うどんに思う?

TTMゆいの中野むつみです。

皆さん、
露助汁って、ご存知ですか?

今日、
孫に頼まれて、

うどんを茹でながら
思い出しました。

うちでは、
孫用は乾麺のうどんを

パキンと
二つに折って茹でるんです。

あ、
岡山から送って貰ったうどんで、

細くてコシがあるから
できるのですが。

で、
その露助汁ですが、

まあなんですね、
差別用語で怒られちゃうかも。

ですが、
昔のことだから

許してね。
これは、

樺太に居た父が持って帰ったのか、
祖母なのか、

確かじゃあないのですが、
今で言うクリームシチュウに

うどんが入ってる感じです。
もっとも、

牛乳はわずかで、
片栗粉でとろみをつけていて、

人参、玉ねぎ、じゃがいも
が入っていました。

多分、
肉はなかったような。

父が言うには、
ロシアのスープだから、

露助汁です。
で、

うどんは短く折って
入れていました。

私は、
特別好きではありませんでしたが、

母は料理が上手だったので
薄い牛乳でも

片栗粉入りでも、
結構味は良かったように

思います。
結婚してから真似して、

クリームシチュウに
うどんを入れてみましたが、

夫にも
娘たちにも不評で

作らなくなりました。

父にとって樺太は
懐かしい思い出の地。

二十歳まで、
暮らした地なので、

哀愁もあったと思います。
あれはなんと言うんだったかな、

ビザなしなんとかで
お墓まいりに樺太に帰ったことが

あったと思います。
どれほど懐かしかったか、

でも、
帰ってきた父は

あまり多くは
語らなかったような気もします。

父は、
今思うとすごい人だな、

と、
思うのは、

抑留もされていたし、
樺太から引き上げる時は

命がけだったろうし、
でも、

一度も、
ロシアのことを

悪く言ったことは
ありません。

そして、
軍隊の話も

抑留中の話も
ロシアに敵意を持つような

ことは
言いませんでした。

そして、
何時くらいからでしょうか、

日露協会にも入って、
友好のお手伝いもしていました。

家に、
ロシアの方々が

いらしたことも
ありました。

父は
前向きな人だったんですね。

恨みつらみで生きるより、
前向きに進んだ方が

人生、
良いに決まってるから。

樺太の豊原というところに
先祖のお墓があるはずです。

お骨は持ってこれないから、
御霊様を持ってきて、

ご先祖様として
神社に預けてありますが、

機会があったら、
一度樺太、

行ってみても
良いかな、

なんて思いました。

それにしても、
父はどうして

ボルシチじゃあなくて
露助汁が良かったのかしら。

それとも、
露助汁は樺太の料理なのかな。

孫にうどんを食べさせながら、
遠い地を考えました。

TTMゆいの中野でした。