祖母の命日に

TTMゆいの中野むつみです。

今日は、
父方の祖母の命日です。

お嫁に行くまで、
一緒に暮らしていました。

祖母は中々の勉強会で
詩吟を習い、

毎日練習に
明け暮れていました。

樺太から引き上げて来るまでは、
黒住教と言う神道の教会の

奥さんで、
子どもも多くて、

大変だったようです。
父は一人目の長男で

男の子は父一人。
祖母は父を

とても
可愛がっていたようですが、

父のすぐ下の妹が
6歳の時肺炎で亡くなったことが

いつまでも
心の奥で疼いていたようでした。

我が家の次女は体が弱く
何回も肺炎になりましたが、

その都度、
肺炎は怖いからと

とても
心配をしてくれていました。

祖母に癌が見つかった時、
私はちょうど、

看護婦を辞めていたので、
叔母たちと一緒に

付き添いました。
主に夜についていました。

付き添いのベッドはなく、
床に毛布を敷いて、

座りながら休んでいました。
ある時、

ウトウトしていたら、
祖母の気配で目が覚めました。

祖母は、
ベッドの上に起き上がり、

点滴をつけているのに、
私の方に来ようとしていました。

不穏状態になることもあったので、
びっくりして、

『おばあちゃん!
どうしたの!』

と、
思わず声を

上げてしまいました。
祖母は、

『お前が風邪をひくと思って。
毛布を掛けようとしたんだよ』

と言いました。
手には自分の毛布が

ありました。
あー声を上げなきゃあ良かった。

祖母は私のことが
心配になったのですね。

それから暫くして
祖母は亡くなりましたが、

看護婦だった私は
何時くらいに危篤状態になるか、

だいだい分かり、
叔母たちにも知らせていました。

そして、
もうそろそろ。

と思って、
父に電話しました。

叔母たちも母も
病院に来ていました。

でも父は、
『いや、俺は行かん』

と言って、
『亡くなったら知らせてくれ』

と、言いました。
私は、

何言ってんのよ!
と、電話口で言いましたが、

父は本当に来ませんでした。
最初、私は、

父の気持ちが
理解できませんでしたが、

祖母が亡くなり、
医師の話を聞きに来た父の姿を見て、

なんだか
父の気持ちが

わかった気がしました。
母親の最後を受け止める事が

できなかったのですね。
同じような事が、

父が亡くなる時にも
ありました。

父の最後は
家族を始め妹たち家族も

ほぼ全員集まり、
父にありがとうと

さようならを
言えたのですが、

父のすぐ下の妹だけは、
お兄さんの最後なんて見れない!

と、
来ませんでした。

愛が強いと
最後を看取ることは

できなくなるんですね。
私は孫でしたが、

祖母の付き添いのリーダー
でした。

孫だからこそ、
できたのかも知れません。

少しだけだけれど
花を飾りました。

TTMゆい の中野むつみでした。