出会いから

TTMゆいの中野むつみです。

偶然といえば偶然だけど、
不思議な出会い。

ただ手を挙げて乗ったタクシー、
その方は女性の運転手さんだった。

私はいつもの着物姿だ。
乗ってしばらくすると、

『お客様はいつも着物姿なんですか?』
と、聞かれた。

私は、
叔母や祖母の形見の着物の話や

着付け教室に通った話をした。
運転手さんは、

『私も着物が大好きで
昔は縫っていました。』

と言った。
どう見ても私よりかは若い方だった。

『あら、チクチクするのが
お好きなんですね!』

と、
私は自分が、

いかに針が嫌いかを言った後、

先日、茶BRAに行って見た、
和刺繍の話をした。

『野口染舗さんと言う所で
茶BRAというのをやってるんですが、

そこにあった和刺繍が
素晴らしくて!』と言うと、

その運転手さんは、
『私が勤めていたところです!』

と、仰ったのだ。
高校を卒業し、

野口染舗さんの
和裁学校を兼ねた会社に

就職したそうだ。
寝ても、

和裁のイメージトレーニングを
していたくらい好きだったけれど、

和裁だけでは食べていけず、
今はタクシーの運転手さんになったが、

今でも野口さんとは
交流があるそうで、

話は盛り上がり、
楽しいタクシー時間になった。

もう一つの不思議な出会いは
お雛様との出会いだった。

着物繋がりで知り合った
まだ40そこそこのUさんは、

日本史や古文書などに造詣が深く、
お雛様なども愛してやまない方で、

私は全く無知の分野だけれど、
これまた色々あって、

我が家のごく近くにお住まいの
雛人形研究家?の山田さん宅に

本日Uさんと伺うことになったのだが、
ごく普通の住宅で行われていたのは、

【秋の雛人形展】だった。
多分、去年までの私なら、

へええ
で済ませたと思うけれど、

今回は行ってみることにしたのだ。
玄関から始まって、

大小様々なお雛様が
飾ってあった。

Uさんと山田さんのお話は、
マニアックすぎて意味不明な言葉が

行き交ったけれど、
その中で見た一つのお雛様に

私は強く心が惹かれた。
札幌の誰もが知っている名前のお店の方から

譲られたお雛様だったが、
私が惹かれたのは男雛だった。

それも顔ではなくて、
その姿だった。

真っ黒い衣装だけなのに
その佇まいが好きだった。

『男雛が好きと言うのは
珍しいですね』と、言われた。

女雛にはあまり
興味が湧かなかった。

そして、
実家を取り壊す時

ついに見つけられず
亡くなってしまった実家のお雛様を

思い出した。
『お雛様は人形だから、

人間の代わりに
災難を受けてくれるそうですよ』

と、Uさんが言った。
急に、

あの見つからなかったお雛様が
母や姉、私に降りかかる災難を

全て代わって受けてくれた気がした。
なんだか心に残った最後の刺が

抜けた気がした。
偶然の人の出会いから

思いもかけず
幸せをもらうことって

あるのだなあ
と思った。

TTMゆいの中野むつみでした。

幸せのお裾分けディナー?

TTMゆいの中野むつみです。

21日は、
珍しいメンツでイタリアンを

頂いた。
元々は友人夫婦と会食予定だったが、

臨月に入っていたその奥様が、
20日の夜にご出産されたのだ。

3週間も早い出産だったけれど、
母子ともに元気!

の知らせに、
めっちゃ嬉しかったけれど、

はて、
予約したイタリアン、

どうしよう。
キャンセルするのはもったいない。

だって、
美味しいんだもん!

で、
急遽、

メンツ集めをすることにした。
さて、二人を誰にしようか。

うーん
と、考えた末、

夫には声をかけるべきだろうな。
と、思い、

声をかけたら、
『いいよー』

そしたら、
もう一人は夫も知っている人が

良いか。
当日の夜のイタリアンだから、

これが当たり前に
空いていない人ばかり。

そーだよね。
で、やっと付き合ってくれる人が

見つかった。
お片付けのプロで、

夫の会社の整理整頓も
コンサルしてくれている廣澤克美さんだ。

よく空いていたわ!
と言うくらい忙しい方なのに!

で、
美味しい食事につられながら、


あーだの
こーだの


なんと!
4時間も話して笑った。


いやほんと、
真面目な話もしたけれど、

はじめての3人会食は
イタリアンとは思えないほど、

私たちの笑い声が響き渡る会食と
なった。

話は3人の仕事の話から
子供の話まで。

夫と私の夫婦関係がもろに出るから、
さぞや克美ちゃんは大変だったろうに、

よくお付き合いをくださった。
帰り道も一緒だから、

タクシーの中まで
話は続行。

『来年の成人式は、
ドームで行われて、各区が時差なんです』

と言う克美ちゃん情報に、
タクシーの運転手さんまで会話に加わり、

『そりゃあ激混みになるね。
振袖姿で、どうやっていくんだろう』

なんて、
これまたタクシーの中は

あーだの
こーだの

楽しい時間。
そうなのだ。廣澤克美さんの姫は、

来年成人式なのだ。
可愛いだろうなー

姫の振袖姿。
前撮りはもう済んでいて、

その姿は
Facebookで拝見していた。

ふと、
うちの娘たちの成人式も思い出したが、

よく考えたら、
あと6年で初孫娘の成人式だ。

娘の振袖を着るはず。
で、その前に、

2年後は、
一番孫の成人式だ。

こちらは男の子だから
振袖は関係ないけれど、

なんとびっくりする時間経過だ。

今回、
会食する予定だったご夫婦は、

私が3番目に
インタビューをさせて頂いた、

女性の息子さんだった。
インタビューに答えるお母さんの言葉に、

涙しながら、
お母さんの姿を撮影してくれていた。

今度は、
息子から父になる。

リモートで
出産立ち会いだったらしいけれど、

きっと
泣いていたんだろうな。

なんて思っている。

急なディナーだったけれど
なんだかとても幸せな会食だった。

子どもがいるって、
それだけで奇跡なのかも知れない。

そんなことを思った夜だった。

TTMゆいの中野むつみでした。

心があったかくなって

TTMゆいの中野むつみです。

人様のインタビューをしようと思い、
去年の秋に始めたけれど、

コロナで、
お一人をさせて貰っただけで、

ストップ。
したけれど、

ご縁が繋がり、
8月末から、また活動開始。

今日までに
9名の方々の

事前インタビューや本番が
終了した。

よく考えたら
私如きに自分の一生を

語ってくれるのだから、
有難い。

昨日は、
家ねっとで3名の方々の



インタビュー本番をした。
事前インタビューでは、

2時間も3時間もかけて聴いたお話を
15分程度で話してもらうのだから、

大丈夫かしら?
と、心配だったけれど、

3人の皆さんのお話が
とってもわかりやすくて、

聴いてくださったみなさんの
心に響いたようで、

ほっとしている。
そして、

今日は旭川の扇松園さんの支配人、
高橋宏典さんの事前インタビューを

させて頂いた。
高橋さんのお父様のインタビューは

前回終了し、
もうすぐYouTubeに載るが、

まだ40歳の宏典さんは
どんなお話をしてくださるのだろうかと、

ワクワクしてお聞きした。
9人の中では最年少の40歳だ。

結果は、
想像以上の感動だった。

詳しくは
本番までお預けだけれど、

子どもの目から見た母親の姿、
父親の姿の話も

新鮮な気がした。
そして、

亡くなった先代ご夫婦や
先々代ご夫婦のインタビューも

したかったと思った。
宏典さんもそれを仰っていた。

どんな口下手な方も
聞かれたら話してくれる。

まるで
湧いてくるかのように。

そして、
お話が上手な方は、

いつもと少し違う話を
してくださるのだ。

扇松園さんのインタビューは
宏典さんの後は、

女将さんのインタビューである。
扇松園さんの宝の一つに、

溢れ出る地下水がある。
お蕎麦を打つ水もこの水。

大浴場のお風呂やシャワーにも、
使われ、

止まることのない庭の滝の水も
この地下水だ。

きっと、
どこかで大雪山の伏流水と

繋がっているのだろうな。
昨日、

特急ライラックの車窓から見えた大雪山は
すでに雪の冠をつけていた。

その尖り具合が
素敵だった。

旭川は
なんと美しい街なのだろうかと、

その山々を見ながら思った。

美しい街は
美しい心を育てるのだろうか。

大雪山のカムイが
旭川に時々遊びに来ているのかも

知れない。
扇松園さんは、

将棋の大勝負の宿にも
なっている。

将棋をするには
最高の気が流れているのだろう。

女将の話はいつも聞いているけれど、
ご主人や息子さんのインタビューをして、

扇松園さんの
本当の宝を感じることができた。

どんなドラマよりも
一人一人のリアルな人生が

素晴らしいと、
昨日と今日、

また感じることができた。
心に太陽をもらった気分である。

TTMゆいの中野むつみでした。

未来へ!

TTMゆいの中野むつみです。

今日の札幌は秋晴れ!
あ、昨日も秋晴れだったけれど、

チカホでイベントがあり、
一日中地下に潜っていたから、

お日様には
あたらずじまいだった。

けど、
小樽のNPOのお仲間たちと

あーだの
こーだのお喋りができて

楽しかった!
で、

本日は、
朝から珍しく働き、

ズーーーと気になっていたモノを
捨てることにした。

運良く夫はいない。
よし、思う存分捨てよう!

実は、
明日は、

家ねっとセミナーを
3人のお仲間に私がインタビューをする形で

行うのだが、
その中の一人に、

『セミナー本番までに、
あと1m3捨ててみて!』

と、
珍しく宿題を出していた。

事前インタビューの時に
本番前までにやる宿題を

出すことはないのだけれど、
今回は、出した方が良い気がした。

まあ、いつもの感だけど。
で、

なら私も!
的に、やったわけだが、

なんと!
2m3は出た。

なんと言っても
このプラスチックケースが曲者だ。

買うのは夫。
モノを捨てずに片付けようとすると、

入れるものを
買うことになるから。

でも、
このプラスチックケース、

どうやって捨てようかしら。
まだ新品のものもあるし。

まあ
それはさておき、

黄色いゴミ袋に入っているのは、
圧倒的に布類である。

古いシーツやら
布団カバーもある。

娘たちが結婚し、
孫ができて帰省するたびに

増えていった寝具。
それに合わせて、

シーツや布団カバーも
増えた。

夏用に冬用。
3人の娘家族が全部揃うと

私たち夫婦を入れて、
16人になるから、

寝具は膨大だ。
でも、

孫たちが大きくなった今は、
多分全員がうちに泊まることは

無理だ。
今年のお正月が

最後だったと思う。
ほぼ雑魚寝だった。

それに今はコロナだし。
クリーニングに出したけれど、

使っていない古いシーツも
捨てた。

30年近くの前の
シーツだった。

やれやれ。
捨ててしまったテーブル用の

テーブルクロスもあった。
今のテーブルには

合わないのに。
で、

ついでに、
私たち夫婦の寝具を

冬用にした。
あったかい毛布を出した。

なんだか
スッキリした。

そう言えば
先週はもっと大きなモノを

処分したのだっけ。
それは、

私の父が集めていた、
切手やコインだった。

そして、
亡くなった叔母のスーツケース。

切手やコインは
換金して姉と山分けした。

私はそのお金で
絵を買う。

そして、
少しずつ綺麗になっていく私の部屋に

飾る予定だ。

明日のセミナーは
3人の女性のインタビューから

自分の未来を作るヒントを
得ようというものだけれど、

私も自分の一本道を
これからも未来に向かって

明るく歩きたいなー
と、思っている。

TTMゆいの中野むつみでした。

小樽と関わって

TTMゆいの中野むつみです。

小樽のまちづくりに関わって
9年が経った。

9年前の9月、
久しぶりに訪れた小樽で

私は閃いた。
『ここは宝の山だ!』と。

小樽にある古い建物は
人を惹きつけてやまないことに

気がついたのだ。
それから闇雲に仲間を探していたら、

小樽への愛情なら
誰にも負けない人たちに

巡り合うようになった。
そしてNPOを作った。

全くわからないことに
知り合ったばかりの人たちと

取り組むのだから
無謀としか言えないけれど、

あーだの
こーだのを乗り切り

この活動は大きく前進し、
小樽市と協力して、

旧寿原邸の一般公開や
古い小樽の建物を利活用するマッチングも

数多く行えるようになった。
そして、

去年から始めた札幌チカホ空間での
パネル展は

今年も行うことができた。

今年は、
石蔵再生パネル展だ。

力仕事やパソコン仕事は
全くできない私も

枯れ木も山の賑わいで
参加している。

この活動は、
NPO法人小樽民家再生プロジェクト

と言って、
自慢しちゃうと

まちづくり法人国土交通大臣審査委員長賞

と言う長い名前の賞も貰った。
小樽市からも賞を貰ったし、

多分小樽での知名度も
高まったと思う。けど、

残念ながら、
小樽の宝である古い趣ある建物は、

かなりの数壊され、
今も、え?!あの建物が壊されるの!

状態が続いている。
それを見るにつけ、

この活動がもっと力をつけないと!
と、神様に言われているようだ。

今年から、
私は事実上NPOの代表を降りている。

それは、
この活動を次の段階に進めるためだ。

自分が
一から始めた活動だから、

自分にとって
とても大事なものだけれど、

だからこそ
代表を次の人に渡す時期も

わかるのだ。
パネル展も手作りである。

30代から60代の
小樽と札幌の男女が

適材適所で頑張る姿に、
あー作ってよかったなあ。

と、
9年前の9月を思い出している。

コロナ禍中でも
全国の市町村が生き残りをかけて

テレワークにぜひ我が町村を!

と、
色々な取り組みを始めた。

国外の観光客は
しばらく当てにできないから、

どこも必死である。
私は、こう言う競争は大歓迎だと、

思っている。
企業と一緒で、

競争した方が
頭を使って良いものが生まれるから。

私は札幌生まれの札幌育ちだ。

小樽に関わったのは
前世の関係かしら?

と思うほど、
何故こんなに頑張っているのか

よくわからないけれど、
代表を降りても

小樽のまちづくりを
応援したいなあと

チカホを歩く人たちに
笑顔を振りまいている。

パネル展は明日まで開催。
小樽の石蔵が再生されている姿を

是非ご覧ください。
私も着物姿で待ってまーす!

TTMゆいの中野むつみでした。

現在、過去、そして未来へ

TTMゆいの中野むつみです。

気が弱いのか、
薦めてくれた友人の押が強いのか、

お能の謡を
習い始めた。

梅若流の角当先生が
お師匠さんらしいが、

らしいというのも変だけれど、
仕組みもいまいちわからず。で、

いつも習うのは、
札幌の穴倉さんからだ。

お能の謡は、
口移しで覚えるらしい。

先生の謡を真似て覚える。

お能は、
日本の音楽のクラシック。

大昔だから、
楽譜などなく、

皆、
先生の謡を聞いて覚え、

今まで伝わってきているそうだ。
なるほどねー

で、
扇子も買って

形から入り、
鶴亀という謡を習っている。

今は、
本があり、

それを謳うわけだが、
まず、読めない。ひらがなが。

だって、
室町時代の歌だもの。

あーもうちょっと
古文とか漢文とか

真面目に勉強しとけばよかった。
だが、

優しい先生の、

『何度聞いても良いのよ。
忘れても良いの。』

の言葉に後押しされて、
通っているのだが、

それにしても、
何で私は謡という、

全く興味もなかったものを
習う気になったのだろうか。

自分で決めて習っているのに
理由がわからず。。。

多分、
嫌いじゃあ無いのだ。

着物と同じ気がする。
着物はある日突然、

着よう!と思った。
ちょうど一年前かな、

社員の結婚式で久しぶりに
着物を着たら、

とても着たい!と思った。
元々叔母の形見で着物はあったが、

着物を着たいと思ったら、
取り壊す実家から、

また着物がたくさん現れた。
殆どが祖母の着物だった。

祖母が亡くなって30年。
納戸化した祖母の部屋のタンスは、

ずっと開けることもなくいたが、
祖母の着物も帯も傷んでいなかった。

まるで
いつか私が着る日がくることを、

知っていたかのように。
祖母の草履もそのままあった。

30年以上、
靴箱の中に仕舞われたままだった。

そして、
着付けを習い、

着物を着る日が増えた頃、
友人がお能を誘ってくれた。

全く習う気がしなかったのに
なんとなく習いに行き、

声を出している。
その感じは、

着物と似ている。
多分、DNAだ。

江戸時代は、
寺子屋でも謡を教えていたそうだ。

今で言う音楽の時間か。
あの難しい謡を

子どもが謳っていたとは。

今日は午後から
事前インタビューがあるので、

叔母の形見の着物に
祖母の帯を締め、

祖母の草履を履いた。
着物は50年も前のものと思うが、

今着てもなんの違和感もない。
帯は一体どのくらい前のものなのだろうか。

形見の着物を着て
謡を習う。

去年の今頃は
想像もしていなかった。

そう言えば、
事前インタビューや

インタビューに
毎日出歩くことも

想像もしていなかったっけ。

人生は果てしなく
面白い。

来年の今頃は
どんな新しい世界を

私は生きているのだろうか。
きっと楽しいに違いない。

それだけは確信する私だ。

TTMゆいの中野むつみでした。

女心は永遠に!

TTMゆいの中野むつみです。

あれは9月の末頃だった。

待ち合わせまで
少し時間が空き、

三越のカード会員専用の
休憩室に入った。

うーん
こー書くとなんだけれど、

そうだそうだ、
パウダールームって、

言うんだった。
中々の快適オシャレ空間で、

お化粧を直す習慣がない私も
休憩室として時々使うのだが、

その時は、
お一方先客がいらして、

化粧台の前に座って
本を読んでいらした。

女性専用だから
安心していられる。

私はその方の横の鏡の前に
座り、

iPadを広げて
メールとLINEの確認をした。

鏡の上にある灯が
明るいのだ。

そうしたら、
その先客の方が私に話しかけてきた。

『お着物姿、ステキですね!』

その時は、
単衣の小紋を着ていた。

叔母の形見でお気に入りだった。
着付け教室の日でもあり、

『最後に先生が直してくださるから、
ちゃんと着られているんです』

と、答えた。
そこから話が弾み、

パウダールームには、
私たち二人しかいなかったので、

着物談議が繰り広げられ、
そのうち、

年齢の話になった。
どう見ても、

40代前半としか見えないその女性は、
私より一つ年上だった。

嘘でしょ!
着物談議よりそちらの方が

私は気になり出した。
聞くと独身らしい。

うーん
そりゃあ私は、

3人の子どもを生んでいるけれど、
それにしても、

その女性の肌の張り
きめの細かさ、

そして、
抜けるような肌の白さ、

どー見ても
40代前半だ。

シワなんてひとつもない。
で、可愛い系の顔立ち。

化粧も薄い。
近頃通っている美容院、

ビューティーサロンウヤマの
S美容師さんに、

『中野様、お肌のお手入れは必要です。
お手入れをされている方と

されていない方では
確実に差が出て参ります』

と、
言われたばかりだった。

あーこんなに差が出るのか。
そりゃあ、

元々が違うのだろうが、
それにしても、

この差はなんだ!
と思いつつ、

さようならを言って
パウダールームを後したが、

いやあびっくり
もしかしてこの世の人ではないのでは?

と、
思うほどの若さだった。

今更あーはなれないけれど、
少しはお肌に気を使って生きようと思った。

が、
それから数週間経ち、

我が家に咲くダリアの切り花を見て
思った。

今更バラにはなれない。
ならば美しく枯れていくダリアになろう。

買った時の
赤い美しさはないけれど、

薄茶色に色を変えながら、
真ん中の白さが少しずつ減っていく。

この気品がなんとも言えず、
私、こー言う歳の取り方がいい!

と、
お花を届けてくれる宮村さんに、

言ったら、
笑いながらうなずいてくれた。

まあ正直なところは、
綺麗な可憐なピンクのバラのままが

良いけれど。
せめてダリア!が本心か。

どちらにしても
努力が必要であるようだ。

TTMゆいの中野むつみでした。

幸せのお裾分け

TTMゆいの中野むつみです。

穏やかな秋日和。
本日は、インタビュー本番で旭川。

旭川の老舗旅館扇松園の取締役で
女将さんの旦那様のインタビューだ。

事前インタビューをしたとき、
このご夫婦の心のピュアさに惹かれ、

是非本番で使おう!
と、思って買ったのが、

お多福とひょっとこの
帯留め。

仁美女将と和弘さんに
怒られそうだが、

ご夫婦の温かさを
表現しているようで、

一目惚れで買ったものだ。
きっと温かい本番になるだろうと、

今から心が温いが、
実は昨日も心があったまったことが

あった。
それは、小樽旧寿原邸での

出来事だった。
旧寿原邸は、

ただ今一般公開中で
私も参加しているNPO法人

小樽民家再生プロジェクトが
小樽市から委託を受けて運営している。

で、
昨日は、

和菓子の講習会だった。
小樽の和菓子屋さん牧田のご主人が先生。

で、
運がっぱとお花の練り切りを

作る。
三階の和室がお教室で

生徒さんは
小樽札幌安平など

様々なところから集まった老若男女だ。
そうなのだ。

若い女性から90歳の男性まで
講師の先生の指導のもと、

和菓子を作成した。
一体どんなことになるのかしら?

と、
主催者なのに

?マークだったけれど、
終わった時の皆さんの笑顔を見て、

その成功は確実だと
思った。

参加者の中には
私の友人でお片付けのプロ、

廣澤克美さんがおられて
お母様も連れてきて下さっていた。

コロナ以降
閉じこもりがちなお母様を

気遣ってのご参加だった。
初のご挨拶の時は、

緊張されていたお母様だったが、
終わって三階から降りてこられた時は

満面の笑み、
『楽しかった〜』と、

言ってくださり、
その笑顔に私の心もあったかくなるほど

だった。
旧寿原邸は、

築100年以上の邸宅だけれど、
どこか温かい感じがする家で

その客間でのお菓子作りを
きっと寿原邸の魂も

喜んで、
見守っていたのではないかと

思ったが、
和菓子のもつ温かさも

そこに加味されたような気がする。
よく手を洗い行われた菓子作り、

作り手の温かさが
菓子に伝わったのでは

ないかと思うほど、
皆さんの出来栄えも素敵だった。

廣澤克美さんのお母様の作品と

克美さんの作品。

よくみるとそっくりで
克美さんの器用さは母譲りか。

ちなみに
参加者の作品は皆微妙に形が

違っていた。
まるめかた潰しかたが

ちょこっとずつ
違うのだ。

帰り際に、
『来年もまた開いてください』

と言うお言葉も貰い、
あーやって良かった!

と、つくづく思った。
旧寿原邸の一般公開も、

私のインタビューも、
結局私が皆さんから

幸せのお裾分けを
頂いているような気がする。

さー旭川でも
いっぱい幸せのお裾分けを

頂いてこよう。
空もすっかり秋晴れになった。

TTMゆいの中野むつみでした。

十五夜に

TTMゆいの中野むつみです。

もつべきものは友成!
ただ今、着物人生を歩き出した私は、

Facebookの写真も着物にしているが、
着物は季節がはっきりしており、

本日からは袷。
で、写真も袷の着物に変えたら、

友人のちえちゃんが、

『あの写真、
暗かったから明るくしました!』

と、
明るく直してくれて

送ってくれたのだ。
もちろん、

すぐにプロフィール写真を替えた。

ホント、
もつべきものは友成!

ちえちゃんは
まだ40代前半、

友人の娘さんでもあるから、
親子して仲良くして貰っているわけで、

嬉しい。
昨日は、そのちえちゃんと

野口染物店の
お茶BARに行ってきた。

着物の染めが本職のお店だけれど、
まずは着物文化の裾野を広げようと

様々な取り組みをしていて、
その一つが、

この【お茶BAR】
お店の二階にコーナーを作り、

野口さんの若旦那が
BARカウンターの中の

バーテンさんのようにして
お抹茶をたててくれる。

お客様の私とちえちゃんは
その前に座り、

若旦那のお話を楽しみつつ、
お抹茶を頂くのだ。

若旦那がハンサムなこともあり、
おばさんのテンションは上がった。

が、
それだけでなく

本当に美味しかった。
八女茶と宇治茶の

飲み比べもあった。
お茶碗も選べた。

お菓子は、
阿寒のマリモ羊羹。

知る人ぞ知る羊羹で
マリモのようにまんまる。

で、
薄いゴムに包まれていて、

それを楊枝でプツリと刺すと、
そのゴムの皮は

一瞬でつるりとむけるのだ。
いやああ!久しぶり!

で、ぷつり。
おおーむけた!

お味は、
あれ?こんなに美味しかったけ?

申し訳ないが
子どもの頃は美味しいとは

思えなかったのだ。
お抹茶との相性もピッタリ!

ウヒョヒョ

で次は、
干菓子。可愛い干菓子で、

老眼鏡をかけていない私は
ピンクの干菓子を選んだ。

形は、、、
多分、もみじ。。

干菓子とお抹茶の相性は
言うに及ばず。

あー幸せ。

敷居が高くて
中々手が出ない茶道だけれど、

こーやって
馴染んでいくと

身近になっていく。
こちらの野口染物店では、

ジーンズの着物も作っていて
着物人口を増やすのに

一役買っている。
色も色々!だけれど、

おばさんでも
暗くなりすぎず

粋に着られるのもあるようだ。
今度ゆっくり探しに来よう。

10月にしては暖かい今日。
でも、

本当にもうすぐ雪が降る。
北海道だからね、雪は降る。

と、
このブログを書きながら

窓の外を見たら、
花火が上がった!

北東の方角だ!

すごい!何々???

これはかなり大きな花火だ。
曇り空で見えない満月の代わりに

ウサギさんからの
プレゼントだろうか。

ありがとうございます!

季節外れの花火に
癒された2020年十五夜である。

TTMゆいの中野むつみでした。

着物に思う

TTMゆいの中野むつみです。

今日で9月も終わり。
単衣の着物は今日でおしまい。

あー名残惜しい。
どうにか一人で着物が着られるようになり、

夏の間は
祖母の形見の絽や紗と浴衣で過ごし、

9月になったら
単衣を着た。

こちらは叔母の形見。
6月も着たけれど、

6月は今より悪戦苦闘だったなあ。
と、思い出しながら、

昨日は、
その叔母の形見の紬を着て、

今日は今年あつらえた単衣。
実はこの単衣、

買った時は夏着物と言われ、
ふむふむと信じたけれど、

単衣とわかったので、
今日も着ることにした。

今時は
色んな織り方ができて、

夏物か単衣かも
わかりにくいらしい。

それでも、
季節感はやっぱり着物にはあって、

それがなんだか新鮮だ。
以前の私なら、

そんなめんどーくさい。
温度に合わせる服が一番!

と言っていたろうに、
人も変わるのね!を、

自分で実感中だ。
変わったといえば、

ついにお能の謡を
習うことになった。

『した。』ではなくて、
『なった。』と言う言い方に、

なんとも自主性のなさが感じられるが、
ふんわり始めるのも

良いかも知れないと
思ったのだ。

これも、
以前の私なら考えられなかったが、

まずはやってみますか。
謡の先生に素質があると

言われたから。
で、

明日、その初練習に行く。
着物は袷だ。

なんと久しぶりかしら。
小豆色の紬だ。

お稽古だから
紬でも良いだろう。

帯はピンクの名古屋帯。
着物も帯も

叔母の形見。
私が紬が好きだから、

紬をたくさん残してくれた。
この叔母と一緒にいることが多かったからか、

私は中学生くらいから着物を着ていて、
ウールの着物も作って貰い、

結構着ていた。
その頃は祖母が着せてくれていた。

私があまりにも着物が好きだから、
コートも作ってくれたけれど、

その頃から外に目が行き出し、
着物を着なくなった。

だから、
コートは手も通していなかった。

コロナで自粛中の断捨離でも、
この十代の時の着物とコートは

捨てることができないでいた。
ら、

古い着物で
傘を作ってくださる方を知り、

今回、
この十代の着物とコートで

二本の傘を
作ってもらうことにした。

手を通していなかったコートは
昨日着て、

生協に行った。
かなり若くなったけれど、

似合っていた。と、思うが。。
やっぱり、

傘にしようと思った。
私は傘嫌いで、

傘をさすなら
濡れた方が良い!方だが、

この二本の傘は
きっと持って歩くと思う。

初めて作って貰った着物。
叔母と一緒に選んだ着物。

コートも出来上がってきた時は
あんなに嬉しかったのに、

どーして着なかったのかしら。
と悔やまれもするけれど、

新品同様なので
良い傘になりそうだから、

きっとこのコートは、
50年後傘になるために

生まれてきたのかも
知れない。

今日で単衣としばしのお別れは
寂しいけれど、

今度は袷が待っている。
叔母の思い出の着物たちだ。

TTMゆいの中野むつみでした。