涙して

TTMゆいの中野むつみです。

もうすぐお盆、
そして、

初めて盆提灯を
飾ったからなのか、

父からの贈り物が
あちらの国から届いた。

と言っても、
送って下さったのは、

大先輩の奥村繁子さま。

奥村先生は、
福井の社労士で

女性経営者なのだが、

今回、
句集を出されたとのことで

送って下さったのだ。

実は、
私と奥村先生との繋がりは

そんなに深くはない。
と、思う。

ごく稀にお会いすれば
ご挨拶をする程度だったが、

あれは、
札幌の女性経営者の勉強会に、

奥村先生がいらした時だった。
いつものように頭を下げて

ご挨拶をしたら、
先生が握手をして、

私の手を包んでくださったのだ。
極々普通の握手だったのに、

その手の柔らかさ
温かさに、

私は急に涙ぐんだが、
全く泣く場面ではないので、

グッと涙を飲み込んだが、
その先生の手は、

まるで私の悲しみや憂いを
包み込んでくれたように

感じた。
なんで先生は、

私の心を読み取れるのかしら。
その時から、

私にとって奥村先生は、
特別の人になった。

奥村先生の経歴も知らず、
Facebookで、

今の先生の近況を知るだけなのに、
私もいつか、

奥村先生のような手を
もてる人になろうと思った。

そんな奥村先生からの句集だが、
私は、俳句は分からず、

テレビ番組で
俳句を見るくらいだから、

よくわかんないけど、
俳句ならスラスラ読めそう!

みたいな軽いノリで
ページをめくり、

本当に、
サクサクパラパラと


ページをめくっていたのに、
数ページ読んだら、

なんだか分からないけれど、
涙が止まらなくなった。

そう、
あの時、奥村先生に

握手をして頂き、
手を包んで貰ったのと

同じ涙だ。
今私に、

思い当たる悲しみも
憂いもないけれど、

心の奥底に沈む悲しみが
そっと出てきて、

涙になって
消えたのかもしれないと

思った。
そして、

この句集は、
天国の父からの贈り物だと

思ったのだ。
句集の中に、

【断捨離は思い出までも捨てるよう】

というのがあった。
私は、

捨てられずに
引き出しにしまった、

父の指輪らしきものを
思い出した。

処分できずに
とってはあるけれど、

重すぎて、
使いようがないものなのに、

処分ができなかったものだ。
それを父が使っているのを

見たこともないのに、
どうしても処分ができなかった。

でも、
この句を読んだら、

とっておいても
良いのだ。

と、
思った。

先に逝った人たちを思い、
寂しく悲しむことが

あっても良いのだ。
だって、

会えないのだもの。
悲しくて当たり前なのだ。


でも、
悲しみにひたりはしない。

もうすぐお盆。
そして14日は、

父の命日。
涙を流すことも、

先に逝ってしまった
愛する人たちへの

供養だと思った。

奥山先生、
ありがとうございました。

TTMゆいの中野むつみでした。