されど形見の帯

TTMゆいの中野むつみです。

久々に必死の練習。
何がって、帯。

着物の着付けを習って、
半年。

どうにか一人で着られるようになり、
あとは、

美しく着られること!と、
早く着られること!

に目標を設定したが、
帯は名古屋帯か、

袋帯でもしゃれ帯。
まあなんですね、

私でも結べます!
の感じの帯で、

それでもそこそこ時間はかかるが、
どうにかなる。

だったのだが、
実は来月、

東京で事前インタビューを
することになり、

お客様は、

お能の梅若流角当行雄先生。
有名な先生だし、、、

お能の先生だし。。。
ここは気張ろう!

と、思い、
事前インタビューだけれど、

一張羅の白大島紬に、
祖母のタンスから出てきた帯を

締めようと思ったのだ。
その帯は、

多分、新品。
薄緑の紬の帯だけれど

袋帯で、
同色で刺繍も施されている。


実家を
取り壊す時に見つけた祖母の着物は、

全部袖を通して、
草履も履き、

下着も使っているが、
袋帯は使う機会がなかった。

金糸も銀糸も使わず、
紬なのに刺繍もあり、

そして、
何故だかめちゃくちゃ長い。

他の袋帯は
金糸銀糸が入り、

着る場所が限られているけれど、
この薄緑の紬の袋帯は、

着ようと思ったら着れるけれど、
長い。ので、

どうしよう。。
と、思っている時、

一大決心で白大島紬を買い、
この着物に締めようと決めた。

なんで決めたのかわからない。
ただ、着る機会が来なかった。

が、そーしたら、
角当行男先生のインタビューが決まり、

よっしゃー!
事前インタビューで着るぞー

と、心ワクワク。
でも、

ホテルで一人で着られるか?
と、先日、

着付け教室の遠藤先生に習いに行ったら、
全く締めるどころの話じゃあない。

要は、
いくら着物を一人で

着られるようになったと言っても、
着物歴半年の私が一人で締められるような

甘い帯ではなかったのだ。
が、

どうしても諦めきれなかった。
叔母の形見の良い帯もいっぱいある。

他の帯でもいいじゃん。
なのに、

どうしても
この帯を締めたいのだ。

詩吟を習っていた祖母の帯だからか。
わからないけれど、

この帯を締めたいと
諦めきれず、

ならば練習しよう!
と、

一人で長い帯と悪戦苦闘を
開始した。

わかる方にしかわからないけれど、

模様が一部にある長い袋帯は、
いやあ難しい!上に、

腕が後ろに回らないと
締められない。

いやはや
で、

本日の結果は、
うーん25点くらいか。

でも、
よく頑張りましたよー

それにしても、
どうしてこの帯を締めたいのかしら。

もしかしたら、
幸運の帯なのかも。

白大島紬の着物に
薄緑の紬の袋帯を締め、

角当先生に
事前インタビューしている自分が見える。

だからきっと締められる!

たかが形見の帯。
されど形見の帯である。

TTMゆいの中野むつみでした。

時間の不思議

TTMゆいの中野むつみです。

秋ですねー
山も秋だけれど、空も秋。

色々なことが進み、
自分の変化も大きいのに、

何故か、
時々、心が2月のままだったりする。

変だなあ。
デパートに行くと、

おせち合戦が始まっているけれど、
心が全く動かない。

いつもなら、
今年はどれにしようかな?

と、
人気のレストランおせちと

ホテルおせちに
迷ってる頃なのに。

確かに、
愛知と長野の娘たちは帰省しない。

でも、
その代わり、

正月1日から3日まで、
愛知の娘のところに行こうと思っているから、

おせちは必需品なんだけれど。
そんな話をタクシーの運転手さんにしたら、

『コロナのせいですよ。
僕もお正月が来る気がしない』

と、言っていたっけ。
だから、

デパートのおせちコーナーも
閑散としていたのか。

本当に不思議。

私は、
コロナで止まっていたインタビューを

再開し、
順次アップしていて、

インタビュー本番を
控えている方もおられ、

元気いっぱいに動いているし、
夫も普通に出勤し、

娘たち家族も
みんなほぼ普通の生活をしている。

なのに、
この季節感というか、

時の流れの
変な感じはどうしたことぞ。

と思いながらも、
せっせと生きているが、

我が家に飾ってある花たちも
何故か、

時間の感覚がおかしいようで、
1ヶ月以上咲いてる花もある。

そーいえば、
先日、

本番インタビューをさせて頂いた、
牧野准子さんのおうちには、

8月から生けられている葉っぱの花があった。
変な日本語だわ。

花弁はなくて
葉っぱだけの切り花のこと。

よく見ると、
茎から細い根っこが出てきていた。

牧野さんのお宅には
様々な観葉植物が元気に育っていたけれど、

切り花の葉っぱが2ヶ月以上持つのは
初めてだそうだ。

牧野さんは、
女性建築士だが、

病気で車椅子生活になり、
その生活から感じること、

見えてくることを
建築士の視点でも捉え、

講演をしたり
本も出している。

インタビューでは、
そこいらへんも

少しだけ話していただきながら、
牧野さんの素敵な人間性を感じる

お話を引き出せたと思う。
今回のインタビューの

撮影場所はご自宅で
撮影をされたのはご主人だ。

マンションだが、
内装などのインテリアは

当たり前に牧野さんが
行っている。

そちらも見ていただけたら、
良いなあと思う。

ちなみに、
牧野家の愛猫も逃げずに映っている。

ただし、
すっかり寛いでいたので、

探さないとわからないかも。

ウォーリーを探せ!
ならず、猫ちゃんを探せ!

の感じか。
そして、

実は映らないはずのご主人も
密かに映っていた。

さーて
こちらもどこでしょう?

である。
近日中にアップ予定。

ゆいトークコーナを
見てね!

おせちはやっぱりピンと来ないけれど、
時間は確実に進んでいるようだ。

TTMゆいの中野むつみでした。

紅葉を愛でながら

TTMゆいの中野むつみです。

秋深し?
北海道はめちゃくちゃ紅葉で、

いつもより早いみたい!
と、思ったが、

小樽のブルーベリー農園の紅葉は
いつもより遅れているそうで、

あら、
いつもはもっと早くに紅葉だったか?

と、よくわからないけれど、
昨日は、夫と三女と孫たちと、

家の近くの
紅桜公園に紅葉を愛でに行った。

毎年、紅葉を愛でるような、
落ち着いた生活習慣は、

持ち合わせていないけれど、
今年は行ってみようと思った。

孫たちが行きたいと言ったことが
引き金にはなったが、

こちらの公園は、
昔からあるけれど、

あまり行ったことはなかった。
あれはお盆くらいだったろうか、

コロナでいろんなことが
自粛中だったが、

ここで『お酒なんとか』が開催され、
見にきたら、

びっくりするくらい
きれいな公園だったのだ。

それも、個人所有。
中にはジンの蒸溜所もできて、

昔の、
【ジンギスカンを食べるところ。】

のイメージは、
すっかり消えた。

で、
昨日は、

公園内をそぞろ歩きし、
『滝があるんだね!』というところで、

写真を撮ってもらい、
『これ以上山の上は、着物だから行かないわ』

と、
一人で公園内を散策した。

大きな石を数多く配した庭園は、
自然庭園ともいうのだろうか。

大きな樹々の間に
大小様々な石が配されていた。


暫く歩いていたら、
上の方から孫たちが

坂道を転げるように走ってきた。
若いなー

その後ろから夫が
静かに歩いて来る。

夫は60代後半だから、
年ではないけれど、

日頃の運動不足が応えたようで、
ヒーヒー言っていた。

若い頃は坂道なんて
走って登り下りして娘たちと遊んでいた夫。

自分は着物姿で
そろそろ歩いているのに、

夫の歳だけが気になる。
あー身勝手な私。と、苦笑。

だって、
若い頃は本当に娘たちと

走ったり
ふざけたり

そりゃあ
体を使って遊んでいたのだもの。

朝は、
布団をあげながら、

娘たちを布団で簀巻きにし、
きゃあきゃあ騒ぎ、

私に、
『早くしないと保育園に送れるでしょ!』

と怒られていた。
夜も土日も仕事の夫だったが、

たまの休みは
娘たちと遊ぶし、

遊び方も上手というか、
自分も一緒に楽しむから、

そりゃあ娘たちは
ファザコンに育った。

娘たちは、
答えが必要な相談事は

母である私にして、
楽しい時間は父親!

みたいな感じだったかな。
娘たちはそれぞれに結婚し、

子どもも産んで育てている。
夫婦仲もそれなりに良いようだ。

それでも時々、
自分の夫と父親を比べるようで、

これが息子と母親の関係だったら、
大事なのに、

男性は寛容だと思う。

今年の木ノ実は豊作のようで、
公園内の栗もどんぐりも大振りだった。

さあて、
孫と紅葉狩りも

今年はこれで最後か。
次は夫婦でのんびり来ようかな。

いつまでも
子育て時代の楽しさを

忘れられない夫婦のようだ。


TTMゆいの中野むつみでした。

出会いから

TTMゆいの中野むつみです。

偶然といえば偶然だけど、
不思議な出会い。

ただ手を挙げて乗ったタクシー、
その方は女性の運転手さんだった。

私はいつもの着物姿だ。
乗ってしばらくすると、

『お客様はいつも着物姿なんですか?』
と、聞かれた。

私は、
叔母や祖母の形見の着物の話や

着付け教室に通った話をした。
運転手さんは、

『私も着物が大好きで
昔は縫っていました。』

と言った。
どう見ても私よりかは若い方だった。

『あら、チクチクするのが
お好きなんですね!』

と、
私は自分が、

いかに針が嫌いかを言った後、

先日、茶BRAに行って見た、
和刺繍の話をした。

『野口染舗さんと言う所で
茶BRAというのをやってるんですが、

そこにあった和刺繍が
素晴らしくて!』と言うと、

その運転手さんは、
『私が勤めていたところです!』

と、仰ったのだ。
高校を卒業し、

野口染舗さんの
和裁学校を兼ねた会社に

就職したそうだ。
寝ても、

和裁のイメージトレーニングを
していたくらい好きだったけれど、

和裁だけでは食べていけず、
今はタクシーの運転手さんになったが、

今でも野口さんとは
交流があるそうで、

話は盛り上がり、
楽しいタクシー時間になった。

もう一つの不思議な出会いは
お雛様との出会いだった。

着物繋がりで知り合った
まだ40そこそこのUさんは、

日本史や古文書などに造詣が深く、
お雛様なども愛してやまない方で、

私は全く無知の分野だけれど、
これまた色々あって、

我が家のごく近くにお住まいの
雛人形研究家?の山田さん宅に

本日Uさんと伺うことになったのだが、
ごく普通の住宅で行われていたのは、

【秋の雛人形展】だった。
多分、去年までの私なら、

へええ
で済ませたと思うけれど、

今回は行ってみることにしたのだ。
玄関から始まって、

大小様々なお雛様が
飾ってあった。

Uさんと山田さんのお話は、
マニアックすぎて意味不明な言葉が

行き交ったけれど、
その中で見た一つのお雛様に

私は強く心が惹かれた。
札幌の誰もが知っている名前のお店の方から

譲られたお雛様だったが、
私が惹かれたのは男雛だった。

それも顔ではなくて、
その姿だった。

真っ黒い衣装だけなのに
その佇まいが好きだった。

『男雛が好きと言うのは
珍しいですね』と、言われた。

女雛にはあまり
興味が湧かなかった。

そして、
実家を取り壊す時

ついに見つけられず
亡くなってしまった実家のお雛様を

思い出した。
『お雛様は人形だから、

人間の代わりに
災難を受けてくれるそうですよ』

と、Uさんが言った。
急に、

あの見つからなかったお雛様が
母や姉、私に降りかかる災難を

全て代わって受けてくれた気がした。
なんだか心に残った最後の刺が

抜けた気がした。
偶然の人の出会いから

思いもかけず
幸せをもらうことって

あるのだなあ
と思った。

TTMゆいの中野むつみでした。

幸せのお裾分けディナー?

TTMゆいの中野むつみです。

21日は、
珍しいメンツでイタリアンを

頂いた。
元々は友人夫婦と会食予定だったが、

臨月に入っていたその奥様が、
20日の夜にご出産されたのだ。

3週間も早い出産だったけれど、
母子ともに元気!

の知らせに、
めっちゃ嬉しかったけれど、

はて、
予約したイタリアン、

どうしよう。
キャンセルするのはもったいない。

だって、
美味しいんだもん!

で、
急遽、

メンツ集めをすることにした。
さて、二人を誰にしようか。

うーん
と、考えた末、

夫には声をかけるべきだろうな。
と、思い、

声をかけたら、
『いいよー』

そしたら、
もう一人は夫も知っている人が

良いか。
当日の夜のイタリアンだから、

これが当たり前に
空いていない人ばかり。

そーだよね。
で、やっと付き合ってくれる人が

見つかった。
お片付けのプロで、

夫の会社の整理整頓も
コンサルしてくれている廣澤克美さんだ。

よく空いていたわ!
と言うくらい忙しい方なのに!

で、
美味しい食事につられながら、


あーだの
こーだの


なんと!
4時間も話して笑った。


いやほんと、
真面目な話もしたけれど、

はじめての3人会食は
イタリアンとは思えないほど、

私たちの笑い声が響き渡る会食と
なった。

話は3人の仕事の話から
子供の話まで。

夫と私の夫婦関係がもろに出るから、
さぞや克美ちゃんは大変だったろうに、

よくお付き合いをくださった。
帰り道も一緒だから、

タクシーの中まで
話は続行。

『来年の成人式は、
ドームで行われて、各区が時差なんです』

と言う克美ちゃん情報に、
タクシーの運転手さんまで会話に加わり、

『そりゃあ激混みになるね。
振袖姿で、どうやっていくんだろう』

なんて、
これまたタクシーの中は

あーだの
こーだの

楽しい時間。
そうなのだ。廣澤克美さんの姫は、

来年成人式なのだ。
可愛いだろうなー

姫の振袖姿。
前撮りはもう済んでいて、

その姿は
Facebookで拝見していた。

ふと、
うちの娘たちの成人式も思い出したが、

よく考えたら、
あと6年で初孫娘の成人式だ。

娘の振袖を着るはず。
で、その前に、

2年後は、
一番孫の成人式だ。

こちらは男の子だから
振袖は関係ないけれど、

なんとびっくりする時間経過だ。

今回、
会食する予定だったご夫婦は、

私が3番目に
インタビューをさせて頂いた、

女性の息子さんだった。
インタビューに答えるお母さんの言葉に、

涙しながら、
お母さんの姿を撮影してくれていた。

今度は、
息子から父になる。

リモートで
出産立ち会いだったらしいけれど、

きっと
泣いていたんだろうな。

なんて思っている。

急なディナーだったけれど
なんだかとても幸せな会食だった。

子どもがいるって、
それだけで奇跡なのかも知れない。

そんなことを思った夜だった。

TTMゆいの中野むつみでした。

心があったかくなって

TTMゆいの中野むつみです。

人様のインタビューをしようと思い、
去年の秋に始めたけれど、

コロナで、
お一人をさせて貰っただけで、

ストップ。
したけれど、

ご縁が繋がり、
8月末から、また活動開始。

今日までに
9名の方々の

事前インタビューや本番が
終了した。

よく考えたら
私如きに自分の一生を

語ってくれるのだから、
有難い。

昨日は、
家ねっとで3名の方々の



インタビュー本番をした。
事前インタビューでは、

2時間も3時間もかけて聴いたお話を
15分程度で話してもらうのだから、

大丈夫かしら?
と、心配だったけれど、

3人の皆さんのお話が
とってもわかりやすくて、

聴いてくださったみなさんの
心に響いたようで、

ほっとしている。
そして、

今日は旭川の扇松園さんの支配人、
高橋宏典さんの事前インタビューを

させて頂いた。
高橋さんのお父様のインタビューは

前回終了し、
もうすぐYouTubeに載るが、

まだ40歳の宏典さんは
どんなお話をしてくださるのだろうかと、

ワクワクしてお聞きした。
9人の中では最年少の40歳だ。

結果は、
想像以上の感動だった。

詳しくは
本番までお預けだけれど、

子どもの目から見た母親の姿、
父親の姿の話も

新鮮な気がした。
そして、

亡くなった先代ご夫婦や
先々代ご夫婦のインタビューも

したかったと思った。
宏典さんもそれを仰っていた。

どんな口下手な方も
聞かれたら話してくれる。

まるで
湧いてくるかのように。

そして、
お話が上手な方は、

いつもと少し違う話を
してくださるのだ。

扇松園さんのインタビューは
宏典さんの後は、

女将さんのインタビューである。
扇松園さんの宝の一つに、

溢れ出る地下水がある。
お蕎麦を打つ水もこの水。

大浴場のお風呂やシャワーにも、
使われ、

止まることのない庭の滝の水も
この地下水だ。

きっと、
どこかで大雪山の伏流水と

繋がっているのだろうな。
昨日、

特急ライラックの車窓から見えた大雪山は
すでに雪の冠をつけていた。

その尖り具合が
素敵だった。

旭川は
なんと美しい街なのだろうかと、

その山々を見ながら思った。

美しい街は
美しい心を育てるのだろうか。

大雪山のカムイが
旭川に時々遊びに来ているのかも

知れない。
扇松園さんは、

将棋の大勝負の宿にも
なっている。

将棋をするには
最高の気が流れているのだろう。

女将の話はいつも聞いているけれど、
ご主人や息子さんのインタビューをして、

扇松園さんの
本当の宝を感じることができた。

どんなドラマよりも
一人一人のリアルな人生が

素晴らしいと、
昨日と今日、

また感じることができた。
心に太陽をもらった気分である。

TTMゆいの中野むつみでした。

未来へ!

TTMゆいの中野むつみです。

今日の札幌は秋晴れ!
あ、昨日も秋晴れだったけれど、

チカホでイベントがあり、
一日中地下に潜っていたから、

お日様には
あたらずじまいだった。

けど、
小樽のNPOのお仲間たちと

あーだの
こーだのお喋りができて

楽しかった!
で、

本日は、
朝から珍しく働き、

ズーーーと気になっていたモノを
捨てることにした。

運良く夫はいない。
よし、思う存分捨てよう!

実は、
明日は、

家ねっとセミナーを
3人のお仲間に私がインタビューをする形で

行うのだが、
その中の一人に、

『セミナー本番までに、
あと1m3捨ててみて!』

と、
珍しく宿題を出していた。

事前インタビューの時に
本番前までにやる宿題を

出すことはないのだけれど、
今回は、出した方が良い気がした。

まあ、いつもの感だけど。
で、

なら私も!
的に、やったわけだが、

なんと!
2m3は出た。

なんと言っても
このプラスチックケースが曲者だ。

買うのは夫。
モノを捨てずに片付けようとすると、

入れるものを
買うことになるから。

でも、
このプラスチックケース、

どうやって捨てようかしら。
まだ新品のものもあるし。

まあ
それはさておき、

黄色いゴミ袋に入っているのは、
圧倒的に布類である。

古いシーツやら
布団カバーもある。

娘たちが結婚し、
孫ができて帰省するたびに

増えていった寝具。
それに合わせて、

シーツや布団カバーも
増えた。

夏用に冬用。
3人の娘家族が全部揃うと

私たち夫婦を入れて、
16人になるから、

寝具は膨大だ。
でも、

孫たちが大きくなった今は、
多分全員がうちに泊まることは

無理だ。
今年のお正月が

最後だったと思う。
ほぼ雑魚寝だった。

それに今はコロナだし。
クリーニングに出したけれど、

使っていない古いシーツも
捨てた。

30年近くの前の
シーツだった。

やれやれ。
捨ててしまったテーブル用の

テーブルクロスもあった。
今のテーブルには

合わないのに。
で、

ついでに、
私たち夫婦の寝具を

冬用にした。
あったかい毛布を出した。

なんだか
スッキリした。

そう言えば
先週はもっと大きなモノを

処分したのだっけ。
それは、

私の父が集めていた、
切手やコインだった。

そして、
亡くなった叔母のスーツケース。

切手やコインは
換金して姉と山分けした。

私はそのお金で
絵を買う。

そして、
少しずつ綺麗になっていく私の部屋に

飾る予定だ。

明日のセミナーは
3人の女性のインタビューから

自分の未来を作るヒントを
得ようというものだけれど、

私も自分の一本道を
これからも未来に向かって

明るく歩きたいなー
と、思っている。

TTMゆいの中野むつみでした。

小樽と関わって

TTMゆいの中野むつみです。

小樽のまちづくりに関わって
9年が経った。

9年前の9月、
久しぶりに訪れた小樽で

私は閃いた。
『ここは宝の山だ!』と。

小樽にある古い建物は
人を惹きつけてやまないことに

気がついたのだ。
それから闇雲に仲間を探していたら、

小樽への愛情なら
誰にも負けない人たちに

巡り合うようになった。
そしてNPOを作った。

全くわからないことに
知り合ったばかりの人たちと

取り組むのだから
無謀としか言えないけれど、

あーだの
こーだのを乗り切り

この活動は大きく前進し、
小樽市と協力して、

旧寿原邸の一般公開や
古い小樽の建物を利活用するマッチングも

数多く行えるようになった。
そして、

去年から始めた札幌チカホ空間での
パネル展は

今年も行うことができた。

今年は、
石蔵再生パネル展だ。

力仕事やパソコン仕事は
全くできない私も

枯れ木も山の賑わいで
参加している。

この活動は、
NPO法人小樽民家再生プロジェクト

と言って、
自慢しちゃうと

まちづくり法人国土交通大臣審査委員長賞

と言う長い名前の賞も貰った。
小樽市からも賞を貰ったし、

多分小樽での知名度も
高まったと思う。けど、

残念ながら、
小樽の宝である古い趣ある建物は、

かなりの数壊され、
今も、え?!あの建物が壊されるの!

状態が続いている。
それを見るにつけ、

この活動がもっと力をつけないと!
と、神様に言われているようだ。

今年から、
私は事実上NPOの代表を降りている。

それは、
この活動を次の段階に進めるためだ。

自分が
一から始めた活動だから、

自分にとって
とても大事なものだけれど、

だからこそ
代表を次の人に渡す時期も

わかるのだ。
パネル展も手作りである。

30代から60代の
小樽と札幌の男女が

適材適所で頑張る姿に、
あー作ってよかったなあ。

と、
9年前の9月を思い出している。

コロナ禍中でも
全国の市町村が生き残りをかけて

テレワークにぜひ我が町村を!

と、
色々な取り組みを始めた。

国外の観光客は
しばらく当てにできないから、

どこも必死である。
私は、こう言う競争は大歓迎だと、

思っている。
企業と一緒で、

競争した方が
頭を使って良いものが生まれるから。

私は札幌生まれの札幌育ちだ。

小樽に関わったのは
前世の関係かしら?

と思うほど、
何故こんなに頑張っているのか

よくわからないけれど、
代表を降りても

小樽のまちづくりを
応援したいなあと

チカホを歩く人たちに
笑顔を振りまいている。

パネル展は明日まで開催。
小樽の石蔵が再生されている姿を

是非ご覧ください。
私も着物姿で待ってまーす!

TTMゆいの中野むつみでした。

現在、過去、そして未来へ

TTMゆいの中野むつみです。

気が弱いのか、
薦めてくれた友人の押が強いのか、

お能の謡を
習い始めた。

梅若流の角当先生が
お師匠さんらしいが、

らしいというのも変だけれど、
仕組みもいまいちわからず。で、

いつも習うのは、
札幌の穴倉さんからだ。

お能の謡は、
口移しで覚えるらしい。

先生の謡を真似て覚える。

お能は、
日本の音楽のクラシック。

大昔だから、
楽譜などなく、

皆、
先生の謡を聞いて覚え、

今まで伝わってきているそうだ。
なるほどねー

で、
扇子も買って

形から入り、
鶴亀という謡を習っている。

今は、
本があり、

それを謳うわけだが、
まず、読めない。ひらがなが。

だって、
室町時代の歌だもの。

あーもうちょっと
古文とか漢文とか

真面目に勉強しとけばよかった。
だが、

優しい先生の、

『何度聞いても良いのよ。
忘れても良いの。』

の言葉に後押しされて、
通っているのだが、

それにしても、
何で私は謡という、

全く興味もなかったものを
習う気になったのだろうか。

自分で決めて習っているのに
理由がわからず。。。

多分、
嫌いじゃあ無いのだ。

着物と同じ気がする。
着物はある日突然、

着よう!と思った。
ちょうど一年前かな、

社員の結婚式で久しぶりに
着物を着たら、

とても着たい!と思った。
元々叔母の形見で着物はあったが、

着物を着たいと思ったら、
取り壊す実家から、

また着物がたくさん現れた。
殆どが祖母の着物だった。

祖母が亡くなって30年。
納戸化した祖母の部屋のタンスは、

ずっと開けることもなくいたが、
祖母の着物も帯も傷んでいなかった。

まるで
いつか私が着る日がくることを、

知っていたかのように。
祖母の草履もそのままあった。

30年以上、
靴箱の中に仕舞われたままだった。

そして、
着付けを習い、

着物を着る日が増えた頃、
友人がお能を誘ってくれた。

全く習う気がしなかったのに
なんとなく習いに行き、

声を出している。
その感じは、

着物と似ている。
多分、DNAだ。

江戸時代は、
寺子屋でも謡を教えていたそうだ。

今で言う音楽の時間か。
あの難しい謡を

子どもが謳っていたとは。

今日は午後から
事前インタビューがあるので、

叔母の形見の着物に
祖母の帯を締め、

祖母の草履を履いた。
着物は50年も前のものと思うが、

今着てもなんの違和感もない。
帯は一体どのくらい前のものなのだろうか。

形見の着物を着て
謡を習う。

去年の今頃は
想像もしていなかった。

そう言えば、
事前インタビューや

インタビューに
毎日出歩くことも

想像もしていなかったっけ。

人生は果てしなく
面白い。

来年の今頃は
どんな新しい世界を

私は生きているのだろうか。
きっと楽しいに違いない。

それだけは確信する私だ。

TTMゆいの中野むつみでした。

女心は永遠に!

TTMゆいの中野むつみです。

あれは9月の末頃だった。

待ち合わせまで
少し時間が空き、

三越のカード会員専用の
休憩室に入った。

うーん
こー書くとなんだけれど、

そうだそうだ、
パウダールームって、

言うんだった。
中々の快適オシャレ空間で、

お化粧を直す習慣がない私も
休憩室として時々使うのだが、

その時は、
お一方先客がいらして、

化粧台の前に座って
本を読んでいらした。

女性専用だから
安心していられる。

私はその方の横の鏡の前に
座り、

iPadを広げて
メールとLINEの確認をした。

鏡の上にある灯が
明るいのだ。

そうしたら、
その先客の方が私に話しかけてきた。

『お着物姿、ステキですね!』

その時は、
単衣の小紋を着ていた。

叔母の形見でお気に入りだった。
着付け教室の日でもあり、

『最後に先生が直してくださるから、
ちゃんと着られているんです』

と、答えた。
そこから話が弾み、

パウダールームには、
私たち二人しかいなかったので、

着物談議が繰り広げられ、
そのうち、

年齢の話になった。
どう見ても、

40代前半としか見えないその女性は、
私より一つ年上だった。

嘘でしょ!
着物談議よりそちらの方が

私は気になり出した。
聞くと独身らしい。

うーん
そりゃあ私は、

3人の子どもを生んでいるけれど、
それにしても、

その女性の肌の張り
きめの細かさ、

そして、
抜けるような肌の白さ、

どー見ても
40代前半だ。

シワなんてひとつもない。
で、可愛い系の顔立ち。

化粧も薄い。
近頃通っている美容院、

ビューティーサロンウヤマの
S美容師さんに、

『中野様、お肌のお手入れは必要です。
お手入れをされている方と

されていない方では
確実に差が出て参ります』

と、
言われたばかりだった。

あーこんなに差が出るのか。
そりゃあ、

元々が違うのだろうが、
それにしても、

この差はなんだ!
と思いつつ、

さようならを言って
パウダールームを後したが、

いやあびっくり
もしかしてこの世の人ではないのでは?

と、
思うほどの若さだった。

今更あーはなれないけれど、
少しはお肌に気を使って生きようと思った。

が、
それから数週間経ち、

我が家に咲くダリアの切り花を見て
思った。

今更バラにはなれない。
ならば美しく枯れていくダリアになろう。

買った時の
赤い美しさはないけれど、

薄茶色に色を変えながら、
真ん中の白さが少しずつ減っていく。

この気品がなんとも言えず、
私、こー言う歳の取り方がいい!

と、
お花を届けてくれる宮村さんに、

言ったら、
笑いながらうなずいてくれた。

まあ正直なところは、
綺麗な可憐なピンクのバラのままが

良いけれど。
せめてダリア!が本心か。

どちらにしても
努力が必要であるようだ。

TTMゆいの中野むつみでした。