何かが変わる予感。

TTMゆいの中野むつみです。

昨 日は夫と、
定山渓温泉花もみじに

行ってきました。
会合ではよく使うお宿で、

会社の40周年行事でも、
こちらを使わせて貰いましたが、

夫婦でゆっくり来たのは、
初めてでした。

鹿の湯は休館中で
花もみじだけの営業ですが、

結構お客さんが
おられて、

なんだか
安心しました。

温泉に浸かっていたら、
若い女の子のグループが

入ってきました。

なにこれー
と、

豊富なシャンプー類に
歓声です。

若い子は
溌剌としているなあ。

と、
我が肌を見て苦笑い。

女だけの家族連れも
います。

おばあちゃんとお母さんと
孫娘。

風情あるお風呂場に
優しい空気が流れていました。

部屋に戻ると
私は疲れが出てお休み。

畳はどうして
落ち着くのかしら。

夫は、
お風呂上がりのビールを飲みながら、

再放送の
ぴったんこカンカンを見て、

笑っています。
なんとものんびりした空気。

たまには、
夫婦二人も悪くないかあ。

家でも夫婦二人だけれど、
どこか仕事の延長のようで、

中々ゆっくりは
出来ません。

夕食はレストランで
懐石料理でしたが、

少々量が多くて食べきれず。
夫も残したので、

うーん
二人とも昔のようには

食べられないと実感です。

席は、
少しずつ離されていて、

落ち着いて
食べたりお喋りをしたり。

見渡すと、
意外に若いカップルや

グループが多くて、
今の時期、

少しお安くなっているので、
泊まりやすいのかも知れません。

うちの夫婦も
珍しく穏やか、

まあ私が議論を
ふっかけないからかな。

ほんの少し
日本酒を頂いたら、

すっかりいい気持ちで
部屋に帰ると、

布団の上に横になり、
夫婦でウトウトしながら、

テレビ。
なんだか、

体の余計な力が
抜けていくようでした。

朝は朝風呂。
露天やら内風呂やらを

入ったり出たりしましたが、
定山渓の空気のせいか、

肺が綺麗に
なっていくようでした。

きっと定山渓は
温泉だけでなく、

この山の気が、
体を元気にするように

思います。
朝食会場はブッフェ形式ですが、

こちらも家族連れや
カップル、若いグループで

あふれていました。
が、

なんでだろう。
人がいっぱいなのに、

空気が穏やかなのです。
子どもが泣いても、

誰もピリピリしていない。
昨日から感じていたけれど、

以前より
時間がちょこっと

ゆっくり流れていて、
みんな幸せそうに見えます。

もしかして、
自分がゆっくりしているから

そう見えるのかな。
今までは、

せっかく温泉に来たのに、
あれもして

これもして、
メールを確認して、

SNSに返信。
そんな感じだったのに、

この二日間は、
iPadも開けませんでした。

もしかして、
このコロナは、

世界中の何かを
変えるかもしれないなあ。

そんな気も
しました。

近場の温泉。
また行きたいなあと

思いました。

TTMゆいの中野むつみでした。

朝に思うのは。

TTMゆいの中野むつみです。

ただ今私は
お節介の真っ最中。

なにがお節介って、
経済の活性化!

と言ったって、
たかが知れていますが、

友人たちに
中小企業の経営者が多いので、

時節柄、
いろんなものを

取り寄せたり、
食べに行ったり、

泊まりに行ったり
しているわけです。

よく考えたら、
こんなにいろんな業種の経営者と

お仲間って、
結構幸せだけど。

まあ、
ゆいの他に

夫と小さな会社を
経営しているので、

経営の勉強をしに
いろんな会に入っているから

なんですが。
で、

一人で
そんなに食べられないモノ、

卵やハンバーグやお菓子なんかは、
その夫の会社の社員にも、

配っちゃうわけですよ。
食べてー食べてー

社員の皆さんは
怪訝な顔ですが、

まあ
またむつみさんの

お節介なんだろうな
的な感じで、

ハンバーグやら
卵を喜んでくれるのですが、

昨日、
私の今回のお節介の

理由といいますか、
どーしてこんなに

経済活性化に
躍起なのか、

わかりました。

私たち夫婦は
昨日も街の居酒屋に行きました。

亡くなった友人が立ち上げた店で、
今は娘さんが社長、

息子さんが専務です。
個室が揃う居酒屋で、

夫婦でも
ゆっくり喋ったり

食べたりができます。
本店は函館、

札幌は支店ですが、
美味しさは函館の本店と

変わりありません。
で、

その専務と
今の情勢といいますか、

飲食関係の実情を
話していたわけですが、

途中から話は、
うちの会社のことになりました。

会社を経営していると
様々なことがあります。

そんな話を簡単にしました。
専務は、

いろんなことが
あるんですね。

と一言、
言いました。

その時、
わかったんです。

自分が経験したことは、
私を優しくするためにあったんだなあ。

って。
夫が聞いたら、

え?どこが優しいの?
というでしょうが、

他人には優しいから。

自分が困っている時に、
周りの人たちは、

私たち夫婦に
助言をしてくれたり、

見守ってくれたり、
怒ってくれたりしました。

仲間がいるって、
本当に嬉しくて

心が前向きになれたのです。

だから、
経済を回す意味もあるけれど、

ちょこっとでも
気にかけることで、

恩返しをしようと
思っているんですね。

きっと
恩返しって、

あの人に返す。
ということもあるけれど、

回り回っての
恩返しもあるんだなあと

気がつきました。
で、

本日は、
天塩からヨーグルトが

届く予定です。
月曜日は留辺蘂から

追加のハンバーグと
江別から卵が届きます。

看護婦時代の経験も
中小企業の経営の経験もあって、

今の自分があるんだなあ。
と、

支えてくれた友人たちに
感謝が湧く朝でした。

思わぬダンシャリ!

TTMゆいの中野むつみです。

先日、
砂川に行くために駅に行き、

ちょー久しぶりに
ホームの立ち食いそばを食べ、

あ、
これ、写真に撮って

あとで、
ブログに載せよう!

と、
iPadでパチリ。

して、
バックにiPadを

締まって、
JRに乗りました。

そして、
どーせなら

移動時間でブログを書こうと
iPadを開け、

写真をブログに添付しようと
思ったら、

あれ、お蕎麦の写真がないわ。
あれ?

そして、
なんと!

今までに撮った全ての写真が、

真っ黒!
え?なんで?

で、
砂川で所用を足して、

もう一度
今度は砂川で買った

可愛いメキシコのリュックを
iPadでパチリ。

こちらは撮れました。
でも、それ以外は

ぜーんぶ真っ黒。
困った。

仕方がないので、
私のインタビューを

YouTubeに
載せてくれている、

マッシュネットの
工藤さんに、

また、私のiPadが
おかしくなった!

と、
泣きついたのですが、

工藤さんも
電話口で、

真っ黒ですか?
と怪訝な声。

本当なんですよー
全部真っ黒になったんですよー

どうしたらいいですか?

と、言いながら、
指で真っ黒い写真集を

シャーと動かしていたら、
なんと!

突然、
ホームで撮ったお蕎麦の写真が

現れました。
あれ?どーして?

あれ?
あの真っ黒は何?

あ!
と気がつきました。

多分、
カメラを閉めずに、

iPadの蓋を
パタンと閉めたので、

iPadは
写真を撮り続けて居たのですね。

どーして
蓋を閉めたのに

切れないのかしら。
だから、

2分で数百枚の
真っ黒い写真がiPadに

溜まっちゃって、
消すのにえらい時間が

かかりました。
全くどーなってんの!

私。
でも、

ついでなので、
過去の写真も消しました。

一個一個見ていたら、
消せなくなるので、

思い出に老けるコトなく、
ゴミ箱へ!

ただ、
母の笑顔の写真だけは

残しました。
あとはポイポイ。

孫の写真も
数枚を残すのみ。

だって、
今大きくなっている孫達を

見る事が
できるんですもの。

毎日取っている朝日の写真も
ポイポイ。

あーこの日は
あーだったよな。

あーあの日は
心が辛かったよなー

とかあったけれど、
思い出していたら、

進まんぞー

本当は、
宇宙の元旦だった20日までに

断捨離をすれば
もっと良かったようですが

宇宙の一年は、
膨大に長いようなので、

1週間なんて
数秒にも満たないから、

良しとしよう!
お陰で、

iPadが軽くなって、
写真を載せやすくなりました。

あの日、
真っ黒い写真を

何百枚も
気がつかずに撮ったのは、

やっぱり
iPadの神様が

いい加減捨てなさい。
明日はまた朝日が昇るのだから。

と、
私に伝えるためだったのかも

知れませんね。
明日もお日様、

見られるといいなあ。

TTMゆいの中野むつみでした。

祖母の命日に

TTMゆいの中野むつみです。

今日は、
父方の祖母の命日です。

お嫁に行くまで、
一緒に暮らしていました。

祖母は中々の勉強会で
詩吟を習い、

毎日練習に
明け暮れていました。

樺太から引き上げて来るまでは、
黒住教と言う神道の教会の

奥さんで、
子どもも多くて、

大変だったようです。
父は一人目の長男で

男の子は父一人。
祖母は父を

とても
可愛がっていたようですが、

父のすぐ下の妹が
6歳の時肺炎で亡くなったことが

いつまでも
心の奥で疼いていたようでした。

我が家の次女は体が弱く
何回も肺炎になりましたが、

その都度、
肺炎は怖いからと

とても
心配をしてくれていました。

祖母に癌が見つかった時、
私はちょうど、

看護婦を辞めていたので、
叔母たちと一緒に

付き添いました。
主に夜についていました。

付き添いのベッドはなく、
床に毛布を敷いて、

座りながら休んでいました。
ある時、

ウトウトしていたら、
祖母の気配で目が覚めました。

祖母は、
ベッドの上に起き上がり、

点滴をつけているのに、
私の方に来ようとしていました。

不穏状態になることもあったので、
びっくりして、

『おばあちゃん!
どうしたの!』

と、
思わず声を

上げてしまいました。
祖母は、

『お前が風邪をひくと思って。
毛布を掛けようとしたんだよ』

と言いました。
手には自分の毛布が

ありました。
あー声を上げなきゃあ良かった。

祖母は私のことが
心配になったのですね。

それから暫くして
祖母は亡くなりましたが、

看護婦だった私は
何時くらいに危篤状態になるか、

だいだい分かり、
叔母たちにも知らせていました。

そして、
もうそろそろ。

と思って、
父に電話しました。

叔母たちも母も
病院に来ていました。

でも父は、
『いや、俺は行かん』

と言って、
『亡くなったら知らせてくれ』

と、言いました。
私は、

何言ってんのよ!
と、電話口で言いましたが、

父は本当に来ませんでした。
最初、私は、

父の気持ちが
理解できませんでしたが、

祖母が亡くなり、
医師の話を聞きに来た父の姿を見て、

なんだか
父の気持ちが

わかった気がしました。
母親の最後を受け止める事が

できなかったのですね。
同じような事が、

父が亡くなる時にも
ありました。

父の最後は
家族を始め妹たち家族も

ほぼ全員集まり、
父にありがとうと

さようならを
言えたのですが、

父のすぐ下の妹だけは、
お兄さんの最後なんて見れない!

と、
来ませんでした。

愛が強いと
最後を看取ることは

できなくなるんですね。
私は孫でしたが、

祖母の付き添いのリーダー
でした。

孫だからこそ、
できたのかも知れません。

少しだけだけれど
花を飾りました。

TTMゆい の中野むつみでした。

着物を着て

TTMゆいの中野むつみです。

近頃私は、
着物の生活に目覚めています。

ことは、
12年前、

大切な叔母から、
形見として大量の着物を

貰ったことにありました。
叔母は着物の生活をしていて、

実の子のように
可愛がってもらっていた私に、

自分が死んだら、
着物を持っていきなさい。

と、
言ってくれていたのです。

私もその叔母の影響で
子どもの頃から着物が

大好きでした。
叔母夫婦には子どもがいなくて、

私が娘みたいだったのです。
でも、走り回っている生活で、

着物はタンスに仕舞われて
いるだけでしたが、

その時は、
突然やってきました。

でも、不思議ですよね。

まるで、
着物に疎い私のために、

お助けマンが勢ぞろいし、
さあ、着なさい!

みたいな感じに
なったのです。

まずは、
着物の半襟をつけてくれたり、

着物の小物、
帯との合わせ方などを

教えてくれるお助けマンと、
昨年3月に知り合いました。

キモノのHANAの臼杵さんです。
でも、最初は知り合っただけ。

なのに、
秋から急に着物を着ましょう!

みたいな会に行くことになり、
そしたら、

美容サロンウヤマの
素晴らしい着付けに出会い、

臼杵さんに、
形見の着物と帯を

合わせてもらい、
ウヤマで着付けをしてもらい、

そーしたら、
今度は、

札幌着物学院の
遠藤先生をご紹介頂く機会を得て、

着物を
一から教えて貰えることに

なったのです。
極め付けは、

タチの悪い風邪に
この2月の中から

かかったことでした。
なぜに風邪が?

ですが、
ものすごい寒気で、

ユニクロの部屋着では
辛くて、

肌襦袢とお腰で寝る方が
温かいことに気がつき、

そして、
起きているうちは、

二部式と言う、
帯をしなくても良い簡易着物、

を着るようになったら、
体がめちゃくちゃ楽。

そんな生活を
1ヶ月もしていましたら、

洋服を着ると
疲れちゃうのですよ。

体の締め付け方が
違うんですね。

あー私って、
日本人のDNAが

流れているんだなあ。
と思いました。

着物は
昨年末、実家の取り壊しの際に、

母からも
亡くなった祖母のものも

沢山届きました。
なぜか叔母が私用にと

作ってくれていた紬も
出てきました。

これは、
これからは着物を生活の一部に

していきなさい!
と言うことだと理解しました。

そーしたら、
今度は私に周りに、

着物が大好きな女性たちが
いっぱい居ることに気がつきました。

世は、
変化の時代のようです。

それも、
柔らかい優しい時代へ

変化する。
きっと、

着物が似合う時代に
変わっていきますよ。

皆さんも着てみませんか?
私は日本人なのだなー

と、
きっと嬉しくなること

請け合いです!

TTMゆいの中野むつみでした。

あなたがいて

TTMゆいの中野むつみです。

人間って、
30年もたってから、

あ!と、
大切なことに気がつくことが

あるんですね。
私は、

看護婦を14年と半年して、
退職しました。

看護の道を選んだのは
行きがかり上みたいな感じで、

熱意もなく
資格が取れるしー

一生働けるしー
みたいな感じでしたが、

看護婦になり
2年目に結婚、3年目に出産し、

急に命の尊さに目覚めて、
看護に燃え始めたのです。

いやああ
よく仕事をしましたよ。

面白かったなあ。
でも、

やりすぎて、
体を壊し、

退職しました。
その後、

看護婦に戻ることなく、
今の会社に勤め、

経営者の真似事をし、
そして、

今は自分の得意分野の
話すこと、書くこと、聴くことで、

人と人、心と心、
を繋げたいなあと、

ゆいを立ち上げたのですが、
今朝、突然気がついたことが

あるんです。
私は、

看護婦を途中退場したわけで、
いわゆる、挫折。です。

ところが一度も、
挫折と感じたことがなく、

本当に前を向いて、
色んなことをやってきました。

いつも、
おかしいな。

どうしてこんなに挫折感が
ないのかしら。

と、
思っていたのですが、

それはやめる寸前に、
勤めていた病院の先生から、

ある手紙を
受け取ったからだったんですね。

それに今朝、
気がついたんです。

ほんと
びっくりでした。

私が体を
壊すほど働いていた病棟に、

ある日、
40代後半くらいの

高校の国語の女性教師が
入院してきました。

悪性の病気ではないけれど、
タチが悪い病気で、

何度も生死の間を
行ったり来たり。

真夜中でも
緊急事態発生!

になってしまう病気でしたが、
その女性は、

自宅で
家族の壁新聞を作っていました。

私はそれを知ったのは、
その病院を離れて、

しばらくした時でした。
仲良しだった医師が、

中野さんの話を
壁新聞に書いたから、

渡して欲しいと言われたよ。

先生はそー言って、
私に家族の壁新聞を

くれました。
そこには、

どんなに苦しくても、
今回はダメかもしれない。

と、弱気になっても、
中野さんが来てくれると、

助かった!
と、思う。

と、
書かれていました。

私は看護婦で医者じゃあない。
でも、私の存在が、

私の仕事が
彼女を勇気付けていた。

と知って、
私はとても嬉しかった。

自信があるのか
ないのか、

よくわからない
看護婦でしたから。

でも、
それは、

とても嬉しい出来事
だったけれど、

ただそれだけだったのに、

偶然お友達になった方が、
今その高校で生徒さんに教えておられ、

このエピソードを
メッセージしていたら、

急にわかったのです。
私は彼女の言葉で、

途中退場しても、
顔を上げて退場することができ、

その後の人生を
前向きに生きることが

できたのだと。

誰かの行動や言葉で、

自分が救われたこと、
ありがたかったこと、

そんなことがあったら、
口や字で相手に伝える。

そのことで、
その相手の方の人生に

大きな希望を
与えることもあるんですよ。

だから私も
素直に口に出したいと

思います。
あなたがいてよかった!

TTMゆいの中野むつみでした。

マスクされどマスク顔

TTMゆいの中野むつみです。

今日は、
布の可愛いマスクを頂きました。

送ってくださったのは、
北見留辺蘂のレストランエフ、

の女性社長古田さん。
丁度会社の社員が食べに行って、

あら、
中野さんトコの方?

これ持って行って!
と預かってきたのを

本日手にしたわけです。
可愛い!

丁度、
買ってあったマスクもなくなり、

困ったなあ。
と思っていたので

大助かりです。
どーしてレストランでマスク?

かはわからないけれど、
きっとお客様も助かっていますね。

マスクで、
防御はできないけれど、

私は移しません!
の気持ちは表現できますから。

それでも、
お化粧をしてマスクをすると

マスクにお化粧が移動。
あー

勿体無いやら
無意味やら。

私は元々
お化粧が苦手。

できることなら
したくない!

ならば、
マスクは好都合!

と、
先週までは出かけるのでも

ノーメイク!
いいじゃん!マスクだしー

と、
るんるんしていたのですが、

出先で
ふとガラスに映った自分の顔に

驚愕!
真っ白いマスクの向こうに

シワとシミだらけの
冴えない顔。

がああああああん

マスクの白が
シワとシミと冴えない顔色を

際立たせるのです!
おおおおおおお

こりゃあいかん。
で、

昨日のお出かけは、
バッチリファンデーションを

塗りました。
目は、少しだけ。

よし!

で、
本日の会社も

ささっとファンデーション、
アイラインだけはしっかりと!

口紅は
一応つけるか。

で、
先程、

マスクの写真を撮ってみたら、
なんじゃあ!

どこに
ファンデーションがある?

シワばかりが
目立つじゃん!

よし、
遠目に撮り直し。

を繰り返し、
やっと写真が撮り終わりました。

が、
シワとシミが。。。

で、
気がつきました。

美人の友人が
テレビに映った自分の姿を、

お腹周りが!
と、叫んでおりましたが、

誰もそこは見ていない。
綺麗な横顔が美しい!

みんな、
自分の体で一番気になるトコばかりを

見てるんですねー
あ、その友人は、

整理収納アドバイザーの
廣澤克美さん。

今、
札幌市と一緒に

整理して
無駄をなくす!

に取り組んでいて、
それでしょっちゅうテレビに

出てるんですよー
ほんと、

誰もお腹なんて
見ていないのにねえ。

そー言えば、
一昨日行った、

キモノのHANAの臼杵さんも、
あら中野さん〜全然大丈夫ですよー

と言って
くださったっけ。

うーん
気にしているのは

自分だけ?
おかしいなあ。

まあ
どうあがいても

65年使ってる顔だから、
仕方がないかあ。

昔、シミを取ろうと思うの!
と、義母に言ったら、

むっちゃん、
シミも愛嬌だから。

と言われたのを
思い出したわ。

マスクで目立つ顔のシミ。

一句できた。

TTMゆいの中野むつみでした。

ボケちゃあ悪い?

TTMゆいの中野むつみです。

まだ読んでいないのに、
あ!私の感性、

きっと時代の最先端!
と、思った本は、

ぼけますから、
よろしくお願いします。

だ。
友人がFacebookで

紹介していた。
読んでいないのに、

感想を言うのは変な話だけど、
明らかに、

年齢を重ねて
ぼけていくことを

肯定している題名だと
思う。

表紙の写真も
おばあちゃん二人の

明るい姿だ。

昔から、
歳をとると

人はボケて、
それが本ぼけなのか、

はたまた、
ボケているフリなのか、

わからないところも
老人の特権だった。

あ、
耳が遠くなったフリ。

も、
あったなあ。

私はただ今65歳、
一応、

日本の法律的には
高齢者の域に入ったらしい。

ふーむ
ちょこっと納得はいかないけれど、

都合のいいとこでは、
『いやあ、歳だから』

と、
年寄りになる。

が、
しかし、

全然死ぬ気はしないから、
あれもしたい!これもしたい!

と、
歌っているけど、

歳を重ねたら、
年寄りになったら、

少しくらいボケないと、
全部を覚えていたら、

苦しくなって
死んでしまうぞー

と、
思っているのだ。

おかげさまで、
私は戦争も経験していないし、

沢山の愛する人たちが
先に逝ったけれど、

歳の順番で、
仕方がない。と、

諦めることも
できている。

夫とは、
大恋愛ではないけれど、

42年もの間、
色々あっても、

一応仲良く
暮らしている。

娘たちも家庭を持ち
仕事もして、

孫もいっぱいいる。
わたしには、

仲間も多くて
友もいっぱい。

生活もそれなりに
できている。

そんな幸せな私でも、
忘れたいことの一つや二つは

あるかなあ。
で、

歳をとって
ボケが入ると、

それを忘れちゃうのだ。
あら!そんなこともあったっけ?

人に言われて
気がついたりする。

この頃思うのは、
歳をとり、

ボケていくのは
幸せを胸にいっぱいに

旅立つ準備なのでは
ないかしら。

と、
言うことだ。

私の母は、
90歳を過ぎて

アルツハイマーに
なった。

最初は
記憶がなくなる不安があったけれど、

そのうち、
忘れることも忘れて、

おんなじことを
何度も繰り返して話すけれど、

毎回、
仕草までおんなじに、

話すので、
なんだかおかしくて、

私も家族も
毎回同じ反応を返しているが、

時が経つにつれ、
母はどんどん穏やかに

幸せそうな顔に
なっていく。

若い時の戦争の記憶も
姉妹を原爆で亡くした記憶も、

父やその親族との葛藤も
全て忘れて、

心の波が
立たないようだ。

母は、
今95歳。

1月に書いた書き初めは
『漱石』だった。

頭に浮かんだ字を
書くらしいが、

よくぞ、
そんな字を思い出したものだ。

沢山生きてきたら
心の中に澱も溜まるもん。

ボケてちょうど良いんじゃあ
ないかしら。

きっと私は
都合の良いボケ老人になるなあ。

その時は
よろしくおねがいします!

TTMゆいの中野むつみでした。

一番難しい目標かも(^_-)

TTMゆいの中野むつみです。

札幌は、
今日は晴れ!

私は、
1ヶ月ぶりに、

体が元気になった!
と、自信を持って言えます。

いやはや
なんと長い風邪でしたか。

今時なので、
会社も休ませて貰い、

買い物にも行かず、
人生で一番寝た3週間。

それから
リハビリのごとく

ちょこっと乗り物に乗り、
あー歩きすぎた。

バタン。
と、休み、

再び復活。
人間は、

自分で病気を治すことが
できるのだと、

知った1ヶ月でも
ありました。

まあ
たちが悪いといっても

風邪でしたからね。
思えば、

普通に生きることを
忘れている自分を

発見する時間でも
ありました。

なんであんなに、
やらなきゃ!精神が

働くのかしら。
よく言えば、

責任感が強い。
でも、

風邪は万病の元
死んだら責任も

あったもんじゃあない。

なのに、
熱が下がったか下がらないかで、

ブログを書いたり、
食事を作ったりする自分がいました。

当たり前のように
熱はぶり返し、

寝ます。
そのうち、やっと、

あ、私、
まだ具合が悪いのだわ。

と、
気がつきます。

簡単な食事の支度も億劫。
でも、

動いているから
夫はできると思うのです。

で、
食卓で、

あ、醤油出てないよ。

とか、
私に言うと、

まあ!私は具合が悪いのよ!
顔色を見たらわかるでしょ!

と、怒っちゃうわけ。
たしかにひどい顔色で、

チャットしたら愛知の長女が
めっちゃ心配をするほど。

なのに何故にわからない!
と、腹を立てながら、

言わないと
人はわからないのだ。

と気がつきました。
具合が悪いのに、

元気なふりをすると、
人は気がつかない。

なのに
なんで気がつかないのよ!

と怒るのは
おかしいなあ。

具合が悪くても
周りの人への気遣いは大事だけれど、

素直さも大事。
それが早く病気をよくすること。

というのも、
気がつきました。

病気は薬が治すものではなくて、
自分の体が治すもの。

薬は大事だけれど、
両刃の八重と、

看護学校で習ったけ。
あ、やえってこの字だったかな。

要は、
薬にもなるし毒にもなる。

だから、
少なくて済めば、

それに越したことはない。
ということですね。

きっと
世の中がフルスピードになり、

早く治って
早く活動開始!

を求めるから、
養生という言葉を

忘れてしまったのねえ。
などと考えた1ヶ月でした。

昨日は、
私の回復祝いと

夫のご苦労様を兼ねて
朝里川温泉クラッセホテルに

夫婦で行ってきました。
夕食時、

ピアノの生演奏があって、
お料理の価値が

3倍に上がった気がしました。

これってジュピターだよね。
イエスタデイは永遠だな。

ピアノのお陰で
夫婦の会話も優しくなりました。

さあ、
今日から完全復活!

でも、
走らない。

そんな決意で過ごしたいと
思います。

TTMゆいの中野むつみでした。

近場にて

TTMゆいの中野むつみです。

本日は、
静養日。というか、

ここ1ヶ月、
ずうううううと静養日。

久々です。
そして、

家の中。
今週は、

小樽と砂川に行ったのが
唯一の遠出。

結構道内を動く仕事なので、
ちょこっと寂しい。ので、

今日は夫と
温泉に行くことにしました。

温泉は体を温めるので、
免疫力を上げるそうです。

さて、
どこにいく?

定山渓の定宿、
鹿の湯花もみじは、

残念ながら、いっぱい。
うーん、

次の定宿は、
朝里川温泉クラッセホテル。

こちらは無色透明、
よく温まります。

で、
当日でもOKでした。

来てみると、
近場の方たちが

老若男女か、
結構な賑わいでした。

おばあちゃんの
手を引くお嬢さんや、

お風呂では、
日帰り入浴でしょうか、

明らかにご近所さんの
会話が聞こえてきます。

朝里川温泉は
札幌のお隣なのに、

なぜか
空気が全く違う。

いつも不思議だなあ。
と思います。

部屋の窓からは
朝里のスキー場が見えます。

あいにくの雨。
リフトは、

早めに止まったようですが、
見ていると、

スキーの初心者でしょうか、
降りるに降りられず、

3人ひと組で、
真横にスキー場を

横切ろうとするのですが、
スキーを下に向けないと

当たり前ですが、
スキーは曲がらないので、

その時が大変そう。
いやあ、わかるなあ。

私も、
ハの字で滑っては、

曲がる時、
恐ろしくて、

屁っ放り腰になると、
スキーがつるりと滑り、

死ぬかと思った!
経験がありました。

それでも、
スキー場の3人組は、

どうにか
降りてこられたようです。

時節柄と天気で
スキー場はスカスカでした。

夕食はレストランです。
テーブルが離れているから

落ち着いて食べられます。
日本人特有かもしれませんが、

イタリアンなど、
有名店でもテーブルが近いと

あずましくない。
皆さんはどうですか。

夫は、
夕食前なのに、

ビールと
おつまみをボリボリ。

そんなに食べると
夕食が入らないよー

と、
言おうと思ったけれど、

やめました。
温泉はなんでもあり。

たまの静養日は
夫のためでした。

若い時ならスキーをして
汗を流すんでしょうが。

色んなことがいっぱいあって、
いつも明るく元気よく!

も、
少々大変だから、

近場の非日常、
景色ものびのび、

温泉ゆったり、
そして、

ご馳走を食べて、
しっかり飲む!

あ、飲むは
毎日か。

夫婦でたまに
近場の温泉で非日常。

観光客が少ないなんて
北海道では考えられない。

きっとコロナ君が去ったら、
世界で有名になった北海道に

わんさか人が来るはずだから、
そーなったら、

朝里川温泉は
来にくくなるわ。

今のうちに
楽しもう!

前回来たのは、
厚真の地震後の

復興支援だったけ。
小樽の奥座敷朝里川温泉、

皆様も是非どーぞ。

TTMゆいの中野むつみでした。