっぱり小樽は
熱いマチだなあと思った。

TTMゆいの中野むつみでした。

お持ち帰りOKのとこがいい!

TTMゆいの中野むつみです。

多分、
友人の職場と家のお片付けのプロ、

廣澤克美さんの影響だと思うのだが、
食べ物を残すことへの抵抗感が

強くなった気がする。
私は親から

もったいない!を
教わった年齢だが、

何せ子どもの時から少食で、
お弁当の蓋についたご飯は

先に綺麗に食べるけど、
ご飯本体は半分も食べられず、

殆ど残して捨てることが
多かった。

でも、
廣澤さんのインタビューをして、

やっぱり
食べるものを捨てちゃあだめだわ!

を実感し、
それからは食べる量だけ作る、

買うを心がけるが、
外食すると、

あれ!これ、多すぎ!
になることもあり、

時々お店に
『もう少し量を少なめにしたら?』

と、言ったりする。
そのお店の一つが、

旭川のそば扇。
旅館扇松園のレストランだ。

この頃は、
素泊まりにして

夕食はそば扇で頂くか、
部屋食にしたりするが、

それが
大盤振る舞いの量なのだ。

『だからさあ、
これじゃあ元が取れないじゃん。

もっと量を減らしたら
いいのに!』

と、お節介おばさんは
社員さんに言うのだが、

これがどうも
譲れない量らしいのだ。

それでもちょこっと減らしたのが
この写真のお漬物。

わかりにくいけど、
三平皿くらいの大きさに

これだけ盛り付けて
350円。

そして
揚げ物がすごい。

これ、なんだかわかります?

鳥の唐揚げ一つ分、
大きすぎて口に幅けるから

切ってもらった。
これで420円。

ちなみに
枝豆はこの量で350円、

全て税込。
前回、以下のゲソ揚げを頼んだ時は

超びっくりして、
これ、エビフライ?と

思わず聞いたほど、
イカの足の大きさが

エビフライくらいだった。
いやはや、

あのさあ〜
と、今回も言いかけてやめた。

お店に来るお客様は
皆残さずに食べているのだ。

そして、
残しそうな方は

どうぞお持ち帰りください。
と、パックとビニール袋を

渡してくれる。
それだったら、

もったいないことには
ならないものね。

で、
私は、

鳥のつけ麺の蕎麦を
半分にして貰い、

唐揚げと
枝豆はパックにして部屋に持ち帰り。

ちなみに
昨日は大雪ビールを飲んだ後、

日本酒刈穂をボトルでキープ。
刈穂は札幌でも置いている店が少ないから、

部屋で飲んだ後は
キャリーケースに忍ばせて

札幌にお持ち帰りをする。

旭川も今日からマンボー。
お店でのお酒の提供は

できなくなる。
昨日の一杯は貴重だったなあ。

お店で普通に
アルコールが頂けるようになったら、

旭川のお越しの際は
扇松園に泊まって

そば扇で
美味しい蕎麦と


たっぷりのおかずを召し上がれ。
心も体も満足ですぞ〜

で、残ったら
パックでどうぞ。

蕎麦も頼めば半分の量に
してくれます。

TTMゆいの中野むつみでした。

お盆の入りに

TTMゆいの中野むつみです。

今日は盆の入り。
で、

お墓参りに行ってきた。
夫の義父母は釧路に眠っており、

『コロナだから
お参りは私たちでしておくから』

という義姉の言葉に甘えて
今年は釧路には行かず。

私の実家のお墓と
私を

実の子のように
可愛がってくれた叔父叔母のお墓と、

お墓参りの梯子となった。
久しぶりに

三女とその子たち二人も
一緒だ。

今日はホームにいる母の面会日だから、
2時までには戻らねば!

と、意気込んだ割には出発が遅れ、
その上、

こんなにお墓参りをする人がいるの!
と思うくらい滝野霊園から里塚霊園に向かう道は

激混み。
ちなみに、実家のお墓は里塚、

叔父叔母のお墓は滝野にあるので、
まずは里塚から。

だが、
その里塚霊園に入ると

これまた渋滞。
霊園の中が渋滞なのだ。

霊園の入り口にある
お花屋さんも大繁盛。

去年は全くお参りをする人がおらず、
花屋さん、大丈夫かしら?

と、思ったが、
今年はその分を取り返す勢いだ。

いつもなら、
お盆休みに旅行!の人も

御先祖さまをお参りに来たのかな。
などと娘と話しながら、

無事実家のお墓にたどり着く。
小3と年長さんの孫二人が

お水を汲んできて
お墓を洗った。


さぞや皆さん
喜んでくれたことだろうな。

と思いながらお参りしたけれど、
今年は本当に

先に逝ったみんなが、
ここに帰ってきてくれた気がした。

あちらに行った魂は
一度にどこにでも行けるそうだから

我が家にもいて
姉のところにもいて

そして
父は母のところにも

顔を出しているに違いない。
実家は神道だから、

夫と私と三女と孫二人は
二礼二拍手一礼をしてお参りをした。

その後は滝野霊園へ。
来るたびに大きくなっているこの霊園は、

毎回迷う。
で、今回も迷いつつ

叔父と叔母にお参りをした。
私が着物を着るようになったのは、

この叔母から沢山の着物を
形見で貰ったからだ。

私を
とても可愛がってくれた叔父と叔母は、

私の3人の娘たちも
可愛がってくれた。

特に三女のことは可愛かったらしく、
今日、三女たちが一緒で喜んでいるに違いない。

わんぱく2名は
お参りがすむと

駐車場の急斜面を登り出した。
子どもは元気だなあ。

と、
叔父の声が聞こえた気がした。

三女はいつものお盆は
婿さんの実家の墓参りでいなかったが、

遠軽なので今年は
行かなかったそうだ。

お陰で
一緒にお参りできてよかった。

今日の私の浴衣は
祖母の形見。

多分60年くらい前のものだと
思う。

草履も足袋も
祖母の形見だ。

昔のものはよく持つなあ。

今年のお墓参りは
いつになく気持ちが良かった。

お墓に眠る皆々様
これからもよろしくお願いいたします!

TTMゆいの中野むつみでした。

美瑛で生きる。

TTMゆいの中野むつみです。

ある日突然夏が来て
ある日突然夏が終わる。

これが北海道。
だけど、

昨日は、
その清々しい天気の中

美瑛に行ってきた。
今回の事前インタビューは、

佐々木良榮さん。
ネットで、

ヨサコイなどの衣装を受注生産されており、
日本手ぬぐいで作る人形では、

世界的に有名な方だが、
今回は、

美瑛を元気に!の活動を開始された
びえいデザイン室有限責任事業組合の


中心的組合員として
お話を伺ったのだが、

いやはや
何がすごいって

ご本人、お母様、おばあさま、
大叔母さまの

働く、稼ぐ、生きる!
地域の中で!

の生き様がすごい。
思わず、

『良榮さんって、
大叔母さまにそっくりなのね!』

と、言ってしまった。
が、

その4世代続く美瑛の女性の話は
本番を見ていただくとして、

今日は今の美瑛のコトを
伝えたいと思う。

当たり前に観光客がいなくて
寂しいけれど、

良榮さんが大家で
姪っ子さんが営む喫茶店すずらんが

ステキなのだ。
まず外観はこんな感じ。

元々
良榮さんの父方の祖母が

旅館を営んでいた建物を
一部喫茶店にしているが、

カフェじゃあなくて
喫茶店だ。

お客様は全員地元の方で、
良榮さんのお父様が

美瑛の別の地で
喫茶店を営まれていた当時からの

常連さんから、
良榮さんが5年前に再開されてからの

お客様もいらして
大繁盛だ。

昨日から14日まで
ちょうどお休みなのだが、

そのお知らせのチラシが
こちらの写真。

誰がなんの理由で働けないので
お休みします!

を写真付きで書いている。
これを書かないと

常連さんが心配されるのだとか。
何せお父様が喫茶店をされていた時は

盆暮正月大晦日、
全く休みがなかったそうだから。

喫茶店の内部は写真の感じだけれど、
ここにあるお花は全てお客様が

持ってきてくださるそうだ。
実は今年の6月、

良榮さんのお母様が亡くなり、
『49日を済ませたばかりの初盆なので、

お客様が今日も
庭に咲く百合を届けて下さったのよ。』

と、綺麗な赤い百合を
見せてくれた。

なんとまあ。
事前インタビューは

この休んでいる喫茶店すずらんで
お話を伺ったのだが、

何人ものお客様が、
『あら、休みだったわね』

と、言いながら、
ドアを開けていた。

美瑛といえば
素晴らしい風景や

洒落たペンションやカフェが有名だけど、
昨日見た美瑛は人情味あふれるマチだった。

私は良榮さんの話を伺いながら、
良榮さんは、

大好きな洋服の
デザインに向けていたエネルギーを

美瑛の新しいまちづくりに
全て向ける決意なのだと思った。

多分それは
親族を代表しての

美瑛への恩返しなのだと
思う。

良榮さんの一族の女性たちの生き様は
映画にしたら素晴らしいと思うほどだが

インタビュー本番で
どこまで話して頂けるか

インタビュアーとしても
挑戦だなと思っている。

TTMゆいの中野むつみでした。

ラッキーな日?

TTMゆいの中野むつみです。

これはラッキー!
なのだろうか。

本日は、
明日行われる薪能のため、

朝早く札幌を立ち、
富士宮市に向かった。

時はコロナ禍。
出来るだけ東京を通らずに

静岡に入りたい。
ので調べたら、

羽田から京急に乗って横浜に行き、
そこからJRで熱海に。

そこから乗り換えて富士市、
また乗り換えて富士宮市が

時間はかかるけれど
安全か?

と考えて
そのルートにした。

新幹線は速いけれど、
品川で乗り換えだから。

で、
朝8時に札幌駅に向かい、

エアポートで千歳へ。
本日は移動だけなので

着物は皺になりにくい縞々。
なんとかって言う織物らしいけど

忘れた。
帯は大好きな祭り帯、

帯留めは、
この帯のために買ったスイカ。

まあ楽しみましょう!
と、呆れ顔の夫を残して

颯爽と家を出た。
が、

札幌駅の気温は30℃。
いやはや札幌とは思えない。

で、
エアポートは順調で

新千歳空港は
空いているけれど、

それなりに人はいて、
夏休みの空気も少しあり。

でも、
飛行機は大型で

当たり前に
前後左右、その向こうも人はいない。

さてと、
京急の時間を調べよう。

ついでに
明日の富士宮市の天気は?

と、思って、
飛行機内のインターネットをON!

にしたら、
あら、明日は大雨予想だ。

それも薪能が始まる時間から
雨が降り出す。

うーん
室内になるのかなあ。

せっかくの初薪能だから、
やっぱり富士の裾野の神社で見たい。

などなど考えながら
時刻表を調べたら、

あら、
さすが都会

ひっきりなしに
京急は走っている。

よしよし
富士宮市まで3時間半はかかるが

富士山を見ながら
ゆっくり行こう。

途中熱海を通るから、
やっぱり手を合わせなきゃあ。

などなど思いつつ、
飛行機は順調に羽田に着いた。

お客様が少ないから
降りるのも早い。

キャリーバッグは
預けた。

明日の薪能は
絽の着物にトンボの帯を締める予定だ。

そして、
なんと!富士山の帯留めを

買ったのよー
富士山で富士山!

で、
草履も青にしよう。

絽の着物も
草履も祖母の形見だ。

祖母も一緒に薪能!
そんな気分だった。

で、
荷物を取って

京急に一直線、
何せ空いているから

全ての移動が楽で、
京急に乗って座席に座ったら

携帯が鳴った。
薪能に誘ってくれた謡の先生からだった。

電車の出発までには
まだ3分あったから、

電話に出ると、
A先生は少し暗い声で言った。

『中野さん、
薪能、コロナで延期になったの。

午前中に急に決まったのよ。』

ガーン!
札幌から来られる方々は

皆明日出発。
前日入りは私だけだった。

もうすぐ京急は出る。
ホテルも帰りの飛行機も

予約してある。
一瞬迷ったが、

京急を飛び降りた。
頭の中でパシャパシャ計算したら、

このまま帰るのが得だ。
経費は最小で押さえられる。

明日は雨だし。
電車が出る直前で電話が来てよかった!

で、
今、14時35分の飛行機を待って

空港でこれを書いている。
今日はきっとラッキーな日だ。

TTMゆいの中野むつみでした。

香りの精

TTMゆいの中野むつみです。

人生初、
香りを聞いた。

昨日、
小樽にある旧寿原邸で行われた、

聞香会に参加したのだ。
午前中は会場係、

と言っても
特にすることはなく、

参加者の方々を見守る感じだったのだが、
みている間に参加したくなり、

ならば
午後からは参加者に変身!

参加費を支払って
お客様になった。

小さな香呂に灰が美しく盛られ、
その中に、

真っ赤になったこれまた小さな炭を
埋め、

灰の中に少しだけ穴を開けて
空気を入れる。

その穴の上に
超小さな網を乗せて

その上に香木を置くのだが、
その香木が小さすぎて

老眼の私には、
網の線だか

香木だか
わからないほどだ。

で、
香木が温まり

香りを出すのだが、
あまりにほのかな香りなので

香呂の上に手を山形に置き、
親指と人差し指の間から

掌の中に漂う香りを聞く。
嗅ぐのではなく

聞く。
うーん、やっぱり嗅ぐ?

でも、
あまりにほのかな香りなので

神経を集中させて
鼻腔の奥で感じる。

で、
この香りは何かしら?

と、
香りの神様に聞く?

あーそうなのかも知れない。

最初は
鼻と耳は近いから聞く?

と表現するのかと思ったが、
あれは神様、香りの精に

聞いているのだ。
これはなんの香りですか?

心静かに聞いていると
香りの精が香りを放ち、

感じることができる。
そうなのですねー

なので、
心がどっかに行っていると

香りの精は教えてくれない。

私は一生懸命に集中したけれど
三つの香木の香りの差は

わからなかった。
慣れも必要なのだとか。

ただ
香りが持つ熱さは

とても気持ちが良かった。
少々体調を壊しているので

特別の炭で熱くなった空気が
鼻腔の奥に心地よいのだ。

香木も漢方的な役割を
するのだろうか。

ただ
本当に暑い日だったので

できればもう少し
涼しくなってから

また経験したいと思った。
が、

場所が旧寿原邸というのは
趣があってよかった。

聞香は
心を整える役目もするというが

静かな
庭が見える和室で

香りの精に耳を傾けるのは
やっぱり心が落ち着く。

お道具も小さくて繊細なものばかり、
特に香呂に灰を入れて

形を整えていく作法は
素敵な作法だった。

相手が灰だから
乱暴に扱うと灰は舞い上がり、

そこいらじゅう灰だらけになる。
香呂の縁に付いた灰を払うのも、

一枚の小さな小さな鳥の羽。
私だったら緊張して

くしゃみをしてしまいそうだ。

香木は
東南アジアから

渡ってきたものだそうだが、
それを使って繊細な作法から、

香りの精の言葉に耳を傾けることを
考えつくのが日本人らしい。

日々落ち着かない生活をしている私に、
ちょったあ反省しなさいよ!

と、
香りの精が言った気がした。

TTMゆいの中野むつみでした。