エスコートランナーもインタビュアー

TTMゆいの中野むつみです。

今日は私のもう一つの仕事、
家ねっとのエスコートランナー役から、

夫婦と家について
お話をしようと思う。

私は今から12年前、
9名の仲間たちと、

【家ねっと】を作った。
家はうちと読む。

本当に安心な家づくりを目指して、
あえて、建築会社以外の人が、

エスコートランナーとして
施主側に付く有り方を作った。

初めてのことだから
あーだのこーだの

試行錯誤を繰り返しながら、
施主側と建築会社との

意思疎通を図ることを
最大の目的にして

エスコートランナーは
仕事をするが

そこでも私は
一種のインタビューを

経験することになる。
例えば、

今回5月のセミナーで発表する
山谷 恵美子さん宅の

リフォームの例では、
恵美子さんと亡くなったご主人との

若かりし頃からの愛を
垣間見せて頂いた。

恵美子さんは
70代に入ったばかり。

最愛のご主人を
数年前に見送った。

二人の子供が小さかった頃、
ご主人と恵美子さんは

一生懸命働いて
家を建てた。

恵美子さんは家への関心が強くて、
自分で設計図を書いて

それを元に
家を建てて貰ったそうだ。

もちろん、
プロが作るのだから

間取りはそのままだが
頑丈な家だった。

ただ、
恵美子さんが洋服を買う時は

必ずコーディネートを
されるくらいお洒落なご主人には、

その家は少し
物足りなかったようだ。

それでお二人は
もっともっと一生懸命に働き、

ついに
カナダから材を取り寄せた

超お洒落な家にリフォームを
されたが、

そのリフォームは
お洒落だったけれど、

現実の生活には合っておらず、
ご主人も恵美子さんも

悔いを残したそうだ。
ご主人がお元気なうちは、

『もう少し歳を取ったら
マンションに二人で移ろう』

と話をしていたけれど、
その後ご主人は大病をされ

長い闘病生活の末、
亡くなった。

恵美子さんは
そのリフォームの悔いから

家ねっとを立ち上げるときに
仲間に入っていた。

ご主人が亡くなってから
恵美子さんは、

『マンションには移らない。
夫と暮らしたこの家で

最後まで暮らしたい』
と、思い、

昨年、
家ねっとに

そのリフォームを依頼してくれた。
エスコートランナー役は私だ。

建築会社は
榎本建設。

アドヴァイザーは
榎本麻子さんだ。

恵美子さん、榎本麻子さん、
そして私の3人で、

山谷 恵美子宅で
聞き取りを行った。

そして、
大体の希望を聞いたあと、

榎本麻子さんが言った。

『できるだけ、
残せるところは残しましょう』

そして
工事は始まったが

二回目の山谷邸訪問時、
私はそこに若かりし頃の

恵美子さんとご主人の姿が
見えたような気がした。

恵美子さんは若い頃から
スタイルが良くて

フレアースカートが
よく似合っていた。

その上にコートを羽織り
ハイヒールを履き、

これまたお洒落な
トレンチコートを着たご主人の横に

恵美子さんは立っていた。
愛と尊敬と安心感の眼差しで。

私は、
榎本麻子さんの言った、

できるだけ残しましょう!
の意味は深いと思った。


二人で築き上げた家庭と
その象徴の家。

ご主人がいなくても
ご主人を感じて住まえる家。

リフォームが終わり、
家ねっとのみんなで内覧に行った日、

山谷 恵美子さんは
幸せそうだった。

ご主人も
残念がっていた前回のリフォームの

負の部分はなくなり、
幸せに変わっていた。

『未来が明るくなった』と、
恵美子さんは笑っていた。

このリフォームの模様を
セミナーでお話しする。

もちろん、
具体的なリフォーム写真、

金額などもお教えする。
家は家族の有り様を

歴史を見てきた大事な宝。
家族で作ってきた愛を

この家に残したいと
お思いの方、

是非セミナーにおいでください。
あまり類を見ないセミナーですが

心が温かくなって
今の家に住み続けることも

考えられるようになるかも
知れません。

お申し込みは
http://www.uchi-net.org/contact/
まで

家ねっとエスコートランナー役、
そして
TTMゆいの中野むつみでした。