古希からが本番!

TTMゆいの中野むつみです。

うちの夫は今年古希だったと
先日気がついた。

私は夫の会社に相談役で籍を置いているので、
年度始めの4月1日に北海道神宮に行ったのだが、

神宮のお知らせ
今年の厄年の方!

みたいな看板に
昭和27年生まれは古希祝と

書かれているではないか。

『あら、誕生日過ぎちゃったけれど、
後でお祓いをしに来ようか』

と、言ったが、
うーん、この古い希と言う漢字と

夫がマッチしなさ過ぎて
なんだか乗り気がしなかった。

たしかに
大昔は数えで70歳まで生きる人は

稀。
そりゃあおお祝いだったと思うけれど、

夫はバリバリの現役だし、
夫の会社は70歳が定年だけど、

本人が申し出をしない限り、
定期貯金の自動更新のごとく、

どーぞいっぱい働いてください。
だから、

現在も70歳越えの方は二人おられ、
そのうち一人は後期高齢者に入られるけれど、

体力を見つつも
会社に大いに貢献してくれている。

そう言えば、
先日訪れたリサイクルきものの

【和ものや傳】には、
70歳越えと思しき

男性の店員さんが
おられた。

店員さんというより
番頭さんと言った方がお似合いの方だった。

最初は、
男性だし、着物のこと、

わかるのかしら?
と、避けていたのだが、

若い女性の店員さんは
お客様対応にお忙しく、

仕方なく、
と言ったら失礼だけど、

その番頭さんに声をかけた。
ら、

なんということでしょう!
リサイクル着物のサイズと

私のサイズが合うかどうか、
テキパキと寸法を測ってくれて、

『これは少し大き過ぎますね』とか、
瞬時に教えてくれるのだ。

私が何枚も、
『これは?これは?』と聞いても、

嫌な顔一つせず、
丁寧に測ってくれて、

そして、
私の好みが分かった頃、

少しお高くなりますが
こちらにもございますよ。

と、違う棚の着物を
見せてくれた。

ちなみに、
リサイクル着物はお安い。

今回はセール中だったので、
1100円から着物帯があった。

で、最後に見せてくれた着物は、
39800円。

これを高いとみるか
安いとみるかは人それぞれだけど、

多分、
これを新品で買ったら

20倍の値段だと思うような
大島紬だった。

番頭さんは
柔らかな声で、

『羽織ってみられますか』
と、仰った。

『そうですね。羽織るだけ。。』
で、お店の一畳ほどの畳の上に上がり、

姿見の前で羽織ったら!
『きゃああ!なんて素敵!』

番頭さんは
『こちらの方はまた感じが全く違いますよ』

と優しく
2枚目の大島紬を私の肩にかけて下さった。

ら、
きゃあああ!素敵すぎる!

私の頭はお花畑になり、
『2枚とも下さい!』


ここがリサイクル品の
恐ろしさ。

そして
番頭さんに

3300円の帯を2本選んでいただいて
お買い物を終了。

最後に
番頭さんがにっこり仰った。

『良い品があってよかったです。
着物はご縁ですから』

あー
ベテランはすごい。

人生は
古希からが本番。

そう思う。

TTMゆいの中野むつみでした。

マチの文化

TTMゆいの中野むつみです。

昨日は、
旭川で小樽を想った日だった。

私は、
小樽のまちづくりのお手伝いで

10年近く小樽に通っているが、
元々は、

特に小樽に興味があったわけではなく、
それがある日突然、

神様の啓示?か、
と思うような感じで

小樽に行き始めた。
で、

通ってみると、
誠におもしろいまちで、

なんでこんなに
お餅屋さんが多いのだろう?

いや、
なんでこんなに商店が多いのだろう?

と言うのが
まず気になった。

そのうち、
街が形成されていく中で

多くの商店が生まれたことを
知ったのだが、

未だに多くの商店が
営業を続けていることには、

あまり疑問を抱いていなかったのだが、
昨日、

旭川の和風旅館扇松園の女将さんに、
『札幌でも草履の修理をしてくれる店がない』

と、話したら、
女将さんが、

『小樽にはあるよ、
草履の修理をしてくれるお店』

と教えてくれた。
まあなんと!

あんなに小樽に通い、
商店街巡りもしていたのに、

気がつかなかった。
とびっくりしていたら、

女将が続けて言った。

『地元のお店が残っていると言うことは、
地元の人がお店を護っていると言うことなんだよね。』

え?
私はそんなふうに考えたことがなかったので、

すごく驚いたけれど、
考えてみたら当たり前のことだ。

小樽にあるお餅屋さん、飴屋さん、
草履屋さん、八百屋さん、etc。

は、観光客が行くところではないから、
商売の相手は小樽の人だ。

そうか、
小樽の人が普通に買い物をしているから、

商売が成り立っているのか!
めちゃくちゃ当たり前のことなのに、

そこに目がいかなかったことが
なんとも情けない。

女将は旭川をこよなく愛し、
地産地消を自分の旅館でも行なっているが、

講演会でもよくそのことを話している。
旭川の地元のお店が消えるのは、

地元の人が買わなくなったから。
うーん、そうだなああ。

意識しないと
ついつい目新しい東京のお菓子を

買っちゃう。

私は小樽に行くと
時々不思議の国のアリスになった気がする。

別の世界に入り込んだような
錯覚に陥るのだ。

多分それは小樽の人たちが
無意識に文化の鎖国をしているからだと

気がついた。
自分たちの歴史や

その中で生まれた文化を護るために
特に札幌の精神に染まらないように

小樽を護ってきたのだと思う。
だから小樽の人は、

札幌に出かけるのを
遠くに行く感じに思うようだ。

ただ、
無意識なので自覚はない。

自分たちが地元の商店を使うことで
その文化を護っているなんて

考えもせずに毎日を暮らしている。
小樽、すごいなあ。

と思うと同時に、
女将、すごいなあと思った。

けど、
私は札幌人。。。はて、、、、。

TTMゆいの中野むつみでした。

一生懸命に生きると

TTMゆいの中野むつみです。

今日は旭川に来ている。

和風旅館
扇松園女将高橋仁美さんの

3回目のインタビューと
社員直撃インタビューの二本立てだ。

とはいえ
一泊2日のお泊まりなので、

本日の社員さんインタビュー終了後は
久しぶりにゆっくりしている。

用意されていた部屋は
豪華版。


大浴場の点検修理のため、
本当は宿泊が厳しいのだが

無理を言って泊めていただいたら、
豪華な部屋になっていた。

やった〜

旭川も雪が無くなって
ハルチカシだけど、

大雪山は真っ白だから
吹き下ろす風は冷たい。

これが旭川なんだよなー
と思いながら、

庭園を歩いてみた。


雪が溶けて、

社員総出で掃除をしたらしい。
滝はこれからが本番みたいだった。

こちらの庭園は、
昨年4月に亡くなった女将のお父様、

先代が
ご自分で作られたものだ。


業者には任せず、
本当にご自分で作ったという。

先代は
元々は国鉄マンだが、

当時街中にあった扇松園の前身、
扇屋を継ぐべく、

場所を高砂台に移して
扇松園を建てたが、

その時に
ユンボを動かして

この庭園を作ったという。
すごいとしか言いようがない。

石も大きいし
池も滝もある。

先代は旭川生まれ、
国鉄マン一家で育ち、

スキーは
アルペンもジャンプも凄腕で

国体にも出場していたそうだ。
ご自分も国鉄に入り、


仁美女将のお母様と知り合って結婚。
一人娘だったので婿養子になられ、

42歳で国鉄を退職して、
扇松園を建て、

庭園は自分で作ったというのだから、
なんともスーパーマンみたいな

人だ。
そうそう、

カメラの腕もプロなみ、で、
天皇陛下が旭川を訪れた時には、

カメラマンとして
最前列で写すことを許されたというのだから,

いやはやである。
女将曰く、

その分、頑固だった。
そうだ。

後を継ぐために帰ってきた女将と
ずいぶん揉めたらしい。

そんなスーパーマンで
頑固な先代は

女将に
扇松園のバトンを渡した後は、

とても穏やかに
静かな時間を過ごすようになったと言う。

女将はその先代を
『父は上手に枯れていった』

と、
表現をした。

あれほど
ぶつかり合っていたのに

女将に任せるようになり、
それを受け入れて、

家族で食卓を囲むことに
幸せを感じていたようだと

女将は言った。

昨年の4月20日
先代が亡くなった時

女将は
扇松園のロビーに祭壇を作り

先代のお葬式をあげた。
先代が自ら作った庭が

見える場所だ。
参列された方々は

庭から入り
御参りをされたと言う。

扇松園の女将ブログに

『変な言い方だけど
扇松園で父の葬式をするのが夢だった。』

と書いているが、
先代も嬉しかったと思う。

真剣に真っ直ぐに
一生懸命に生きていると

魂が磨かれて
最後は仏様になると言うけれど、

扇松園の先代は
そんな方だったのではないかと

思っている。

TTMゆいの中野むつみでした。

一本道No.2開始

TTMゆいの中野むつみです。

私は、
神様は絶対いると信じてる。

実家は神道で
中高はキリスト教の学校だったから、

あの神様とか
この神様とか

の信じ方ではないけれど、
絶対神様はいる。

だって、
神様を感じるのだもの。

なんていうと
中野さん、とうとうおかしくなったか?

と思われそうだけれど、

インタビューをするようになって、
色々な方々の人生を伺うと、

私が歩んできた道なんて、
歩きやすい土の道だった気がするのだ。

砂利道みたく痛くなく、
アスファルトみたく照り返しもない。

雨が降ると
たまに泥が跳ねるけれど、

水溜りだって
飛べる程度の大きさだし、

たまには
水溜りに長靴で入って

ピシャって遊んだりできた。
でも、

歩きやすい土の道を歩いてきた私が、
皆さんの人生を理解するには、

少々経験不足だ。
と、思っていたら、

全く知らない方々だったのに、
津軽三味線の菅野孝山先生と

お孫さんの菅野優斗さんを
ご紹介頂き、

民衆の心のヒダを
津軽三味線と唄で教えてくださった。

そして、
なんと、お能の先生まで

ご紹介頂き、
インタビューをさせてもらう事になった。

いやああ、
無教養の私では

絶対理解できない世界だから。
と、思っていたけれど、

角当行雄先生と
息子さんの角当直隆先生から、

能の中の
人の情けというのだろうか、

人間が持っている苦悩と
そこから救われたいという思いを

仏教の精神性と合わせて
舞と謡に表現していることを

教えて頂いた。

自分の人生だけでは
人様の苦悩は理解できない。

でも、
苦悩から立ち上がろうとするのも

人間なのだと
教えて頂いた気がする。

日本人は
感情表現が下手なのではない。

繊細な感情を表現するには
静けさが必要なのだ。

だから、
時に出てくる激しさが生きる。

津軽三味線と
お能の世界にそれを感じた。

神様が
つないでくれた気がする。

事前インタビューの時に使っているノートが
2冊目に入った。

1冊目は
迷い迷いだったから、

この線は違うな、
この線も違う。

と思って
何枚も捨てたけれど

2冊目からは
どんな線でも書き込める気がする。

2冊目の一人目は
株式会社和光 おあつらえHANAの

臼杵店長さんだ。
なんとも不思議な女性。

田中社長の明るさをマチに例えると
札幌だとすると、

臼杵さんは小樽かな。
そんな彼女は着物だけでなく、

今は小樽にもハマっているようだ。
さてさて、

どんなお話が聞けるだろうか。

全ての人の道は
一本道。

少々の曲がりくねりはあるけれど、
それはその人に必要だから神様がくれたもの。

インタビューをしていると
そんな気がしてならない。

TTMゆいの中野むつみでした。

大好き!

TTMゆいの中野むつみです。

人生初、
室内で桜を愛でる毎日だ。

何せ部屋に
花を飾る習慣ができたのが

2年前くらいからで
今は定期的にお花を持って来てもらっているが、

知っている花の名前が
超少ないので

いつもお任せ。
で、今回は桜がいっぱい届いたのだ。

お花屋さんの宮村さんは、
『枝を切っておきますから分けて活けて下さい』

と言って、
大きな枝2本と小さな枝2本に

桜を切ってくれた。
おおおおお!楽しみだ。

そして、
次の日には桜が咲き始め

毎日毎日花が増えていく。

なんだか幸せ。

で、
花屋さんの宮村さんに

『咲きました♪』と、
メールをした。

考えようによっては
お客様から毎回、

『こんなにきれいに咲いています!』と
メールが来るのは面倒かもしれないけど、

どうも私は伝えたい派。
嬉しかった!ありがたかった!

そして、大好き!も
よく伝える。

うーん!〇〇ちゃん大好き!

みたいな感じ。
これは大昔からだと思うが、

中高は女子校だったから、
この【大好き】は、特に問題もなく、

看護学校も女子だし、
サークルは室工大だったから、

男子も多かったけど、
私のキャラが勝って、

問題も起きなかった。
なので、

社会人になり
看護婦になってからも

働いていた病院で、
素直にこの【大好き】を繰り返していたら、

ある時、
親しくしていた若い男性職員に、

『中野さん、言われた人が勘違いするから、
その大好き!やめた方がいい』

と言われ、
え?なんで?私、結婚して子どものいるのよ?

と、思ったけれど、
まあ世の中には、いろんな人がいるし。

と理解して、
男性に大好きは言わなくなった。

言葉は難しい。
言いすぎても間違って伝わるし、

言わなかったら、
もっと伝わらないし。

そういえば、
パートナーに

愛してる!って言える日本人は
少ないなあ。

私は、大好き!を
夫にも言っていたけど、

誰にでも言っていたからか、
重みが伝わらなかった。

女性でも
夫に大好きを伝えられない人もいる。

めちゃくちゃご主人を愛しているのに
なんだか突っ張っちゃって

喧嘩ばかりする女性。

本当、
言葉は難しい。

でも、
それ以上に難しいのは

本当の
自分の気持ちがわかることかも

知れない。

パートナーへの気持ち
子どもへの気持ち

母親への気持ち
父親への気持ち

私を愛してくれたたくさんの人への
気持ち

まずは
自分の心の中を素直にのぞいて

やっぱり
大好きを連発できたらいいなあ

なんて
桜を見ながら思っている。

TTMゆいの中野むつみでした。

春の幕開け?

TTMゆいの中野むつみです。

札幌はものすごーい勢いで春!
だけど、

いつも
このまま春になるなー

と思って裏切られるので、
まだまだ油断ならないと、

心を引き締めている私だが、
私自身には確実に春が来ているようだ。

私はこの4月1日から
一つ役を降りた。

夫が社長を務める会社の
副社長だったけれど、

ただの相談役になった。

一応取締役だが
非常勤で、

相談のみお受けいたします!
の係だ。

まあなんですね、
口がうまくて社員を惑わすので、

ここらあたりで
降りたほうが社員たちも

自分の足で歩きやすいと
思う。

とはいえ
取締役なので

一日は、
神宮参拝には参加した。

今回は初めて着物で参拝だ。
社長に、

『着物で行って良い?』と聞いたら、
OKの許可が出たので、

ならば
紫の無地でしょう!

だって
北海道で一番の神様のところに

行くのだから。
と、

着物を決めた。
さて、帯は?

と考えて、
叔母か祖母、どちらかの形見の帯にした。

前回、
川崎で自分で締めて疲れたので、

今回は
札幌きもの学院の遠藤院長に

お願いをした。
帯だけのつもりが

『着物も直して良い?』と言われて、
すっかり綺麗に着せてくれた。

あー
やっぱり着付けてもらうのが

一番いい!
帰宅後、帯を解く前に写真をパチリ。


うん、満足。
で、本日は、

事前インタビューだ。
お相手は、野嶋成美さん。

ダブルケア
介護コンサルタント

の肩書きをお持ちで、

前回の家ねっとセミナーに
ご参加くださり、

なんか感でインタビューを
申し込んだら受けてくださったのだ。

私は、
事前でも本番でも

インタビューをするときは
その方を思い浮かべて着物を決める。

野嶋さんとは
本当に名刺交換をしただけで、

あとはメッセンジャーで
インタビュー場所や時間を決めただけ。

全く知らないに近いけれど
着物を選び出すと

イメージが湧いてくるのだ。
とはいえ着物や帯の枚数は

決まっている。
これじゃあないな、

これでもない。
と箪笥を開けながら着物を見ていると、

心が動いたのは
薄いベージュの紬。

帯は、
明るいオレンジ系の名古屋帯にした。

帯揚げもベージュ。
帯締めはグレーにピンクの花柄。

よし!これでいい。

着物はお相手のことを思って着る物。
と教えてくださったのは

ビューティーサロンウヤマ
の宇山先生だ。

グランドホテルの
喫茶室でお待ちしていると、

野嶋さんが
ベージュのブラウスを着て現れた。

なんとまあ!
素敵なシンクロ。

野嶋さんのお話をお聞きしていたら、
亡くなった父や叔母たちのことを思い出した。

3時間以上
お話を伺ったことになるのに、

あっという間に感じた。
帰り際、

久しぶりに
父が入院していた病院のそばまで

行きたくなった。
父もインタビューの席に

来ていたのかもしれない。
春、良い幕開けである。

TTMゆいの中野むつみでした。

縁は繋がる?

TTMゆいの中野むつみです。

人の出会いは面白い。

看護婦だった私は、
やりすぎ、動きすぎで体を壊し、

働けなくなった。
が、

失業保険が切れると
働いていない自分が受け入れられず、

父の会社で働き出した。
この会社には夫もいて、

そのうち夫が社長を継いだ。
で、気がつくとここでも

働きすぎるほど
働いた。

最初はお手伝い程度だったけれど、
そのうち、

もっと前へ!みたいな感じで
新しいことにも挑戦し出した。

そして、
その中で知り合ったのが

廣澤克美さんという女性だ。
もう一人、

伊藤実枝子さんと言う方とも知り合い、
【リフォームを考える女性たちの会】を作った。

5年間セミナー活動を行い、
只今は休止中だが、

また廣澤克美さんと組んで
新たな取り組みが始まりそうだ。

そのきっかけは
【ゆいトーク】。

私がした廣澤克美さんのインタビューの
2回目番をとある方が見て、

お声をかけてくださった。
『2回も見ましたよ。』と、

その方は仰った。
廣澤さんがしようと思っていることの

奥を感じてくださったようだ。
実は、

この取り組みには
もう一人仲間がいる。

牧野准子さん。
車椅子の建築士として有名。

だが、
牧野さんのことをブログに書いたら、

そのとある方からお声がかかり、
新しいプロジェクトに入って頂いた。

今日は、
そのプロジェクトの1回目の打ち合わせだった。

小さなプロジェクトだけれど
きっと大きな一歩になりそうな予感だ。

私は、
打ち合わせ前に

人生初の松屋系カツ丼屋さんで
親子丼を頂いた。

吉野家にも入ったことがないのに、
着物姿で店内に入ると、

明らかに場違いだったけれど、
発券機で券を買い、

間違って大盛りにしちゃったので
奥のお皿を洗っていたお姉さんに言ったら、

ちゃんとお金を返してくれて、
普通盛りに変えてくれた。

親切!
でも、やっぱり量が多すぎて、

味も濃くて、
残してしまった。

通りで
お客さんが男性が多いはず。

納得。
そして、

打ち合わせは
グランドホテルの喫茶室。

なんとも心配りがちょうど良い。

新しいプロジェクトは
まだ公表できないけれど、

楽しいモノになりそうだ。

これからも
着物で松屋に入る気軽さと

グランドホテルでも
動じない気品を持って

仕事に励みたいと
思った一日だった。


TTMゆいの中野むつみでした。

春に向かって

TTMゆいの中野むつみです。

札幌の雪は
ものすごーい勢いで消えている。

春だ!
と意気込んで月曜に旭川に行ったら、

あれ、雪。の景色。
それでも日曜日には雨も降ったとかで、

結構溶けてはいたけれど。
出張の目的は、

津軽三味線菅野孝山流
菅野先生とお孫さんの優斗君の

インタビューだ。
お二人のご登場は3回目だが、

今回は、
先生の起業編。

プロで働き始めた時のお話と
お二人の演奏を収録予定をしていた。

で、
1ヶ月ぶりに泊まった扇松園のロビーには、

五月人形が飾ってあった。
まあなんと立派!

武者が今にも立ち上がりそうだ。

兜鎧は

人間の形をした、
なんと言うのかな

なんだか人形とは言い難い人が
纏っており、

少々怖い気がした。
何せ我が家には男の子がいないので

鎧兜はなかったから。
扇松園のこのロビーには、

ついこの間までは
お雛様が飾ってあった。

本当は七段飾りだけれど、
全部飾るとロビーを占領してしまうから、

二段だけ飾ったのだとか。
この五月人形も本当は

もう一段あるそうだが、
同じ理由で一段だけ飾ったそうだ。

たしかに
存在感が半端なかった。

月曜日は札幌で
家ねっとメンバーのインタビューセミナーが

あった。
一人15分のインタビューを

3人連続で行った。
ただし、

事前インタビューに要する時間は
いつもと一緒なので、

お一人2時間から3時間かけて
お聞きしたお話を

15分でポイントをお話し願うので
中々難しかったが、

なんとか終了した。
こう言う挑戦も面白い。

菅野先生のインタビューは
火曜日の午前9時半から行われたが、

朝なのに、
菅野先生も優斗君も

ちゃんと声が出ているのに
驚いた。

興味津々のお話と
素晴らしい演奏は

インタビューがアップした時の
お楽しみに!

終了後
扇松園のひな祭り寿司を頂き、

昼のJRに乗った。
3月いっぱい、

予約すると
買うことができるちらし寿司だ。

生ちらしもよいけれど、
私はこう言うちらし寿司が好き。

JRの中はひさしぶりに
混んでいた。

と言っても、
隣に人が座ることはなく、

二人がけに一人。
次に旭川に来る時は

指定席を往復取った方が
無難なようだ。

コロナ禍で色々大変だけど、
扇松園の人たちも

五月人形に負けないくらい、
立派に頑張っていたし、

菅野優斗君もコンサートがない中、
SNSで配信を続けていた。

一日中配信し続けるらしい。

JRの中で
ちらし寿司を食べながら、

なんだか胸が熱くなった。
私にできることをし続けようと思う。

もうすぐ春だ。

TTMゆいの中野むつみでした。

着物されど着物

TTMゆい中野むつみです。

今週は、久しぶりに洋服week。
これが疲れる。

いつのまにか
体が着物仕様になったらしい。

先日、
株式会社和光の田中社長のインタビューをした時、

田中社長が仰っていた。

『日本人が
洋服を着るようになってからの歴史の方が

着物より遥かに短い』
確かにそうだ。

着物の形にも移り変わりはあるが
布を体に巻いて、帯で締める。

のは変わらない。
だから、

日本人には
着物を着るDNAが流れていると。

いつのまにか
着物が高価なものになり

洋服の手軽さと安さから
日本人は着物を忘れちゃったけれど、

一度着だすと
そのDNAが目を覚ますのか、

私はすっかり
着物の方が楽になってきた。

と言うものの、
未だに着物を着るには時間がかかる。

よって、
本日のように鍼灸治療の日は

着物を着られない。
あー残念。

なので
本日はお洋服だったが、

帰ってきて
一休みしたら、

二部式に着替えた。
これは帯がないから

超楽ちん。
昔、流行ったようで、

叔母からの形見の中に入っていた。
もう一つ欲しい!

と、
叔母の写真に向かって言ってみたが、

笑ってるだけだ。

買い求めたいけれど、
今は売っていないらしい。

まあ仕方ない。

せいぜい楽に着物が着られるように
なりまする。

来週は、
月火金土日と着物を着る。

普通の着物と名古屋帯は
自分でどうにかお太鼓ができるが、

実は日曜日が曲者。
江戸小紋に立派な袋帯を締める。

帯は叔母か祖母の形見で
大昔のものなので今プレスに出している。

自分で締めるのは
おぼつかないから、

ホテルの美容室で
着付けをして貰おうとしたら、

予約がいっぱいでダメだった。
よく見たら大安吉日だった。

川崎市なので
土地勘も店感もないから、

自分で締めるしかない。
お能の先生のインタビュー本番だから

どうしても
この帯を締めたいのだ。

あとは練習するのみだから、
明日と明後日は

もう一つの立派な袋帯で
練習予定。

できるかな?
だけどやるしかない!

でも今日は、
この二部式でゆったり過ごす。

本日は
今週の花を宮村さんが

持ってきてくれる。
花から綺麗な気を頂いて

明日は
着物の神様と向き合おうかな。

着物は着るのも
帯を結ぶのも

そして
畳んでしまうのも

どこか
自分と向き合うようで

気持ちが落ち着く。

着物を残してくれた叔母の写真の前には、
蕾から咲いた花を飾っている。

本当に堅い蕾だったけれど
咲いた。

茎が細くて折れたので
この食器に入れてみた。

可愛いでしょ?
叔母と叔父に言ってみた。

私を実の子供のように
可愛がってくれた叔父と叔母。

だから
形見の着物が体に馴染むのだろうか。

さて
袋帯の特訓、頑張ろう!

である。

TTMゆいの中野むつみでした。

春の嵐の中で

TTMゆいの中野むつみです。

昨日から
川崎に来て、

そして今は羽田だ。
今日の東京の空は真っ青で

6月初旬の気温らしいが、
昨日の嵐はすごかった。

天気予報も予想していなかった嵐は
もう少しで私の乗った飛行機を

中部行きに変えそうだったが
福島付近をぐるぐる旋回後

どうにか羽田に着いた。
いやあ久しぶりの冷や汗だった。

前回羽田に来たのは
昨年の11月だった。

能楽師角当行雄先生の
事前インタビューだったが、

今回は御子息の
角当直隆先生の事前インタビューだ。

泊まるのは
新丸子のビジネスホテルなので

バスで一直線!
のはずが、

あれ?
バスは2時間後。

うーん
どこも大変なのね。

JRで品川駅を経由する勇気はないので、
今回はタクシーを奮発した。

えええ!だけど、
インタビュー以外にも

心が踊って
早くホテルに行きたい理由があった。

それは、
めちゃくちゃ久しぶりに

長野に住む一番孫と婿さんに
会えるからだ。

孫が東京の大学に決まり
昨日が部屋選び。

日帰りトンボなのに
私に会いに寄ってくれるという。

嬉しいぞー

孫へのお土産に
石屋製菓のチョコもいっぱい買った。

で、
ホテルで待っていると

やっと部屋が決まったので
これから向かいまーす。

と、孫からLINEが入った。
男の子だから絵文字もなし。

これもまたよし。
婿さんが長野から一人で運転し、

部屋探し後の川崎だから
疲れているだろうな。

なんて思いながら
新丸子駅で待っていたら、

照れ臭そうに笑いながら
二人がやってきた。

ヤッホー!
思わず孫の腕に絡みついて

恋人のようだ。
うふふ

婿さんに言って
写真に撮ってもらった。

本当は
ゆっくり食事をしたかったけれど、

神奈川県はまだ緊急事態宣言中だから、
殆どのお店が7時半ラストオーダーで

やっと見つけた8時ラストの
ラーメン屋さんに3人で入った。

それでもやっぱり嬉しかった。
早速、

どんな部屋に決まったの?
部活はするの?

アルバイトは?
なんて聞きながら

ラーメンを啜る。
たった30分だったけれど、

私の心は
幸せで膨らんだ。

このためだけに
遠回りをしてくれた婿さんに感謝だ。

帰りは
二人が歩いてホテルまで送ってくれた。

なんて幸せ!
次はジジと来るよー

と言って別れたけれど、
ホント、来月にでも夫婦で来たいなー

コロナよ
落ち着け!

そして、
今日は前日と帯を変えて

朝早くからの
稽古場訪問だったけれど、

直隆先生のみならず、
角当行雄先生もお顔を見せてくださって、

光栄至極。
で、

直隆先生のお話は、
とても興味深いお能のお話。

本番は28日予定だが
これは面白い内容になりそうだ。

結局、今回も
3時間以上お話を聞かせて頂いた。

感謝である。

さて、帰ろう!

飛行場の天気予報では
札幌は雪らしい。

TTMゆいの中野むつみでした。