会えない時間は?

TTMゆいの中野むつみです。

コロナって
不思議だなあ。と、

思う。
私は、コロナ禍が始まり、

そもそも人間とは?
を問われている気がするが、

今の若者たちは、
コロナを機に、

なぜ生きるのか
どう生きるのかを

真剣に考える様になり、
職業選択についても、

以前より深く考える人が増えたと、
本日、人材採用のスペシャリスト、

リージョンズの高岡社長の
zoomセミナーで聞いた。

この仕事は、
将来に置いても存在するのか?

みたいな不安を持ちながら、
職業を選ぶ時代になった様だ。

本当に、
色んなことの矛盾が噴き出て、

本来の人間の姿、生き方が、
炙り出されている様に、

私も思う。
ので、

例えば、

本州に住む娘家族と
会えなくなる意味は何か?

とか、

国外に、
自由に行き来できなくなる意味は

なんだろう?
なんて考えたりする。

うちの母親は、
戦後すぐに岡山から嫁いできた。

父は頑張って
一年に一回は、

母親を連れて
岡山に帰る様にしていたが、

岡山を去る時、
岡山駅のホームには、

母の姉妹がずらりと並び、
全員大泣き。

母親は、
汽車のデッキに立って、

汽車が出発しても
これまた大泣き。

いつも父は私に、
『お母さんを呼んでおいで』

と言って、
私に呼びに行かせた。

電話もない時代、
今度いつ会えるかわからない。

なんとなく
小さかった私にも

その母の気持ちは想像できたが、
本当に理解できたのは、

今かも知れない。

愛知や長野に住む娘たちには、
年2回は会っていたし、

娘たちが学生時代でも、
何かあればお互い行き来をした。

携帯電話で
メールもできるようになり、

それでも、
『どこでもドア!が欲しい』

なんて言っていたけれど、
今は、いつ会えるかわからない。

特に長野に住む次女は、
仕事柄、北海道の人に会うのは

厳しいらしい。
いくらLINEをしても、

チャットをしても、
会えないと思うと、

満足感が出てこない。

ホームにいる母親には、
また会えなくなった。

アルツハイマーで、
記憶はすぐなくなるけれど、

会えない寂しさの蓄積はできるのだと、
前回の5ヶ月間の面会禁止でわかったので、

今回は、週一回は、
メッセージ付きのお菓子を届けている。

で、
もう一つ思うのが、

親が子に会えない方が、
子が親に会えないより寂しいのだ。

ということ。
もちろん、

子どもが成人してからのことだが。

まあそれでも、
生きてさえいれば

いつか会える。
その時を待って

一所懸命に生きる。
ってことなのだろうか。

そうか!
もしかして、

一所懸命なのかも!

なんて自らを励ましつつ、
会える人たちとの時間を大切に

生きなきゃあ
なんて思っている。

TTMゆいの中野むつみでした。