着物に思う

TTMゆいの中野むつみです。

今日で9月も終わり。
単衣の着物は今日でおしまい。

あー名残惜しい。
どうにか一人で着物が着られるようになり、

夏の間は
祖母の形見の絽や紗と浴衣で過ごし、

9月になったら
単衣を着た。

こちらは叔母の形見。
6月も着たけれど、

6月は今より悪戦苦闘だったなあ。
と、思い出しながら、

昨日は、
その叔母の形見の紬を着て、

今日は今年あつらえた単衣。
実はこの単衣、

買った時は夏着物と言われ、
ふむふむと信じたけれど、

単衣とわかったので、
今日も着ることにした。

今時は
色んな織り方ができて、

夏物か単衣かも
わかりにくいらしい。

それでも、
季節感はやっぱり着物にはあって、

それがなんだか新鮮だ。
以前の私なら、

そんなめんどーくさい。
温度に合わせる服が一番!

と言っていたろうに、
人も変わるのね!を、

自分で実感中だ。
変わったといえば、

ついにお能の謡を
習うことになった。

『した。』ではなくて、
『なった。』と言う言い方に、

なんとも自主性のなさが感じられるが、
ふんわり始めるのも

良いかも知れないと
思ったのだ。

これも、
以前の私なら考えられなかったが、

まずはやってみますか。
謡の先生に素質があると

言われたから。
で、

明日、その初練習に行く。
着物は袷だ。

なんと久しぶりかしら。
小豆色の紬だ。

お稽古だから
紬でも良いだろう。

帯はピンクの名古屋帯。
着物も帯も

叔母の形見。
私が紬が好きだから、

紬をたくさん残してくれた。
この叔母と一緒にいることが多かったからか、

私は中学生くらいから着物を着ていて、
ウールの着物も作って貰い、

結構着ていた。
その頃は祖母が着せてくれていた。

私があまりにも着物が好きだから、
コートも作ってくれたけれど、

その頃から外に目が行き出し、
着物を着なくなった。

だから、
コートは手も通していなかった。

コロナで自粛中の断捨離でも、
この十代の時の着物とコートは

捨てることができないでいた。
ら、

古い着物で
傘を作ってくださる方を知り、

今回、
この十代の着物とコートで

二本の傘を
作ってもらうことにした。

手を通していなかったコートは
昨日着て、

生協に行った。
かなり若くなったけれど、

似合っていた。と、思うが。。
やっぱり、

傘にしようと思った。
私は傘嫌いで、

傘をさすなら
濡れた方が良い!方だが、

この二本の傘は
きっと持って歩くと思う。

初めて作って貰った着物。
叔母と一緒に選んだ着物。

コートも出来上がってきた時は
あんなに嬉しかったのに、

どーして着なかったのかしら。
と悔やまれもするけれど、

新品同様なので
良い傘になりそうだから、

きっとこのコートは、
50年後傘になるために

生まれてきたのかも
知れない。

今日で単衣としばしのお別れは
寂しいけれど、

今度は袷が待っている。
叔母の思い出の着物たちだ。

TTMゆいの中野むつみでした。

小樽!

TTMゆいの中野むつみです。

まちづくりは
面白い。

何が面白いって、
人との交わりだ。

小樽のまちづくりのNPOに関わって、
気がつくと9年が経っていた。

何故札幌人が小樽なのか?
よくわからないけれど、

私だけでなく
多くの札幌人がこのNPOに

集まってくる。
多分、それは、

小樽そのものが持つ魅力なのだろうけれど、
その魅力の中に、

馬鹿みたいに熱くなって
小樽の歴史を語る小樽人も

入っている気がする。
今小樽市では、

旧寿原邸の一般公開と
イベントを土日祝日に行っているが、

26日は、
草茫々荒れ放題の

庭の剪定研修が
行われた。

昔、旧寿原邸が
本当に寿原邸だった時に

庭の剪定をされていた
造園業者さんが講師になり、

小樽、札幌から集まった方々に
指導されながらの実施研修だったが、

確実にボランティアの労働だった。
でも、

6人の造園業者さんたちも
研修生の皆さんも

本当に一生懸命、
強い使命感を持って

草取り、
剪定にあたってくださった。

恥ずかしながら私は、
着物姿で受付嬢、

本当に申し訳なかったけれど、
皆さんのおかげで

旧寿原邸は
見違えるようになり、

隠れていた灯籠も池も
形を現してくれた。

感謝である。
庭が昔の輝きを取り戻すには

もう少し時間が必要だけれど、
自分の家の庭でもないのに、

藪蚊に刺されながらも
庭の手入れをされた皆さんの熱意は、

寿原邸の魂に届いた気がする。

そして、
この旧寿原邸の台所横の休憩室には、

小樽市が
小学生の社会科に使っている

小樽の歴史の教科書が置いてある。
子どもにもわかりやすく書かれた本だ。

我が街の歴史に誇りを持つ小樽人が
作っている。

そして、
旧寿原邸の売店には

小樽の歴史のすごろくまで
売っている。

我が街を
愛してやまない人が作ったすごろく。

マチづくりに
よそ者は必需品だけれど、

やっぱり、
一番の牽引力は

その街を
愛してやまない人たちだろう。

私は、
小樽に通い続けて9年が経つけれど、

小樽の魅力は色あせない。
それどころか、

引き付けられるばかりだ。

小樽の男たちは
偏屈だけれど、

小樽の女たちは、
その男たちを愛らしく感じるようだ。

私も
やっとその感じを掴めるように

なってきた。
それでも、

まだまだ、
小樽は異国のように感じるマチで、

訪れるたびに、
不思議の国のアリスに

なった気分である。

小樽のまちづくりに関わって
マチづくりは

市民と行政が
手を取り合って行うものだと

学ぶこともできた。

外国人の観光客がお休み中の今こそ、
北海道、日本のマチを歩き、

観光だけではなくて
マチづくりに手を貸したくなるような

不思議の国のアリスのマチづくりを
自ら目指すのはいかがだろうか。

コロナだったから
できたこと、

増やしていきたいと思う。

TTMゆいの 中野むつみでした。

心ざわつく日?

TTMゆいの中野むつみです。

昨日、
母の実家、岡山からピオーネが

届いた。
私の従兄弟、母の甥からだ。

母は、
22歳で岡山から札幌に嫁いできた。

あーだのこーだの
いっぱいあって

あーだのこーだの
言っていたけれど、

今は、
嫌なことは忘れて

ホームでゆっくり暮らしているが、
嬉しいコトは記憶では忘れても

心の中では
嬉貯金が増えていくようで、

本日は、
そのピオーネを

持っていった。
残念ながら面会は予約制、

今日は会えなかったけれど、
母の可愛い甥っ子が

送ってくれた葡萄を食べた嬉貯金は
また増えているはずだ。

なんでも
関西にしか送っていないピオーネらしく、

皮が薄くて
めちゃくちゃ甘い葡萄だった。

母のホームに葡萄を届けたあとは、
南郵便局に行き、

急ぎの簡易書留を送った。
時計を見たら、

約束の時間までに
もう少し用を足せそうだった。

ので、
地下鉄に乗り

幌平橋駅で降りて、
カフェAgtに行った。

10月19日の家ねっとセミナーのチラシを
置きに行ったのだ。

このカフェは
一階がお店になっていて、

体に良いもの、
心に良いものを


よりすぐって置いてある。
お米屋さんが経営しているらしく、

美味しいお米も
もちろん売ってるし、

セミナーのランチは
コメサンドセットだ。

これも美味。
で、

チラシを置いて時計を見たら、
あ、これだったら三越に寄れるかも!

10月から着物は袷になるので、
足袋を買おうと思ったのだ。

こーいう時
せっかく治りかけたせっかちが

顔を出す。
この時間のうちにあれもやって

これもやって。。。
みたいな感じだ。

結局、
買い物はできたけれど

約束の時間は2分ほど
過ぎた。

あーまだまだだなあ。

なんでこうも
急くのだろうか。

あーやれやれ。
と、

珍しく
親子丼ランチセット700円を

完食し
午後のミッションも終了。

そーだ、
電話もメールも見ていなかった!

と、
慌てて確認したら、

あわわわわ。
御免なさい。

で、
地下歩道空間の

大通りビッセの前で
携帯電話の立ち話。

あ、
もっと早くに確認すれば良かった!

という内容で、
フーフー。

なんだか
今日は落ち着かないぞー

おかしいなあ。

母に葡萄を届けたまでは
良かったのに。

と反省したが、
そういえば、

今週のしいたけ占いでは、

『色々あるけれど反省し過ぎずに
前に進みましょう。』

だった。
あたってるわ!

さあて、
お昼に食べた定食が

胃にまだあるけれど、
夫のために夕ご飯の

おかずを買いに行こうかな。

もう秋なのに、
この落ち着きのなさ

まずいっしょ!

明日、明後日は、
小樽旧寿原邸にて

着物姿で受付嬢になる予定。

心落ち着けて、
旧家の奥様を演じますぞー

皆さま
雨予報ですがお出ましを!

TTMゆいの中野むつみでした。

宝は人間力!

TTMゆいの中野むつみです。

連休中2日は、
旭川上富良野のインタビューの旅。

21日は上富良野でK子さんの本番。
20日は旭川でTさんの事前インタビューだ。

昼前のJRに飛び乗ったら、
あら!満席?!

あ、一個空いてた!状態。
若い方々と子連れが多い。

旭山動物園に行くのだろうか。

久しぶりの満席JRに少し緊張したが、
無事着いた。

まあ、JRだから無事は当たり前か。
本日は旭川泊まりなので、

まずは荷物をホテルに預けよう!
と、東口から出たら、

あら、氷点橋出口だって!
何回も旭川に来ているが

氷点橋ってあるんだ。
三浦綾子さんの氷点は、

高校生くらいの時に
読んだ。

なんだかよくわからず、
気持ちが晴れなかった記憶がある。

理解するには、
人生経験が足りなかったのだろう。

ホテルは、
駅のすぐそばで4年前くらいに

できたらしい。
大浴場付きの大きなホテル。

今回の旭川宿泊は、
数日前に日程が決まったが、

その時はすでにどこも取れず、
遊プランの板東さんに頼んで取って貰った。

餅は餅屋。
すぐ二箇所探してくれて、

駅に近くて温泉付き!の
このホテルにした。

チェックインの後は
少し旭川をブラブラ。

買い物公園には市民の方々が
多くいらして、

トランペットを弾いてる男性もいた。
写真では小さくて見えないかな。

こんな感じが
旭川の良いところだ。

事前インタビューは、
扇松園さんで行ったので、

着いたらまずはお稲荷さんへお参りだ。
こちらのお稲荷さんは、

祝詞をあげるように
扉に祝詞が貼ってある。

が、
近視と老眼なので

うまく読めないが
気は心、神妙に唱えた。

で、
最後にお願い事をする。

扇松園さんも混んでいた。
法事も行われているのか、

家族連れ礼服の方々が
多かった。

創業70年の旭川の老舗だから
地元の人たちにとって馴染みの宿なのか。

女将にご挨拶をして
ロビーで待たせて貰った。

今回の事前インタビューは
扇松園の取締役高橋さんだ。

女将のご主人。

インタビューをさせて欲しいと
女将にお願いした時、

え?なんで?
と、びっくりされた。

高橋さんは女将と結婚後も
大林組で働いていて、

定年後少しだけ、
扇松園に関わっているだけだから。

でも、
私の熱弁に女将も納得してくれて、

高橋さんに話してくださった。
そして、

事前インタビューが実現したのだが、
私の感は大当たり!

最高のインタビュー時間を頂いた。
扇松園の宝は、

脈々と続く人間力なのだと思う。
今は、女将とご主人の

類稀な人間力だ。
どう類稀なのかは、

本番インタビューを
お楽しみに。

さあ、
今日は上富良野で本番インタビューだ。

こちらも、
類稀な人生と人間力のお話をお聞きする。

インタビュアになって
本当に幸せである。

TTMゆいの中野むつみでした。

秋ですが。。

TTMゆいの中野むつみです。

強烈な残暑からの
北海道らしい涼しさへ。

良いのか悪いのか
なんだかなーの気分。

数日前までは
暑くて、

そうだ!
セッコアップルとミントの

ソーダー割りを飲もう!

なんてやっていたのに、
今日は、

半袖で肌寒いんですけどー。
なのだ。

ちなみに、
セッコアップルとは、

イタリア語で乾燥させたリンゴのこと
らしい。

小樽で一緒にNPO活動をしている友人が
余市リンゴを使って作っている。

で、
ネーミングを見たら、

セッコアップル。
あら、川嶋さん、奥さんの名前をつけたのね!

と思って、
奥様のお名前、セツコさんなのね!

と言ったら、
いいや違うよ、セツコは母親。

というから、
あら、お母さんの名前をつけたのね、

と言ったら笑われた。

『イタリア語でセッコは、
乾燥させたという意味だよ』

キャハー
そうなのね!

それにしても
お母様の名前が偶然にも

セツコさんとは、面白かった。

まあ、それはさておき、
暑さが和らぎ、

良かった。
だって、

今日明日と旭川に行くのだ。
天気予報では札幌より涼しくて

最高気温21度。
やっぱ、北海道だわ。

で、
用事はインタビューの本番。

女性経営者の大先輩
鈴木栄子さんのインタビューを

させて頂く。
鈴木栄子さんは、

つい先だって、
90歳になられたが、

元気いっぱいだ。
そしてお綺麗。

声はけして大きくはないけれど、
芯が通っているというか、

優しいのだけれど
強さがある。

2週間ほど前に、
事前インタビューをさせて頂いたけれど、

気風の良さは
子供の頃かららしい。

その辺りも
ご披露を願おうと思っている。

色々な方々の
インタビューをさせて頂くほどに、

自分の人生をどう生きるかは
その人次第、

外部環境ではないのだ。
と、実感する。

どんな環境でも
自分の心を雑草だらけにしない方々、

も、おられれば、
あーだのこーだの

文句ばかりの人もいる。
あ、これ、私です。

看護婦になりたての時代、

『こんなに口ばっかりで、
なっていない病院はない』

と、
偉そうな口をきいた私に、

先輩の看護婦さんが言った。
『むっちゃん、良い病院はあなたが作るのよ』

当時は、
私に何ができるっていうのよ!

と、思ったけれど、
今はわかる。

それにしても、
その先輩、

当時25、6歳だったと思うけれど、
すごい人だった。

まあその程度の私だから、
あーだのこーだの言いつつ、

周りの方たちに
支えられ、鍛えられ、

ここまで来た。
これからは、

恩返しの時期。
少しでも心を耕しながら、

皆さんの言葉に
素直に耳を傾けられる自分でいたい。

TTMゆいの中野むつみでした。

前向きに生きるって

TTMゆいの中野むつみです。

昨日、
素敵な女性にお会いした。

場所は、上富良野。

その女性は、
小樽のNPOのお仲間のお母さんだ。

私と同い年。
京都からの移住者だけど、

中学生までは
北海道に住んでおられたそうだ。

今回、無理を言って、
事前インタビューをさせて貰った。

事前だから、
本番もある。

そこんところは
強くは言わず、

まずはお話を聞かせて頂いた。
それはとても興味深く心惹かれるお話だった。

そして、
3人の息子さんたちには

ぜひ聞いて欲しいと思った。
で、

今度は本番、
私がインタビューし、

お母さんが答える形で
息子さんのお一人に撮影して頂く事にした。

私がインタビューを
仕事にしようと決めた時、

対象となる方々は
全ての人にしようと思った。

もし、
公開しても良かったら公開したいけれど、

それよりも、
お子さんたちに、

お父さんお母さんの話を
聞いてもらいたかったのだ。

そんな気持ちで臨んだ肩書きがない方の
事前インタビューを終えたとき、

私はこの仕事を一生続けたいと
思った。

たぶん、
私がインタビューをさせて貰う方たちは、

ものすごく前向きな人たちなのだ。
昨日のKさんもそうだった。

あ、前向きに生きるって、
こういう事なのだ。

と、思った。
私の前向きなんて、

恥ずかしくて言えないわ。
そんな感じだった。

3時間に及ぶ事前インタビューが終了し、
上富良野駅までKさんに送って頂いたけれど、

私の心はものすごーく温かくなり、
駅のホームで汽車を待つ間、

自然に頬に笑みが出た。
お話を聞いた私が幸せになった。

本当に、
ちゃんと生きてこられた方のお話は

人に力を与えるようだ。

そういえば、
Kさんから上富良野の面白い話も

お聞きした。
今、【糸】という映画が公開されているが、

その撮影は
上富良野のKさんちのすぐ近くで

行われたそうだ。
ただし、設定は美英。

なんでも
美英は忙しくて

撮影許可が降りなかったとかで、
お隣の上富良野を使ったらしい。

で、
映画の中では

美英になっているとか。
Kさんは、

『なんで上富良野の人は怒らないのかしら。
自分の町が美瑛として映画になって』

と言って笑っていたけど、
私も同感。

上富良野も売り込もうよ。
素敵なところなんだから。

美英にも美味しいパン屋さんは
あるけれど、

上富良野にも
【まこぱん】という

美味しいパン屋さんが
あるのですよー

私は明太塩バターロールと
高菜おやきを食べたけれど、

フワフワで味がしっかりして
マジに美味しかった!

【糸】をご覧になった皆様、
美瑛と言われている景色は

上富良野町でありまする。
是非一度いらして〜

その広々加減に
全てのモヤモヤが吹っ飛ぶこと

間違いなし!
お待ちしていまーす。

TTMゆいの中野むつみでした。

希望の朝に!

TTMゆいの中野むつみです。

今日は事前インタビューで
上富良野に行く。

とっても楽しみで、
朝早く起きて、

昨夜届いたお花を活けた。
お花って不思議。

花瓶にただ入れていくだけなのに、
心が澄んでワクワクしてくる。

これは何効果なのだろうか。
私は2週に一回、

一人で花屋をやっている宮村さんに、
花を届けて貰う。

基本お任せだ。
一般的な菊とかすみ草は、

外して貰うけれど、
それ以外は完全お任せ。

その方が
知らない花を買って来てくれて、

ええ!!!
すてき!

と、
叫ぶ回数が増えるのだ。

そして、
買って来てくれた花から

知識も増える。
昨日教わったのは、

匂いの強い薔薇は、
命が短い。

『なので、
あんまり持たないかも知れません』

と、宮村さんは、
可愛い声で仰った。

宮村さんは
可愛い美人でお若いのだ。

どうも匂いを出すことに
一生懸命になるとエネルギーが

奪われるらしい。
うーん、人間の美人薄命に繋がるか。

私とは無縁な話なので、
まあ良いけれど、

素敵な匂いを放つ濃いピンクの花は
精一杯愛でていよう。

で、

昨夜は大きな花瓶に入れて
水を吸わせ今朝、

各花瓶に分けた。
ホント、活け終わったら、

めちゃくちゃ
良い気分になっていた。


匂いと綺麗な色のせいかしら。

気分が良くなると
体の動きも活発になり、

玄関を掃いて
お隣の奥様と早朝お喋りを少しして、

ベランダのミントに水をやり
着物に着替えて、

いざ!と、思ったが、
あーそうだ、LINEしなきゃあ。

と、
バタバタしつつ、

インスタントのコーンスープに
よつ葉のスキムミルクを入れて

栄養補給。
ひどい骨粗しょう症だけど、

どうもカルシュウム補給が
続かない。

先日行ったウヤマビューティーサロンで、

『美しさは健康から!』
と、スキムミルクを薦められたのだ。

あーいつまで続くやら。
だけど、

よつ葉のスキムミルクは
飲みやすかった。

あるものは、
道産にこだわる。

札幌駅前行きのバスは混んでいたけれど、
旭川行きのライラックは

自由席でも充分座れた。
ドトールでコーヒーを買って、

ゆっくり座った。
今日、事前インタビューをする方は、

普通の同年輩の方だ。
普通というのは変だけれど、

肩書きを持たない方、
という言い方があってるかしら。

定年後上富良野に移住された方だ。

私は、
上富良野も大好きだ。

十勝岳は
上富良野側から見た方が好きかも。

旭川から富良野行きに乗り換えて
向かう。

10年ぶりくらいの
上富良野。

今日はどんな景色と
お話が待っていてくれるだろう。

北海道は、
これからが大収穫の季節である。

TTMゆいの中野むつみでした。

また少し、知らない世界に足を!

TTMゆいの中野むつみです。

知らない世界を知りだすと
面白くてたまらない。

昨日は、
また新しい世界を知った。

最も、
知ったと言っても

入り口の門の前くらいだけれど。
それはお能。

友人の柴山ひろこさんの
浴衣会に招待されたのだが、

最初は、
あーお能かー

なんだか眠くなりそうだしー
私、そー言う趣味ないしー

堅苦しそうだなあー
え?東京から先生もみえられるのー

と、
マイナスイメージ満載で

いかに断るか、
いかにいくだけ行って早く帰るか?

を考えていたのだ。
だから、

午後からちょろっと行こう。
と、思っていたら、

これまた友人の
山谷 恵美子さんから、

もう着いたわよー
と、10時過ぎにメールが来た。

いやあ
柴山ひろこさんにも

山谷 恵美子さんにも、
いつもお世話になっているから、

これは午前中から行くしかない。
ちょうど、浴衣も着終わったし。

『ホテルライフォートまで送ってくれる?』
と、夫に頼み、

なんだか気構えて
行ったのですよー

そーしたら、
ホテルの和室でご披露会。

数名の方が
お能の謡をされていました。

ま!良いお声!
まずその声の太さといい

柔らかさといい、
なんとも素晴らしい。

お年を召したご婦人もおられたが、
マイクもないのに声が通る。

そして、
男性が謡われると、

その響きの心地よさ。
これは男性のものだわ!

と、ついつい
引き込まれて行ったのだが、

柴山ひろこさんの
艶っぽい謡が終了し、

では失礼します。
と、ご挨拶をしたら、

『あら!中野さんも山谷さんも
お昼をご一緒して〜』

と、柴山さんに誘われ、
とても断れず、

全く知り合いもいないのに、
皆さんの食事会場に入ったら、

これまたなんと!
東京からご指導に見えていた、

観世流梅若派角当行雄先生、
御子息の角当直隆先生と

ご一緒のテーブル。
で、私のお隣に、

角当行雄先生が
お座りになった。

えええ!!!
仕方なし。

で、
お弁当を頂きながら、

柴山ひろこさんのリードで
お話が弾んだのだが、

何がびっくりしたって、
行雄先生のお年。

お肌の艶とシワのなさ。
40代のようだった。

思わずそのままをお伝えしたら、

『それは謡効果ですね。
ご一緒にお能をしませんか?』

と、
行雄先生直々にお誘いをしてくださった。

いやああ、
光栄だけど、

私は。。。。
と、言ったけれど、

柴山さんの営業力と
角当行雄先生の穏やかな明るさと、

御子息の角当直隆先生の
落ち着きある格好よさに

全面的お断りは言えず、
お茶を濁したまま、

気がつくと、
では、一度!に

なっていた。
あちゃー

私、習い事、
長続きしないから。。。

と、思ったが、
近付き難いお方と思っていた先生が、

思いの外気さくで、
そして、

90歳でも
謡っておられるご婦人を見て、

心は大きく
動いたのであった。

何事も経験。
知らない世界をちょこっと見るだけ。

よろしくお願いいたします。
あれ?


TTMゆいの中野むつみでした。

昨日も初体験!

TTMゆいの中野むつみです。

あーついよー
北海道にしては珍しい残暑。

あーこの蒸し暑さ。
の中、昨日は小樽だった。

旧寿原邸の一般公開と
イベントの受付だ。

昨日のイベントは、
ご当地キャラクターと一緒に写真撮影会。

小樽のキャラクター
運がっぱちゃんと、

コアックマちゃんの二人が登場した。
ファンも20名の方が、

予約をしてくださっていた。
札幌や苫小牧からもお客さが見え、

運がっぱちゃんやコアックマちゃんは、
ファンとゲームをしたり、

写真会をしたり。
大忙しだ。

小樽の旧寿原邸は、
大正元年に建てられた旧家。

水天宮のすぐ下にあって、
豪邸なのに何故かひっそり感もある。

その中での写真会、
どーなるのかしらと思ったけれど、

これがマッチしているんですよ。
不思議な感じ。

そして、
なにより、

運がっぱちゃんも
コアックマちゃんも

サービス精神旺盛で
暑いなんて絶対言わず、

ファンの皆様と笑顔いっぱいで
楽しんでいらした。

なんとなく
ファンになる気持ちが分かった。

私も、
運がっぱちゃんの検温をしたり、

二人と写真を撮ってもらったり、
役得で楽しませて貰った。

二人は、
受付の前を通るとき、

声をかけると
必ず振り返って手を振ってくれる。

暑さもどっかにいく感じだ。
近くでキャラクターを、

こんなに長時間見たのは初めてだけれど、
本当に表情が豊かだ。

不思議だなあ。
だって、

顔はもちろん動かないし、
体だって、

せいぜい手を振る、
足を上げるくらいしかできないのに。

ゲームやお絵描きが終わると、

今度は写真会。
寿原邸の玄関から始まって、

水天宮でも写真を撮るそうだ。
留守番の私は行けないけれど、

NPOの仲間たちも
撮影会を見学に行った。

寿原邸の中は
風が通り涼しいけれど、

外は真夏の太陽に
北海道らしからぬ湿気。

気をつけて!
と、

運がっぱちゃんと
コアックマちゃんに言ったら、

笑顔で
これまた手を振ってくれる。

そうなんです。
笑顔なの、ほんと不思議。

この寿原邸のお手伝いをすることになって、
私は自分の価値観の狭さに気がついた。

まずは、
古物市の大繁盛!

列ができて、
密にならないよーに!

って、
叫ぶほどだった。

私には無価値に見える古物が
ファンにとってはお宝なのだ。

で、
昨日のキャラクター。

最初は、
何が面白いのかしら?

と、
思っていたけれど、

運がっぱちゃんも
コアックマちゃんも

実在する人と感じると
ファンの気持ちもよくわかる。

ほんと、可愛い。

つくづく
自分の価値観だけで

ものを見ていると
素晴らしいものも見逃すように

なるのだなあと実感。
こんなもの!要らないでしょ!

という高圧的発言は
少し控えようと思う。

TTMゆいの中野むつみでした。

生きること

TTMゆいの中野むつみです。

今日は、7ヶ月ぶりの
歌のレッスンだった。

一昨年の夏、
ナツキ・ヴォーカルスクールの

ナツキさんと知り合い、
『個人レッスンもありますよ!』と言われ、

急に閃いて、
歌を習い始めた。

初回のレッスンはナツキさん。
で、

私の声を聞いて、
『中野さんはめぐみ先生が良いですね!』

と、
担当の先生を決めてくれたのだが、

それが誠に
ドンピシャリ。

私の歌への指摘は、
私の内面への指摘そのもので、

私は歌のレッスンを受けながら、
カウセリングを受けている様感じだった。

でも、
コロナで練習はストップし、

今回、
やっと再開だった。

私は、
花を買ってスクールに行った。

実は、
今年の3月にナツキさんが亡くなられたのだ。

ナツキ・ヴォーカルスクールは、
ナツキさんのお母様が社長、

お父様は会長。
ナツキさんも私よりはずっとお若い。

その知らせに
最初は信じられなかったけれど、

病気を隠しての生活だったと
お聞きした。

私と歌を結びつけてくれたナツキさんは、
とても大事な方で、

お参りにも行けずに
心残りだったので、

白百合やカラーなどと
小さなピンクの花を買って、

スクールにお届けした。

歌の練習はバッチリ。
というか、

コロナの間に
殻を一つ破ることができたらしい。

マスクで息の加減も感じられるし、
『今までで一番声が出ていましたよ!』

と、
めぐみ先生に褒められ、

気分良く帰ろうとしたところに、
ナツキさんのお母様、社長が、

ご挨拶に来てくださった。
一瞬、ナツキさん?と思うほど、

お母様は
ナツキさんとそっくりだった。

お話をしていると
お互い涙が出てくるけれど、

お母様のお顔を見ながら、
ナツキさんはお母様とご一緒におられるのだ。

と、思った。
それをお伝えすると、

またお母様は涙ぐまれた。

『お花、飾ってくださいね』
やっと笑顔を作ってお母様と別れたが、

なんとも悲しかった。
そして、

帰りがけに、
ホームにいる母を訪ねた。

岡山の母の姪っ子、
私の従姉妹の絵手紙と小さなお守り団扇を

届けるためだ。
母がまだ北海道に嫁ぐ前に

母の実家で生まれた姪っ子だ。
『久美子は、私のこと忘れたろうね』

と、
絵を見ながら母が言った。

『忘れるわけがないじゃない。
だから、葉書をくれたんだよ』

長い文は読めない。と言いつつ、
母はずっと葉書の文章を目で追っていた。

朝、晴れていた空は、
黒い雲で覆われてきた。

『お母さん、また来週来るよ』
母は、また来てね。と、手を握ってきた。

離れているけれど、
こうやって会える事に感謝しようと思った。

TTMゆいの中野むつみでした。