緊張してお出かけ!

TTMゆいの中野むつみです。

なんとなく
仕事でも出かけにくかった先週。

火曜日は日帰りで釧路。
帰りのJRの車窓から見えた夕陽は

少し悲しそうで
でも真っ赤で心に沁みた。

水曜日からは、
川崎に行ってきた。

能楽師角当行雄先生の
事前インタビューだった。

こんなご時世なので
宿を羽田のホテルに取った。

18日夕方の飛行機に乗ったら
窓から夕陽が見えた。

前日の夕陽も同じお日様なんだなー
と思ったらなんだか不思議な気分だった。

乗った飛行機はJALで
泊まったホテルはANAの出発ロビーに

あったので、
結構空港内を歩いて探したけれど、

空港内の案内の方々は
皆さんとても優しい笑顔で

親切に教えてくれる。
前からこんなに親切だったかな?

と思ったけれど、
そー言えば千歳のJALの皆さんも

CAの皆さんも
素敵な笑顔で優しかった。

心の中は
コロナとの葛藤で

大変だろうに
全く表情に出さず、

すごいなー

と思いながら
チェックイン。

ただ
ホテル内のレストランも

ルームサービスも
お休みだったので

空港売店で仕入れた日本酒【羽田】と
空弁でお夕食。

ちょっと緊張したけれど
ホテルは快適で思ったより熟睡した。

そして、
19日は、

この日のために準備した?着物と
帯で角当先生のお宅に伺った。


空港からバス一本で
最寄りの駅につけた。

角当先生のお宅には
能舞台があった。

自宅用なので軒間は小さいけれど、
その存在感は半端なく、

聞けば、
先生の最初のお師匠中川先生から

譲り受けた舞台だった。
通りで、

私如きが足を踏み入れることが
できないはずだ。

能舞台には
魂が宿っていると感じながら、

その横で
先生のお話を3時間も

お聞きすることができた。
お能一筋の先生のお話は

透き通っていて
わずかな淀みもなく、

全く知らないお能の世界に
心が惹かれた。

本番のインタビューは
来月4日に札幌で行われる。

少人数の会なので
感染予防をしながら

絶対開催したいと思った。

角当先生とお優しい奥様に見送られ、
再び羽田のホテルに戻った。

ANAの出発ロビーは
混んでいるように思ったが、

レストラン群は
どこも空いていて、

閉店したところも見受けられた。
その日も、

ホテルの部屋で
日本酒【羽田】と空弁を食べた。

翌日、
目を覚ましたら

日の出が見えた。
少し雲がかかっていたけれど

優しい日の出だった。

仕事で来ているのだし
そんなに気にしなくても良いのだけれど、

変な緊張感が付き纏い
元気がいまひとつだったけれど、

気が緩むと
ウイルスがやってきそうなので、

ヨッシャー!
と言いつつ帰途に着いた。

さてと、
今週も密かに出張がある。

受け入れてくださる方々に感謝して
出かけようと思う。

TTMゆいの中野むつみでした。

好きな街で

TTMゆいの中野むつみです。

今日は日帰り釧路の旅。
行きは、

夫の会社の健やかS君と
優しいKちゃんと一緒だ。

帰りは一人JRの予定だ。
昼に釧路につき、

入ったのは
弁慶という定食屋さん。

ここは健やかS君の
お気に入りで

ガッツリ食べる男性に
人気の店らしく、

いつ来ても混んでいる。
で、

私でも食べられる釧路ラーメンもあるので、
助かる。

健やかS君は
オムライス、

優しいKちゃんは
スパカツを頼んだ。

うーん
ラーメン以外

みんな値段に
比べて量が多い。

釧路の食べ物全般が
たっぷりな量だが、

ここは味も良いので
地元のお客さんも多い。

昼過ぎだったが
出前の注文も頻回にあり

その都度
昔風の出前持ちで

お姉さんやおじさんが
ビューンと走っていた。

札幌で見かける格好良い自転車と
ランドセル型出前持ちとは違い、

昭和の懐かしさいっぱいだった。
食後、

お役所で、
健やかS君と打ち合わせの仕事をして、

そのあと
釧路駅まで送って貰った。

優しいKちゃんと健やかS君は、
それから中標津に行く。

優しいKちゃんも
お役所の打ち合わせに同席予定だったが、

このコロナで人数制限が
あったらしい。

本当は少しでも経験が多い方が
良いのだが仕方がない。

健やかS君も
優しいKちゃんも

25歳だ。
こんな若い二人と仕事ができて

嬉しいなあ。
と、密かに思った。

よく考えたら、
自分が22歳の社会人なりたての時から

いつも20代の人と
仕事をしてきた気がする。

自分が若い時は
20代を特別若い時と思わなかったが、

気がつくと、
あー今の若い人はこんな会話をするんだね。

なんて思う。
そして、

あの子が二十代の時は
車の中であんなこと話したなあ、

とか、
あの子が二十代の時は

あんな歌を車の中で
かけていたなー

と、
思い出した。

昔の二十代は
今はおじさんだ。

あー
なんか楽しい♪

と、
昔を思い出しながら

JRまでの待ち時間で
義父母のお参りに行った。

定光寺というお寺で
釧路市内の丘の上にあるが

釧路自体丘ばかりだから
どの辺というのだろうか。

お寺は静かだったけれど
納骨堂には、

いつもお参りをされている人が居られ、
寂しくはない。

線香が消えるまで
義父母と一緒にいた。

優しい義父母だった。
少しだけだけど、

夫の報告をした。
きっと義父母も喜んでいると

思う。
お寺からの帰り、

幣舞橋でタクシーを止めてもらい、
写真を撮った。

まだ夕陽には早いけど
ステキな写真が撮れた。

夫の会社の社員には
釧路大好きが多い。

健やかS君曰く、

『1週間泊まっても、
毎日美味しいものが食べられる』

そうだ。
ご馳走だけでなく

普通の食事が美味しいらしい。

駅で懐かしの喫茶店に入って、
コーヒーとたい焼きセットを注文し、

【たいやきくん】を聴きながら、
これを書いている。

TTMゆいの中野むつみでした。

今日も良い日

TTMゆいの中野むつみです。

昨日から旭川へ。
扇松園さんの女将の事前インタビューだ。

着いたのがやや遅かったので、
お風呂に入った後は、

扇松園のお蕎麦屋さん、
そば扇で夕食。

すっかり写真に撮るのは忘れたが、
めちゃくちゃ美味しい蕎麦サラダと

餃子、だし巻き卵、
そして揚げ蕎麦を食べた。

これがどれも
めちゃくちゃ美味しい。

蕎麦サラダは、
今まで食べた麺類サラダの中で

ピカイチだった。
ドレッシングをかけても

全く伸びない。
おまけに、

野菜がめちゃくちゃ美味しい。
野菜自体も良い地物だけれど、

切り方が絶妙。
きゅうりもニンジンも

レタスも千切りなのだが
水も出ていなくて、

板前さんのお仕事!
という感じかしら。

餃子も美味しくて
日本食の旅館なのに!

と思ったけれど、
美味しいものを作る人たちは

半端なものを
出さないのだと納得した。

残念ながら、
今年はそばビールは作らなかったそうで、

地物ビールを頂いた。
大浴場であったまった体に

グラスビールが
美味しかった。

翌日が、
女将の事前インタビューだから

早々に寝たが、
この旅館は本当によく眠れる。

途中で気がつくと、
両手を上にあげて伸びをしていた。

こんなの
初めてだった。

朝、
空は曇っていたけれど

遠くに山が見えた。
あれが旭岳だろうか。

そして、
暫くすると

雲の合間から
朝日が輝いていた。

外の空気は凛として、
肺の中が洗われるようだった。

よし!
気持ちいいぞー

と、
深呼吸をした。

美味しい朝食を完食し、
向かいのお稲荷さんにお詣りして、

いざ!
で、

楽しく
泣き笑いの事前インタビューを

終了し、
旭川駅までご主人の和さんに

送って頂き、
駅の中で、

zoomで
土屋ホールディングス会長土屋公三氏の

講演をお聞きした。
なんと便利な世の中だろうか。

で、
耳にイヤホンを入れたままJRに乗り、

砂川に行く。
もう一人の事前インタビューは、

砂川の望月亜希子さん。
42歳の素敵な女性だ。

1日に、
二人のお話をお聞きするのは

初めてだが、
このお二人なら出来る気がしたのだ。

本番はお二人とも
2週間後。

楽しみだー
と、

望月さんに駅まで送って貰ったが、
難儀なのが駅のホームへの階段。

札幌方向は2番線だから、
旭川から砂川に着いた時も、

重いスーツケースを
よっこら抱えて階段を

登り下りしたのだ。
古い駅舎にはエレベーターは

ない。
で、よっこらしょと

階段を登り始めたら、

『お持ちしますよ。
着物では難儀でしょう』

と、
青年が横からスーツケースに

すっと手をかけて
持ってくれるではないか!

きゃはー!
ありがとうございます!

こーいう時は
素直に甘える。

あー助かった
でも、

車椅子や足の悪い方は
どうされるのかしら?

と、
気になった。

しばしホームで待っていたら
列車が入ってきた。

今日も
優しい人たちに会えた一日だ。

TTMゆいの中野むつみでした。

達成感に魅せられて

TTMゆいの中野むつみです。

寒さにめげずに、
本日は南税務署に行ってきた。

書類を一つ貰うだけだが、
南税務署なのに、

南区からは
ものすごく遠く、

バス地下鉄バスを乗り継いで
1時間半はかかる。

が、
まあ運動のつもりでバスに乗ったら、

偶然、
月寒高校の前にバスが止まった。

知らない路線は、
時に、スリリングだが、

運良く税務署のすぐ前の
高校の前に止まったのだ。

この高校は、
三女が卒業した高校で

バス通に面した校舎の壁に
大きく、

【祝 全国大会出場】の垂れ幕が
下がり、

出場する部活の名前が
並んでいた。

そしてその中に
娘も燃えていたハンドボール部

の名前もあった。
今年も全国に行くようだ。

私は娘たちの部活には、
全く熱心ではない母親。

まして、

スポーツはルールも知らず、
というか、

正直言って、
仕事仕事、ちょっと休んで仕事。

の毎日で、
子どもは子ども、

私は私。
だったような気がする。

で、
その三女が高校3年生の時、

全道大会で優勝し、
インターハイに出ることになった。

私は、
へー熊本に行くんだー

ところで、
インターハイって何?

状態の母親だったから、
全く応援に行く気はなく、

仕事に勤しんでいたら、
夫の会社の部下の人に、

『むつみさん、
インターハイって、

野球で言えば甲子園ですよ。
応援に行ってあげて下さい』

と、諭され、
ふーむ、よくわかんないけど、

行きますかー
と、家族全員で観光を兼ねて

熊本に行った。
火の国熊本のインターハイだった。

三女はキャプテンだったから、
そりゃあ張り切っていたが、

行ってみると
選手の体格も黒さもプレー状態も

大人と子どもで
勝負はあっという間についた。

が、
それ以上に驚いたのは

ハンドボールの過激さだった。
他県の子だったが脳震盪で

運ばれていた。
なんとまあ、危ないスポーツを

させていたのかと、
こっちも青くなったが、

当の三女は、
最高の高校時代を満喫したようで、

何事にも代え難い経験だったようだ。

一生懸命に頑張って
キャプテンという立場で

インターハイに出場する。
自分たちにとっては、

最高の頑張りだったから、
一回戦敗退でも

やり切った感は
半端なかったのだろう。

私はこの歳になって、
その達成感がわかるように

なった気がする。
よし!よくやった!

と、
自分を褒めたくなるような

経験もしている。
そして、

その達成感ほど
素晴らしいものはないことも

知ったので、
また次のことに取り組むことに

なるのだ。
いやはやホント。

さーて
コロナで色んなことが

進みが遅いけれど
もう一踏ん張りしようかな。

だってねえ、
ヨッシャー!とやるから、

達成感が半端ないのだから。

もうすぐ冬だけれど
その先は春!

新しい手帳も買った。
新年はもうすぐである。

TTMゆいの中野むつみでした。

忘れられない思い出

TTMゆいの中野むつみです。

愛知に住む3番孫の
今日は参観日だったらしく、

娘から
その模様がLINEで送られてきた。

6年生なので
体育館で一人ずつ、

子どもたちが親へ感謝の言葉を
言ったらしい。

舞台の構成も良かったらしく、
娘はママ友の子たちの言葉に、

自分の子ども以上に
感動して泣いたと言っていた。

わかる。
私も経験がある。

ただし、
そのときは、

母親から子どもへ
の言葉だった。

次女が6年生の時、
私はPTAのクラス代表をしており、

担任の先生も
同じクラスのお母さんたちも

とても一生懸命な方々で、
卒業なのだから何かしよう!

と、なって、
親から子への文集を作った。

一人一人
お母さんが自分の子のことを

思って書くのだ。
その文集は、

感動もので、
親子レクのお別れ会の時、

親が合唱のように並んで
自分の子どもにその文集の中から

語りかけることになった。
でも、文集は長いので、

お母さんたちの了解のもと、
私が短くまとめ、

読み上げるのだが、
子どもたちが通っていた小学校には、

特殊学級というクラスがあって
障害を持った子たちが通っており、

同学年の子とは
娘のクラスも交流があり、

お別れ会は
一緒にすることになった。

卒業する子は、
Iちゃん、と言った。

文集には載っていなかったので、
当日までにIちゃんのお母さんに

Iちゃん宛の手紙を書いて貰うことにし、
私が最後に読み上げることにした。

クラスのお母さんたちの言葉も
感動的であり、

泣いている子もたくさんいた。
でも、

私はプロよ!ではないけれど、
アナウンスは慣れていたので

頑張って話すことができた。
アナウンスする人が泣いたら、

全く伝わらなくなるから。
でも、実は、

当日、
Iちゃん宛の手紙をお母さんから貰い、

目を通した時から、
読み切る自信がなかった。

がんばるぞ。
平気平気。ここは舞台、と、

思おう!
と、下っ腹に力を入れて、

足を踏ん張って読み始めたけれど、
その言葉のところに来たら、

涙が止まらなくなった。

『修学旅行にもみんなと行けて良かったね。
大きなお風呂にも入れて良かったね』

今でもその言葉を覚えている。

私の隣にいたお母さんが、
代わりに頑張って読み切ってくれた。

みんな、
その言葉の前で詰まるけれど

読み切ってくれて
本当に助かった。

きっとIちゃんのお母さんは、
修学旅行には行けないと思っていたに

違いない。
おまけに、

第一滝本館の大きなお風呂に
友だちと入れるなんて、

絶対無理と思っていたのかな。

これを書いていても
思い出して泣けてくる。

このクラスにいた私の次女は
今長野県で養護学校の教師をしている。

Iちゃん、元気かい?


TTMゆいの中野むつみでした。

ありがとうの朝

TTMゆいの中野むつみです。

昨日は、
豊平館でインタビュー本番だった。

お相手は、

一般社団法人日本専門家検定協会
代表 廣澤克美さん。

場所の選定は、
インタビューを受けられる方が決めるので、

『豊平館がいい!』と、
仰ったのは廣澤さんだけど、

もちろん私もOK!
だって、豊平館は素敵だもの。

最も、
私が最後に豊平館を訪れたのは、

40年近く前だ。
友人の結婚式だったと思う。

その後、
あたふたとした生活ばかりで

北海道の歴史を感じる豊平館を
思い出す余裕もなかったが、

紅葉の中島公園の中に
凛と佇むその姿はやっぱり美しく

そして、
びっくりしたのは、

後ろにできた管理棟が
めちゃくちゃ素敵。

ただ四角い白い箱なのに
豊平館とすんごくマッチしていた。

特に
受付事務室の窓や

吹き抜け階段の窓から見える公園が、
まるで絵画のようだった。

きっと有名な建築家の方が
設計されたのね!

と、
こちらも感動したが、

豊平館の内部も
ため息が出るほど素敵で


明治の奥様になった気分で
澄ましたりしてみたが、

本番なので
よし!緊張!と、

廣澤さんのインタビューを
開始した。

ら、
友人というのは何ですね、

よそ行き言葉が続かず
後半はいつもの二人のおしゃべりで

天井の高い室内に
二人の笑い声がこだまする。

ちなみに、
天井が高いだけでなく

多分建物の部材なども
関係すると思うのだが、

笑い声はこだまするのに、
話し声は吸収されてしまい、

出来上がった映像の声は、
今ひとつ。。。。

ありゃあ
どうしよう。。。

と、
私が考えても仕方がないので

TTMゆいホームページ及び
YouTube担当のマッシュネット工藤さんに

任せることにした。
ゆいトークは、

撮影はインタビューを受ける方に
お願いしている。

プロに頼むか、
自分で撮るかは自由だ。

ビデオカメラでも
スマホでもiPadでも

撮影できる世の中だから。
ただし、

アップするときは
工藤さんにお願いして

格好良く載せて貰う。
ここがプロなんですよねー

で、
気持ちよく豊平館を後にし、

廣澤さんとランチしながら
インタビューの続きみたいな会話を楽しみ、

マッシュネットの工藤さんに
SDカードを届けた。

ほんと、
人に助けられて生きている。

そして、
家に帰るとすぐ、

届けられていた額を
着物部屋と呼んでいる私の部屋に

飾った。
山谷 恵美子さんが描いてくれたはがき絵だ。

何度読んでも
泣けてくるけど、

どんな時も
優しい眼差しを持てる自分でいたい。

豊平館という歴史ある場所で
優しい世界を作りたいという廣澤さんの

お話を伺い、
家では、

【眼布施】の言葉に癒され、
なんだか幸せな一日だった。

廣澤さん、恵美子さん、
工藤さん、ありがとうございました!

TTMゆいの中野むつみでした。

インタビュー前の楽しみの一つは

TTMゆいの中野むつみです。

昨日は、
旭川の老舗旅館扇松園さんの

代表取締役支配人
高橋宏典さんのインタビュー本番だった。

ので、
朝、頭に宏典さんのイメージを描き、

着る着物を決めた。

着物でインタビューをするようになり、
本番の着物を決める時が

めちゃくちゃ楽しい。
着物は、

洋服と少し違って、
TPOの他に、

相手に対する気遣いというのか
思いも必要なのだと、

教えてくださったのは
1回目のインタビューをさせて頂いた

ウヤマ美容室の宇山先生だ。
だから、

結婚式には、
華やいだ着物を着ていくし、

お葬式は紋付。
札幌きもの学院の遠藤先生曰く、

あの世へ先に旅立った人たちが
お葬式を上から見て、

あーうちと同じ紋だ。
うちの親戚の知り合いが亡くなったのか、

こっちに来たら声をかけよう。


思うので、

亡くなった人が
あの世に行っても寂しくないのだそうだ。

それだけ
自分ではなくてお相手を思う心が

着物にはあるそうだ。
なので、

昨日は、
優しいピンクの小紋を着て

少しだけピンクの模様がある
クリーム色の帯を締め、

帯揚げに濃いブルーを
使った。

宏典さんは
明るくて優しい方だけれど、

その奥に強い綺麗な青を
もっている方と思ったからだ。

で、
早めに駅に行き、

コーヒーを飲もうと
大丸デパートの地下にあるケーキ屋さんを

目指したら、
ありゃあ、お店が変わっていた。

なんだか洒落すぎて
あれ?の感じがしたけれど、

JRの中で飲むお茶も買おう!と
黒ゴマとおさつの蒸しパンと

鉄観音茶ラテ?みたいな
美味しいお茶を買った。

このお店、
お茶の温度まで選べる。

で、
その温かいお茶を車内に持って入り

ゆっくり旭川までJR。
やや混んではいたけれど、

お隣はいなくて楽である。
旭川は思ったより寒くなかったけれど、

明日から雪ですよー
と、

タクシーの運転手さんが言っていた。

着物のおかげか
インタビューも無事終了し

再び札幌へ。
旭川札幌間は本当に近い。

そして、
明日は、

一般社団法人日本専門家検定協会
代表 廣澤克美さんの

食品ロスをテーマにした
インタビューだ。

ただの食品ロスではない。
彼女の生き方が形になった話になるので、

優しさと慈悲の心と
知性、品格をイメージした着物を

選んだ。
事前インタビューをしたとき、

彼女の正義感や優しさが
どこから来ているのか

わかった気がした。
そして、

もう一つ重要なことに
気がついた。

それは、
母性はどんな女性でも持っているけれど、

表現のあり方は
ひとそれぞれなのだ。

と言うことだった。
彼女の母性は

優しい知性と慈悲の心、
そして、強い正義感として

現れている。
ゆいトークに載ったら

是非ご覧ください。

着物を着られるようになって、
本当に幸せである。

TTMゆいの中野むつみでした。

されど形見の帯

TTMゆいの中野むつみです。

久々に必死の練習。
何がって、帯。

着物の着付けを習って、
半年。

どうにか一人で着られるようになり、
あとは、

美しく着られること!と、
早く着られること!

に目標を設定したが、
帯は名古屋帯か、

袋帯でもしゃれ帯。
まあなんですね、

私でも結べます!
の感じの帯で、

それでもそこそこ時間はかかるが、
どうにかなる。

だったのだが、
実は来月、

東京で事前インタビューを
することになり、

お客様は、

お能の梅若流角当行雄先生。
有名な先生だし、、、

お能の先生だし。。。
ここは気張ろう!

と、思い、
事前インタビューだけれど、

一張羅の白大島紬に、
祖母のタンスから出てきた帯を

締めようと思ったのだ。
その帯は、

多分、新品。
薄緑の紬の帯だけれど

袋帯で、
同色で刺繍も施されている。


実家を
取り壊す時に見つけた祖母の着物は、

全部袖を通して、
草履も履き、

下着も使っているが、
袋帯は使う機会がなかった。

金糸も銀糸も使わず、
紬なのに刺繍もあり、

そして、
何故だかめちゃくちゃ長い。

他の袋帯は
金糸銀糸が入り、

着る場所が限られているけれど、
この薄緑の紬の袋帯は、

着ようと思ったら着れるけれど、
長い。ので、

どうしよう。。
と、思っている時、

一大決心で白大島紬を買い、
この着物に締めようと決めた。

なんで決めたのかわからない。
ただ、着る機会が来なかった。

が、そーしたら、
角当行男先生のインタビューが決まり、

よっしゃー!
事前インタビューで着るぞー

と、心ワクワク。
でも、

ホテルで一人で着られるか?
と、先日、

着付け教室の遠藤先生に習いに行ったら、
全く締めるどころの話じゃあない。

要は、
いくら着物を一人で

着られるようになったと言っても、
着物歴半年の私が一人で締められるような

甘い帯ではなかったのだ。
が、

どうしても諦めきれなかった。
叔母の形見の良い帯もいっぱいある。

他の帯でもいいじゃん。
なのに、

どうしても
この帯を締めたいのだ。

詩吟を習っていた祖母の帯だからか。
わからないけれど、

この帯を締めたいと
諦めきれず、

ならば練習しよう!
と、

一人で長い帯と悪戦苦闘を
開始した。

わかる方にしかわからないけれど、

模様が一部にある長い袋帯は、
いやあ難しい!上に、

腕が後ろに回らないと
締められない。

いやはや
で、

本日の結果は、
うーん25点くらいか。

でも、
よく頑張りましたよー

それにしても、
どうしてこの帯を締めたいのかしら。

もしかしたら、
幸運の帯なのかも。

白大島紬の着物に
薄緑の紬の袋帯を締め、

角当先生に
事前インタビューしている自分が見える。

だからきっと締められる!

たかが形見の帯。
されど形見の帯である。

TTMゆいの中野むつみでした。

時間の不思議

TTMゆいの中野むつみです。

秋ですねー
山も秋だけれど、空も秋。

色々なことが進み、
自分の変化も大きいのに、

何故か、
時々、心が2月のままだったりする。

変だなあ。
デパートに行くと、

おせち合戦が始まっているけれど、
心が全く動かない。

いつもなら、
今年はどれにしようかな?

と、
人気のレストランおせちと

ホテルおせちに
迷ってる頃なのに。

確かに、
愛知と長野の娘たちは帰省しない。

でも、
その代わり、

正月1日から3日まで、
愛知の娘のところに行こうと思っているから、

おせちは必需品なんだけれど。
そんな話をタクシーの運転手さんにしたら、

『コロナのせいですよ。
僕もお正月が来る気がしない』

と、言っていたっけ。
だから、

デパートのおせちコーナーも
閑散としていたのか。

本当に不思議。

私は、
コロナで止まっていたインタビューを

再開し、
順次アップしていて、

インタビュー本番を
控えている方もおられ、

元気いっぱいに動いているし、
夫も普通に出勤し、

娘たち家族も
みんなほぼ普通の生活をしている。

なのに、
この季節感というか、

時の流れの
変な感じはどうしたことぞ。

と思いながらも、
せっせと生きているが、

我が家に飾ってある花たちも
何故か、

時間の感覚がおかしいようで、
1ヶ月以上咲いてる花もある。

そーいえば、
先日、

本番インタビューをさせて頂いた、
牧野准子さんのおうちには、

8月から生けられている葉っぱの花があった。
変な日本語だわ。

花弁はなくて
葉っぱだけの切り花のこと。

よく見ると、
茎から細い根っこが出てきていた。

牧野さんのお宅には
様々な観葉植物が元気に育っていたけれど、

切り花の葉っぱが2ヶ月以上持つのは
初めてだそうだ。

牧野さんは、
女性建築士だが、

病気で車椅子生活になり、
その生活から感じること、

見えてくることを
建築士の視点でも捉え、

講演をしたり
本も出している。

インタビューでは、
そこいらへんも

少しだけ話していただきながら、
牧野さんの素敵な人間性を感じる

お話を引き出せたと思う。
今回のインタビューの

撮影場所はご自宅で
撮影をされたのはご主人だ。

マンションだが、
内装などのインテリアは

当たり前に牧野さんが
行っている。

そちらも見ていただけたら、
良いなあと思う。

ちなみに、
牧野家の愛猫も逃げずに映っている。

ただし、
すっかり寛いでいたので、

探さないとわからないかも。

ウォーリーを探せ!
ならず、猫ちゃんを探せ!

の感じか。
そして、

実は映らないはずのご主人も
密かに映っていた。

さーて
こちらもどこでしょう?

である。
近日中にアップ予定。

ゆいトークコーナを
見てね!

おせちはやっぱりピンと来ないけれど、
時間は確実に進んでいるようだ。

TTMゆいの中野むつみでした。

紅葉を愛でながら

TTMゆいの中野むつみです。

秋深し?
北海道はめちゃくちゃ紅葉で、

いつもより早いみたい!
と、思ったが、

小樽のブルーベリー農園の紅葉は
いつもより遅れているそうで、

あら、
いつもはもっと早くに紅葉だったか?

と、よくわからないけれど、
昨日は、夫と三女と孫たちと、

家の近くの
紅桜公園に紅葉を愛でに行った。

毎年、紅葉を愛でるような、
落ち着いた生活習慣は、

持ち合わせていないけれど、
今年は行ってみようと思った。

孫たちが行きたいと言ったことが
引き金にはなったが、

こちらの公園は、
昔からあるけれど、

あまり行ったことはなかった。
あれはお盆くらいだったろうか、

コロナでいろんなことが
自粛中だったが、

ここで『お酒なんとか』が開催され、
見にきたら、

びっくりするくらい
きれいな公園だったのだ。

それも、個人所有。
中にはジンの蒸溜所もできて、

昔の、
【ジンギスカンを食べるところ。】

のイメージは、
すっかり消えた。

で、
昨日は、

公園内をそぞろ歩きし、
『滝があるんだね!』というところで、

写真を撮ってもらい、
『これ以上山の上は、着物だから行かないわ』

と、
一人で公園内を散策した。

大きな石を数多く配した庭園は、
自然庭園ともいうのだろうか。

大きな樹々の間に
大小様々な石が配されていた。


暫く歩いていたら、
上の方から孫たちが

坂道を転げるように走ってきた。
若いなー

その後ろから夫が
静かに歩いて来る。

夫は60代後半だから、
年ではないけれど、

日頃の運動不足が応えたようで、
ヒーヒー言っていた。

若い頃は坂道なんて
走って登り下りして娘たちと遊んでいた夫。

自分は着物姿で
そろそろ歩いているのに、

夫の歳だけが気になる。
あー身勝手な私。と、苦笑。

だって、
若い頃は本当に娘たちと

走ったり
ふざけたり

そりゃあ
体を使って遊んでいたのだもの。

朝は、
布団をあげながら、

娘たちを布団で簀巻きにし、
きゃあきゃあ騒ぎ、

私に、
『早くしないと保育園に送れるでしょ!』

と怒られていた。
夜も土日も仕事の夫だったが、

たまの休みは
娘たちと遊ぶし、

遊び方も上手というか、
自分も一緒に楽しむから、

そりゃあ娘たちは
ファザコンに育った。

娘たちは、
答えが必要な相談事は

母である私にして、
楽しい時間は父親!

みたいな感じだったかな。
娘たちはそれぞれに結婚し、

子どもも産んで育てている。
夫婦仲もそれなりに良いようだ。

それでも時々、
自分の夫と父親を比べるようで、

これが息子と母親の関係だったら、
大事なのに、

男性は寛容だと思う。

今年の木ノ実は豊作のようで、
公園内の栗もどんぐりも大振りだった。

さあて、
孫と紅葉狩りも

今年はこれで最後か。
次は夫婦でのんびり来ようかな。

いつまでも
子育て時代の楽しさを

忘れられない夫婦のようだ。


TTMゆいの中野むつみでした。