福井にて

TTMゆいの中野むつみです。

昔から歴史が苦手だったのに、
近頃日本史に興味がわく。

ただし、
ガッツリ勉強!ではなく、

なんと言うのかしら。
例えば先週行った福井。

日本海側の県で永平寺がある。
くらいしか知識がなく訪れたが、

案内されたのが
朝倉遺跡。

昔見た大河ドラマで
美しいお市の方が

兄織田信長に夫の裏切りを教え、
夫は討ち死、自分は姫三人を連れて

織田信長の元に帰る。
みたいな内容だったが

その夫が朝倉さん。
くらいは知っていたが、

そこの遺跡の館長さんが
紙芝居ばりに案内資料を駆使し、

その遺跡を説明してくださった。
450年前の戦国時代の遺跡だから、

一乗谷合戦で焼けた石垣が
残っていたりするけど、

その遺跡のほとんどは、
朝倉家家臣と民たちの暮らした跡地だった。

復原された建物もあるが、
民の住居後の井戸と厠は発掘されたまま。

そして、
そこで暮らした家来民は一万人とも言われ、

戦国時代なのに
平和で豊かな生活をされていたことが

うかがえた。
金がとれて、

民たちは農業ではなく
商業で生計を立てていたそうだ。

京都から北陸に抜ける関所があり、
京都から入ってきた文化が育まれ、

一乗谷は小京都と呼ばれていたと
聞いた。

なんと!
戦国時代なのに平和な町があったのか!

織田信長はこの町を焼き払ったが、
織田軍が到着する前、

朝倉の親方様は
その危機を察して

民たちを全て逃したそうだ。
民たちの家の中には、

いざ決戦の時に備えて
武具があったが、

多くの民は逃げ延びて
全国に散ったという。

館長さんの熱い語りに耳を傾けながら、
私の胸も熱くなった。

戦国時代に
民が幸せになる町を目指した朝倉の殿様が、

生き延びることは難しかった。
仕方がないことだけど、

何故に
織田信長があんなに美化されて

大河ドラマになるんじゃい!
おかしい!

で、ふと思った。
戦後、日本が焼け野原から立ち上がり、

高度経済成長を遂げるには
朝倉さんの優しさより、

織田信長の非常さが
必要だったのではないかしら。

そして朝倉遺跡の後
私は東尋坊に連れて行って頂いた。

高所恐怖症の私は
間違っても岩の上には上がれない。

で、
次に連れて行ってくださったのは

東尋坊から見える
【斧入らずの森】小さな島だ。

赤い長い橋を渡って島に上がると
長い石畳の階段が続き、

その奥に
朝倉義勝を祀る神社があった。

こちらも織田信長に焼かれたが
江戸時代に入りすぐ再建されたとあった。

斧を入れることはならぬ。
とされた森。

大きな椿の木が御神木であった。

なんでこんな神社まで
焼き払ったのか。

民の幸せを願い
民に慕われた朝倉の親方が、

織田信長は
恐ろしくてたまらなかったのかしら。

なんて思いながら、
これからは朝倉さんの時代になるなあ。

とも感じた。

TTMゆいの中野むつみでした。

福井に向かい!    

TTMゆいの中野むつみです。

今日は
インタビューで福井県に行く。

朝、早く起きて
綺麗な朝日を拝む。

我が家では、
今の時期は大きなホテルの上から

朝日が出てくる。
   
それから、
神様仏様のお茶を入れ替え、

ついでに
自分のお茶も入れる。

そして、

いつものごとく
神様にパンパン柏手。

先に逝った愛する家族の写真の前では、
柏手とお燐をちーん!

実家は神道だけど、
中野は仏教だから神仏混合だ。

そのあとは、
夫の靴を取り替える。

昨日履いた靴は、
乾いた布でささっと拭いて靴箱へ。

夫の革靴は3足あって
毎日クルクル替えるから、

結構保つ。
新聞を取ってテーブルに置き、

夫と自分のコーヒーを淹れて、
青森黒大蒜を半分こして

夫の分はお皿に入れて
自分の分はお口にぽん。

この黒大蒜は熟成されて
臭いはほとんどない。

感染症の防御にもなると聞いて
珍しく2ヶ月も食べている。

なんといっても
健康と美容に関する自己努力は

続かないからなあ。私。
夫にも食べさせるから

続いているのかも知れない。
これで朝のルーチン作業が終わり、

出かける準備に取り掛かる。
2泊3日の福井は着物で行く。

昨日は
お土産も買ってきた。

何人の方と
お会いするか分からないので、

小さいお土産をいっぱい買った。
ロイズのクマのチョコとビスケット。

池田製菓の小さな豆菓子。
そして、

セントモニカののど飴と
アロマ入り手指消毒液。

こちらののど飴は
もうすぐウポポイで販売されるが

キハダという樹木の実を使い
小樽の100年位上続く飴屋さんが製造している。

白樺樹液も入っていて、
元気も出る。

で、
大きなキャスター付きスーツケースは

パンパンになったが、
夫が空港行きバスまで送ってくれたので

助かった!
前回空港行きのバスに乗ったのは

いつだったろうか。
本当に久しぶりだ。

アパホテルから出ている空港行きは
北都バスだが、

今は1日3本のみだ。
私が心配しても仕方がないけど、

北都バス、大丈夫かしら?と
気にかかる。

バスのお客さんは
半分くらいかしら。

窓の外は青空で
満開の桜も見えた。

早いなあ。

福井では
越前竹田にある築260年の

民家を訪れる予定だ。
今は山月荘という旅館になっていて

インタビューをさせて頂くのは
その再生をされた奥村繁子さんである。

民家と言っても
旅館になるくらいの大きさだから、

豪邸だ。

さて、

バスは高速道路に入った。
バスの高い席から見る景色も久しぶり。

早く気兼ねなく
日本中を回れたら良いのに。

と思っているうちに
空港に着いた。

では行ってきます!

TTMゆいの中野むつみでした。

旧暦のひな祭りに

TTMゆい中野むつみです。

今日は旧暦のお雛様。
というのを3月初めに知って、

我が家の紙雛を
『旧暦のお雛様まで飾ろう!』

と、
決めた。

我が家の紙雛は
義母が作ったもので

貰ってからかれこれ
35、6年経つと思う。

娘たちが巣立ってからは
飾ったり飾らなかったりだったが、

今年はとっても飾りたくなって、
結構早めに出した。

のだが、
3月3日が過ぎても

どうしても
しまう気がせず、

まあ娘はみんな嫁いだし。。
なんて思いながら、

どうしようかなあ。
と迷っていたら、

友人のFacebookで
旧暦のお雛様を知ったのだ。

よし!
その日まで飾っておこう!

そう決めたら
とても心が軽くなった。

まだまだ時間があるわ。
こんな気持ちも初めてだった。

お雛様の横には花を飾った。
小さなお雛様なのに

その存在感はちょっとしたもので
いつも家の真ん中に

存在している感じだった。
で、

今日いちにちでお雛様は
兜に替わる。

我が家には娘しかいないから、
兜はなかった。

義母が作ってくれた鯉のぼりと
子どもの紙人形が飾られるだけだった。

が、
昨年、

縁あって
山田祐嗣氏制作の

小さな兜を買った。

お雛様が鎮座している間は
なんだか兜を出しにくかったが、

昨晩、
兜と鯉のぼりの紙人形を玄関に飾った。

よくわかんないけど
なんだかほっとした。

義母は亡くなって
15年経つ。

義母は急死だったから、
全くの心構えもなく、

ある夜、
亡くなったと連絡が入った。

夫はもちろんのこと
私も全てを受け入れられず、

私の従兄弟の運転で
真夜中、釧路まで行った。

義母はすでに冷たくなっていた。

私は義母が大好きだった。
姑というより

仲良しのおばさんに
近かったかも知れない。

私にはない大らかさがあった。
私のドジを責めることは一度もなく、

辛い時には
相談にも乗ってもらっていた。

だから、
葬儀の間中、いっぱい泣いた。

うちの娘たちもたくさん泣いた。
夫はもちろん泣いた。

その後一人残った義父は
元気に一人で釧路で過ごしていたが、

それから4年後、
義母の元に旅立った。

義父も入院して数日で逝ったので、
私は義父母の看病をしていない。

よく
ポックリがいい。と言うけれど、

私はポックリは嫌だ。
誰にもさよならを言わずに、

ありがとうも言わずに、
楽しかった!とも伝えずに、

あっちに逝くのは嫌だ。
だって、

残されたものが悲しすぎるから。
諦めきれないから。

今年、
義母の紙雛を居間の真ん中に

今日まで飾ったら、
少し気持ちが落ち着いた気がした。

明日から子供の日まで
今度は義母の作った鯉のぼり人形を

居間の真ん中に
飾ろうと思う。

TTMゆいの中野むつみでした。

古希からが本番!

TTMゆいの中野むつみです。

うちの夫は今年古希だったと
先日気がついた。

私は夫の会社に相談役で籍を置いているので、
年度始めの4月1日に北海道神宮に行ったのだが、

神宮のお知らせ
今年の厄年の方!

みたいな看板に
昭和27年生まれは古希祝と

書かれているではないか。

『あら、誕生日過ぎちゃったけれど、
後でお祓いをしに来ようか』

と、言ったが、
うーん、この古い希と言う漢字と

夫がマッチしなさ過ぎて
なんだか乗り気がしなかった。

たしかに
大昔は数えで70歳まで生きる人は

稀。
そりゃあおお祝いだったと思うけれど、

夫はバリバリの現役だし、
夫の会社は70歳が定年だけど、

本人が申し出をしない限り、
定期貯金の自動更新のごとく、

どーぞいっぱい働いてください。
だから、

現在も70歳越えの方は二人おられ、
そのうち一人は後期高齢者に入られるけれど、

体力を見つつも
会社に大いに貢献してくれている。

そう言えば、
先日訪れたリサイクルきものの

【和ものや傳】には、
70歳越えと思しき

男性の店員さんが
おられた。

店員さんというより
番頭さんと言った方がお似合いの方だった。

最初は、
男性だし、着物のこと、

わかるのかしら?
と、避けていたのだが、

若い女性の店員さんは
お客様対応にお忙しく、

仕方なく、
と言ったら失礼だけど、

その番頭さんに声をかけた。
ら、

なんということでしょう!
リサイクル着物のサイズと

私のサイズが合うかどうか、
テキパキと寸法を測ってくれて、

『これは少し大き過ぎますね』とか、
瞬時に教えてくれるのだ。

私が何枚も、
『これは?これは?』と聞いても、

嫌な顔一つせず、
丁寧に測ってくれて、

そして、
私の好みが分かった頃、

少しお高くなりますが
こちらにもございますよ。

と、違う棚の着物を
見せてくれた。

ちなみに、
リサイクル着物はお安い。

今回はセール中だったので、
1100円から着物帯があった。

で、最後に見せてくれた着物は、
39800円。

これを高いとみるか
安いとみるかは人それぞれだけど、

多分、
これを新品で買ったら

20倍の値段だと思うような
大島紬だった。

番頭さんは
柔らかな声で、

『羽織ってみられますか』
と、仰った。

『そうですね。羽織るだけ。。』
で、お店の一畳ほどの畳の上に上がり、

姿見の前で羽織ったら!
『きゃああ!なんて素敵!』

番頭さんは
『こちらの方はまた感じが全く違いますよ』

と優しく
2枚目の大島紬を私の肩にかけて下さった。

ら、
きゃあああ!素敵すぎる!

私の頭はお花畑になり、
『2枚とも下さい!』


ここがリサイクル品の
恐ろしさ。

そして
番頭さんに

3300円の帯を2本選んでいただいて
お買い物を終了。

最後に
番頭さんがにっこり仰った。

『良い品があってよかったです。
着物はご縁ですから』

あー
ベテランはすごい。

人生は
古希からが本番。

そう思う。

TTMゆいの中野むつみでした。

マチの文化

TTMゆいの中野むつみです。

昨日は、
旭川で小樽を想った日だった。

私は、
小樽のまちづくりのお手伝いで

10年近く小樽に通っているが、
元々は、

特に小樽に興味があったわけではなく、
それがある日突然、

神様の啓示?か、
と思うような感じで

小樽に行き始めた。
で、

通ってみると、
誠におもしろいまちで、

なんでこんなに
お餅屋さんが多いのだろう?

いや、
なんでこんなに商店が多いのだろう?

と言うのが
まず気になった。

そのうち、
街が形成されていく中で

多くの商店が生まれたことを
知ったのだが、

未だに多くの商店が
営業を続けていることには、

あまり疑問を抱いていなかったのだが、
昨日、

旭川の和風旅館扇松園の女将さんに、
『札幌でも草履の修理をしてくれる店がない』

と、話したら、
女将さんが、

『小樽にはあるよ、
草履の修理をしてくれるお店』

と教えてくれた。
まあなんと!

あんなに小樽に通い、
商店街巡りもしていたのに、

気がつかなかった。
とびっくりしていたら、

女将が続けて言った。

『地元のお店が残っていると言うことは、
地元の人がお店を護っていると言うことなんだよね。』

え?
私はそんなふうに考えたことがなかったので、

すごく驚いたけれど、
考えてみたら当たり前のことだ。

小樽にあるお餅屋さん、飴屋さん、
草履屋さん、八百屋さん、etc。

は、観光客が行くところではないから、
商売の相手は小樽の人だ。

そうか、
小樽の人が普通に買い物をしているから、

商売が成り立っているのか!
めちゃくちゃ当たり前のことなのに、

そこに目がいかなかったことが
なんとも情けない。

女将は旭川をこよなく愛し、
地産地消を自分の旅館でも行なっているが、

講演会でもよくそのことを話している。
旭川の地元のお店が消えるのは、

地元の人が買わなくなったから。
うーん、そうだなああ。

意識しないと
ついつい目新しい東京のお菓子を

買っちゃう。

私は小樽に行くと
時々不思議の国のアリスになった気がする。

別の世界に入り込んだような
錯覚に陥るのだ。

多分それは小樽の人たちが
無意識に文化の鎖国をしているからだと

気がついた。
自分たちの歴史や

その中で生まれた文化を護るために
特に札幌の精神に染まらないように

小樽を護ってきたのだと思う。
だから小樽の人は、

札幌に出かけるのを
遠くに行く感じに思うようだ。

ただ、
無意識なので自覚はない。

自分たちが地元の商店を使うことで
その文化を護っているなんて

考えもせずに毎日を暮らしている。
小樽、すごいなあ。

と思うと同時に、
女将、すごいなあと思った。

けど、
私は札幌人。。。はて、、、、。

TTMゆいの中野むつみでした。

一生懸命に生きると

TTMゆいの中野むつみです。

今日は旭川に来ている。

和風旅館
扇松園女将高橋仁美さんの

3回目のインタビューと
社員直撃インタビューの二本立てだ。

とはいえ
一泊2日のお泊まりなので、

本日の社員さんインタビュー終了後は
久しぶりにゆっくりしている。

用意されていた部屋は
豪華版。


大浴場の点検修理のため、
本当は宿泊が厳しいのだが

無理を言って泊めていただいたら、
豪華な部屋になっていた。

やった〜

旭川も雪が無くなって
ハルチカシだけど、

大雪山は真っ白だから
吹き下ろす風は冷たい。

これが旭川なんだよなー
と思いながら、

庭園を歩いてみた。


雪が溶けて、

社員総出で掃除をしたらしい。
滝はこれからが本番みたいだった。

こちらの庭園は、
昨年4月に亡くなった女将のお父様、

先代が
ご自分で作られたものだ。


業者には任せず、
本当にご自分で作ったという。

先代は
元々は国鉄マンだが、

当時街中にあった扇松園の前身、
扇屋を継ぐべく、

場所を高砂台に移して
扇松園を建てたが、

その時に
ユンボを動かして

この庭園を作ったという。
すごいとしか言いようがない。

石も大きいし
池も滝もある。

先代は旭川生まれ、
国鉄マン一家で育ち、

スキーは
アルペンもジャンプも凄腕で

国体にも出場していたそうだ。
ご自分も国鉄に入り、


仁美女将のお母様と知り合って結婚。
一人娘だったので婿養子になられ、

42歳で国鉄を退職して、
扇松園を建て、

庭園は自分で作ったというのだから、
なんともスーパーマンみたいな

人だ。
そうそう、

カメラの腕もプロなみ、で、
天皇陛下が旭川を訪れた時には、

カメラマンとして
最前列で写すことを許されたというのだから,

いやはやである。
女将曰く、

その分、頑固だった。
そうだ。

後を継ぐために帰ってきた女将と
ずいぶん揉めたらしい。

そんなスーパーマンで
頑固な先代は

女将に
扇松園のバトンを渡した後は、

とても穏やかに
静かな時間を過ごすようになったと言う。

女将はその先代を
『父は上手に枯れていった』

と、
表現をした。

あれほど
ぶつかり合っていたのに

女将に任せるようになり、
それを受け入れて、

家族で食卓を囲むことに
幸せを感じていたようだと

女将は言った。

昨年の4月20日
先代が亡くなった時

女将は
扇松園のロビーに祭壇を作り

先代のお葬式をあげた。
先代が自ら作った庭が

見える場所だ。
参列された方々は

庭から入り
御参りをされたと言う。

扇松園の女将ブログに

『変な言い方だけど
扇松園で父の葬式をするのが夢だった。』

と書いているが、
先代も嬉しかったと思う。

真剣に真っ直ぐに
一生懸命に生きていると

魂が磨かれて
最後は仏様になると言うけれど、

扇松園の先代は
そんな方だったのではないかと

思っている。

TTMゆいの中野むつみでした。

一本道No.2開始

TTMゆいの中野むつみです。

私は、
神様は絶対いると信じてる。

実家は神道で
中高はキリスト教の学校だったから、

あの神様とか
この神様とか

の信じ方ではないけれど、
絶対神様はいる。

だって、
神様を感じるのだもの。

なんていうと
中野さん、とうとうおかしくなったか?

と思われそうだけれど、

インタビューをするようになって、
色々な方々の人生を伺うと、

私が歩んできた道なんて、
歩きやすい土の道だった気がするのだ。

砂利道みたく痛くなく、
アスファルトみたく照り返しもない。

雨が降ると
たまに泥が跳ねるけれど、

水溜りだって
飛べる程度の大きさだし、

たまには
水溜りに長靴で入って

ピシャって遊んだりできた。
でも、

歩きやすい土の道を歩いてきた私が、
皆さんの人生を理解するには、

少々経験不足だ。
と、思っていたら、

全く知らない方々だったのに、
津軽三味線の菅野孝山先生と

お孫さんの菅野優斗さんを
ご紹介頂き、

民衆の心のヒダを
津軽三味線と唄で教えてくださった。

そして、
なんと、お能の先生まで

ご紹介頂き、
インタビューをさせてもらう事になった。

いやああ、
無教養の私では

絶対理解できない世界だから。
と、思っていたけれど、

角当行雄先生と
息子さんの角当直隆先生から、

能の中の
人の情けというのだろうか、

人間が持っている苦悩と
そこから救われたいという思いを

仏教の精神性と合わせて
舞と謡に表現していることを

教えて頂いた。

自分の人生だけでは
人様の苦悩は理解できない。

でも、
苦悩から立ち上がろうとするのも

人間なのだと
教えて頂いた気がする。

日本人は
感情表現が下手なのではない。

繊細な感情を表現するには
静けさが必要なのだ。

だから、
時に出てくる激しさが生きる。

津軽三味線と
お能の世界にそれを感じた。

神様が
つないでくれた気がする。

事前インタビューの時に使っているノートが
2冊目に入った。

1冊目は
迷い迷いだったから、

この線は違うな、
この線も違う。

と思って
何枚も捨てたけれど

2冊目からは
どんな線でも書き込める気がする。

2冊目の一人目は
株式会社和光 おあつらえHANAの

臼杵店長さんだ。
なんとも不思議な女性。

田中社長の明るさをマチに例えると
札幌だとすると、

臼杵さんは小樽かな。
そんな彼女は着物だけでなく、

今は小樽にもハマっているようだ。
さてさて、

どんなお話が聞けるだろうか。

全ての人の道は
一本道。

少々の曲がりくねりはあるけれど、
それはその人に必要だから神様がくれたもの。

インタビューをしていると
そんな気がしてならない。

TTMゆいの中野むつみでした。

大好き!

TTMゆいの中野むつみです。

人生初、
室内で桜を愛でる毎日だ。

何せ部屋に
花を飾る習慣ができたのが

2年前くらいからで
今は定期的にお花を持って来てもらっているが、

知っている花の名前が
超少ないので

いつもお任せ。
で、今回は桜がいっぱい届いたのだ。

お花屋さんの宮村さんは、
『枝を切っておきますから分けて活けて下さい』

と言って、
大きな枝2本と小さな枝2本に

桜を切ってくれた。
おおおおお!楽しみだ。

そして、
次の日には桜が咲き始め

毎日毎日花が増えていく。

なんだか幸せ。

で、
花屋さんの宮村さんに

『咲きました♪』と、
メールをした。

考えようによっては
お客様から毎回、

『こんなにきれいに咲いています!』と
メールが来るのは面倒かもしれないけど、

どうも私は伝えたい派。
嬉しかった!ありがたかった!

そして、大好き!も
よく伝える。

うーん!〇〇ちゃん大好き!

みたいな感じ。
これは大昔からだと思うが、

中高は女子校だったから、
この【大好き】は、特に問題もなく、

看護学校も女子だし、
サークルは室工大だったから、

男子も多かったけど、
私のキャラが勝って、

問題も起きなかった。
なので、

社会人になり
看護婦になってからも

働いていた病院で、
素直にこの【大好き】を繰り返していたら、

ある時、
親しくしていた若い男性職員に、

『中野さん、言われた人が勘違いするから、
その大好き!やめた方がいい』

と言われ、
え?なんで?私、結婚して子どものいるのよ?

と、思ったけれど、
まあ世の中には、いろんな人がいるし。

と理解して、
男性に大好きは言わなくなった。

言葉は難しい。
言いすぎても間違って伝わるし、

言わなかったら、
もっと伝わらないし。

そういえば、
パートナーに

愛してる!って言える日本人は
少ないなあ。

私は、大好き!を
夫にも言っていたけど、

誰にでも言っていたからか、
重みが伝わらなかった。

女性でも
夫に大好きを伝えられない人もいる。

めちゃくちゃご主人を愛しているのに
なんだか突っ張っちゃって

喧嘩ばかりする女性。

本当、
言葉は難しい。

でも、
それ以上に難しいのは

本当の
自分の気持ちがわかることかも

知れない。

パートナーへの気持ち
子どもへの気持ち

母親への気持ち
父親への気持ち

私を愛してくれたたくさんの人への
気持ち

まずは
自分の心の中を素直にのぞいて

やっぱり
大好きを連発できたらいいなあ

なんて
桜を見ながら思っている。

TTMゆいの中野むつみでした。

春の幕開け?

TTMゆいの中野むつみです。

札幌はものすごーい勢いで春!
だけど、

いつも
このまま春になるなー

と思って裏切られるので、
まだまだ油断ならないと、

心を引き締めている私だが、
私自身には確実に春が来ているようだ。

私はこの4月1日から
一つ役を降りた。

夫が社長を務める会社の
副社長だったけれど、

ただの相談役になった。

一応取締役だが
非常勤で、

相談のみお受けいたします!
の係だ。

まあなんですね、
口がうまくて社員を惑わすので、

ここらあたりで
降りたほうが社員たちも

自分の足で歩きやすいと
思う。

とはいえ
取締役なので

一日は、
神宮参拝には参加した。

今回は初めて着物で参拝だ。
社長に、

『着物で行って良い?』と聞いたら、
OKの許可が出たので、

ならば
紫の無地でしょう!

だって
北海道で一番の神様のところに

行くのだから。
と、

着物を決めた。
さて、帯は?

と考えて、
叔母か祖母、どちらかの形見の帯にした。

前回、
川崎で自分で締めて疲れたので、

今回は
札幌きもの学院の遠藤院長に

お願いをした。
帯だけのつもりが

『着物も直して良い?』と言われて、
すっかり綺麗に着せてくれた。

あー
やっぱり着付けてもらうのが

一番いい!
帰宅後、帯を解く前に写真をパチリ。


うん、満足。
で、本日は、

事前インタビューだ。
お相手は、野嶋成美さん。

ダブルケア
介護コンサルタント

の肩書きをお持ちで、

前回の家ねっとセミナーに
ご参加くださり、

なんか感でインタビューを
申し込んだら受けてくださったのだ。

私は、
事前でも本番でも

インタビューをするときは
その方を思い浮かべて着物を決める。

野嶋さんとは
本当に名刺交換をしただけで、

あとはメッセンジャーで
インタビュー場所や時間を決めただけ。

全く知らないに近いけれど
着物を選び出すと

イメージが湧いてくるのだ。
とはいえ着物や帯の枚数は

決まっている。
これじゃあないな、

これでもない。
と箪笥を開けながら着物を見ていると、

心が動いたのは
薄いベージュの紬。

帯は、
明るいオレンジ系の名古屋帯にした。

帯揚げもベージュ。
帯締めはグレーにピンクの花柄。

よし!これでいい。

着物はお相手のことを思って着る物。
と教えてくださったのは

ビューティーサロンウヤマ
の宇山先生だ。

グランドホテルの
喫茶室でお待ちしていると、

野嶋さんが
ベージュのブラウスを着て現れた。

なんとまあ!
素敵なシンクロ。

野嶋さんのお話をお聞きしていたら、
亡くなった父や叔母たちのことを思い出した。

3時間以上
お話を伺ったことになるのに、

あっという間に感じた。
帰り際、

久しぶりに
父が入院していた病院のそばまで

行きたくなった。
父もインタビューの席に

来ていたのかもしれない。
春、良い幕開けである。

TTMゆいの中野むつみでした。