寿都カメラ!

TTMゆいの中野むつみです。

理由はわからないけれど
惹かれるマチがある。

私の場合、
どうも山が見える!

日本海がある!
と言うところに心惹かれるようだ。

昨日は、
その惹かれる町の一つ、

寿都町に行ってきた。
私は運転ができないから

公共交通機関で行くわけだけど、
はて、寿都ってどう行くの?

と、ググってみたら、
アッチャー!大変だ。

岩内までのバスは
1時間に一本あるけれど、

岩内から寿都までが、
あら〜状態。

困ったなあー
と思っていたら、

インタビューを受けてくださった
寿都カメラのなぎささんが、

『岩内まで送迎しますよ〜』
と言ってくださった。

助かる〜

昨日の朝、
札幌駅発10時5分のバスに乗り、

役2時間半で岩内に着く。
札幌は晴れていたけれど、

余市くらいから雪が降り出し、
仁木に入ると雪は止み、

で、共和町あたりから、
『これぞ北海道!の雪』になって、

岩内に入ると、
よし!ほっかいどうだ!の白さだ。

好きだなあ〜この景色。
と思いつつ、

迎えにきてくれた
なぎささんの車に乗った。

『寿都はもっと雪が多いんですよ』
ほー楽しみだ。

なぎささんは
日本海を横目に海岸線を走った。

降り頻る雪で
海は時々しか見えないが

その海が寒々しい。
暖かい車の中で見るから素敵だけど、

この雪の中、
海に出る漁師さんたちは

大変だろうなあ。
と言ったら、

『ここ1週間くらい海が荒れて
漁に出られていないんです』

と、
なぎささんが言った。

なぎささんは寿都生まれの
寿都育ちだ。

そのなぎささんが
カメラマンになるきっかけの一つが、

寿都の漁師さんたちの写真を撮って
道の駅に飾ったこと。

まあ詳しいことは
本番を見てもらうとして、

寿都で育ったからこそ
撮ることができた写真だと思う。


寿都に入ると
本当にすんごい雪!

積雪量もすごいけど、
昨日の雪もすごい。

寒いから雪は細かいけれど、
まるで雨のような勢いで

雪が降ってくる。

なぎささんの寿都カメラは
以前の経営者から引き継いだものだ。

サイディングの木造二階建て。
一階のガラス戸を開けたら

すぐに撮影室だ。

『ここでスリッパに履き替えてください』
と言われ、マットの上で草履を脱ぐ。

インタビューの準備をしていたら、
そのガラス戸を開けて

一人のお客様が見えた。
『免許証の写真、撮ってくれるかい』

なぎささんは
すぐに準備を始めたので、

これは良い機会!
と思い、

『あのお〜写真を撮っているところを
写真に撮ってFacebookとか、

外に出しても良いでしょうか?』
と聞いたら、

顔出しもOK!を頂いた。
なんと嬉しい!

プリクラみたいな
箱の中に入って撮るのと違い、

『もう少し顎を上げて下さい』
など調整をしてくれて撮影!

で、
出来上がった写真ももう一度チェック。

すんごいなあ。
これだったら安心だ。

インタビューが終わり
帰り際、

『むつみさん証明写真も
プレゼント!』

オヒョヒョ!
ちなみに証明写真のバックは

何色でも良いそうです。

寿都の皆さんは幸せだ!

TTMゆいの中野むつみでした。

野菜足りてる?チェック機!

TTMゆいの中野むつみです。

先日の金曜日、
時間があって、

久しぶりに札幌駅を
ゆっくり歩いた。というか、

見回した。
いつもは時間に追われ、

間に合うか?!的な感じだから、
どの店がなくなり、

何が新しくなったかも
気がつかない。

まあ駅付近は
人出が多いから

店も変わりないだろうな〜
と思っていたら、

ややや!
ここはなんだ?!

ショップができていた。
簡単に言うと、

北海道物産店なんだけれど、
センスの問題なのか、

ステキ!
入っちゃおう!

と、
なっちゃうショップだった。

そうなんですよ〜
店じゃあなくてショップ。

で、入ってみたら、
観光客も多いけれど、

私のように
明らかに地元民!の

人も多くて
お持ち帰り出来立て唐揚げ屋は

『番号札を持ってお待ちください〜』
状態。

で、
置いてある品物は

全道から集めたステキなモノ!
なんと言うのかな、

デザイン性が
高いものばかりだ。

そう、見栄えって大事なのだなあ
と思う。

で、そう言うモノは
ほぼ美味しい。

何を買おうか、
いやいやこれから新年会だし、

明日から東京なのだから
買っちゃダメ!

と、自分を諌めていたら、
なんと!旭川ぎんねこの

焼き鳥のタレが売ってるではないか!
こりゃあ人ごとではない。

今の私にとっては
旭川は身内的気分で

おまけに
ぎんねこママには

インタビューもさせてもらい、
ぎんねこで飲んでもいる。

やった!

北見のものはないの?
と探し、

あった!
と喜び、

あまり写真を撮ると変か?
と、バックから出したiPadを引っ込め、

そろそろ時間か、
と帰りかけたら、

面白いものがあるのに
気がついた。

札幌付近の
農家さん野菜を売っているコーナーに

【あなたは
野菜足りてますか?チェック機】が

あったのだ。

うん?どうやって測るの?

と見てみたら、
右手手のひらを機械に乗せるだけ。

うん?これで良いの?
あれ動かない。

あれなんか書いてある。
『少々時間がかかりる場合があります』

で、気長に待っていると、
なにやら画面が動き出し、

数字は5、9と出た。
どうも少ないらしい。

あと、手のひらひとつ分くらい、
野菜を食べないとダメなのね〜

私は、肉、魚、卵など
タンパク系があまり好きではなく、

若い時から野菜中心だったが、
近頃はその野菜もあまり入らず、

じゃあ何を食べてんのさ!
だけど、

うーん
何を食べてるんだろう。

日本酒かな、
それ、食べ物じゃあないし。

と言うことは、
野菜だけでなく

きっと栄養も
足りていないんだろうなあ

と心密かに反省した。

どんなコトでも
数字化されるとわかりやすいなあ。

新年会は
大豆が中心のレストランだ。

飲むより食べよう!
と決意して新年会に向かったが。。。

さて、
今日も札幌駅に行く。

寿都にバスで向かうのだ。
日帰りだから、

帰りに
もう一回チェックしてみようかな、

そして
美味しい野菜も買って帰ろう!

皆さま
一度ご体験を!

TTMゆいの中野むつみでした。

役で学ぶ

TTMゆいの中野むつみです。

思わぬところから
思わぬ役がやってきた。

私は、
50過ぎてから夫が社長の会社で

専務やら副社長やらの
経営者と言われる立場になり、

小さな会社だったけれど、
経営って何?的に、

一つの勉強会に入った。
それが、

北海道中小企業家同友会。
で、

誘われて入った女性部で
よくわからないけれど、

次の年に会長になり
3年続け、その後は会長を降りて

一般会員として参加していたのだが、
それから8年後の今年、

『中野さん〜
もう一度会長をやってみない?』

と言われたのだ。
もちろん、4月の総会で決まるのだが、

まずは推薦を受けてくれるかな?
ということだ。

『ほかに推薦も立候補も居ません。』
締め切り期限を待って

私に打診をしてきたということだから、
私がベスト!ではなく、

うーん
中野さんでもいいんじゃない?

的な感じだと思うが、
私はすぐに推薦を受けることにした。

こう言う会の会長は
名誉職ではない。

実務職で責任も問われ、
時間もお金もかかる。

ナーンにも良いとこないじゃん!
みたいだけれど、

これがですね〜
めちゃくちゃ学びになるのですよ。

人の心を汲む訓練や
自分とは違う価値観を知り、

ふーむ、試してみるか?と、
新しいことに取り組む訓練、

世代を超えた集まりなので
時代の変化も肌で感じることも

できるのだ。
まあ何より、

人の心を纏める訓練は
大きいかな。

特に会社という組織を離れて
一人で動いている私にとっては

小さくても組織を束ねるのは、
絶対必要な訓練だから。

で、
総会は4月なので

それまでは気楽だわと、
先週の金曜日、その女性部の

新年会兼送別会に参加した。
お世話になった事務局員お二人の

定年退職送別会だ。
場所は、

北豆印商店 Cafe&Restaurant
同友会の会員さんのお店で

お肉は最小にして
大豆を加工して料理を作ってくれる。

美味!
飲み放題プランなのに

糖質ゼロ本物ビールや
スパークリングワインも飲めて、

話して
食べて飲んで!


あっという間に時間は過ぎ、
ラストオーダーから

また喋り、
最後に年の功で

送る言葉も話させて貰った。

最高年齢89歳、から、

あれ若い方は年齢を仰らない?
おいくつかしらまで

なんとまあ
よりどりみどりで

楽しい会でしょうか。
もう一度、こういう会のまとめ役に

挑戦してみるのは
ステキなことかもしれないなあ。

と、
思っていたら、

締めの挨拶をした土倉さんの口から、
『中野さん』という言葉が出た気がした。

?と思っていたら
向かいに座っていた番井司法書士が、

『中野さんのこと、言っちゃってる!』
あひゃあ

4月が総会だけれど、
推薦を受けてくれてありがたい、みたいな

話のようだ。
ようだというのは、

席が奥すぎて
飲み過ぎの私には

声が遠かった。
こんなんで会長ができるのか?

と、心配だが、
カバーしてくれる副会長たちがいる。

4月の総会で
みんなから支持されるように

自分磨きに精を出そうと
思っている。

TTMゆいの中野むつみでした。

自然のしくみ?

TTMゆいの中野むつみです。

縁って
地域にもあるんだなあ、

と思う。

私は札幌生まれの札幌育ちだから、
道内各地には子ども時代に

父親に連れて行って貰う程度だった。
それでも、

北海道の白地図と呼ばれる
道が白く表示される地図を持ち、

毎日父が
『今日はこの道を走ったんだぞ。』

と言って色鉛筆でなぞるのを
面白くみていた。

それが
父が創業した会社に

バイトのつもりで入り、
行きがかり上抜けられなくなり、

結局30年近く
働くことになったが、

その会社は
現場が全道にあって

奥尻礼文天売島以外
ほとんどの地域を回ることになった。

それぞれに思い出は深いが
退職する数年前に行った余市仁木の現場は

忘れられない。
高速道路が伸びるので

そのための
用地取得に関わる調査。

難しいから説明はなしで。
で、

調査したのは、
有機栽培のベリー類と

自然栽培のりんごだった。

有機栽培のベリーは
聞いたことがない種類もあって、

結局調べた株数は
19500株を超えた。

一個一個に番号札をつける。
大変な作業だったが、

何が大変って
有機栽培も自然農法も

農薬を使わないから
蜘蛛がいっぱいだ。

それも毎日美味しい虫を
餌にしている蜘蛛だから

黒々と光り、大きいのだ。
そして

その蜘蛛たちが作る蜘蛛の巣は、
驚くほど強靭で

その蜘蛛の巣に私たちが引っかかると
押し戻される。

嘘でしょ!
と、思うでしょ?

嘘じゃあない。
その時私は、

芥川龍之介の蜘蛛の糸は
本当だと思った。

強靭な蜘蛛の糸は
一人くらいなら

人間がぶら下がれると思う。
まあそれはどうだか、別にして、

その忘れられない調査から
数年たったころ、

そのベリーを使って
美味しいブルーベリーソースを

作っている女性を知った。
セントモニカの七戸さんだ。

白樺樹液や
自然のハマナスを使った化粧水などを

作っている人だが、
このソース一回食べたら

虜になる。
美味しいのだ!

で、
今度はその七戸さんが、

余市の自然農法栽培のりんごを使い、
スムージーを販売するという。

え?あの農場のりんご?
飲みたい!

と思った。
以前調査に入った時も

木村式自然農法には興味があり、
どんな味のリンゴなのだろうか?

と思って
収穫時期に買いに行ったが、

残念ながら
その年は不作で

『来年は色々工夫しようと
思っています』と、

農場主さんは言った。
そうだよね〜

有機栽培だって大変なのに
自然農法で育てるのは

やっぱり奇跡か。
と、思ったそのリンゴの

スムージーが飲めるのだ!
ワクワクだった。

で、
そのお味は

とてもスッキリ!
甘さが少なく、

最初はあれ?と思ったけれど、
そのスッキリ加減が気持ち良い。

これが
本来のリンゴの味なんだと思う。

そのリンゴも小さくて
とても愛おしく感じた。

元気な蜘蛛たちが
元気に虫を食してくれるから

農薬いらずのりんごができる。
自然の仕組みに乾杯!である。

TTMゆいの中野むつみでした。

家族。。。

TTMゆいの中野むつみです。

私の母は75年前
岡山から北海道にお嫁に来た。

一応恋愛結婚だったが、
樺太に住む父とは文通だった。

結婚後その手紙を
父の親友がほぼ代筆していたと

母は知り、
詐欺だ!と言っていたっけ。

その当時は
岡山から札幌に来るのは

汽車を何回も乗り継ぎ
どこかで泊まらないと

来れなかったと聞いた。
私が小学生の頃も

よく岡山に遊びに行っていたけれど、
車中泊一泊、東京に一泊、

で、
また長い時間汽車に揺られた。

当たり前に
札幌と岡山の連絡は

手紙か電報。
もちろん、電報は急な知らせで、

良いことはなかったから、
電報です!と郵便屋さん?が来ると

家中が飛び上がった。
だから、

電話が家に引かれて、
大阪の叔母と母が初めて話した日、

母は電話口で
オイオイ泣いていたっけ。

それから時代は移り、
私の次女が本州の人と結婚が決まった時、

もう携帯電話が
出てきていたけれど、

それでも母は、
『何も本州の人と結婚して

あっちに行くことはないのに。
親元にいるのが

一番幸せなのに』と
言っていたっけ。

元々誰の結婚も
反対しない人だったから、

一番可愛がっていた私の長女が
愛知で結婚する時も

気持ちよくお祝いをしてくれたけれど、
多分、本心は『バカだなあ』と

思っていたと思う。
そして本当に、

親元から離れて
仕事や子育てをする娘たちは

大変そうだ。
私も寂しいし子供たちが心配だが、

昨日、気がついた。
あ!

私、家族LINEで救われているんだ!

ガラケイでメールを打ち、
子育てで右往左往している娘を支えた時代から、

気がつくとLINEができて
中野家グループが始まると

毎日誰かかれかが
打ってくるが

それはまるで会話で
そこに娘がいるようだ。

それでも実際に会うと
楽しくて、

そして
別れ際は寂しいけれど、

それでも
LINEがあるのとないのとでは

大違いだ。
日常的に会話ができるって

すごいなあ。
おまけに、

実際に会った時は言いにくいことも
すんなり言えたり、

感情的に
ならなかったりするから。

誰が発明したかは知らないけれど、
LINE感謝だ。

とは言え、
結婚して、

自分の家族と離れて暮らすのは
寂しいコトなのだろうと

思う。
親元のすぐそばで子育てをし、

会社まで
親のものを引き継がせてもらい、

幸せぬくぬくで生きてきた私には
その寂しさがわからないけれど、

今でも忘れられない光景がある。
それは昔岡山の母の実家に行った帰り、

岡山駅のホームに
母の姉妹がずらっと並び、

デッキに佇む母も
その叔母たちも

汽車が走り出す前から
ずっと泣きっぱなしで、

汽車が出ても
叔母たちはちぎれるように手を振り、

母はいつまでも泣き続けて
デッキから離れず、

『むつみ、お母さんを呼んでおいで』
と父に言われて、

私が母を迎えに行くのが
常だった。

そんなものなんだなあ
家族って。

さあ
家族LINEに何かきてないかなあ。

TTMゆいの中野むつみでした。

心は旅?

TTMゆいの中野むつみです。

わがままを聞いてくれるカフェは
助かる〜

遊プランの千洋社長が
カフェの中に旅行会社を併設?

逆か?
旅行会社の中にカフェ?

まあどちらでも良いが、
お陰でチケットを取ったり、

代金を支払ったりしながら
お昼を食べられるのがいい。

今日は3月に行く研修会の

飛行機代を払いに行った。

松本空港直行便は
あるにはあるのだが

安い便を探せなくて
千洋社長に頼んだのだ。

で、

『いつものサラダに
トーストだけってできる?』と、

新しいメニュー?をお願いした。
『良いですよ〜』と優しい千洋社長。

飲み物は何にしようかな?
と、悩んでいたら、

なんと!

かわゆいチョコクマさんを
ホットミルクに溶かして飲む

ミルクココアが
あるではないか!

これちょうだい!
と、お願いし、

チョコが浮かんだところも
写真に撮ろう!と思ったが、

クマさんチョコが重すぎて
ドボーン!

やっと掬い上げたけれど
すでに面影なし。

可愛そーだが仕方なし。

『あ、まずは支払いをするね』
と、トーストが出てくるまでに

飛行機代をカードで決済。
あー簡単で良いなあ。

このカフェのランチは
美味しいのだけれど、

少食の私には重い日があり、
トーストくらいがちょうど良いのだけれど。。。

の今日だったから、
出されたお皿に超満足だ。

『バターは乗せて良いですか?』
と、聞かれてモチ!

『良かったらお使いください』の
カナダ産メープルシロップも

出してくれた。
美味しい!

量的に私には超満足で、
食べてる間に

松本空港からのレンタカーも
お願いした。

『今見てみます〜
チケットも発券しますね』

と、ランチの間に
旅の準備が整う。

楽だわ

で、
ランチも終わったけれど、

ミルクココアの中に
クマさんチョコの塊が

まだ残っていた。

『すいません〜
有料のおかわりミルクってある?』

『、、、あ、良いですよ〜』
かわゆい店員さんが笑ってくれた。

こう言うわがままを
言えるのが良いのよねえ〜

と思いながら、
カウンターの下に目をやると

旅行本が並んでいた。

東京は今年は何度も行きそうだなあ。
名古屋ももう一回は行きそう。

京都には行く!と決めたし、
大阪も行きそうな予感。

福岡は6月に研修会で
行くでしょ。

能登は福井の帰りに
行ってみようかな。

沖縄はどうかなあ、
先日、

沖縄のお仲間から
貰ったハガキの沖縄の海が美しかった。

行けるか?
もちろん、

行くなら全てインタビューを
絡めますぞ〜

不思議だなあ
ただカフェに

旅行雑誌があるだけなのに、
なんとなく旅行に行きたくなる。

あーそうか
そう言うことか

賢いぞー
千洋社長!

雰囲気で
人の心は動くのね!

TTMゆいの中野むつみでした。

これも発見!?

TTMゆいの中野むつみです。

歌は私のエンジェルらしい。
と言っても、

曲を歌うことではなくて、
『発声』が私の天使!

なんのこっちゃ?
だけれど、

発声練習をすると
今の自分にとって何が必要?

かが、
わかっちゃうのだ。

今週の練習は
朝の10時からだ。

冬道だから
少し早めに出れば良かったのに、

いつものバスで出かけて、
案の定15分近く遅刻した。

お陰でレッスンは
正味30分だったけれど、

めぐみ先生から
貴重なひとことを貰った。

それは、
『むつみさん〜

力はいれないとダメなんですよ。
余計な力や力みはダメだけれど、

力はちゃんと入れないと
声はふわふわになっちゃう。

お腹と背中を膨らませて
しっかり力を入れる。』

なーるほど〜
歌を習い始めた時、

よく言われたのが、

『肩の力を抜いて〜
自信を持って〜

高音も出るし
音程も合ってるし』

だった気がする。
私はとても自信がなかった。

多分それは歌だけではなく
全てにだった気がするが、

いつの間にか
声も少しずつ出るようになり、

そのままの自分を
受け入れられるように

なってきて、
そうすると

今度は
力を入れる加減がわからなくなり、

ぬきゃあいいんだ!的な状態に
なっていたんだなあ。

歌は、声は、
その人の状態を

本当に表しちゃうのね!
で、

今は頑張れ!時ということか。
力みではなく、

お腹に力を入れて
前に進む。

30分のレッスンだったけれど
私の中にストンと落ちた。

多分これが、
『歌はエンジェル』の意味なのだ。

大晦日に本州に行き、
大家族と過ごし、


その後も
研修含めて

色んなことがあったけれど、
1番の自分の変化は

またブログを
毎日書き始めたことだと思う。

私が最初にブログを毎日書こう!
と思ったのは前職の時だ。

その会社が新しい事業を
始めたのがキッカケだったけれど、

毎日書くと
既存のお客様から

ブログファンが生まれ、
結局11年間書き続けたが、

そろそろ退職時だなあ
と思った時から

少しずつ
書くのをやめた。

そして、
このTTMゆいを始めた時、

また書き始めたけれど、
なんとなく

『頑張らない』と
自分で決めたような気がする。

そしたら
書きたいことが出てこなくなった。

前職でもそうだったけれど、
私は書こうと決めたら

書きたいことが
出てくる感じだったのだ。

ただ、
前職の時はテーマを

社内に置いていたので
苦しくて思い浮かばない時もあったけれど。

そして
去年の暮れくらいからは

1ヶ月に一回くらいしか
書きたいことが浮かばなくなった。

それが、
今年の1月6日、

家族旅行から帰ってきたら、
よし!明日から毎日ブログを書こう!

と、
急に思ったのだ。

そーしたら
書きたいことが次々出てきて

今日に至る!だ。
多分だけれど、

きっと書かない時間が
大切だったのだと思う。

そして
これからはお腹に力を入れて

頑張る時。

よくわかんないけれど、
『むつみさん!その声!良い声!』

と言われる瞬間を思い出して、
歩こうかなと思っている。

TTMゆいの中野むつみでした。

父からの伝言?

TTMゆいの中野むつみです。

今朝3時ごろ目が覚め
そのまま眠られず

ベットの中で悶々としていたら、
三女がやってきて、

『準備がまだだったら
先にたあちゃんとこに行ってるね!』

と、言ったところで
目が覚めた。

知らないうちに
二度寝をしたようだ。

それにしても
どうして『たあちゃんとこ』が

出てきたのだろうか。
『たあちゃんとこ』とは私の実家で、

数年前に取り壊し、
今は夫が社長を務める会社の

駐車場になっている。
取り壊してからは、

『たあちゃんとこ』は、
その言葉さえ夢に出たことは

なかったのに。
まあいいか、

とにかく
寝坊は免れたのだから。

と、
朝のルーチン行動を済ませ、

出かける準備で
着物に着替えた。

昨日、
ビューティサロンウヤマで

デコルテマッサージを
して貰ったからか、

昨日の直後とはいかないけれど
二重は一応くっきりしている。

ヨシヨシ
と思いながらも

思考は再び実家に行った。

私は、
母っ子を超える母っ子で

気がつくと双子関係?みたいだったが、
父との関係は

ちょど良い感じだったと
思っていた。

父は病に倒れ、
気管切開をして

人工呼吸器は外れたけれど、
気管には管が入ったまま、

四肢も動かすことができず
一年半闘病生活を送ったが

私は出張以外は毎日顔を
見に行った。

父が好きだった島倉千代子の
CDを聴かせ、

色々話しかけた。
わかっているのかいないのか、

よくわからなかったけれど、
父が作った会社の決算が終わり、

『少しだけど黒字になったよ』
と、言うと

父は急に泣き出したので、
あ、わかるんだなと気がついた。

父が入院していた病院は
ちょっと遠かったのだが、

運良く実家の近くに
その関連病院ができた時

転院をさせることができた。
救急車に父を乗せ、

『お父さん〜
川沿の病院に移るよ』

と言ったら、
父は泣き笑いをした。

良かった!
と思ったけれど、

救急車が病院に着き、
ストレッチャーが車から降ろされると、

父は急に顔を曇らせた。
自分の家に帰れると思っていたようだ。

それから父は
より反応が少なくなった。

それでも命に別状はなかったので、
お盆休みを利用して

娘や孫たちと
私は北湯沢に遊びに行くことにした。

その日、
『今日から温泉に行ってくるね』

と父に言うと
父は声が出ない口を何度も開け、

泣きながら
何かを私に伝えていたが

私には分からなかった。
お医者さんが大丈夫だと言うのだから、

大丈夫!と父に言って
北湯沢に行ったけれど、

私はどうしても胸騒ぎがして、

『宿屋の夕食が終わったら、
札幌に連れて帰って!』と

夫に頼んだ。
夫も娘たちも孫たちも

残念そうだったけれど
泊まらずに札幌に帰ってきた。

夜半に病院に行くと
『急に悪くなって』と、

医師に言われ、
父は再び人工呼吸器を

つけられていた。
それから3日後だったか、

父は、
母、姉家族、私たち家族、

そして、
叔母たち家族に見守られて

息を引っ取った。
父はあの時、

自分の死期が近いことを
感じ取ったのだと思う。

あれから
もう15年以上たった。

実家がなくなり、
私にとってあの家は

父そのものだったのだと
気がついた。

でも、
なんで今朝

その『たあちゃんとこ』が
出てきたのかな。

お前、
たまには俺のことも書けよ〜

父からの伝言だった気もした。

TTMゆいの中野むつみでした。

空想の中へ

TTMゆいの中野むつみです。

たまに
私、なんでこんなことをした?

と思う時がある。
例えば、

甘いものはほとんど買わず、
たまにケーキを貰うと

これは赤ワインのお供にしよう!
と思うくらいの飲兵衛な私が、

急に何を思いついたか、
大福を買って

自分で苺大福を作ってみた。

このイチゴは
昨年の3月に

長年勤めた会社を辞める時に、
『何かお好きなものをお買いください!』

と頂いたギフトブックから選んだ苺だ。

断捨離世代だから

これ以上モノは増やしたくないなあ〜
なら、おいしい果物を貰おう!

と、年4回届く高級果物を
選んだのだ。

最も果物も食べきれず
助っ人たちに渡していたが、

イチゴは足が早くて
食べるっきゃない!

だったが、
そうだ!苺大福を作ってみよう!

と思い立ったのだ。
ただですねええ

たったの130円も自分が食べる大福に
お金を払うのはもったいない。

で、サザエの30円引きにした。

十分美味しいし
柔らかい。

この日に食べるんだから
いいんじゃない?

だ。
で作ってみた。

美味しかった!
へえ〜

しかし
多分いちごの値段を考えると

超高級苺大福だ。
まあ美味しかったけれど、

なんで
こんなことをしたんだろう。

私の中に別人が入ったとしか
思えない。

例えば、
昨日のブログに書いたような

68歳を前に振袖を着るのは
私の中では十分にありうることだ。

電車で隣の席に座った女性が
アドラー心理学の資料を読んでいたから、

そうだ!学びに行こう!
も、十分にありうるし、

私はこの活動の理念を知りたい!
と思えば東京にも聞きに行くし、

まあ一番は
友人が『インタビュアーに向いてるよ〜』

と言ったからと
本当にインタビューを始めるのも

人から見ても
『中野さんならね』だろう。

が、
苺大福を作って食べたのは

やっぱり別人だと思う。
さて、彼女は、多分彼女だと思うが、

誰だったのだろうか。
きっと甘いものが好きで

でも、
その方が生きていた時代には

いちごも大福も
もしかしたら餡子も

なかったかもしれない。
時代を超えてやってきたその魂は

あら、
この時代にはこんなものがあるの?

あら、いちごって美味しそう。
あら、お餅はどうして

いつまでも柔らかいの?
中に入っているのは何?

まあ!小豆を煮て甘くするの!
何を入れたら甘くなるの!

干し柿より甘いものがあるの!
食べてみたーい!

だったら、
この女性の中に入って

食べてみようかしら。
このひと、防御が甘そうだから。

なんて言って私の中に入り
『そうだ!苺大福を作ろう』

と思い立たせるのだ。
で、食べて超満足!

なんだか
そんなことを考えたら

楽しくなった。
子どもの頃から

空想の世界が好きだった。
次はどんな人がやってきて

私にどんな経験を
させてくれるのだろうか。

空想にはまってしまったようである。

TTMゆいの中野むつみでした。

自分開拓?

TTMゆいの中野むつみです。

プロに撮って貰った
【もうすぐ68歳の冬】振袖姿!

ができてきた。
写真ってすごいなあ、

私のウキウキ感が
全てに表現されている。

この振袖は
株式会社和光がプロデュースした、

【大人ための振袖】だ。
初めてパンフレットを見た時、

着たい!と思った。
で、写真に撮ってもらおう!

とも思った。
それもスナップ風に。

で、
寿都カメラ西村なぎささんに

お願いをした。

『もちろんいいですよ〜
どこにでも行きますよ〜』

と言うご返事だったので、
では、着付けから撮って〜

とお願いした。
着付けは、

キモノハナポールタウン店。
小さな着付け室でできるのか?

と思ったけれど、
さすがプロですねえ〜

あれよ
あれよ

と言う間に
出来上がっていく。

本当は
ヘアメイクのところから

写してもらいたかったけれど、
気がつくのが遅かった。

まーせめて顔は
綺麗になってからの方が良いか。

着付けが始まると
振袖って重い!とわかった。

おまけに
帯も豪華だから

こちらも重い。
振袖着付けって重労働だ。

と、
着付けてくれた奈々さんに言ったら、

そうなんですよ〜
と、手を緩めずに答えてくれた。

長襦袢に着物を羽織ったところから
なぎささんに撮ってもらう。

生まれて初めての
振袖だ。

こりゃあ歳には関係ないな。
いつでもワクワクだ〜

どんどん出来上がっていく姿に
頬が緩む。

はい!できあがりました!
鏡に映る自分の振袖姿!

やばいお婆さんになるのでは?
が一番心配だったけれど、

それなりに大丈夫。
写真用だし。

と、自分に言う。
だってねえ〜

コートを着ると
振袖だとはわからない。

撮影場所の豊平館までは
地下鉄に乗り

中島公園内を歩く。

『これは良い!』
となぎささんは言いながら、

私の後ろから
パシャリパシャリ。

後ろ姿では
年齢は出ないから。

それにしても、
とまた思う。

何故に私はお金をかけて
紫の振袖を着て

写真を撮って貰おうと
思ったのだろうか。

二十歳の時に
反抗心で着なかったから?

でもなあ
お金がかかるのですよ〜

それもびっくり!
娘や孫の成人式には払うけど、

もうすぐ68歳の冬なのに。。。
遺影にも使えないだろうに。。。

答えは出なかった。
ただただ、

着たくて
写真にしたくて

それだけだった。
もしかしたら、

成人式の振袖は
親のために着、

今の振袖は
自分のために着るものかも!

豊平館では
結婚式の前撮りも行われていて、

そちらのカメラマンさんも、
チラリチラリと

私たちの方を見ていた。
そうだよなあ〜

でも、
良いのですよ〜

私は超満足。

いつもはすっぴんが楽で
マスク生活が終わったら超困る〜

だけど、
なんだか自分の

新しい面を発見できたような
気持ちの良い一日だった。

TTMゆいの中野むつみでした。