捨てちゃあいけませんよ!

TTMゆいの中野むつみです。

うちの夫婦は、
断捨離でもタイプが違います。

夫は、
アルバムの整理をしながら、

はまり込むタイプ。

お前の小さい時の写真、
どうする?

と、
聞かれたので、

いらない。
一番可愛い写真が

母親のとこに
あるから。

え?捨てていいの?

うん、いいよ。
でも、芳の小さい時の写真は

一枚残しておいてね。
Yと比べたいから。

Yとは、7番孫のことで、
芳コト夫の小さい時と瓜二つ。

で、娘たちの写真は、
何枚か選んで、あとは要らないよ。

と、
夫に言ったけれど、

夫は、
中々処分できないよう。

仕方がないかああ。
えい!やー!

と、
やらないとね。

なのですが、
夫は多分、きちんと整理をして、

残すと思われ、
まあ、任せておいても大丈夫。

で、
逆に任せておけないのが、

私かも知れない。
実は、

誰も
住まなくなった実家を売った時、

古い登記だとか、
何やらかんやらを

夫が整理しながら、
これどうする?

と、
聞いてくれたけれど、

あ、要らない!
あ、要らない!

と、よく見もせず、
捨ててもらったのですが、

実はその中に
大切なものがあったらしいことが

本日判明。
それは、

実家の土地を
昔父が買った時の書類や

実家を建てた時の
契約書等なのですよ。

あー知らなかった。
それがそんなに大事なものだとは。

税務署というところは、
素晴らしく情報が早いらしく、

母が
土地建物を売却したことを知り、

申告をして下さい!

と、
書類が来たのです。

あ、そうか!
やばいぞー

だって、
いつもは必要がないから、

医療費の領収書も
年金の支払いましたよー

の紙も、
みーんな、

捨てちゃってる。
あー全部、

取り寄せなきゃあ。
と思っていたら、

空き家の三千万控除があると知り、
税務署に聞いたら、

あー残念。
あと2ヶ月早く売っていたら

この控除の対象だったけれど、
2ヶ月遅かった。。。。

で、
やっぱり申告が必要!

で、
知り合いの

T司法書士先生に
お聞きしたら、

購入時の書類が残っていたら、
仕入れ控除に当たることを

教えて貰ったのですが。。。
捨てちゃった!

と言うわけです。
まあなんですね。

実家の土地を売るなんて、
そんなに数の多いことじゃあないし、

知らなくて当たり前。
空き家の控除の話は

何となく知っていたけれど、
3年以内に心の断捨離が

できなかったのですから、
仕方なし。

あ、仕方ない。
と、思うのは母でした。

でもきっと、
母も実家を始末する気になるには、

3年以上かかったのだと
思うことにしましたが、

もしかして、
税務署は、

始末を思い切るには
3年以上かかると、

統計的に知っていたのかしら?
と、

意地悪く思うので
ありました!やれやれ。

TTMゆいの中野むつみでした。

ランチ会の思わぬ効用?

TTMゆいの中野むつみです。

我が家はただ今、
夫は家の中の断捨離、

私は心の断捨離決行中。

昨日は、
大好きな40代、50代、60代の女性たちと、

ランチに行きました。
グラヴィータというイタリアン、

時節柄、
貸切でランチと

お喋りを楽しみました。
こちらのお店は、

我が家の長女の友人夫婦が
経営していて、

めっちゃ美味しい上、
気心が知れているから

思いっきり
お喋りができます。

 

お料理を
運んで来るタイミングって、

結構難しいと思うけど、
うまい具合にお料理が来ます。

もっとも、
私のお喋りが多いから、

シェフが
お料理をもってきそうになると、

年齢不相応に可愛いMさんが、
そっと私に合図を送ってくれて、

お料理の説明を聞く感じかな。
3時間半、

ランチとお喋りに花を咲かせ、
楽しくさよならしたけれど、

このランチ会の
一番の収穫は、

私の心の中にあった父への執着、
というか、

ねえ、私頑張ってるから、
私を見て!的な思いが

払拭されたことに
あったようです。

それもランチ直後は
何も感じなかったのに、

夜中に急に目が覚め、
思ったのです。

それは、
我が家と実家と父のお墓の

位置関係にありました。
偶然ですが、

父が眠る里塚霊園のお墓は、
実家の方を向いており、

そして、
その延長線上に

うちのマンションがあります。
それは偶然なのか、

よくわかりませんが、
私は、

ここから私は離れない。
私はここに住み続ける運命にある。

守るのは私!
みたいな感じだったのですが、

4人で、
それぞれの親のことも含めて

いろんな話をしていたことが、
きっと私の潜在意識に残って

いたのでしょうね。
夜中に目が覚めて、

あ、これも私が決めつけた、
ねばならない。なのだと思いました。

夫の会社は実家の横ですから、
今のマンションは

歩いて5分、
まあ、楽ですね。

いいマンションですし、
リフォームをしたばかりですし、

ずっと住むことに
違和感はないのですが、

自分の心の、
ねばならないに気がついたら、

なんだか急に心が軽くなって、
そのうち、

夢だった
中島公園近くのマンションへの

引っ越しも
あるかも知れないと

ワクワクしました。
そうなんです。

私の夢は、
中島公園の

すぐ前のマンションに住んで、
毎日外食したり、

公園を散歩したりすること
だったんです。

いやあ
ホント、

主婦業が嫌いなんですね。
毎日外食でも絶対いい!

ですが、
それでは夫の体が持ちませんから、

少しは、
作ろうかな。

実家が更地になり、
土地は夫の会社のものになったけれど、

私の心は
実家の土地から

離れられなかったのですね。
友人たちとの会話は、

私の新たな一歩を
また後押ししてくれたようでした。

TTMゆいの中野むつみでした。

タクシーに乗るわけは?

TTMゆいの中野むつみです。

皆様は、
タクシー、どのくらいの頻度で、

乗りますか?
わたくし、免許を持たず、

そのくせ、
あっちにチョロチョロ

こっちに
チョロチョロ。

おまけに、
体力なしのため、

というか
それを言い訳に、

結構乗ります。
多分に、

看護婦時代のクセが
未だにあると思います。

私が看護婦だった大昔は
準夜勤、深夜勤が普通にあったので、

準夜勤の帰り、
深夜勤の迎えは

病院がタクシーを
よこしてくれました。

で、
深夜の帰りも

疲れちゃって、
ヘーイタクシー!

だったので、
タクシーを拾うのが

平気。
とは言い訳か。

そして、
タクシーの運転手さんと

あーだの
コーダの話したり、

時には、
話さずに景色を楽しんだり

するのが
好きなんですが、

先日乗ったタクシーの
運転手さんは女性でした。

なんとなく
話に花が咲き、

『何年ぐらい乗ってるんですか』
と、聞きました。

その女性は、

『19年です。
事務職だったんですが、

その頃、
ヘルパーの資格を取って、

介護職になろうと思ったんですが、
ちょうど良い職場がなくて。

そしたら、
介護タクシーっていうのが

あるよー
と、友人が教えてくれて、

この会社に入ったんです。
マニアルは乗れなかったから、

教習所に通ったんです。
でも、

乗り出したら楽しくて、
夜間組がいない時は、

夜の9時くらいまで
乗ってましたね。』

と、仰います。
でも、

話を聞くと、
介護タクシーの仕事より、

普通のタクシーの仕事が
多かったようです。

私は不思議で、

『介護の仕事じゃあなくて
タクシーでしょ。

帰りたくないほど楽しい、
って、

何が楽しかったんですか』
と、

思わず、
聞いてしまいました。

運転手さんは、

『あら、そうですね。
何が楽しかったのかしら。』

と、
言って、

『色んなお客様から
色んな事を学ぶのが

面白かったのでしょうね。
皆さん、色々な人生を

歩まれておられるから』
と、続けて仰いました。

たしかに、
よく考えたら、

タクシーの運転手さんは
毎日、ものすごーく多くの方を

乗せますよね。
私が会う、

タクシーの
運転手さんの数なんて

屁の河童。
で、

その女性運転手さんは、
その膨大な数の、

お客様との触れ合いが、
楽しいと仰るのです。

思わず、

『運転手さんは
人がお好きなんですね』

と、
口から出ました。

運転をしながら、
彼女は、

『あ、そうですね。
きっと人が好きなんですね』

と、
笑い、

『お客さんもこーやって
運転手と話すのがお好きなら、

人が好きなんじゃないですか』
と、付け加えました。

あーそうかも!
私も人が好きなんですね!

こんな会話ができる方と
出逢うので、

タクシーはやめられない。
あ、違うか!

TTMゆいの中野むつみでした。

着物で初心!

TTMゆいの中野むつみです。

人生初の着物着付け教室に
通い始めました。

元々、
習い事が大っ嫌いで、

習い事らしい習い事は
したことがなかったのですが、

一昨年から歌を習い始め、
今年は、

自分で着物が着られる!
を目標に習ったわけで、

4回ほど無料のレッスンに通い、
頑張ればできるかな?

と、
思って習うことにしたのですが、

昔の人は天才!
と思うほど、

難しい!
先生が教えてくださった時は、

なんとかなる。
でも、

自宅で復習!の時は、
びっくりするくらい、

できない。。。
のです。

先生は、
復習を強制はされないのです。

私に教えて下さっているのは、
札幌きもの学院の遠藤院長。

まあ
お優しい。

否定は絶対されません。
同じことを

何度も言って下さいます。
私って、

こんなに覚えが悪かったか?
と思うほど、

わからない。
いえ、その時は、

わかった!
と思うんですよ。

ところが
自分ですると

はて?
どうだったかな。

なんだか
超初心に返りました。

新しいことを覚えるって、
自分の至らなさがわかって、

謙虚になれるなー
です。

で、
練習が終わり、

やんわりと
復習の必要性を離された遠藤先生。

たしかに、
今日のうちに復習しないと

すぐに忘れるー
と思い、

帰宅後
一眠りをしてから

練習を開始。
はい、疲れちゃって、

寝るしかナイ!
状態だったわけですが、

あー
なんたることか、

あれ、
どうして、

着物の長さが決まらない?
はて、

どうして、
帯が落ちてくるの?

というか、
覚えていないわけです。

それでも、
まずは着てみることが大事だと、

先生は仰った。
のだから、

と、
大汗をかきながら、

兎に角、
着ました。

帯も結びました。
が、

予定では、
着物を着て生協でお買い物!

でしたが、
これでは途中で帯が、

ほどけそう。
やばいよ、やばいよー

の出川になっちゃいそう。

あー
どーするかな。

と、
外を見たら、

雨がじゃかすか
降ってきた!

これは、
洋服で行きなさい。

との天の声に
違いない。

よし、
今日は諦めよう。

本当は、
土曜日のランチ会、

着物を自分で着て
行く予定でした。

遠藤先生は、

そうですか。
それは良いですね。

私にお電話を下さったら、
お手伝い致しますよー

と、
何度も言って下さったけれど、

大丈夫です!
と、元気よく答えた私。

でも、
先生はわかっていらしたのですね。

まだ独り立ちは
できないと。

そーだよなあー

なんだか昔、
看護婦になりたての頃の

自分を思い出しました。

さてと、
雨だし、

草履をしまって
洋服で買い物に行きます。

でも、
絶対着られるようになるぞ。

この心意気も
看護婦一年目と一緒。

性格って
変わらないんですね!

TTMゆいの中野むつみでした。

改めて卒業の感動を

TTMゆいの中野むつみです。

卒業って、
不思議な感情がわきますね。

私は、
去年の春くらいから、

ものすごーく
たくさん持っていた役割を

少しずつ断舎離して、
身軽になって来ました。

友人が、
そんなに無くして、

どーすんの?、
と驚くほどでした。

でも、
本当に名刺の種類が

多くて、
名刺がない役割もあったので、

それはそれは、
すごかった。

でも、
役を降りて

次の方達に渡したら、
それはそれで、

次の段階に
物の見事に発展するわけです。

良かったなあ
と思いましたが、

実は、
そこに寂しさも

あったわけですが、
根がいい格好しいだから、

そんな素振りも
見せないわけです。

ただ、
長く付き合ってる後輩たちは

それを察して、
今年のその会の新年会では、

まるで
クジで、

引いたかのようなリアクションで、
私に締めの挨拶をさせてくれました。

とても嬉しかったです。

私は元々、
見栄とか世間体で

役割を引き受けることは
有りません。

必ず、
ちゃんとやります。

一見、
名誉職か?と思うような役職でも、

意見を言いすぎて、
たしなめられるほど。

だから、
役を降りるって、

それなりの寂しさが
あるはずなんですが、

まあ
押し隠していたわけです。

それが今回、
それ!降りちゃうの?、

みたいな役を
降りることにしました。

それは、
その役を降りることが

必ず、
その会にとって

大きな発展に繋がると
確信をしたからです。

で、
降りた私はどーすんの?

ですが、
必ず次の道に進むはずです。

今まで、
どんな時も

留まっているということは
なかったから。

でも、
そう決めた後の心境は

まさしく
卒業の時とそっくりでした。

それも、
青春真っ盛りの

看護学校の卒業です。
学びの友との別れも、

寂しかったけれど、
サークルの仲間との別れも

寂しかったですね。
私は室蘭の看護学校を

卒業しましたが、
サークルは室工大と一緒。

勉強してんだか
サークルに行ってんだか

わからないような感じでした。
もちろん、恋もして失恋もして、

楽しかったなあ。
私が室蘭を去る日、

仲間たちが駅のホームまで
送ってくれました。

最高の別れでした。
これ以上の別れは

人生の中でもうないと
思いました。

列車の中で
大泣きしました。

あの涙は
なんなのか。

その3年間の思い出や
経験の素晴らしさ、

仲間と離れることの
寂しさ、

でも、
飛び立つ事の必然。

あらゆるものが
入り混じり、

私はなんと
素晴らしい青春を送ることが

できたのだろうか、
という感動。

そんな感じでしょうか。

今、まさかこの歳で
同じ経験ができるとは

思ってもみませんでした。
本当の断舎離は、

こういう感動が
あるものなのかなあ

なんて
一人思っています。

TTMゆいの中野むつみでした。

マスクのお陰?

TTMゆいの中野むつみです。

先週末、
長引いていた風邪が治り、

イエイ!と、
街に出た私。

あ、
ちゃんと用事があったのですよ。

はい、ちゃんと。
で、

金曜日は、
マスクをしていたのですが、

これだけ元気になったのなら、
もう人には移すものはないから、

マスクを外しちゃおう!
と、

土曜日と日曜日、
マスクはカバンの中で、

休養。
そーしたら、

日曜日の夜半から、
嘔吐下痢悪寒。。。。

あー
やっちまった。

と、
再び風邪で寝込み、

思ったのです。
看護婦時代から、

マスクに予防効果はない。
と、言っていたけれど、

やっぱ、
しないよりした方が

良いんだよねー
おまけに、

1ヶ月も
家の中で静養してたから、

すっかり体が
お姫様状態。

ちょっとした風邪菌に
あれ〜と、

やられてしまったわけで、
本日は、

私の救世主稲富鍼灸治療院に
駆け込んだのでありました。

不養生な割には、
具合が悪くなると、

先生!診て診て!
と、強引わがまま。

な、私ですが、
稲富先生は、

呆れながらも
しっかり診て下さいました。

あー楽になった。
これなら地下鉄に乗れそうだと、

歩いていたら、
ふと、目に入ったのが、

【手作りマスクあります】の
文字。

見ると、
個人でやってる洋裁店。

今使っているのは、
留辺蘂のレストランエフの

古田さんから頂いた二枚きりで、
洗濯が結構ギリでした。

ので、
その洋裁店に入ると、

店主と思しき女性が
ミシンを踏んでいました。

『マスクですか?
白はないんです。

色付き、
模様付きなら少しありますよ。

白は、布自体がやっと
手に入る感じで、』

と、言いながら、
サラシのような布を

今度は持ち上げました。
他の仕事は一時止めて、

マスク作りに
頑張っておられるようです。

別に白でなくても良いので、
ピンクと紺の模様付きを

二枚買いました。
一枚550円。

鼻のところに
ワイヤーが入っています。

繊維業界は
滅茶苦茶な売り上げ減、

だそうですが、
こちらのような手作りショップは、

目の回る忙しさで、
大変そうでした。

でも、
一枚一枚、

ミシンで踏んで作るから、
店主の体力勝負なんですね。

こちらのお店は
洋服のリフォームが

本業のようでした。
仮縫いで、

マネキンが着ていたドレスは、
訪問着の転用でした。

『我が家に喪服が4枚あるんですが、
喪服から喪服は作れませんか』

と聞くと、

『姉には作ったことがあります。
でも、

今お預かりしても
手がつけられない。

私、気が急くほうなの。
この騒ぎが終わってからでいい?』

と、
いわれましたが、

そーよねえ
そーですよねー

今すぐ、
喪服が必要になることもないので、

ゆっくり来ます!

と言って店を出ました。
マスクのおかげで、

良いお店を見つけた!

TTMゆいの中野むつみでした。

6月の花嫁?

TTMゆいの中野むつみです。

6月に、
新潟に行くことにしました。

それは、
新潟の友人関原さんの

Facebook投稿を
見てでした。

彼女は、
新潟で美容院などを

展開しているのですが、
古い建物を残す活動もされているらしく、

その古いお屋敷で
花嫁さんを写す!

をボランティアで
されているんですって!

Facebookに載っていた花嫁さんは、
角隠しに打掛、

伏し目がちが
美しい!

と、
目が奪われ、

美しい!
私も着たい!
おいくらで着せてくれるの?

と、
コメントしたら、

ボランティアだから
無料ですよー

と、
教えてくれたわけです。

実は元々、
勉強会で6月に、

新潟に行く予定でしたが、
秋に延期になってしまい、

残念だわー
だったので、

なら、
一人で行きます!

東京は通らないから、
大丈夫でしょ!

だから、
花嫁衣装を着せてー

で、
使用前使用後が

わからないほど、
メイクをしてね。

私は白無垢より
色打掛が着たい。

などなど、
彼女に話したら、

良いわよー
と、

なりました。
6月の話です。

期待をかけています。
だってねえ、

先の先まで
心配しかしなかったら、

心が、
しわくちゃばーさんに、

なってしまうもの。
あ、顔は、

しわくちゃ、
何より首が心配だけど、

そこはプロだから、
彼女が。

私は、
自分の結婚式の時、

ウエディングドレスしか
着ませんでした。

でも、
買ったのですよー

大人っぽいのが
良かったけれど、

どー見ても
大人の女の風格はなく、

可愛い感じの
ウエディングドレスに

なりました。
そのドレスは、

いとこにも貸して、
めいっこにも貸して、

最後は三女が
着ました。

だから、
満足なんですが、

本音は
着たかったんですね。

打掛。
次女は、

白無垢も
色打掛も着ました。

岐阜の慣習のようでした。
で、

それを見て、
あーいつか私も着てみたい。

と思っていたのですが、
月日が流れ、

白無垢は、
流石にお化け。

でも
色打掛に角隠しなら、

ど化粧すれば、
きっと大丈夫!

それに、
和装の花嫁姿の時は

目を
伏し目がちにすると、

絶対歳は隠せる!
で、

なおかつ、
奥ゆかしくて、

いい感じ!
になるみたい。

いやいや、
いいんですよ。

それで。
だって、

どう考えたって、
初々しいわけがないのだから。

新潟は初めてだし、
そーだわ。

打掛だけじゃあもったいない。
母が作ってくれていた単衣の

訪問着も
向こうで着せてもらおう。

こちらは有料だけど、
だって、

北海道で
単衣の訪問着を着る機会なんて、

滅多にないもの。
じゃあそれまでに、

自分で
帯を締められるようになって、

全部着物で過ごそうかしら。
などなど、

夢は
広がって行きます。

待っててね!
新潟の関原さん!

6月の花嫁
お楽しみに!

TTMゆいの中野むつみでした。

今風ですが

TTMゆいの中野むつみです。

時代は
おりんさえ、

変えちゃうんですね。
我が家は、

夫が三男で私が次女、
なので、

仏壇はありません。
ので、

先に逝った愛する人たちの
写真を飾り、

今までは、
借り物のおりんを

置いていたのですが、
今回、新しく自分ちのおりんを

買うことにしました。
といっても、

仏壇がないわけだし、
なんか良いものないかしら?

と、
探しに行ったら、

ありました!

可愛いでしょ?
そして音は、

綺麗な高い音が
小さく長く響きます。

おりんが座っているのは、
お座布団ではなく、

強いて言うなら、
座椅子ですね。

なんでも、
水晶を溶かして

不純物を取り除き、
再び固めたものらしいです。

私の実家は神道だったので、
仏具には拘りがないのか、

これがとっても気に入って、
即決めました。

そう言えば、
神棚もマンション用の

お社なし。
叔父が、

そー。
お社ないんだー。

と、
言っていたから、

気になる人には
気になると思うんですが、

白木の棚、
まさしく神棚、

なんて言って、
お気に入りです。

だって、
マンションの作りに、

四角い神棚は
どーも馴染まなくて。

それでも毎日、
神棚に柏手パンパンは

欠かしません。
実は、

訳あって預かっている
実家の御霊様も、

お厨子に
住んでもらってます。

本当は白木の住処が
必要なのでしょうが、

神棚の白木の板なら
マンションに合うのですが、

白木の御霊様入れ?
なんおと言うかな、

それを置くと
あまりにそこだけ、

そのー浮いちゃう。
なので、

皆さまお許しを!
と言いつつ、

ご先祖さまの
御霊様や写真に

住んでもらっています。
要は、

気持ちなのよー
おばあちゃん!

ですね。

おじいちゃんの、
むつみだったら仕方がないなー

の声が
聞こえて来そうです。

それでも、
花だけは欠かさず

供えています。
ただし、

仏花ではなく、
綺麗な花を。

父は、
赤いバラが好きだったから、

良いバラが見つかったら、
真っ赤なバラも供えます。

今は、
百合とカーネーションと

フリージャー。
白にピンクに黄色。

お花器は、
父の形見の備前焼。

父は備前焼が
大好きでしたから。

借りていたおりんは
由緒正しきおりんだったので、

きっと
ご先祖様たちは、

この今風おりんに
お目目パチクリでしょうが、

夫の両親も
私のご先祖様たちも

新し物好きだったから、
きっと面白がってくれると

思います。

丸井さんの仏具売り場には
もっと色々のおりんがありました。

形が変わっても
祈る気持ちは同じ。

買って良かったなあ
と思っています。

TTMゆいの中野むつみでした。

春を呼ぶぞー

TTMゆいの中野むつみです。

今日の札幌は晴れ
だけど、

真っ青じゃあないかな。
でも、季節外れの暖かさで、

うーん
心配。

何がって、
春が暖かいと夏が寒いのですよー

北海道は。
で、

コブシより先に桜が咲くと
これまた冷夏で、

何が怖いって、
冷害が怖いわけですが、

昨日、見ちゃったの。
藻岩山の桜の木が、

膨らみ始めているのを。
で、

夫に言いました。

『桜が咲きそうよ!
コブシより前に!』

夫は言いました。

『いいじゃないか、
桜が咲くんだから。』

何言ってんのよー
冷害になるかもしれないのよ!

と、
心でぶつくさ思っていたのですが、

今朝の雪のない藻岩山を見て、
思い直しました。

今の地球を見たら、
心配事だらけだけれど、

桜のピンクまで、
早すぎる!と、

不安になっていたら
身が持たんぞー

地球をおかしくしたのは
自分たちで、

それも
昨日や今日の話じゃあない。

今の時点のことを
嘆いていても

一歩も進まない。
受け入れるしか

ないんだわ。
と、思ったら、

急に心が軽くなり、
夫のあっけらかんの方が

長生きする気がしてきて、
今日の暖かさを

享受しようと思いました。
本日、夫は床屋さん、

私は美容院に
行きます。

どちらも混んでいて、
やっと予約を取りました。

北海道は、
早くに緊急事態宣言が出て、

今は静かに
活動が開始されています。

もっとも、
東京の話が

全国バージョンのように
連日テレビで流れるので

なんだか
外出してはいけない感じですが、

夫が行ってる床屋さんは
南区川沿の地元の床屋さんだし、

私が行ってる美容院は
街中だけど、

シェア美容院で
椅子と椅子の間は、

しっかり離れています。
だから、

大丈夫!
春だし、髪を綺麗に!

です。
で、春の装いと思ったけれど、

札幌は晴れていても
気温が高くても

手稲山に雪がある限り
寒いので、

色だけは春の色!
厚地のグリーンのスカートと、

オレンジのソックス、
そして、

白い靴を履きました。

こちらの写真は、

四丁目にある三越の
喫茶ルームから手稲山を

撮ったものです。

遠くに雪を被った手稲山が
見えますか?

ちっこすぎて
見えないかしら。

街中に雪は全くないから、
夏靴で大丈夫。

そうそう
北海道は夏靴、冬靴と、

靴の衣替えも
あるんですよー

昔は
夏靴のことを

短靴と言いました。
冬が長靴だったので。

今もついつい、
短靴、出そうか、

なんて言ってしまいます。

まだコートは厚地だけど、
スカートも靴も

ソックスも春。
色々あるけれど、

心は春にまっしぐら。
頬を緩めて、

福を呼びたいと思います。

TTMゆいの中野むつみでした。

愛するモノ、コトを手放す時

TTMゆいの中野むつみです。

私は断捨離が苦手、
と言うか、

そもそもが
そんなにしようともしないのですよ。

あれは四年くらい前でした。
そんな私が、

東京まで行って
整理収納セミナーに参加しました。

それも講師は札幌の
広澤克実さん。

なんで
札幌の講師で

それも友人のセミナーを
東京で受けるのか。

それはそのセミナーと
タロット占いと手相を見るが、

セットになっていたからです。
私はどちらかと言うと、

占いや手相は信じては
いない方でした。

でも、
その時は、

どーしても
それに参加したかったのです。

で、
案の定といいますか、

セミナーが終わり、
そのあと明るい手相の先生が

私の手相を見て言いました。

『この人は、
広澤さんの言うこと聞きませんよ』

よく言えば、
唯我独尊。あ、

よく言ってるのかな。
そのくらい、

断捨離の勉強しても
だめだよー

の感じな訳です。
でもその後、

広澤さんに
会社の整理収納を

頼んだり、
まあ自分の家も

少々は
捨てたかな。

ほんの少々。

でも、
ものは捨てなかったけれど、

自分の生き方や
やっていることの断捨離が

めちゃくちゃ
進みました。

え?
あれもやめたの?

え?
これも引いたの?

え?
の連続でした。

そーすると
不思議に新しいことが

やっても来ますが、
今度はそれはボチボチと

やることにしています。

それで、
思ったんですよ。

コトもモノも
断捨離する時って

きっと
同じなのだなあと。

迷わず捨てられるもの、
未練なく離すことができるコト

というのは、
案外元々自分にとっては

大きな意味を
持たないものだった。のだと、

気がついたのです。
モノにも、

必ず思いがくっついているから、
深い思いがくっついているモノとコトは、

中々
離せない。し、

離そうと思うと
もう少し。。

みたいに
なっちゃうんですね。

でも、
それだけ思いが深いということは、

モノもコトも
実は、

嬉しいのだと
思いました。

変だけれど、
じゃあね!ってサヨナラするより、

未練があっても
振り切って次に行く関係の方が、

振り切られた方も
サヨナラができる。

そんな感じが
しています。

あの時、
タロット占いの方が

仰ったことも、
手相占いの方が

仰ったことも
多分当たっているんですね。

広澤さんの話の通りには
断捨離をしないけれど、

その必要性は認識したので、
私流にする。

そんな感じでしょうか。

今まで本当にありがとう!
モノにもコトにも、

そう言って
お別れできたら良いなあと、

思います。

TTMゆいの中野むつみでした。